09:糸の元を辿れ!
二階には幾つか扉があったが、どこがユウ少年の部屋なのかはすぐに見当がついた。一番嫌な感じのする扉を開くと、そこは小さなベッドと学習机の置かれた子供部屋だった。教科書を雑に詰め込んだ黒いランドセルと、見覚えのあるおもちゃの赤い剣が床に放り出されている。部屋全体に重く圧し掛かる邪気が充満しており、気を抜けばそれこそ実際に体を押し潰されてしまいそうだ。
「息苦しいわね……」
窓は開いているものの邪気は全く流れておらず、わずかに入る風もすぐに穢され澱んでいく。風の流れに頼るより場を浄化した方が早いと、腰に手を当てたところで美言はハッと気が付いた。
(そうだった。ヘイちゃんは人型になってるんだったわ)
いつもの癖で御幣を振ろうとしたのだが、肝心の御幣は着物の袖で鼻を覆いながら軽く嘔吐いているところだった。美言の視線に気付くと、何でもない風を装って笑ってみせる。
「姫のことは拙者がお守りいたします!」
「あ、ありがと。……ねぇ、ヘイちゃん。もしかしてあなたも御幣に戻れたりする? この場を浄化したいんだけど」
「もちろんです! 拙者の力、存分にお使い下さい!」
頼られたことがよほどうれしかったのか、ヘイちゃんはすぐさまポンっと軽快な音を立てて御幣に姿を変えた。その様子に聖剣エクスカリバーが七色の刃をチカチカと点滅させて何やら反応を示している。
『そんな棒に頼らなくても、さっきみたいにボクが一掃してあげるよ』
「いや、待て」
エクスカリバーの提案に待ったをかけたのはアルトリウスだ。彼は難しい顔をして、何かを探すように部屋の中を見回している。
「どうしたの?」
「わずかだが、魔物の気配が外へ続いている。聖剣を振るえば、その繋がりまで断ち切ってしまうぞ」
聖剣の力の凄さは、さっき階段を覆い尽くしていた糸を吹き飛ばしたことで実証済みだ。この部屋に滞る邪気も、きっと剣の一振りだけで追い払うことができるだろう。
ただ、この場の邪気を祓うだけならそれもアリだ。けれど今はいなくなったユウ少年を探す目的がある。アルトリウスが感じた気配の先にユウ少年がいたとするなら、その繋がりを断つことは得策ではない。
「ヘイちゃん」
名を呼ぶと、床の上で御幣がぴょんっと跳ねた。
「ここに残っている魔物の気配は残して、空気だけ浄化できる?」
『お安い御用でござる。なまくらにはできぬ繊細な技をお見せ致しましょう!』
さらりと混ぜた皮肉にエクスカリバーが反論するより先に、御幣が自ら紙垂を大きく揺らし始めた。アルトリウスに引き千切られたまま直す暇のなかった紙垂だが、今はすっかりと形を元に戻している。これもアルトリウスと美言の力を融合させて注いだおかげだろうか。
『姫はいつものように拙者を振って下さい』
まるで生き物のように御幣が胸元へと飛び込んでくる。右手に掴んだ御幣の馴染みのある感触に、心がホッと落ち着いた。
瞼を閉じ、深く息を吸い込んで意識を集中させると、美言は大きく弧を描くように右腕を頭上へと振り被った。
紙垂の乾いた音と共に、御幣から水の雫が舞い散った。どこから湧いて出たのか不思議に思ったが、雫からは清らかな力を感じる。まるで早朝、朝露に濡れる境内の清々しい空気のようだ。
神聖な気配が部屋中に満ちていくと同時に、澱んでいた邪気が洗われるように浄化されていった。
「邪気が消えた。ヘイちゃん、ありがとう!」
『もったいなきお言葉』
しばらく様子を見ていたが、部屋に再び邪気が充満する様子はない。それはつまり、魔物そのものを倒すことは聖剣にしかできないが、付随する悪影響については御幣でも対応できるということだ。それに浄化の後から、わずかだが美言の体も軽くなっている気がする。もしかしたら御幣には癒しの効果もあるのかもしれない。
「ミコト、見ろ」
