なんなのそれ!
久しぶりに侯爵家の屋敷へ戻ると、待っていたのは……仁王立ちしたお父様だった。
本当、みんなカリカリして……ハゲても知らないんだから!
「はあああ」
お父様の顔を見た瞬間、大きなため息が漏れてしまった。
「おい! ため息をつきたいのは私の方だ! 本当にお前は、なんて事をしでかしたんだ!」
「お父様、わたくし何もしておりませんわ」
「勝手に外出して回っていたそうだな! お前が意識を取り戻したという話が、もう貴族の間で回ってきているぞ!」
「ふふ、エリザベスが上手く話してくれたのかしら?」
「妃殿下と呼びなさい! 不敬にあたるぞ!」
「ああ、そうでしたわ。妃殿下がわたくしのために、真実を話してくださると言ってくださったのですわ」
「……『悲劇の侯爵令嬢』……らしいな。はぁー……」
眉根を寄せて、心底嫌そうな顔をするお父様。
「まぁぁ! 素敵だわ! 眠りから目覚めた美しい悲劇の令嬢が、気づかぬうちに離縁され、元夫と親友に裏切られても、静かに悲しみの中で耐えているのよ!」
「耐えている? どこがだ! 変装して娘の家庭教師に甘んじ、楽しそうに暮らしていたらしいじゃないか。侯爵家の屋敷でも、使用人の子供たちとお茶会の真似事などしおって!」
「お父様、子供たちとお菓子をいただくのも立派な社交ですわ。それに、耐えると言ってもただめそめそ泣くだけなんて芸がありませんもの」
私はふふんと胸を張った。
父親の頭痛をさらに悪化させている自覚はあるけれど、やられっぱなしで引き下がるつもりなんて毛頭ない。
「……たく、誰に似たんだか。元夫と元親友を社会的に抹殺する気満々じゃないか」
「失礼ですわね、お父様。わたくしはただ、奪われたものと平穏な暮らしを取り戻したいだけですわ。――もちろん、たっぷりとお利息を付けて、ですけれど」
にっこりと満面の笑みを向けると、お父様は頭を押さえて二度目の深いため息をついた。
「もういい、話すのもうんざりだ……それよりもあのお方から連絡が来ているぞ」
「あのお方?」
首をかしげる私に、お父様は少しだけ声を潜めて険しい視線を向けた。
「レイモンド・トレント殿だ。『眠姫が随分と面白い劇を主催しているようだ』とおっしゃっていたぞ」
「……あら」
う、うん?『あのお方』って?お父様、ただの隣国の貴族の令息よ??
「お父様、レイモンド様がなぜわたくしが目覚めた事をご存知なのかしら?もしかしてお兄様達も……知っていてわたくしは無視されていたの?」
「無視ではない。お前が目覚めたと知ったが、会いに来るなと伝えておいた。お前はあくまで眠り続けていることになっていた」
「どうしてそこまで隠さなければならないの?ルーカスとは離縁してるし、もうどうでもいいじゃありませんか?」
「………お前が眠っている間にいろいろあったんだ」
「そう……でもそろそろ話してくださらないかしら?エリザベス曰く、ルーカスとカーラ様は仲睦まじく暮らしているはずなのに、ルーカスはたまにお父様とも会っている節があると訊いたわ、なぜかしら?」
「……そこまで気づいていたのなら、隠し通すのも限界か」
お父様は苦々しい顔で小さく息を吐くと、重い足取りで書斎のソファへ腰を下ろした。
いつもの威厳ある佇まいからは想像もつかないほど、その背中には疲労の色が濃く滲んでいる。
「座りなさい。……お前が眠っていた数年の間に起きた、くだらない話の全てを教えてやる」
向かいのソファを顎で示され、わたくしが優雅に腰を下ろすと、お父様は低く重い声で切り出した。
「カーラはルーカスに横恋慕していたんだ」
「へぇ、ルーカスのようなカスを好きになっていたの……あら? わたくしもそうだったわね……ほんと、バカみたい」
