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花散る  作者: 白菫
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殺害

2024年4月4日午後11時29分

浅桜美花(あさくら みは)(34)死亡

死因 頸動脈をカッターで切られ、出血多量

自殺とみられる


「彼女はとても明るくて、優しい人でした。」

「悩んでいる様子も見せなかった。」

「一人で苦しんでいたのに、助けることもできず、無念です。」


関係者たちは口を揃えてそう言った。彼女はどうして自殺を選んだのか。その理由が分からない。事件性がないから、深く追うこともできない。だが、何か引っかかる。他殺と言われても疑わないかもしれないと思ってしまう自分がいる。


「これで何人目っすか?もう出てきませんって」

帰りますよと促す山田刑事は、高校の部活で後輩だった。今でも先輩と慕ってくれているのは有難いことだ。

「先輩、聞いてます?もう署に戻りますよ、いいっすか?」

「あ、うん」

曖昧な返事をしながら、今回の聞き込み調査のメモを振り返る。ハンドルを握る山田の左薬指には、まだ真新しい銀色の指輪が光っていた。山田がうちの署に配属になってから3年経つ。その間に金を貯め、ついこの間、高校の頃から付き合っていた彼女と結婚したのだ。こいつの結婚式、行かなかったんだよなと少し申し訳なさを覚えて、自分の右手に収まっている手帳に目を戻す。

「先輩、どうしてそんなに気になるんすか?事件性はないでしょ⁈」

「ん、まあな。だが、少し妙ではあるんだよ。」

どうしてですかと深掘りしてくる山田に今の状況を整理して説明を始める。


亡くなった女性は、若くして世の全てを手に入れていたも同然の人だった。

富も名声も知性も美貌も、そして清らかすぎるほどの心も。彼女は持っている富を自分のものだけでなくさまざまな場所や人に寄付していることも有名だったのだ。誰もが羨むその女性は、誰にも恨まれるような要素がなく、彼女自身も人生を楽しんでいるかのように見えていた。実際聞き込みの情報でも、彼女が自殺に追い込まれるほど思い悩んでいるようには見えなかったと話している。

だが、まず気になる点が一つ、聞き込みをしたどの知人も、彼女の幼少期や私生活については詳しく知らないと答えたのだ。

さらに、莫大な遺産があるにも関わらず、遺書はもちろん日記すらも、誰かが故意に捨ててしまったかのようになかった。

現場も怪しかったのだ。彼女が亡くなった自宅。彼女が亡くなっていた風呂場以外全ての部屋が、何者かに襲われ揉み合いになったか荒らされでもしたかのような有様だった。

そして、今日の聞き込みで特に引っかかったのは、「ストーカー」「熱狂的なファン」「度の過ぎる程の追っかけ」という言葉たち。言い方は違えど、彼女を追い回す何者かの存在も気になるところだ。もちろん著名人であるが故にそのようなファンもいるのだろう。だが、話によるとそれは妬みからの嫌がらせで、彼女を知る誰かが仕向けているようだった。


俺の話を一部始終聴き終える頃には、車は署の駐車場に到着していた。

「そうっすけど、それが他殺とも考えにくいのは確かっすよ。それに報告して捜査を続けたいと訴えても、決定的なものが欠けてるように思いますけど…」

山田が車のエンジンを止めながら言う。彼の言う通りだ。俺たちの上官はあの川口署長だ。きっと通してくれるはずがない。川口は危ない橋は渡らない方の人間だ。俺とは馬が合わない。

「先輩、どうするんすか?今日の報告も特ダネみたいなのはないっすよ。」

「そうだよな、これで打ち切りかな…」

これもこれと諦めるべきなのはありだが、引っかかってしょうがないのも確かだ。

「まあ時間が許す限りは、精一杯やるとするよ。」

「はいっ!ついていきます!」

車を降りながら、山田が敬礼の姿勢を大袈裟にして見せる。署に戻ると、電話が鳴ったり、喚き声がしたりと、何やら騒がしい。付けっ放しのテレビには、浅桜美花の死というタイトルで彼女の生涯を振り返っている番組が写っている。出演者たちは、彼女の笑顔の裏には何があったのかと、想像を膨らませているようだ。

