は?こんな体に負けませんわ!
「お嬢様……申し訳ありませんでした」
リーンが真っ青な顔をして何度もわたくしに謝ってきた。
別にリーンを責めようなんて思っていないわ。
だけど周りから見たら、わたくしが使用人を虐めているように見えるじゃない。
主治医のマーカスが「まあまあイライザ様、カリカリしないでください。眉根が寄っておりますよ」とニヤッと笑った後、困ったような顔をして諭してきた。
幼い頃からの主治医であるマーカスは、もうおじいちゃん先生だ。
昔はよく怪我をしたり熱を出したりして診てもらっていた。苦い薬ばかり出すから子供の頃は大嫌いで、「クソジジイ!」「そばに来ないで!」「いやだ! きらい! あっちへ行けぇ!」などと暴言を吐いていたものだ。
まぁ、あの頃のわたくしはまだ幼かったし、可愛らしかったから許されていた……はず。
でもこの歳になっても先生は根に持っているようで、チクチクと嫌味を言ってくる。
ほんと、年寄りのくせに可愛げがない!
あの頃のことは忘れなさいよ!
診察が終わってお茶を飲んでいる隙に、診察鞄を窓から投げ捨てたり、お茶の中におもちゃの虫を入れたりしたことだってある。けれど、それもたまに腹が立ったからやっただけじゃない。
そんな子供の可愛らしい悪戯に本気で怒って、わたくしの可愛いお尻を何度ヒリヒリさせたことか!
わたくしのお尻をあんなに叩いたのは、生まれてこのかた先生だけだわ! 親からだって叩かれたことなどないのに!
『こら! このクソガキ!』
……思い返しても、ほんと品のない先生なんだから!!
今回の診察だってそうだ。数時間も床の上で意識を失い、体は痛むし寒さで風邪まで引いて寝込んでいるというのに、なんだか楽しそうに診察している。
「今日もまた、あの薬を出さなきゃならないな」
「嫌よ! もっと飲みやすい薬に変えなさい」
「あの薬より効く薬はない」
「だったら飲みやすいように甘くしてちょうだい」
「わしは医者だ。薬師じゃない」
「……じゃあ飲まない」
「ずっと熱を出して苦しめばいい」
「ひどい! 他の薬はないの?」
「ない!」
「嘘つき! 本当はあるくせに!」
……実は、わたくしの体はどんな薬でも合うわけではない。痛み止めを飲めば胃が荒れるし、特効薬だと言われて飲んだ薬で気分が悪くなり、さらに病状が悪化したことだってある。そして一度アレルギーのような症状が出れば、同じ薬でまた同じことが起きるのだ。
大人になった今の知識なら、先生が意地悪で苦い薬を出しているわけではないと分かる。
けれど、精神がいきなり16歳から22歳に飛んだのだ。
6年も経っているのだから、新しい薬くらい出来ていてもいいじゃない?
そう口にすると、「イライザ嬢、本当に眠りにつく前の3年間の記憶がないのか?」と真面目な顔で訊かれた。
「ないわ!」
先生の目を見つめ返して言い切った。
――本当はあるのだけど、まだ誰にも言っていない。
リーンに訊いてみようかとも思っていた。けれど熱を出して寝込んでしまったし、周りが「記憶を失くした3年間」のことにあえて触れようとせず、話題を避けている空気も察していた。
先生もわたくしに教えたいわけではなく、本当に記憶がないのか確かめたかっただけなのだろう。
だったら、今は知らないふりをしてやるわ。
ルーカスが姿を見せないこと。
わたくしが今、侯爵家の屋敷に居ること。
その二つの事実だけで、十分察せられるもの。
離縁したのか別居したのか……どちらにせよ、わたくしとルーカスが上手くいっていないことだけは確かね。
「先生、わたくし早く元の体に戻りたいの。立つこともままならないなんて嫌よ!」
「しばらくはしっかり食事を摂って体力をつけることから始めねばならん。辛いかもしれんが、イライザ嬢のその負けん気の強さなら大丈夫だろう」
「あら? 負けん気なら誰にも負けないわ! じゃあ早速始めましょう! 何をしたらいいの? お肉でも食べる? それとも揚げ物? クリームがたっぷり使われたケーキかしら? 楽しみだわ」
「そんな弱った体でガッツリしたものなど食べられるわけがないだろう! まずはスープやお粥からだ。それと、食べることも大事だが足に筋肉をつけねば歩くこともできん! ……だがその前に、熱を下げて風邪を治すのが先じゃ!」
こんなにおしゃべりしているけれど、わたくしはまだ38度ほどの熱があった。
たぶん頭の中がハイになっていて、妙に気持ちがいいのだわ。
✴︎ ✴︎ ✴︎
わたくしが庭を歩けるようになるまで、結局2週間ほどかかった。
3年間も眠り続けていた体は筋肉も体力も落ち切っていて、なかなか回復しなかったのだ。
それでも、自分でトイレへ行けるようになっただけでも良しとしないと!
