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もんもんぐんぐん



 最初の記憶は、暗闇だった。

 意識や思考すらも闇に溶けるような、深い睡眠状態に入っていた。

 どのくらいの間、そうしていたかはわからない。

 如何せん、小生はこの時『時間』という概念すら持ち合わせていなかったからだ。


 次の記憶は『人間』の手だった。

 外界から自身を護る卵殻の中で小さく震えていた小生を見つけ出した、人間の手だった。この辺りの記憶は朧気で定かではない。何せ小生は休眠措置を施され、母艦からこの星『らぱすてー』に産み落とされた個体だったからだ。

 孵化と共に現れた人間の手に、指に、ぐったりとして身を委ね、拾い上げられることを余儀なくされた。この時の小生は彼の大きな手のひらにすっぽりと収まるほど小さく、溶けるように脱力していた。小生は、人間の使用する言語でいえば蛸や海月に近い形をしていた。今さらになって考えると、このような見た目の小生を、よくもまあ、臆せず拾い上げたものだ。そして、この時の記憶を小生は鮮明に覚えている。人間の手は温かかった。

 そうだ、『もんもん』はいつも、一貫して、温もりがあった。


 人間は小生を拾い上げ、自身の住処に持ち帰った。

 彼は、小さな箱のような場所に住んでいた。必要最低限の炊事場と、圧迫感のある水回り……それから、本棚に所狭しと並べられた書物と、その収納場所に収まらず横に重ねられ溢れ出ている本、書籍、蔵書。嗅覚器官を擽(くすぐ)るこの香りが、紙の発するものだと気がついたのはだいぶ後だった。

 連れ帰られてしばらくは、小生の意識も朦朧としていた。されるがままにお湯に入れられたり、食餌を与えられたりした。そして重ねられた布の中で丸まって過ごした。その間も、人間は話しかけることもせずに、ただ、黙々と小生の世話をし続けた。


 人間は、毎日のように机に向かい、機械仕掛けの装置をカタカタと鳴らしては悶々とし、うんうんと唸っていた。たまに蔵書を手に取りぱらぱらと捲っては、目元を抑えて項垂(うなだ)れた。小生は一つだけある目玉で泰然(たいぜん)とその後ろ姿を傍観していた。

 小生の丸い瞳に『もんもん』の後ろ姿が未だに焼き付いていて良かったと、今になって思う。

 それから、どのくらいの時を経たのかは時間の概念を持たない小生には到底わからないが、ある程度、自由に動けるようになった。その頃には、最初こそ話さなかった人間が『ぐんぐん』と言うようになっていた。決まってこの単語を言葉の頭につけるものだから、小生はそれを鳴き声だと思っていた。

 だが、どうやら違うらしい。

 その言葉が、小生を呼ぶための『名前』だと気付いたのはもう少し後だった。


「ぐんぐん、腹が減らんか?」

「ぐんぐん、眠くはないか?」

「ぐんぐん、寂しかないか?」


 腹は減らぬが、人間の出す飯は紙の香りに負けないくらい良い匂いがして美味かった。

 眠くはならぬが、人間が眠りに落ちる時、共に静かに目を閉じてじっと待つのは苦ではなかった。

 寂しいの意味はこの時わからなかったが、人間が目を閉じている間、隣に寄り添って温もりを感じることは好きだった。

 そのどれもが小生の生命維持には必要なかったが、心地の良さを感じていた。


 そうやって、人間としばらく過ごしたある日。小生は丸めた布が置かれた自身の寝床からするりと這い出し、椅子を伝い、人間の手の所まで動いた。小生の触手が人間の手に触れると、それまで考え事をしていたのか……人間がビクリと跳ねた後、こちらを凝視した。


「ぐんぐん? どうした?」


 人間が小生に訊ねた。人間がじっと見ていた機械仕掛けの装置に付いた画面を小生も見つめた。何も分からなかった。いつもこの画面を見て悶々としているものだから、何か悪い事があるのかと思った。だが、そこにはひたすらに文字列が表示されているだけだった。薄暗い部屋の中。光る画面が人間の眼鏡に反射しているのを振り返って確認した後、人間の手元から移動して机の足を伝い降りた。次に、本棚に溢れかえった書物を手にした。パラパラと捲ったが、画面と同じように文字列が並んでいるだけだった。なるほど、これは悶々とするのも仕方がない。そう思ったが、この時、小生はまだ何も分かっていなかったのだ。言語というものをまだ理解できていなかったのだから。

