Mission.9「予告状 もう一度この手で」
紙をめくる音だけが、静かな部屋に響いていた。
ミルフィは机に広げた資料に目を落とし、指先で一つ一つ確かめるように辿っていく。
古い記録に、施設の報告書。
役所に残されたわずかなデータ。
「……おかしいな」
児童養護施設が潰れた後、本来なら子どもたちの行き先は記録されているはずだ。
別の施設へ移るか、里親に引き取られるか。
どんな形であれ、“どこかにいる”証明は残る。
「……消えてる」
机の上に並んだ名前のほとんどが、途中で途切れていた。
まるで最初から存在しなかったかのように。
ミルフィは椅子の背にもたれ、天井を見上げる。
(そんなわけがない)
人間が、こんな風にまとめて消えるはずがない。
これは偶然でも事故でも、手違いでもない。
「……意図的だな」
誰かが消し、子供達を隠している。
それも、かなり大掛かりに。
ミルフィは再び資料へ視線を戻し、ページをめくる。
その中で、一つの名前に指が止まった。
「……イフリート」
他と同じように記録は途切れている。
「……違うな」
この名前だけ、消え方が不自然だった。
途切れているのではなく、削られている。
「……隠されてる」
誰かが、わざと。
そう確信した瞬間、胸の奥にざらついた違和感が広がる。
(何のために……?)
答えは出ないが、最近の噂が頭をよぎる。
人を“商品”として扱う連中。
裏で動いている組織。
「……まさか、な」
否定するように呟くが、その可能性を完全には切り捨てられない。
ミルフィは静かに立ち上がった。
窓の外は、すでに夕暮れに染まっている。
街は何も知らない顔で、いつも通りに動いていた。
だが、その裏側で何かが確実に進んでいる。
「……確かめるしかないか」
資料をまとめ、その中でもう一度だけ名前を見る。
「イフリート……」
妙に引っかかる名前。
(……どこかで、繋がる気がするな)
そう呟き、部屋を後にする。
その足取りは迷いなく、外へと向かっていた。
消されたものを、見つけ出すために。
夜の街を、一つの影が軽やかに駆ける。
エスポワールは外套を翻しながら、ふっと肩をすくめた。
「……どうにも、綺麗すぎるな」
ノアについて探りを入れていたが、核心には届かなかった。
あまりにも整いすぎている。
裏があるとしか思えないほどに。
「人を商品扱いするにしては、随分と上品だ」
皮肉めいた笑みを浮かべる。
「その仮面、いずれ剥がしてあげるよ」
軽く息を吐き、足を止めることなく進む。
「さて……」
ふと、視線を上げる。
「帰るとしようか。可愛い同居人たちが待っていることだし」
モワの呆れ顔が思い浮かび、そして、あの少年の事も気になる。
(少しは笑うようになったかな)
そんなことを考えながら、倉庫へと向かう。
「……おや?」
見慣れた拠点のその扉が、わずかに開いている。
エスポワールの笑みが、ほんの少しだけ消えた。
(これは、いただけないな)
気配を殺し、静かに近づく。
扉に手をかけ、そっと押し開けるとギィ、と鈍い音がした。
中に足を踏み入れた瞬間、空気の違和感が肌に触れた。
荒れた床に、散らばった物。
そして――血の匂い。
「……派手にやったみたいだね」
「……あんた、遅いのよ」
聞き慣れた声がした。
「おや」
視線を向けるとそこには、壁にもたれながら、自分で手当をしているモワの姿があった。
腕には包帯が巻いてあり、服には血の跡。
だが、その目はしっかりとこちらを睨んでいる。
エスポワールはふっと息を吐いた。
「無事で何よりだ、レディ」
軽く頭を下げる仕草。
「随分と手荒い歓迎を受けたようだね」
「うるさい」
モワは包帯をきつく締める。
「ちょっとしくじっただけよ」
「“ちょっと”にしては、賑やかすぎる跡だけど?」
軽く周囲を見回すと、モワは舌打ちした。
「……ノアよ。ルナールに場所をバラされた」
エスポワールの目が細くなる。
「なるほど……。あの狐、やっぱりそういう立ち回りか」
そして、ゆっくりと問いかける。
「それで――彼は?」
その一言で、空気が変わり、モワの手が止まる。
「……連れて行かれたわ」
低く、悔しさを滲ませた声。
「私がやられてる間に」
包帯を強く結び直す。
エスポワールは一瞬だけ黙り、そしてふっと肩をすくめる。
「……あの子は、“物”じゃない」
その言葉に、エスポワールはわずかに目を細めた。
そして、
「それは同意見だ」
と楽しげに笑う。
「取り返さないといけない」
その声は軽いが、確かな意思があった。
「……あんた、何か掴んでるの?」
「少しね」
意味ありげに笑い、
「ノアの裏事情……尻尾くらいは見えてきた」
と、視線を外へ向ける。
「ただ――今回は、向こうの方が一枚上手だった」
モワは小さく舌打ちする。
「……取り返すわよ」
「ああ、もちろん」
エスポワールは軽く頷き、そのまま扉へ向かい、振り返る。
「だって彼は」
キザな笑みを浮かべる。
「僕たちが“もう一度盗む”相手だからね」
「は?」
そして、ほんの少しだけ声を落とす。
「――本気にさせたようだね」
その瞳に、静かな光が宿る。
夜風が倉庫へ吹き込む。
奪われたものは、まだ戻らない。
だが必ず取り返す。
だってあの子は、自由に生きていいのだから。




