あ、あああ、思い出しましたわ!
ああ、思い出しましたわ。
階段から落ちた、あの時のこと。
ルーカスから離縁を言い渡されたのでしたわね。
『君とはもうやっていけない。離縁してほしい』
淡々と告げられたその言葉に、わたくしはいつものように喚いたり罵ったりはしなかった。
きっと顔色は青ざめていたでしょう。けれど表情ひとつ変えず、冷たい口調で告げたんだったわ。
「そう、わかったわ。すぐにサインするから書類を頂戴」と。
彼に縋りついて、これ以上惨めな姿を見せるわけにはいきませんでしたもの。
わたくしは侯爵令嬢。
その矜持だけは、誰よりも高く持ち続けてきました。何者にもそれを踏みにじることなど、決して許しはいたしません。
だから、それ以上は何も言葉を発することなくサインし、その場を立ち去った。
一度たりとも、ルーカスの顔を見ることなく。
そう――2階の、わたくしたち夫婦のプライベート空間であった場所。
手が震える。気持ちが昂って大声を上げたい。
誰かに八つ当たりしたい。
そんな感情をなんとか押し殺そうと、自室へ戻ることもできず階段へと向かったわ。
そう、あの階段こそが、わたくしの転落した場所。
手すりに手をかけ降りようとしたその時、1階から声が聞こえた。
あの忌々しい、カーラ様の声が。
(なぜカーラ様が我が家に?)
訝しげに眉を寄せながらも、なんとか表情を取り繕い、階段の上から声をかけた。
「あいにく本日はご訪問の予定を伺っておりませんけれど。どのようなご用件かしら?」
冷ややかな笑みを絶やさずに。
わたくしは昔からカーラ様が好きではなかった。
本当にいけ好かなかった。胸糞悪い!
すぐに甘えた声で擦り寄ってくるあからさまな姿は、どうしても好感が持てなかった。
調子よく煽てる話し方も、形勢悪くとなれば巧みに他者へ意識を逸らして話をすり替える狡猾さも、そして自分の責任を他人になすりつけるところも――心底見苦しいと感じていましたわ。
思い出してしまえば、何のことはありませんわ!!
わたくしが階段から落ちたのは、彼女の言葉に激昂して足を踏み外したから。
『イライザ様、そのお顔……ルーカス様から離縁を申し込まれたのですね? ふふっ、今日お話しされると伺っていたので、様子を見に参りましたの』
蔑むように嘲笑うカーラ様に、わたくしはカッとなった。
「な、なんですって……!」
怒りのあまり、頭に血が上っていたのでしょう。
「あっ……」
気づいた時には、もう遅かった。
足が宙を浮き、体が勢いよく下へと落ちていった。
(うわぁ、これ絶対痛いわ)
逃げることもできずに覚悟をした。
その後のことは、当然覚えていない。
わたくしはしばらくの間、屋敷の者に発見されることもなく放置されていたみたい。
カーラ様は助けもせず去っていったのだろう。
それともルーカスとカーラ様、果ては屋敷の使用人たちまでもが一緒になってわたくしを無視していたのか。
――階段から落ちたわたくしを見捨てたのは、奴らだった。
それだけは確かだわ。
邪魔者となったわたくしは、実家へと引き渡された。
離縁状にサインしたわたくしは、もうあの伯爵家とは何の関係もない人間。
頭を強く打って意識もなく、いつ死ぬかもわからない邪魔な元妻の面倒を見る必要などないということかしら?
事実を知ってしまえば、本当にどうということもないわ!
まだ赤ん坊だったイザベラは、わたくしのことなど覚えていないはず。
「母親は死んだ」とでも言い含めておけば、自ら会いに来ることもないでしょうしね。
使用人たちが一斉に解雇されたと聞いてはいるけど、カーラ様との不貞が世間に露呈するのを恐れたからだわ。
口止め料を握らせて脅しておけば、平民の使用人など何も言えなくなるもの。
そして――わたくしが侯爵家の奥部屋に押し込められて過ごしていたのは、邪魔でしかない娘を処分することもできず、仕方なく生かして置いてやっていただけだったのね。
わたくしの存在そのものが、我が家にとっても「恥」でしかなかったというわけだわ。
だから父は冷たく、母も兄もお見舞いにすら来なかった。外出だって認められなかった。
(まあ、言いつけを無視して好き勝手出歩いていましたけれど)
関心がないというのは、ある意味では素晴らしいこと!
ねぇ? ルーカス? カーラ様?
わたくしが生きていたと知って、どう思いましたかしら?
まだわたくしが「イリア」だとは気づいていないでしょう?
ずっと近くで、あなたたち親子の様子を観察していたのですよ?
(事情は知らなかったけど)
絶対に許さない。
あなたたち親子の……その愚かな「幸せな家庭」とやらを、完膚なきまでにぶち壊して差し上げますわ!