うら若き乙女が毎回使用人に抱きかかえられてトイレに行くなんて、恥ずかしいったらありゃしないわ!!
「外って気持ちがいいわね」
「お花がこんなに綺麗だなんて、今まで思ったこともなかったわ」
リーンに付き添ってもらい、侯爵家の広い庭を散歩した。もちろん、今の体力で全域を回れるわけではない。
屋敷から庭までは、幼い頃から世話をしてくれている使用人のトムが抱えて連れてきてくれたのだ。そして、庭師が丹精込めて作り上げた薔薇園へと久しぶりに足を踏み入れた。
ノーベルト領の広大な本邸に比べれば、王都の屋敷は狭い。それでも贅を尽くした館と、何人もの庭師が手をかけて育てた庭園は有名で、この屋敷のパーティーやお茶会に招かれることは最高の栄誉とされていた。
一人で景色を楽しみながら、ゆっくりと歩を進める。
「あ! 危ない!」
トムの怒鳴り声に振り返る。
視線の先から、小さな女の子が走ってきた。
……そして、わたくしに正面からぶつかり、そのまま転んで泣き出した。
(この子は誰かしら……?)
「申し訳ございません!」
母親らしき女性が青ざめた顔で走ってきた。泣いている子供を慌てて抱きかかえると、地面に膝をつき、額を擦りつけるようにして何度も謝罪を繰り返す。
「申し訳ございません、どうかお許しください……!」
その必死な姿を見て。
(この子は……もしかしてわたくしの娘……?)
なんて馬鹿な考えが一瞬頭をよぎり、自分でもおかしくて笑いそうになった。
以前のわたくしなら、使用人の子供にドレスを汚されたと激怒し、「汚らわしい」と子供を払い飛ばして怒鳴り散らしていたでしょうね。
けれど、わたくしも大人になったのよ。
「その子、転んで膝から血が出ているわよ。さっさと手当てをしてあげなさい」
別に『許してあげる』なんて優しい言葉をかけるつもりはない。けれど、怒る気にもならなかった。
チラリとリーンの方を振り返る。
「服が汚れてしまったわ。せっかくいい気分だったのに……帰りましょう」
リーンはホッと安堵の息を漏らしていた。
トムも親子に向かって「早く行け」とシッシッと手を振ると、わたくしをそっと抱き上げて屋敷へと向き直る。
「お嬢様、ありがとうございました」
なぜか、抱え上げてくれたトムにお礼を言われた。
「ありがとう? わたくし、あなたにお礼を言われる覚えはないわよ」
「あの親子を怒らないでくださいました。夫を病で亡くしたばかりの者でして……もしこの屋敷を追い出されたら、生活に困っていたと思います」
「子供がぶつかったくらいでクビになんてしないわよ。……まぁ、以前のわたくしなら、かなり激しく怒っていたでしょうけれど」
「………それが一番怖いです」
トムもリーンも、わたくしに遠慮せずに軽口を叩いてくれるありがたい存在だ。
少しばかり小煩いので、わたくしも素直に『分かった』なんて言ってあげないけれど。