アルトリウスが窓のそばに立って何かを見ている。近付いて彼の目線を追うと、部屋の中から窓の外へ続く一本の細い糸が見えた。この家に張り巡らされていた糸と同じものだ。一階で触ったものと違って、この糸には見るからにねっとりとした液体が染みついている。まるでこの糸は――。
「蜘蛛の糸だな」
美言の思考を呼んだみたいに、アルトリウスが呟いた。
「蜘蛛の魔物……アラクネ?」
以前プレイしたゲームに、蜘蛛の形をした女の魔物が出てきたことを思い出す。記憶の中からその魔物の名前を引き出して呟くと、アルトリウスは金色の瞳を見開いて驚いたように美言を見つめた。
「よく知ってるな。ディセリアの魔物だぞ?」
「前にプレイしたゲームに出てきたから覚えてただけよ」
「ゲーム? この世界でも魔物と人間を戦わせる非道なコロシアムがあるのか!?」
「わぁぁ! 違う違う。そんな危険な場所、こっちにはないから!」
古代ローマならともかく、現代にそのような闘技場はない。もっとも美言が知らないだけで、アンダーグラウンド的には存在しているかもしれないが。
「それで、この糸……アラクネがユウ君を攫った犯人ってこと?」
「ほぼ間違いないだろう。アラクネはやわらかい子供の肉が大好物だからな」
「……っ! それを早く言って!」
さらりと落とされた爆弾発言に、美言はぎょっとして窓の外を凝視した。けれども細く色のない蜘蛛の糸を遠くまで辿ることは難しく、ベランダから数メートル目視したところでその先は見えなくなってしまった。
「落ち着け、ミコト。アラクネは攫った子供をすぐには食べない。まずは糸でぐるぐる巻きにした後、毒針で体の機能をゆっくりと停止させるんだ。じわじわと与える死の恐怖をスパイスにして……」
「そんな説明いらないから!」
恐ろしい内容を無表情で語るアルトリウスをキッと睨んで、美言は巫女服の袂から一枚の護符を取り出した。糸から滴る液体を護符に少量染み込ませ、それを勢いよく窓から投げ放つ。
「糸の元を辿れ!」
言霊を乗せた護符が鳥のように飛んでいく。あっという間に見えなくなってしまったが、護符には美言の念を込めているので見失うことはない。
「後を追うわよ」
護符の気配を辿りながら再び車を走らせた美言たちは、やがて七楽町の端にある森林公園に辿り着いた。彼岸池をぐるりと囲む森の中には様々な樹木が植えらえており、秋になると池の周りには名前の通り彼岸花が咲き乱れる。散歩できるように遊歩道もあるにはあるが、もともとの地形を活かした作りになっており、地面には剥き出しの木の根や切り株もあって歩きやすいとは言えない。
彼岸花が咲く季節になれば映え写真を求めて若者が来ることもあるが、普段は散歩する人もまばらな閑散とした公園である。駐車場にも美言の愛車ムーベしかなく、遊歩道を少し進んでも人がいる気配はまったくない。
けれども護符が導いた通り、蜘蛛の糸は確かに森の更に奥の方へと続いていた。
「いるな」
ふと足を止め、アルトリウスが低い声で呟いた瞬間、周囲の温度が一気に下がった。真冬かと思うほどに空気が凍え、吐く息が白く濁る。辺りにはいつの間にか薄暗い闇が漂い、木々の間から差し込んでいた朝日が完全に遮られていた。
(空間が、変わった?)
周囲は公園の森と同じだ。けれど肌に感じる気配、空気の匂いが異質だ。まるで昼と夜を逆さにしたかのようだ。
美言たちがさっきまでいた朝の景色が表の世界なら、重く濁った空気に満ちた夜の森はその裏側――すなわち闇に生きる者たちの世界だ。
恐ろしいまでに無音の森の中を、風が息をひそめて吹き抜けていく。かすかに揺れる葉擦れの音は不気味な笑い声にも聞こえて、それはやがて森全体に調子の外れた不協和音を響かせた。
ぎぃ……と軋む、低い音がする。音の出所を探って周囲を見回すと、視界の端にゆぅらりと揺蕩う白い糸が見えた。糸を辿って見上げた先にあったのは、木の枝から吊るされた幾つもの白い何か。そのうちのひとつから小さな腕が飛び出しているのを見つけた瞬間、美言の眼前に太く大きな紫黒色の蜘蛛の足が振り下ろされた。