 ぐらぐらと揺れていると、人間が初めて笑った。それから、本棚に置いてあった大きめの硬い表紙の書物を取り出した。先程、小生が手にした書物よりだいぶ薄い。


「初めは絵本がいいだろう」


 そう言い、こちらにその書物を手渡してきた。小生はその書物に書かれた言葉と意味を、挿絵と共に貪った。人間は悶々とする片手間に、小生に言の葉を紡いだ。やがてそれが大樹になり根を張る頃、小生が人間の使う言語を理解するようになった。それまでずっと悶々としていた人間も、言語を理解した小生に喋りかけている時だけは、心が青く晴れているように表情が柔らかくなっていた。

 小生はぐんぐんと書物と人間の言葉を吸収していった。人間がいつも向き合っている機械仕掛けの装置をパーソナルコンピュータと呼ぶのだと学習した時には、人間の悶々とした表情も理解していた。


「こうではない。もっと上手くできるはずだ」

「どうして私より若い者の方が秀でている」

「おかしい。世の中がおかしい」

「こんなこと書いていてなんの意味がある」

「誰も読まない小説など、存在しないも同然だ」


 人間は、パソコンに向かって呟いていた。小生に時間という概念はなかったが、外が明るくなって暗くなるまでそんなことを悶々と呟いていた。この人間は時間を忘れがちだった。だから、時計の短い針が六と十二を指す時に、小生が触手を彼の手に添えて教えてやった。すると、人間は決まってこういうのだ。


「……ああ、もうそんな時間か」


 人間は時間の概念を知っていたが、時を忘れてしまうような人だった。



 それからまたしばらく経ち、小生がパソコンで文字が打てるようになった頃。人間の見た目にも変化が起きていた。漆黒の闇のような髪色は、月光のような淡い色になっており、伸びていた背中が猫のように丸くなるようになった。元々細かった腕は骨が浮き立ち、温かかった手は軒下に垂れ下がる氷柱のように冷たく細くなっていた。それでも、小生はこの者の手に触れることは辞めなかった。人間の手が冷たくなっていても、小生にとってその手は触れると温かいものであった。それに変わりはなかった。疑問に思ったが、どんなに書物を読んでいても、正解は書いていなかった。

 小生はパソコンで文字を打つのが段々と上手くなり、人間との会話を楽しんだ。此奴もまた、昔より悶々とする時間が減り、笑顔を見ることが増えた。小生は文字が打てるようになると、真っ先に人間に名前をつけてやった。人間がそうしたように、小生も人間に倣(なら)ってつけてやったのだ。

 いつも悶々としているから『もんもん』と。

 人間は最初、驚き、少し嫌そうな顔をした。だが、それも一瞬で。瞬きした時にはゲラゲラと笑っていた。


「それを新しいペンネームにしてやろう! そうしよう!」


 そう言っていた。

 人間は日々、悶々とした小説をパソコンで打ち込んでいた。小生が読もうとすると、すぐに閉じて隠してしまっていたので未だに読めてはいない。

 だが、この時、小生がつけた名前を気に入ってくれた。

 小生はただそれだけで、たしかに嬉しかった。


「ぐんぐん、腹は減らんか?」

『もんもん、まだ五時だ。それに小生は腹は減らぬ』

「私が空腹だ」

『それならそう言えばいい』


「ぐんぐん、眠くはないか?」

『もんもん、小生に睡眠は要らぬ』

「私が少し眠い」

『それなら明かりを消そう』


 そんな他愛もない会話をずっとしていた。本当にくだらない会話だった。小生がパソコンに文字を打つ間、もんもんの表情は非常に柔らかいものになっていた。



 ある時、どんな風の吹き回しか……今まで外に連れ出さなかった小生を鞄に押し込め、もんもんがこの小さな箱から出してくれた。もんもんは杖をついて歩き、小生は鞄の隙間から初めて外を眺めた。パソコンは持ち出せなかったので、もんもんと会話をすることはできなかったが、もんもんは常に小さな声で小生に喋りかけていた。