「先輩、一応今日の聞き込み分残しとくんで、後で修正とかお願いしますね。」

「おう」

山田は俺のデスクの隣でpcを開きながら、ポケットからもうボロボロになっている手帳を引っ張り出す。ガシャガシャと大きな音を立てながらタイプする音が隣から聞こえてくる。こいつはいつも騒がしいんだよなとつくづく隣の席にしたことを後悔する。集中したいのになぜか気になって仕方がない。細く溜息をついて、自分も手帳を取り出し、何か手がかりはないかと考えを巡らした。

だが、どう考えをめぐらせても、他殺にも自殺にも全振りできないまま、数刻が経った。リリリーンと甲高い呼び出し音が署全体を騒がせた。どこもかしこも騒がしかったが、自分のデスクのそばにある電話が鳴るとやたらと驚いてしまうものだ。山田がすぐに受話器を握り、耳元に受話器を押し付ける。

「はい、一課の山田っす」

元気のいい山田の声が少し曇ったかと思うと、次は少し穏やかになる。

「あ、はい、大丈夫っすよ。すぐ伺いますね。住所聞いてもいいっすか?」

どうもと言って電話を切った山田が俺の方を少し怪訝そうに見る。俺は特に何もしてないんだがと思いながら

「なんだよ」

と訊く。

「いやあ、なんか話すことがあるっていう浅桜さんの知人らしいっす。ちょーっと怪しいっすけど、一応行ってみますか?」

俺は行くと言うだろうという感じで聞いてくるのが少し生意気に思うが、まあ行くと言うから仕方ない。

「どこだ、行くぞ」

「はいっ!ここっす!」

さっきメモをした紙をパラパラと顔の前ではためかせる。さっき署に帰ったばかりの俺たちだが、また再出発だ。

「水瀬、山田出ます」

誰に言うともなく扉をくぐり抜けながら言い放つ。廊下をズンズン進む俺の後ろを少し駆け足で山田がついてくる。この時点で警察に話したいことがあるのは、どんなやつだ。やはり他殺説が強まる。ぼんやりと考えながら駐車場に向かう。よりによってこんな時に周囲に気を配っていなかったのは不覚だった。

「よお!」

嫌な声だ。一生会いたくないと思っていたやつにこんなところで遭遇するなんてな。今日はツイてない。

「あ、海副所長!」

山田が声をかけてしまったことで無視できなくなった。こいつめと思いながらも作り笑いを浮かべて向き直る。

「水瀬係長、順調かい⁈今日は朝から大変だね、走り回って」

係長のところで声を大きくして嫌味のように大変だと付け足す。こいつはそういうやつだ。だから署長にも好かれる。同期だが、若くして副所長まで上り詰めた。俺の方が警察学校では成績は上だったが、いつの間にか抜かれていた。どうやったのか知らないが、上にいってからこいつは憎たらしくなった。性格がひん曲がったな。正直がっかりだ。

「ああ、どうも、副所長さん」

顔も見ずに答えてさっさとその場を逃げるように去る。山田が海にすみませんと会釈しながら俺を追ってくる。

「ちょっと待ってくださいよお、海副所長と先輩、仲良かったんでしょ⁈」

少し機嫌の悪くなった俺に気づかない山田が話しながら俺に追いつく。

「あいつが変わったんだよ。」

山田は知らない。山田が来ると同時にあいつは副所長になった。それからは顔を合わせることも少なくなった。俺はまだ下っ端のままだから、山田と組んで捜査官で走り回るしかない。だが、あいつは署でぬくぬくと仕事をして定時で帰る。だんだん変わっていくあいつが羨ましかったのか、ただ怖かったのか、自分の無能さが歯痒かったのか、もうどの感情だったのか忘れた。いつしかそんなことも考えなくなった。

はあ、一息ついて、気持ちを取り戻す。今は目の前のことに集中しなくては。車に乗って、目的地まで車を走らせる。15分ほど走らせたところで、山田がここっすねと公園の周りを囲うように立ち並ぶビルの一つを指差す。

