44・きっさてん
ツヅリがこのよくわからない世界に来てから数日が経過した。
訓練というような訓練もないままに、彼はアンフェドールの新隊員として働いている。
取り敢えずいまは「文字の読み書き練習」が業務内容となっている次第であった。
それもそのはずで、そもそも文字が書けなければデスクワークすら出来ない始末。そういうわけで彼の目下の目標は「文字が読めるようになること」となっていた。
また、当然だがそれだけが業務ではない。
「お、おかえりなさいませーご主人さま! お席にご案内いたします!」
ぎこちない笑顔の少女が、メイド服姿でお客様を出迎えている。
店の外看板にはアンフェドール、「アンチ・フェルライン・ドールズ」と書かれてある。
そう、ここアンフェドールでは1週間に2回だけ、詰め所の喫茶店運用を行なっている。
基本的に水曜日と金曜日がその営業日であり、その2日間はオートマタのみが街の巡回警備にあたっていた。
「ナハトー。これ11番、出来たから持ってってー」
「はいっ、了解です!」
カウンターから料理の乗ったお盆を受け取って運ぶツヅリ。
接客業など全くしたことのない彼にとって、こういうホールでの接客はあまりにも新鮮すぎる仕事である。
なんなら今日が喫茶店営業初日ということもあり、ぎこちないなんてものではない動きをしていた。
少しだけ慣れてきた羞恥心とそれを上回る、精神が擦り切れそうになるほどの緊張感。
もはや心はどうにかなりそうな状況であるが、残念ながらそれを吐き出すような暇はない。
現状の彼にできることと言えば、それらを意識しないようにがむしゃらに接客に従事することくらいであった。
「えっと。魔法トッピングですね。が、がんばります!」
ツヅリが料理を運んだ先の男性客が、メニュー表を指差して何かを注文する。
───無料サービストッピング一覧。魔法の萌え萌えトッピング。
ツヅリは躊躇で身体が動かなくなる前に、ありのままの勢いでそのトッピングを実行する。
「おいしくな〜れ、萌え萌えキュンっ!」
両手でハートを作り、ウィンクをしながらそう唱える彼の顔面はずいぶん前から紅潮していた。
───おそらくは開店30分後あたりから。
熱暴走を起こしているんじゃないかと心配になるけれど、彼の精神状態は例えるなら「溶岩を水で冷やして石にした後、また溶岩にして水で冷やす」というような急熱急冷を繰り返していた。
だから一応、冷えてはいる。
しかしいま、彼は完全に吹っ切れてしまっていた。
猪突猛進モードとでもいうべき精神状態だった。
つまり冷えるタイミングを見失っている。
「え、握手してほしい、ですか? そのくらいでしたら……はい、いいですよ!」
別の男性客が素手で握手をしたいと言う。
メニュー表にそんなトッピングは無かったはずであるが、深く考えることを放棄したツヅリはそれを快諾する。
白い布手袋を外し、男性客と握手をすること10秒。
撫でるような違和感のある動き。
そして「あれ、いつ離すんだ?」という至極当然の疑問が浮かんだあたりで後ろからビシッと、握手に強いチョップが入った。
「あーちょっと! ダメですダメですご主人さま!」
「うぇっ?」
「接触厳禁ですよ! ナハトちゃんも! めっ!」
「あっごめんなさい! いいですよって言っちゃいました……」
「もー、気をつけてくださいね!」
経験不足すぎるゆえか。
あるいは心根が男であるがゆえにか。
どうにも彼はこの接客業において気を許しがちというか、距離感の測り方がいまいち下手くそと言わざるを得ない。
ふだん働いている警戒心が、ことこの仕事においてはまったく機能していないのである。
