48・こんわく
その声に驚き、ツヅリはバッと勢いよく振り返る。
「もー! 探したんですよー!? 急にどこかに行くなんてだめじゃないですか!」
「あ……え?」
息を切らせて走ってきた様子のシャルロッテ。
彼女は両膝に手をついて息を整えると、ツヅリをキッと見据え、たれ目を吊り上げて仁王立ちをする。
「シャルさん……?」
一方のツヅリは戸惑いを隠せない。
誰もいないと思っていたら誰かいた。
その誰かがシャルロッテだったという点はかなり安心材料になるのだけれど。
しかし、そんな急に出てこられてもリアクションに困るというもの。
まだ状況が飲み込めていないのだ。
とはいえ彼女がいるということは、おそらくここは異常領域内ではないのだろう。
「シャルさんこそ、いままでどこに……」
「魔獣が出たっていう警報があって、いままで避難誘導してたんですよ! ナハトちゃんにも連絡入れてましたよね!」
「あの、えっと……ごめんなさい。連絡ってどこに……?」
「携帯ですよ!」
「あのわたし、携帯持ってないんですけど……」
「……アレ?」
プンスカプンプンという擬音が似合いそうなシャルロッテ。
携帯に連絡を入れたと主張する彼女であるが、そもそも、ツヅリは携帯を所持していない。
シャルロッテはごそごそとポケットをまさぐって携帯を取り出す。
そうしてポチポチと画面を確認する彼女の顔から、少しずつ血の気が引いていく様子が見て取れる。
それにしても、警報が出ていた?
目下の彼の関心事はそこであった。
───そんなものは聞いた覚えがない。
聞こえていたのは単なる店内放送だけで、それ以外には流れていなかったはず。
それに避難誘導していたというのなら、それなりに周囲が騒がしくなるはずだと思うのだけれど。
あのときは一瞬で静かになっていたような……。
この世界の人たちは皆、そんな統率の取れた軍隊のような動きができるのだろうか?
「と、とぉーにかく無事でよかったです!いまバンカーが対応にあたっているので早く外に出ましょう!」
「えーっと、魔獣が出たんですか?」
「そーなんです! なんかこの建物にちょうど出たみたいで! 大丈夫でした?」
「あ、はい。出会ったりはしてないです。ただ、この人たち気を失っちゃったみたいで……」
「そうでしたか……。何はともあれ、無事でよかったです! ここのフロアでも魔獣が死んでましたけど、バンカーが対処してくれたみたいですね! ふふん!」
自分のミスをごまかそうとしているだろうか。
シャルロッテはやたら元気のいい素振りをみせる。
まあ、そういうことなら大体の状況は掴めてきたかもしれない。
気を失っていた人たちは、駆け付けた治安バンカーのほうで救急に運んでくれるとのことで、ツヅリは彼女といっしょに商業施設から出ることとなった。
その前に、服を着ていないことをシャルロッテに指摘されたツヅリ。
失念していたのは言うまでもない。
「下着も買う必要がありますね!」とるんるんなシャルロッテを連れて脱いだ服を拾い、試着室へと戻ってきた彼は中に入ると、ハンガーにかけていたブラウスを手に取って着直す。
身体にもいくらか青い液体が付着している。
着る前にハンカチで見える範囲のそれらを拭き取り、少なくとも白いブラウスが汚れないようにする。
そうしてポチポチとボタンを留め終わり身だしなみを整えていると、今度はハーフパンツにも青い液体が付着していることに気づく。
黒いからはっきりとは分からないけれど、こればかりは最悪の2文字に尽きる。
彼はオフショルを片手に、ため息を吐きながら試着室のカーテンを開けた。
「───あれ? どうしたんですか?」
「……え?」
カーテンを開けた音に、椅子に座っていたシャルロッテがこちらを向いた。
その表情はきょとんとしている。
「その服、やっぱりダメでした? 似合うと思ったんですけど……」
「ん……? え……?」
ツヅリは当惑しながら、シャルロッテと片手に携えたオフショルを交互に見やる。
「えっと、ここ出るならこれ返さないといけないですよね? 着たままだと帰れないですし」
「来たばっかりなのに何言ってるんですかナハトちゃん! まだまだ帰らないですよ!」
───なにを言っているんだ。
まだ帰らない? たしかにここを出ようと言ったのはシャルロッテのはずである。
それなのに、今度はまだ帰らないと。
その一貫しない支離滅裂な言動に、ツヅリは一層当惑を深めてしまう。
「魔獣が出て危ないから出るんじゃ……」
「魔獣……? そんなの出てないですよ? なんの話をしてるんですか?」
「警報がなったから避難誘導してて……」
「何にもないですよそんなの! 一体どうしたんですか?」
「いや……いや、ちょっと待ってください」
魔獣が出ていないだと?
たしかにさっき魔獣が出現していただろう。シャルロッテもその死体を見たと言っていたはずである。
それなのに彼女はそれをすべて否定してくる。
───今しがたの出来事だぞ。
他ならぬ僕自身が倒したんだ。
数時間前ならいざ知らず……いや数時間前でも十分におかしいことだけれど!
ツヅリはばたばたと試着室を飛び出すと、店内をぐるりと見渡した。
───人がいる。
そこには彼ら以外の買い物客がごく自然に、なんの変わりようもなく存在している。
一体どうなっているんだ?
ならば魔獣は。あの倒した魔獣はどうなっている。
シャルロッテが何かを言っているのをよそに、彼は魔獣と戦って倒したはずの場所へと向かう。
「…………」
走ってたどり着いた先で彼は目を見開く。
そこには何もない。
なにかが壊れていることもなく、商品が散乱していることもない。
青い液体や触腕が転がっていることもなければ、彼が刻み込んだ術式の痕跡すらもまったく存在していなかった。
「もー、どうしちゃったんですかナハトちゃん! 走ったらあぶないですよぅ!」
「……あ、ごめんなさい。そうですよね、すみません」
意味がわからない。
ゆめ、でも見ていたのだろうか。
そんなはずはないと、いくら思ったところで肝心の痕跡がどこにも見当たらない。
どこにも、ただの1つも痕跡がないのだ。
いや、待て。痕跡ならまだある。
彼はハーフパンツの後ろポケットから急いでハンカチを取り出した。
先ほど身体を拭くのに使ったハンカチだ。これには確実に青い液体が痕跡として残っているはずである。
「…………ない」
だが、取り出したハンカチは実にきれいなものだった。
汚れておらず、濡れてもいない。折り目はきちっとしていてまるでアイロンをかけたばかりのようである。
ハーフパンツも同様に濡れた形跡はなく、まるで新品のように綺麗なものであった。
───頭の中がどうにかなりそうだ。
「ナハトちゃん?」
「……シャルさん。わたし、ちょっと気が動転してるみたいです」
「えぇっ? だ、大丈夫ですか!?」
「ごめんなさい、ちょっと休ませてほしいかもです……」
「とりあえずフードコートにいきましょ! あそこなら休めますから!」