「俺、向かいで飲み物買ってきます。待ち合わせまで少し時間あるんで。」

そう言って車を止めるなり、山田が道路を挟んだ反対側のカフェに走っていく。山田の後ろ姿を見ながら、あいつには出世してほしいが、海のようにはなってほしくないと心の底から思った。あいつはならないかと山田がカフェの扉を勢いよく開け放ち、中に入っていくのを見送り終えると、目の前に聳え立つマンションに向き直った。山田が聞いた住所はこのマンションの最上階。ここら辺はお高いマンションが立ち並ぶセレブ街だ。その中でもこの建物は一際高く、その最上階ということは、相当の大物だ。山田から聞いた名前は恐らく偽名だ。こんなところに住んでいるなら、どこかの界隈では少なからず名があがる人のはずだ。それに、ここは日本だぞ、ジェファソンってなんだよ。思わず山田に聞き直してしまったが、電話越しの日本語は流暢だったそうだ。相当の実力者かハーフか何かだろうか。それにしても怪しすぎるだろ。まあ行ってみるしかないか。そんなことをダラダラと考えながら、ただ佇んでいると、アイスコーヒーを三つ抱えた山田が小走りでこちらに近づいてきた。

「何考えてたんすか?」

山田が近づいてくるなり、不思議そうな顔で俺を覗き込んでくる。

「いや、なんでもない。ありがとな。」

山田からコーヒーの一つを受け取りながら、そう言い放つ。

「さ、行きますか」

山田がコーヒーを両手に持ち直して、気合いを入れるようにそう言う。おうっと俺も返事をしながら、威圧感のあるその建物に向かって進み始めた。

入口はもちろんのこと、二重扉になっており、最初に聞いていた番号をパネルに入力していく。

615号室

「はい、あ、刑事さん、どうぞ」

低い男性の声がして入ってきた時とは反対側の扉が床と擦れ合う微かな音を立てながら開く。

「有難うございます!」

山田が元気のいい声でパネルに向かって返事をすると、小さな空間には贅沢すぎるほどに声が反響した。体格のいい男二人が同時に通り抜けられるほど広く開け放たれた扉をすり抜け、目的の60階に向かう。すぐに広すぎるほどの廊下が現れ、その奥にはエレベーターがこちらを向いている。何十人でも乗れそうな広々とした空間が、降りてきたエレベーターの扉が開かれると同時に現れた。思わず、いい大人二人のおおっという声が漏れる。目的の60階が入り口の扉と連動して光っていた。機械音と共の、上に登っていくエレベーターの中で、山田がやっとの思いで声を絞り出す。

「やばいっすね。」

二人して半笑いになる。こんなところにお呼ばれになる機会など、これまでもこれからも恐らくこの時が最初で最後だろう。もちろん事故現場である浅桜美花の自宅にも足を踏み入れたが、日本中が知っているあの彼女の自宅は思いの外庶民的な場所だったのだ。彼女は浪費癖は無く、どちらかと言えば倹約家、またはミニマリスト的なほうだったのだろう。そう思い出し、すぐさま手帳に書き殴る。

「着いたっす。」

山田が開くドアを眺めながら独り言のように呟いた。手帳から顔を上げると、そこには徒競走でもできそうな広さの廊下が広がり、裕に2メートルは超えるほどの大きな扉が5つ均等に立ち並んでいた。山田もそんな声になるはずだと納得するのに時間はかからなかった。おどおどしながらエレベーターを降り、615号室を探す。一番奥の部屋だった。扉の前に立ち、二人同時に大きく深呼吸をして、インターホンを押す。だだっ広い廊下に呼び出し音が異様なほど大きく響く。

「はい、どうぞ。」

機会音とともにガチャっという鍵の開く音がした。

「鍵開けたので、お入りください。」

先ほどの低い男性の声がインターホン越しに聞こえた。恐る恐る重い扉を引き、中に吸い込まれるように入った。玄関に立つとまたこれも驚きの光景だ。刑事がこんなことで何度もおどおどとしていていいものかと思うほど、現実離れした空間なのだ。建物からそうだったが、中は想像を超えるほどのものだった。隣に立つ山田もその広過ぎるほどの玄関を見ながら唖然としている。奥の方から声がして、すらっと背の高い男性がこちらに歩いてくる。

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