「お待たせしました! メイドのハートドリンクです! ……え? いっしょに飲んでほしい? ごめんなさい、いま仕事中なので……え、別の人はやってくれた? そ、そうなんですか? それなら───」
「ナハトちゃーんっ! ダメーっ!」
───さて、休憩時間になり。
休憩室の椅子に座っているツヅリは、まかないのオムライスを前にテーブルに突っ伏して微動だにしない。
どうやら死んでしまったようだ。
「おー、だいじょぶかー」
部屋のドアを開け、気だるそうに入ってきたアッシュグレーのショートヘアに黒い目をした女性。
───アラネア・ラザニア。
今日は厨房の方で調理補助をしている、アンフェドールの先輩である。
彼女は自分の分のオムライスをテーブルに置くと、ハンガーラックから上着を取ってそれを羽織った。
彼女が声をかけると、ツヅリのしょぼくれた声がかすかに聞こえる。
「アラネアさん……。わたし、ちゃんと仕事できてますか……?」
「上出来上出来。だってべつにミスしてないし」
「ミス、してないですか?」
「まーちょっと客と距離が近いかな。言うてそんぐらいだろ」
彼女はツヅリの隣の椅子に腰を下ろし、カチューシャを外してぐぐぐっと伸びをした。
ツヅリは突っ伏した姿勢のまま、顔だけを彼女のほうに向ける。
「なんかもう、必死になりすぎちゃって……。あたまがいっぱいいっぱいになっちゃうんです」
「なるほどなー」
気の抜けた返し。
携帯をいじりながらオムライスをスプーンで掬うアラネアは、ツヅリを気に掛けているのかいないのか、携帯から目を離すことなく会話を続ける。
「あたしはマジてきとーにやってるからアレだけど、ナハトはなんか真面目っぽいからなー。もっと楽にしろってのもたぶん違うだろーし」
「はい……」
アラネアは視線を上に向け、傍目にはぼーっとした様子で僅かに思い巡らせる。
そうしてちらりとツヅリを見たあとで、またオムライスをモグモグ食べ始めた。
「あれだよ。とことん真面目にやるとか、キャラ作りを徹底するのがいいんじゃない? なんかそういうの向いてそう」
「……キャラ作り、ですか」
「素の自分でやろーとするからキツいこともあるし。受ける感情とかをキャラに吸わせるのはアリじゃん?」
「ふむふむ……」
キャラを作って対応する。
───なるほど、確かにそういう手もあるか。
ツヅリは俯瞰する。
今までだって幾何学屋として動くときは、依頼人の前では必ず強気な姿勢を取っていた。
あれはまた別の理由もあるけれど。
1人称を変えることに始まり、あえてつっけんどんな態度を取ることもしばしばあった。
その延長線上にあるものだと考えれば、キャラ作りはそこまで難しい話でもないように感じられる。
あとはまあ、どんなキャラを作るかによるけれど……。
さて、最適な人物はいたであろうか。
キャラを作っているというレベルで話し方が特徴的で、かつ相手との距離を取りやすいような人物は。
◇
「───よく来たな我が主。席は用意している、着いてくるがいい」
凛とした声が入ってきた客を出迎える。
一昨日とは打って変わった様子のツヅリは、用意したキャラに完全に入り込んでの接客を決め込んでいた。
ギアチェンジした猪突猛進である。
「注文は決まったか? ならば聞かせてみろ。持ってきてやる」
キャラ作りにあたって参考にしたのはどこの誰か。
その特徴的な言葉遣いから分かる通り、彼の母親である天乃トモシビであった。
もっとも、彼は自身の母親のことをあまりよく知らない。だがそれでも、あの口調を真似するのにそこまでの苦労はかからなかった。
「魔法の萌え萌えトッピング……か。いいだろう、よく見ておけ」
不敵に微笑んだツヅリが、ロングヘアをたなびかせて両手を構える。
「おいしくなーれ! 萌え萌えキュンッ!!!」
勢いよく両手のハートを突き出し、ドヤ顔を決めるツヅリ。