「ここのコロッケは美味い。たまに買ってくるものだ」

「そのベンチにいる猫の名前は一文字(いちもんじ)だ。額に横線の傷があるだろう? 今日も寝ているな」

「あの遠くに見える塔を知っているか? あれはこの街の象徴的な建造物だ」

「ぐんぐん、どこに行きたい?」


 人間は最後に質問してきたが、小生は声帯を持ち合わせていない。パソコンが手元にない以上、何も伝えることが出来なかった。だから、もんもんの手に触手を伸ばして触れた。するとしばらく悶々とした表情で黙った後、もんもんは頷いた。

 もんもんは悶々としながらも、杖をつき、ぐんぐんとした歩みを止めることはなかった。

 歩いていると、やがて小雨が降り始めた。もんもんは悪態をつきながらも、鞄が濡れないように体で隠しながらぐんぐんと進んだ。小生はもんもんの頬こけた顔に滴り落ちる雨水を、鞄の隙間から伸ばした触手で拭ってやることしか出来なかった。

 そうやって、二人で辿り着いた場所は、一本の大きな木が立つ丘の上だった。もんもんは息を切らして、ゼェゼェと喉の奥から音を鳴らしながら木の根元に腰掛けた。ゆっくりと小生を押し込めた鞄を地に下ろすと、小生は鞄からそろりと抜け出した。

 どうやら雨は直ぐに止んだようで、空は青く遠く、晴れ渡っていた。

 そこに、書物で読んだ龍のようなものが見えた。

 その輝きに驚いてもんもんの手に触れると、もんもんは息を整えながらも笑った。


「あれが虹だ」


 そうか。あれが本物の虹か。

 確かに、最初に読んだ書物に描かれていた。書物に描かれた虹よりも遥かに美しかった。

 そうやって眺めていると、もんもんが呟いた。


「ここで、君を拾った」


 その言葉を耳にした時だった。

 全ての記憶が蘇った。


 小生は母艦から弾き飛ばされた托卵の鱗であり、この星『らぱすてー』に降り立ち、情報を収集した後に母艦に持ち帰るだけの駒であったこと。そして、この記憶が蘇った後は母艦に還る為の卵殻が作動し始めること。

 まずいと思った。その時には既に小生のどこまでも伸びる触手がぐるぐると渦巻き、卵殻へと変化していた。もんもんも驚いた表情をしていたが、次の瞬間には、目を細めてこちらを見ていた。その顔はもう、悶々とはしていなかった。


「ぐんぐん、寂しかないか?」


 その言葉に何も返答することはできなかった。



 そこから先は、ただひたすらに長い母艦への帰還だった。

 どこまでも伸びる触手と、頑丈な卵殻を使い母艦へ帰還した後は、共同生命体と記憶の交換を行い『らぱすてー』の情報を共有した。結果は……惑星としての価値は無し。つまり、母艦は小生のような卵を惑星へと托卵し、孵化させ、幾つもの情報を集めたのだが……その全てが水の泡となったのだ。『らぱすてー』とは小生達の意識、概念で『蒼き清流』という意味であったが、まさにすべてを洗い流し徒労に終わらせたのである。

 だが、小生は歓喜した。

 価値無しというのであれば、母艦が資源を求めて『らぱすてー』に侵略することはない。顧みられることもなければ、誰の目に留まるということもない。

 それはつまり『らぱすてー』は、その価値を見出されることがなかった故、我が母艦から見逃された惑星であった。

 だが、そこからは困難の連続だった。

 ただの駒である小生たちは、寿命のない生命として、無駄なものでしか無かった。母艦は我々を宇宙の塵と化すべく、冷たい外宇宙へと放り出したのである。母艦との繋がりを絶たれ、他の個体との通信が途切れた今となっては、生き延びる術は僅かに残った卵殻で身を包む能力と、どこまでも伸びる触手のみだった。それら全てを駆使させた希望は『らぱすてー』ないしは『もんもん』のもとへ帰るという野望のみだった。卵殻で迫り来る小惑星群を凌ぎ、様々な惑星へと降り立ち、情報を集め、どこまでも伸びる触手で星間移動して行った。その通り名が『ぐんぐん』から『スター・ストリングス』と呼ばれるようになった時、遂に、小生は見つけたのだ。


