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三年間の眠りから目覚めたので、あなたの新しい家庭ぶっ壊します  作者: 花


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は?なに?

 イザベラの授業が終わって部屋を出ようとした時、メイドがやってきて「ルーカス様がお話ししたいとおっしゃっています」と告げられた。


 いつもなら1階の執務室に呼ばれるのに、今日はなぜか2階の応接室に来るようにとのことだった。


 2階――。

 その階段は、わたくしが転落した場所。


 伯爵家族のプライベートな空間でもある。


 イザベラが授業を受ける部屋は昼間過ごすためのもので、夜になれば2階の自室で過ごすと話していた。


 なぜ、わざわざそんな場所へ行かなければならないの?


 思わず眉間に皺が寄る。


 わたくしへの嫌がらせ……なんて被害妄想をしてしまうけれど、彼らは目の前の家庭教師がイライザだなんて知る由もない。


 ――なぜか、足が震える。


 この階段を上がるのが恐ろしい。記憶がないはずなのに、恐怖で足が前に進まないのだ。


 必死で手すりにすがりつき、一歩、また一歩と階段を上った。


 こんな状態で、なんの考えもなくこの屋敷で働こうだなんて、わたくしはなんて浅はかだったのかしら。


「自分ならどんなことでも乗り越えられる」という根拠のない自信は、一体どこから湧いて出ていたのだろう。


 たかが階段を上るだけで、こんなにも怖いのに。


「ふぅ……っ」


 なんとか階段を上りきり、深く息を吐き出す。


 しばらく力なく俯いていたけれど、深く呼吸を整えてから、ルーカスの待つ応接室の扉をノックした。


 2階に足を踏み入れてからは、記憶がないのに不思議なほど体が勝手に道を覚えていた。


 迷うことなく応接室の前まで来られてしまったことが、なんだか悲しい。


「どうぞ」


 扉の奥から、ルーカスの声が響いた。 


「失礼いたします」


 深々と頭を下げて部屋に入る。


「ご用とお伺いし、参りました」


「ああ、イリア嬢。忙しいところすまないね。イザベラの勉強の進み具合などを訊いておきたかったんだ」


 着席を促され、仕方なくルーカスの正面にある一人掛けのソファに腰を下ろす。


 メイドが淹れてくれた紅茶からは、華やかで気品ある香りがふわりと漂っていた。


 チラリと視線を送ったものの、手はつけずに言葉を返す。


「概ね順調でございます。まだ五歳ということもあり、途中で集中力が切れてしまうこともございますが……」


 イザベラの可愛らしくも健気に頑張る姿を思い出し、喉の奥に込み上げてくる熱いものをぐっと飲み込んだ。

 わたくしは感情を押し殺した声で続ける。


「非常に素直で、飲み込みの早い賢いお方です。本日は文字の練習をいたしましたが……ご自身のお名前を綺麗に書けたとき、とても誇らしそうに微笑んでおられました」


(本当なら、あの瞬間に強く抱きしめて褒めてあげたかったわ)


 心の中で切なく呟きながら、表面上はにこりと彼に向かって微笑んで見せた。


 ルーカスは、そんなわたくしをじっと見つめている。


 ……まさか、わたくしだと気づいた?

 ううん、それだけはあり得ない。髪色も化粧も服装も、名前だって全て違うのだから。

 それに、わたくしが意識を取り戻したことなど、屋敷の者以外は誰も知らないはずだ。


「なぜか……あなたを見ていると懐かしく感じるんだ」


「……え?」


 イザベラのことを訊いていたのではないの? 急に何を言い出すのかしら。


「懐かしく……ですか?」


 恐る恐る聞き返してみる。


「ああ。多分……その声と話し方が、妻に似ているんだ」


「妻?……奥様と、わたくしが……ですか?」


 声が震えてしまう。


「奥様? ああ、カーラか……いや、彼女のことではないんだ」


(――妻だなんて。前妻でしょう? 紛らわしい言い方はやめてほしいわ!)


「……前妻のイライザ様のことでしょうか?」


「前妻か……イザベラの母親だ。彼女の名を知っているのか?」


「……社交界では有名なお方ですから」


 そう答えたものの、わたくしはこの三年間、社交界から姿を消していた。それに事故に遭う前の記憶もさっぱりないため、当時どんな風に振る舞っていたのかすら覚えていない。


 本当に『有名』だったのか、あるいは目立たない存在だったのか……それすら分からないけれど。ただ、このわたくしが控えめで大人しく過ごしていたなんて、絶対にあり得ないはずだわ!


「ああ。彼女は社交的で明るく、誰とでも親しくなれる人だった」


(…………⁇)


 イライザ――つまり『わたくし』について語るルーカスの、どこか優しげな表情と雰囲気に驚きを隠せない。


 わたくしと彼の関係は冷え切っていて、最悪だったはずよね?


 現に、階段から落ちたわたくしを実家に追い返したくらいなのだから。


「あ、あの……」


「奥様との仲は悪かったのでは?」と思わず訊ねそうになったその時、部屋の扉を叩く音が響いた。


 部屋の隅に控えていたメイドが扉を開ける。


「ルーカス。お話は終わったかしら?」


 部屋に入ってきたカーラは、チラリとこちらへ視線を向けたものの、すぐに気にとめる様子もなくルーカスへ甘えるように話しかけた。


「イザベラと三人でお買い物へ行きたいの。ね? いいでしょう? 最近はお仕事が忙しくて、三人でお出かけもできなかったじゃない?」


「……ああ、分かった。イリア嬢、時間を取らせたね。最近イザベラが君との授業をとても楽しみにしているようだ。これからも娘のことをよろしく頼むよ」


「はい、かしこまりました」


 わたくしが部屋を退出する際、カーラは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


 ……なにがそんなに楽しいのかしら?


 悔しがるとでも思われたのなら大違い。わたくし、別に何とも思っていないのだけれど。

 それにわたくしはイライザではなくてイリアよ?





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