そこに一切の迷いはなく、謎の底知れぬ自信だけが表情に滲み出ていた。
「ほう、なんだ我が主。ずいぶんと食べるのが下手くそだな。スプーンを貸せ、わたしが食べさせてやる」
「ナハトちゃんっ! そういうのないから! 食べさせるとかないから!」
「ほら、口を開けろ。このわたしが食べさせてやると言っているのだ。光栄に思うがいい」
「ナハトちゃーんっ!!!」
ツヅリが母親に対してどのような印象を抱いているのか。
誤魔化しようもなく如実に。それがあらわになっているのは確かな事実であった。
───空もすっかり暗くなり、アンフェドールも閉店時間となる。
他の飲食店よりも早い閉店時間であるが、深夜までの営業は規律不全に繋がるとのことでさすがにご法度らしい。
最後のお客様に挨拶をして、扉には「閉店中」の掛札が下げられた。
これで今週の営業は終わり、来週の水曜日まで喫茶店が開くことはない。
売り上げの確認、店内の掃除、在庫チェック、閉店中に廃棄期限がくる食材は寮の食料に回しておく。
あと諸々の作業。
そうして店内の掃除もほどほどに、テーブルを挟んで向かい合っているシャルロッテとツヅリ。
お話し合いである。
それは今後に関わるかなり重大なお話だった。
「あぅ……だ、だめでしたよね?」
「ダメとは言いませんけど……。入店時のあいさつも変わっちゃってましたし。あとなんか暴走してなかったです?」
「ごめんなさい、ちょっとのめり込んじゃって……」
「──おいおい」
仕事中の威勢の良さはどこへやら、ずいぶんとしょんぼりとしているツヅリ。
接客中の記憶自体はちゃんと残っているために、自分がずいぶんと好き勝手していたというのは自覚していた。
恥ずかしさと申し訳無さでどうにかなりそうだった。
奥からカチャカチャと食器がぶつかる音が聞こえる。
厨房の洗い場で食器を洗っていたアラネアが、神妙な2人に気だるげに声をかけた。
「ナハトなりに考えた結果だろ。そう否定してやんなよ」
「べ、べつに否定してるわけじゃないですよアラネア! ただ、ナハトちゃんは可愛い系のほうがいいんじゃないかなーって思っただけで……」
立ち上がり、するりとツヅリの後ろに回り込んだシャルロッテが、背後から抱き着くように首に腕を回した。
ツヅリの顔の真横に彼女の顔が寄せられ、その頬にすりすりと頬ずりをし始める。
「あの路線はどうかなーって、私おもうんですよ。ナハトちゃんの良さが半減してる気がします!」
「それはナハトが決めることだろ。べつにコレってのが決まってるわけでもないし」
「それはそうですけど!」
「あたしは、悪くないと思うけどなアレ。むしろあそこまで入り込めるのはすげーよ」
「むぐぐぐぐ……」
確かにツヅリのあの芸当は目を見張るものがあった。
思い描いていたイメージ像が正しいかどうかはともかくとして、あそこまで成り切れるのは賞賛に値する芸当であった。
とくに、「無茶苦茶なことをしていた」という以外は、完璧に仕事をこなしていたのだから、その点についてはキャラ作りの有用性が示されている。
まあシャルロッテがそこまで考えているかと言えば、彼女は「自分が押し負けそう」という状況に歯噛みしているだけなのは言うまでもない。
「こっちは終わったよー。なになに、どったの?」
奥の事務室からもう1人の女性が姿を現した。
ピンク色の髪に赤と白のオッドアイ。
彼女もまたアンフェドールの先輩であり、その名前をマチエール・ペタと言った。
獣人族の彼女は、その頭部にネコ科のトンガリ耳と、腰の付け根からふさふさの尻尾が揺れ動いている。
「ナハトのキャラ作り。どうなんって話してた」
「あー、あれねー。正直ウチはめっちゃ良いと思う!」
「マチちゃんまで!?」




