嫉妬
「わざわざすみません」
そう言ってこちらに向かってくるのは、世界的に有名なアーティストの紅葉柊。
山田の方を見るとやはり唖然としている。聞いたことのあるはずの声なのに、そんな著名人だとは思いもしなかった。
「どうも、浅桜さんの事件を担当している水瀬です。こっちは山田です。」
戸惑いを隠せないままやっとの思いで声を絞り出す。どうもと会釈を返されながら、上がってくださいという誘導に従って、玄関から長い廊下を歩き、吹き抜けになった広々とした居間のソファに座る。山田が、あ、これっと言いながらさっき買ってきたコーヒーをテーブルに並べる。すみません、わざわざと紅葉柊が会釈しながら受け取る。
「早速ですが、浅桜さんについてお話ししてくださるということでしたが…」
早く訊きたい気持ちが先行して、思わず焦らせてしまう。
「あ、そうですね。僕と彼女は、デビュー当初は同じ事務所に所属していて、同僚だったんですよ。」
紅葉柊が話し始める。これはあまり知られていない話だ。山田がボロボロになっている手帳に必死でメモを取り始めているのが分かる。俺も自分の手帳を開く。事務所アメイズのメモはしていたはずだ。
「今はお互い独立してるし、事務所にいた期間は短いので、知っている人は少ないんですよね。」
少し苦笑いを浮かべながら続ける。
「実は僕の方が少し先輩なんですけど、彼女の方が早くデビューして、すごい人気になりました。僕も負けてられないと思って今ではやっと彼女と同じ土俵に立てたと思ってるんですけど、当時は事務所でも彼女の話題で持ちきりでした。勿論、羨ましくもなりましたが、彼女凄く謙虚なんですよ。まだ売れもしていないこんな僕にアドバイスを求めてくれたり、尊敬してますって言ったりしてくれるんですよ。本当にどこまでもいい人、素敵な人だったんです。」
いつかの元カノの話をしているかのような言い方をするなと思いながら、話に耳を傾ける。
「お二人は親しい間柄だったんでしょうか?」
山田がすかさず質問する。それはまずいだろと思ったが、疑問を解消したい気持ちが話を遮る気力を打ち消す。
「あー、いや、ははは、かなわないなあ」
紅葉柊がはにかみ笑いを浮かべて続ける。
「いや、そんな男女の関係ではないですよ。普通の先輩後輩みたいな感じです。彼女、上京して頼る人がいないって言ってて、僕も元々東京の人でもないから、お互い頼りあってたというかそんな感じです。僕は曲書くんですけど、いつも彼女に一番に聞いてもらって、感想を聞いたりしてて、彼女もバラエティでの立ち振る舞い方とか訊きにきたりして…」
彼の瞳に涙が溜まっているのが分かる。少し間を開けて続ける。
「すみません。まあ僕たちはそんな感じでたまに電話したり食事したりしてて、でもある時ストーカーの噂を耳にして、大丈夫かなと彼女にも聞いてみたんですけど、あんまり聞けなくて、はぐらかしてたと言うか、大丈夫って言ってたんですよね。」
紅葉柊の顔が少し曇る。今まで隠していた何かを吐き出そうとしているみたいだ。一時の間があって、また話の続きを話し始める。
「んー…、何というか。その時感じたのは、彼女はそのストーカーの正体を知ってるんじゃないかと思ったんです。ストーカーの話になると妙に話を逸らそうとするし、誰なのか見当がつくのかと聞いてもどうだろうとしか答えない。だから、僕もそれ以降はその話をするのをやめました。ただ、彼女に何もないことを祈ってました。その後はまあ何ともなくて…良かったんですけど…噂って回ってくるもので、久しぶりに彼女のストーカーの話を聞いたんですよね。ストーカーは熱狂的なファンだという噂で、でもそのファンは誰かに仕向けられた似非ファンだとかという話も聞いたりとか…でもそれが彼女が亡くなる数日前だったんです。僕にはそのストーカーが彼女を…」
紅葉柊の目にまた涙が宿る。ぐっと唇を噛み締めてから、再度口を開く。
「彼女はこの業界でも一際目立つ人だったんです。人がいい上に売れている。でも彼女の過去も素顔も誰も知らない。なんて言われていました。僕が追いかけても追いかけてもさらに高みへと昇っているような人でしたよ。」
一通り話し終えると、紅葉柊はふうっと長いため息を一つついた。山田がその後の続きを話すように口を割る。
「それでは少し話をまとめますね。」
紅葉柊も顔をこちらに向けてコクリと頷く。