 蒼き清流……『らぱすてー』を。


 卵殻を纏い、流星となり、弦を弾くように弧を描きながら、小生は『らぱすてー』に降り立った。

 捲れ燃え上がる地の上に、外殻を破りながら触手を伸ばす。

 ここがどこだか分からなかったが、そんなことは関係なかった。『らぱすてー』に降り立ったのであれば、『もんもん』に出会うのは時間の問題だと、思っていた。


 そう。時間の問題だった。


 宇宙にしてみれば、時間なんて何も問題はなかった。


 ただ、この星『らぱすてー』において、時間は大いに問題があった。


 小生がここに降り立つまでに、何世紀も、幾度もの創世記も、過ぎていた。人間と呼ばれる種族すら、いなくなっていた。

 『もんもん』もよく時間を忘れていたが、小生は時間の概念をよく理解していなかったのだと、思い知らされた。自身の愚かさを振り払うように、地表の全てをぐんぐんと這いずりまわった。


 人間を探した。

 奴を探した。

 『もんもん』を探した。

 どこまでも届く触手も、この時ばかりは役たたずだった。


 人間の真名すら知らぬなか。

 『もんもん』の名と、悶々とする顔と、あの手の温もりを探した。藁の山から針を見つけ出すようなものだったが、どこまでも、どこまでも、ぐんぐんと這って探した。

 そして、小生は遂に一つの木に辿り着くことができた。

 最後に見た時よりも、遥かに大きなっていたが見間違うことはなかった。

 それは、『もんもん』と出会い、別れた場所だった。

 

 その木の根元にへたり込んだ。

 いくら、この地を探しても、もう奴はいないのだと悟った。

 『らぱすてー』の空から雨が降った。

 まるでこの感情を表すかのようだった。

 『感情』なんてものがいつしか出来ていたのだと思い知らされた。

 役たたずの大地を外郭を纏った触手でありったけの力を込めて、何度も何度も殴った。

 木の葉の隙間から滴り落ちる雫と共に、触手で地面を殴っていると、抉れたそこから何かが出てきた。掘り出すと、大きめの缶詰のようなものだった。思わず、その缶詰の蓋に触手を這わせた。錆びつき、ボロボロになっていたが、開けられないことはなかった。缶詰を開けると、丁寧に保存されたボロボロの書物が出てきた。見たことの無い書物だったが、題名に『もんもんぐんぐん』著者名に『もんもん』の文字が読めた。人間の使う言語を、小生はまだ覚えていた。ゆっくりと触手を這わせ、朽ちて色褪せたその書物を丁寧に捲っていった。


 そこには、小生と人間の話が描かれていた。


 ハルニレの木の根元で卵を拾ったこと。

 その中から見たこともない生物が産まれたこと。

 ぐんぐんと成長したその生物に『ぐんぐん』と名付けたこと。

 飯をせがまれたことはなかったこと。

 眠っている姿を見たことはなかったこと。

 寂しがっている様子はなかったこと。

 その癖、何かと触れたがること。

 執筆中に悶々と思考していると、『ぐんぐん』が心の裂け目のような存在になっていたこと。

 そして、いつしかその裂け目を埋める存在にすら昇華していたこと。

 自身が『もんもん』と名付けられた時には笑ってしまったこと。

 この小さき生き物が『小生』と言うのが酷くおかしかったこと。

 そして、最後に『虹』を見たこと。


 他愛もない話ばかりだったが、もんもんの小さな箱で読んだどの書物より、感情を目まぐるしく動かした。


「……ぐんぐん、寂しかないか? 私は寂しい。だから、待とう。この木の根元で」


 そう記されて終わったその書物を触手で包み、抱き、卵殻を纏った。

 『もんもん』の手の温もりを思い出しながら。

 ハルニレの木の根元に、ゆっくりと沈み込む。


『それならば、小生も待とう。この木の根元で』


 幸いにも、もう時間は関係ないのだから。


 ゆっくりと『らぱすてー』の大地の奥へと溶けていった。

 次に二人が出会う時は『もんもんぐんぐん』として一つになることを願って。


 虹が輝く、ハルニレの木の下で。




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― 新着の感想 ―
わたしは、ぐんぐんになりたいよ。
「ちょっと、なにいい話書いちゃってるんですか」 というのが、読み終えて最初に浮かんだ感想でした。 宇宙から来た小さな生き物と、悶々としながら小説を書き続ける人間。 設定だけを見ると風変わりな物語…
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