「ルーカスに対してかなり熱烈に迫り、夜会では個室に連れ込もうとしたり、無理やり口付けを迫って来たりと、ルーカスも逃げるのにかなり苦労していたらしい」
「へぇ、そうなの? 知らなかったわ。お父様はよくご存じね」
「お前とルーカスの関係は冷め切っていたからな。私はルーカスから相談されていたんだ」
「へぇ、じゃあ、わたくしが階段から落ちて放置されていたのはカーラ様だけのせいってことかしら? ルーカスも一緒にわたくしを見捨てて、死ぬのを楽しみに待っていたんじゃないの?」
──あの時の記憶が蘇り、なんとも言えない虚しさが胸を襲う。
「カーラはお前のことを放置しただけではなく、使用人たちにも『しばらく気づかなかったことにしろ』と脅したらしい」
「あら? じゃあ、あの伯爵家の使用人たちはわたくしを殺そうとしたのと同じじゃないの? なぜ捕まらないのかしら?」
「カーラは、お前に意識がないのをいいことに『何も知らない』と言い張ったのだ。
ルーカスの部屋に入り込んであれこれ話しかけ、彼を部屋から出さないようにしていたらしい。
ルーカスがカーラを追い出そうと用事を作って部屋から出て、そこで階段下に倒れているお前を見つけたんだ。カーラももちろん驚いて悲鳴をあげたらしい」
『きゃあああああ! わたしがここに来た時はこんなことになっていなかったのに! イライザ様! 大丈夫!?』
「……なんてわざとらしい小芝居をしていたが、その時ルーカスはお前が倒れていたことを本当に知らなかった。
騒ぎを聞きつけて駆け寄ってきた使用人たちは顔を真っ青にし、ルーカスと目を合わせようともしなかったそうだ。本来なら慌てて助けようとするはずなのに、そのぎこちない態度に何かあると勘づいたらしい。
そしてのちに、カーラに脅されて見て見ぬ振りをしていたことが判明し、その使用人たちを解雇した」
「ふうん、クビで終わり? で、どうしてカーラ様はお咎めなしのままなのかしら?」
「ルーカスは脅されていたんだ」
「カーラと何度か体の関係があったから?」
「……なぜ分かった?」
「その日、わたくしが離縁を突きつけられることをカーラ様は知っていたわ。
わたくしの惨めな姿を見に来たのよ。そして惨めに階段から転げ落ちる姿を見て、血だらけのわたくしを助けようともしなかった。
あの時の勝ち誇った顔は、嫌でも覚えているわ!
それに、わたくしが完全に意識を失う直前『ルーカスは私を何度も抱いてくれたわ』と言い放ったのよ。思い出しただけでも鳥肌が立つわ」
「そうだったのか……」
「ルーカスがお父様に全て話したの?」
「そうだ。だから、お前を侯爵家に引き取った」
「じゃあ、もうあの二人のことなんて放置しておけばよかったじゃない? ルーカスとこっそり会う必要なんてないはずだわ」
「何度もお前に会いたいとしつこく訪ねてきたのだ」
「へぇ、浮気をしておいて? わたくしに離縁を申し入れたくせに?」
「ああ。反省しているからと、イライザの看病を伯爵家でやりたいと言ってきたが断った」
「何が看病よ。もしかして、意識のないわたくしをカーラ様にでも看病させるつもりだったのかしら?」
「は? まさか」
「だって、イザベラの世話をカーラ様が買っていたと聞いているわ。あの子、カーラ様に懐いているもの」
「……ルーカスはカーラに罰を与えたいと思ってはいるが、伯爵家に傷をつけることはできないと悩んでいた。当主としてのプライドや面目を保つことも必要だからな。社交界で一度でも醜聞が広まれば、信用も信頼も損なわれ、領地経営や商売にも差し支える」
「ほんとうに、貴族のご都合主義には反吐が出るわね。
自分たちの立場や面目だけは絶対に守っておきたい。浮気だって綺麗に隠しておきたい。……だけど、わたくしに対しては一応悪いと思っているとでも? 虫が良すぎますわ」