「紅葉柊さん、あなたは今回の事件の被害者である浅桜美花さんの先輩だった。そして、その関係はお互いに事務所から独立した後も変わらず、連絡を取り合う仲だった。ある日あなたは彼女がストーカーに悩まされている噂を聞くが、彼女は大丈夫と言っていた。彼女が話をそらしたがるので、ストーカーの話はそれ以降聞けず、浅桜さんが亡くなる数日前にまた噂を聞き、ストーカーに殺されたのではと疑っている。ということですね?」
紅葉柊は、山田が淡々と話す様を冷静に頷きながら聴き入っていた。最後の問いにもただ肯定の返答しかせずにいる。ではと山田が続ける。
「少し質問させていただきます。あなたが最初にストーカーの話を聞いたのはいつ頃でしょうか?そして彼女にその話をしたのはどのくらい後になってからですか?」
山田の問いかけに紅葉柊が丸めた背を少しだけ正すのがわかった。山田の方に向き直り、質問に答える。
「ストーカーの話を聞いたのは、僕もデビューしてから数年経ってたので、5、6年前だと思います。すいません、はっきりした記憶ではないもので…彼女に話したのは、その噂を聞いてすぐで、数日と経っていないと思います。」
俺も山田もすぐさまメモを取り、紅葉柊に向き直る。
「ありがとうございます。では、再度彼女のストーカーの話を聞いたのは何日前くらいでしょうか?」
紅葉柊が少し考えるような素振りをしてから話し始める。
「恐らく、3月の終わりくらいで、1週間前くらいだと思います。」
「わかりました。もう少し質問を続けますね。」
そう言いながら山田がこちらを見る。俺も山田と目を合わせ、続けるよう合図する。
「では、その噂というものは誰から聞いたかなど、耳にした時の状況等伺ってもよろしいでしょうか?」
紅葉柊が少し前屈みになって話し始める。
「え〜っと、はい…最初ストーカーの話を聞いたのは、番組でご一緒した女優さんだったと思います。僕が彼女と親しいのを知っていて、話してくれたんだと思います。最近聞いたのは、ただ裏方のスタッフさんたちが立ち話をしていたのを偶然耳にしただけです。」
「なるほど、ありがとうございます。」
山田がメモを取りながら相槌を打つ。
「もう一点、最初に話を聞いた時のその女優さんのお名前と、彼女のストーカーと絡んでいる人物の名前、分かれば教えてください。」
紅葉柊が少し言いにくそうな表情をしたが、すぐに山田の方に目をやり答え始める。
「教えてくれた女優さんは、冬城椿さんです。冬城さんは彼女と親しかった一人ですし、何か相談していたのかもしれません。そして、この前耳にした名前は、栗花落一夏です。」
どちらも有名女優と人気タレントだ。栗花落一夏の名前を出す時、紅葉柊の声が少し濁った。あまり好みではないタイプなのだろうか。
「すみません、私からも一つだけ。紅葉柊さん、貴方は親しかった後輩がどんどん成功していくのを近くで見ていたわけですね。そこに嫉妬心はなかったのでしょうか?彼女がいなくなればと考えたりはしなかったでしょか?」
突然話し出した俺のことをまじまじと見つめる二人をよそに、紅葉柊の目をまっすぐ見つめて答えを仰ぐ。少し顔を曇らせてから、俺の方を見つめ返して答える。
「そうですね。もちろん嫉妬はしました。それでも彼女の人となりを近くで見ていれば、そんなものはただ自分の幼稚さを痛感するだけだった。嫉妬心はすぐに消えます。」
紅葉柊の足が落ち着かないように揺れるのを横目に、そうですかとだけ返した。
紅葉柊は、彼女がいなくなればいいことを良しとも悪しともしなかった。山田が俺の方を少し見てから、もう質問しなさそうだと確認し口をわる。
「では、紅葉柊さん、あなたがお話ししてくださった内容は、私たちが責任を持って管理致します。本日はご協力いただきありがとうございました。」
山田と俺が同時に立ち上がり、礼をすると、紅葉柊も立ち上がって頭を下げた。
「また何かあればご連絡いたします。失礼します。」
紅葉柊は、はいと頷きながら、よろしくお願いしますとだけ言って、俺たちを玄関まで見送ってくれた。だだっ広い玄関を通って、来た道を帰る。俺たちは一言も交わさずに車に着くと、ふうっとため息を漏らした。山田も結構緊張していたようだ。
「いやー、なんか複雑っすね。誰も正確なこと言わないっすね。心情がどうなってるのか俺には分かんないっす。」
山田が諦めを口にする。山田のいう通りだ。俺たちは、すでにさっき名前が出た二人の著名人とも話をしていた。
「彼女の周りには、彼女を理解できる人がいなかったのかな。」
山田の言葉に皮肉を込めて返すと、山田もそうっすねと苦笑していた。
「一回署に戻って整理し直してみようか。」
「そうっすね。」
山田が車のエンジンを掛け、車を出発させた。




