家庭教師。
イザベラは思ったよりも可愛かった。
(サラとどちらが可愛いかしら?)
なんて訊かれたら、答えに窮してしまうかもしれない。
サラはわたくしにとって心の癒やし。あの窮屈で寒々とした侯爵家の屋敷の中で、わたくしの心を温めてくれる存在だ。
そうは言っても、お父様はお忙しいらしく、わたくしを見張る役のトムはすっかりこちらの味方になっている。
他の使用人たちとも仲良くなっているので、ルーカスの屋敷に週三回通っていることも、たまにアビナ先生のお屋敷に泊まっていることもバレていない。
無関心って素晴らしいわ!
屋敷の者たちも、わたくしが目覚めたことを口走ったりはしていないようだ。
本当にいい使用人ばかりね。
また今度、美味しいお菓子でも買ってあげなくては。
そう言えば、あのレストランの支配人はどうなったのかしら?
「トム、あのレストランのムカつく支配人はどうなったの?」
「ああ、あの男は今、下働きとして皿洗いをさせております」
「皿洗い? あの偉そうにしていた男が?」
「はい。クビにして外で何を言い出すか分かりませんので、給料は据え置きですが、仕事だけを皿洗いにいたしました。家族のために辞めることもできず、必死に働いているようです。もちろん、お嬢様のことを外で漏らせば侯爵家からどんな報復があるか分からないため、口を割ることもできません」
「あはは、その罰を考えたのはトム、あなたね?」
「なかなか良い案でしょう?」
ニヤリと楽しそうに笑うトム。
「ええ。わたくしよりあなたの方が、ずっと性格が悪いんじゃないかしら?」
「長年お嬢様のそばにお仕えしていると、似てしまうようでございます」
「あら? じゃあとても良い性格になったのね。良かったじゃない、嬉しいでしょう?」
クスクスと笑うわたくしの顔を見て、「そうかもしれませんね」とトムも笑い返した。
✴︎ ✴︎ ✴︎
「では今日は、歌を歌いましょうか」
わたくしはイザベラの好きな『仔犬の唄』をピアノで伴奏してあげた。
イザベラは照れくさそうに歌い出したが、ピアノに合わせて歌うのが楽しいらしく、段々と大きな声で笑いながら歌いはじめた。
つい調子に乗っていち色々な曲を弾いてしまい、イザベラはすっかり疲れてしまったようだ。「ハアハア」と息を切らせている。
「あら、ごめんなさい! ついたくさん弾いてしまったわね。疲れたでしょう? 一旦休憩しましょう」
「はいっ!」
イザベラはちょこんと椅子に座ると、テーブルに置かれたオレンジジュースを一気に飲み干した。
その可愛らしい姿を、わたくしは立ったままじっと見つめてしまう。
「……?」
視線に気づいたイザベラが、キョトンとして周囲を見回した。
「ごめんなさい、ジュースを飲む姿が可愛らしくて、つい見惚れてしまったわ」
ふふっと微笑んでみせると、イザベラは頬を赤らめて小さな手で顔を覆った。
照れる仕草まで、いちいち可愛らしい。
「せんせい、はい、これあげる」
イザベラが机から何かを取り出して持ってきた。
差し出されたのは、一枚の封筒だった。
「これは?」
「おてがみ!」
「お手紙? わたくしに?」
「はい! いつもたのしいおべんきょう、ありがとうございます」
「楽しいの?」
えっ、こんな授業が楽しいの?
「はい!」
「……そう。お手紙、読んでもいいかしら?」
「はい!」
イザベラの隣の椅子に腰を下ろし、封筒から手紙を取り出す。そこに描かれていたのは、一枚の絵だった。
わたくしとイザベラが並んで立っている絵。
二人は楽しそうに笑っていて、しっかりと手を繋いでいるように見えた。
イザベラは椅子から降りてわたくしのそばへ寄ってくると、その絵を覗き込んだ。
「これがせんせいで、これがわたし。せんせいは綺麗なドレスを着ているの。わたしは大好きな、お花のワンピース。へへっ」
嬉しそうに説明を始めるイザベラ。
わたくしはただ静かに頷きながら、耳を傾けた。
頬を赤く染めて話す姿が愛おしくて、思わず抱きしめたくなってしまう。
もちろん、ぐっと堪えて我慢したけれど。
サラのことは当たり前のように抱きしめて癒やされているのに、イザベラには怖くて触れることができない。
わたくしが家庭教師だから? うん、きっとそうね。
この子がこの屋敷で辛い思いをしているかもしれないなんて、杞憂だったようだ。
幸せそうに笑う姿を見られて、胸を撫でおろした。
ただ、親のくせに二人とも一度も授業を見にこないのはどうしてかしら。娘に興味がないのかしら?
そう思うと、なんだか少し腹が立ってくる。
やがてお昼寝の時間になり、イザベラは小さく欠伸をして目をこすり始めた。そろそろ今日の授業を終わりにしようとした、その時。
「せんせい、ねむるまでそばにいてほしいです」
初めてイザベラにそんなねだられ方をされて、わたくしは思わず固まってしまった。
どう返事をしたらいいのかしら?
チラリと、脇で見守っている伯爵家のメイドに視線を送る。
メイドは、コクリと一つ頷いた。
これは、お願いを聞き入れても良いということかしら?
「せんせい……?」
返事を躊躇するわたくしに、イザベラが不安そうな声をあげる。
「あっ、ええ、いいわよ。イザベラ様が眠るまでそばにいてあげるわ」
今の身分はわたくしの方が下だというのに、つい、いつもの癖で上から目線で答えてしまった。
イザベラは気にする様子もなく、「やったあ!」と無邪気に喜んでいる。
一方のメイドは一瞬眉根を寄せ、怖い顔でジロリとわたくしを睨みつけた。
わたくしは気づかないフリを決め込み、イザベラの枕元で優しく子守唄を歌い始めた。




