Mission.10「予告状 月夜のショータイム」
低く唸るような音が、船の奥から絶えず響いていた。
暗い海を切り裂きながら進む、大型船の一室に、イフリートは一人でいた。
「……」
ベッドの端に座り、ただ俯く。
窓の外には、黒い海とわずかな月明かりだけで、もうどこへ向かっているのかも分からない。
(……戻れない)
その事実だけが、胸の奥に重く沈んでいた。
ぎゅっと、服の裾を握りしめ、思い浮かぶのは、倉庫での出来事。
自分を守る為に、倒れてしまったモワ。
そして離れてしまった手。
「……モワさん……」
小さく名前を呼ぶが、もちろん返事はない。
(大丈夫……かな)
ノアは「死んではいない」と言った。
胸が締め付けられ、苦しい。
こんな感情、今まで知らなかった。
「……なんで……」
思わず言葉がこぼれる。
「……戻ってきちゃったんだろう……」
自分で選んだはずなのに。
守るために、手を取ったはずなのに。
それなのに――
「……寂しい……」
涙が、静かに落ちた。
その時コンコン、とドアがノックされ、イフリートはびくりと肩を震わせる。
「……」
返事はしなかったが、扉は開いた。
「イフリート様。お食事です」
使用人の男がトレイを持って入ってくる。
机にそれを置き、部屋から出ようとすると、イフリートの様子に気付く。
「……イフリート様?」
一歩近づくが、
「どうなされました?」
イフリートは俯いたまま、肩を震わせていた。
男はそっと背中に手を置き、優しく撫でる。
(……この匂い……)
懐かしい感覚がし、守られていた時の温もりを感じた。
「……モワ、さん……?」
思わず呟くと、
「……全く」
ため息交じりの声が聞こえた。
「心配したわよ」
使用人が仮面を外すと、現れたのは――黒猫のマスカレード仮面のモワだった。
「モワさん……!」
「久しぶりね、坊や」
いつも通りの口調で、イフリートの目に、涙が滲む。
「……生きてた……」
「当たり前でしょ」
そっけなく言いながらも、背中を撫でる手は優しい。
「エスポワールさんは?」
「来てるわよ。あいつが派手にやってくれるから、その隙にあんたを連れ出す」
その直後ドン、と船が揺れた。
遠くで爆ぜる音が聞こえる。
「……始まったみたいね」
モワが小さく笑うと、
「行くわよ」
手を差し出した。
イフリートは迷わず、その手を取った。
夜の海を見下ろす最上階に、月明かりに照らされたプールがあった。
その中で、ノアは優雅にワインを嗜んでいた。
するとヒュン、と音が走り、トランプが飛んできたが、ノアはそれを受け止める。
「おやおや、怪盗くん」
振り返ると、エスポワールは外套をなびかせ、優雅に一礼した。
「君の宝物を、頂きに来た」
ノアはくすりと笑う。
「価値のあるものは渡さない」
「だろうね」
エスポワールも笑う。
「だから奪うんだよ」
トランプが舞い、鋭く、正確にノアに向かって行くが、それをかわした。
その瞬間、船が大きく揺れ、警報が鳴り響く。
「……騒がしいな」
「ショーの演出さ」
エスポワールは肩をすくめ、
「今宵は特別だからね」
と一歩、踏み込む。
「その間に、僕の仲間が回収する」
そんな言葉に、ノアの目が細くなる。
「逃がすと思うか?」
「思わないね。だから――君はここで足止めだ」
空気が張り詰め、火花が飛びそうな視線がぶつかる。
エスポワールはゆっくりと笑った。
「さあ。月夜のショータイムだ」
夜の海の上で、奪われたものを巡る戦いが、今始まる。




