あら?お久しぶりね
お父様との会話の途中、トムが「失礼致します」と部屋に入ってきた。
わたくしがじっと彼を見つめているというのに、トムは意図的に目を合わせようとしない。お父様のそばへ寄り耳打ちすると、「わかった」とお父様が静かに席を立った。
トムがお父様の後ろについて、急いで部屋を出ようとする。
お父様は扉のノブを持ったまま立ち止まり、少し思案してからわたくしへ視線を向けた。
「お前はここで少し待っていなさい。急な来客の対応をしてくる」
そう言い残し、部屋を後にした。
トムはわたくしの視線を痛いほど感じているくせに、どこまでも無頓着を装っている。
「トム?」
低く、地を這うような声で名を呼んだ。
肩をビクッと跳ね上がらせたトムは、決してこちらを見ようとしない。
「申し訳ありません、お嬢様。旦那様がお急ぎですので、お供をしなければ」
「あら? おかしなことをおっしゃるのね。大切なお客様なら、執事が対応しているはずでしょう?」
「……っ」
トムは最後まで目を合わせず、深く頭を下げると逃げるように部屋を飛び出していった。
ふふ、なるほど。
わたくしに知られたくない『客』が来たというわけね。
わたくしも優雅に席を立ち、静かに部屋を出た。
この屋敷に応接室は幾つもあるけれど、トムのあの分かりやすすぎる態度を見れば大物の客でないことは明白。ただ、わたくしの耳に入れたくないだけ。
ならば、向かうべきは一番奥の小さな応接室だわ。
だって相手は、先ほど話題に上ったばかりのルーカスなのですもの。
本当にトムったら、不器用で分かりやすいこと。
わたくしに対してだけ露骨に挙動不審になるのは、お父様の手前「ルーカス様が来た」と口にできない彼なりの合図なのでしょうね。
ええ、その下手くそな大根演技に、乗ってあげようじゃないの。
✴︎ ✴︎ ✴︎
「失礼いたします」
軽やかに扉をノックし、入室の許可を待つことなくそのまま足を踏み入れた。
「なぜここに……! イライザ、勝手に入るなと言っただろう」
不機嫌を隠そうともしないお父様を軽やかに無視し、わたくしはその前に座る男の後ろ姿を一瞥して、くすりと笑った。
「急なお客様とお聞きしましたので、この家の娘としてご挨拶をと思いまして」
わたくしの声を聞いた瞬間、ルーカスは弾かれたように振り返り、慌てて立ち上がった。
「痛っ……!」
勢い余ってローテーブルに膝を強く打ち付けるルーカスを、わたくしは氷のように冷ややかな目で見下ろす。
以前のわたくしなら、青ざめた顔で「大丈夫?」と駆け寄っていたことでしょう。
どれほど強がりを言おうと、当時は彼を愛していたし、心配する心を持っていた。素直になれない自分がもどかしかっただけ。
けれど——今のわたくしの心は、一片の波立ちさえ起こさない。
いいえ、厳密に言えば、激しい感情はあるわ。
『なぜこんな無様で滑稽な男を愛していたのだろう』という、過去の自分に対する痛烈な憤りと呆れ。
恋は盲目とはよく言ったものけれど、ここまで自分の目を曇らせていたなんて。自分の愚かさに開いた口が塞がらないわ……ハァ。
もちろん、そんな反省会を顔に出すほど愚かではないけれど。
わたくしは完璧に仕立て上げた淑女の笑みを浮かべ、ルーカスへ視線を向けた。
「お久しぶりですわね、ルーカス様」
「あ、ああ……よかった。君の元気そうな姿を見ることができて、心からホッとしたよ」
「あら? わたくしたちはすでに離縁したはずですけれど。今さら元妻の心配など、お戯れが過ぎますわ」
「そんな言い方はないだろう……心配するに決まっているじゃないか」
「まあ。愛する新しい奥様に嫉妬されては困りますもの。何をされるか分かったものではありませんわ」
にっこりと極上の笑みを深めてみせる。
はあ……日頃めったに笑わないわたくしが、わざわざこんな茶番のために笑顔を繕ってあげているのよ?
少しは対価を払ってほしいくらいだわ。イリアとしての給金を上乗せさせるよう、あとでルーカスに掛け合おうかしら。
沸き立つ苛立ちを美しい笑みの裏に覆い隠す。
お父様は苦々しい顔でわたくしを睨みつけている。——『なぜ邪魔をしに来た』と目だけで語っているわ。
「カーラは……カーラはそんなことをする女性じゃない!」
「あら、失礼いたしましたわ。そうね、カーラ様は『何も』なさらない方ですものね。そう、文字通り、何ひとつ」
わたくしが階段から落ちたのを見ていたはずなのに助けようとしなかった。
使用人にも、見て見ぬ振りをさせて助けさせようとしなかっただけ。
わたくしに何かしたわけではないものね。直接手を下さなかったという点においては、確かに『何もしない』清廉な方だわ。
「……っ」
ルーカスはぐうの音も出ず、言葉を詰まらせた。
お父様もまた、もう三年も前の出来事であり、わたくしを見捨てたカーラ様に対して怒りを燃やす気力すら残っていないようね。
さきほど部屋で交わした会話も、結局はルーカスと会うための言訳に過ぎなかったというわけだわ。
「イライザ、いい加減にしなさい。お前はもう目覚めたんだ、それで十分だろう」
まさかお父様が、ルーカスの目の前でそのような言葉を口にするとは思わなかった。わたくしの苦しみを軽んじるようなその物言いに、一瞬胸が冷える。
けれど——この男の前で取り乱し、弱みを見せるなど、わたくしの誇りが絶対に許さない。
「ええ、お父様。離縁した男に未練を残すほど、わたくしは愚かではございませんから。それに……不貞を働くような見境のない男性など、生理的な嫌悪感で鳥肌が立ちますの」
視線を外し、壁際に直立しているトムへ静かに命じた。
「トム、部屋まで送ってくださる?」
「……かしこまりました、お嬢様」
「それではお父様、ルーカス様。失礼いたしますわ」
背を向け、一歩踏み出したところで立ち止まり、肩越しに優雅な首傾げで見下ろす。
「ふたつとないそのお顔、二度とわたくしの視界に入れないでくださる? ——反吐が出ますの」




