え?わたくし、負けたくないわ!
イザベラと過ごす日々はそれなりに充実していた。
母親として接することはできずとも、彼女の成長を傍で見守ることができる。今はこの生活で満足だと思っていたはずだった。
あの仲睦まじい親子の姿を見るまでは――。
侯爵家に居る時は、サラや子供達に文字や計算を教え始めたし、好き勝手させてもらえる生活に満足はしていた。
ただ、自分が目覚めたことがいまだに誰にも知られていないのはなぜなのだろう。
どうしてそこまで隠されているのか、疑問ばかりが募る。
けれど、無くした記憶を思い出そうと必死に考えすぎると頭が痛くなった。
マーカス先生が処方してくれた薬を飲み、ベッドで横になる時間が増えていく。
そう、今日だって単に考えすぎたから体調を崩したのであって、昨日のあの姿に何か思うところがあったわけでは、決して、絶対にない!
「お嬢様、もうあの屋敷へ行くのはおやめになった方がよろしいかと思います。普通に生活できるようになったとは言え、3年間も眠り続けていたのです。体調が完全に戻ったとは言い難いですし、マーカス先生もいつも眉根を寄せておりますよ」
リーンの言葉通り、ベッドに横たわるわたくしの顔色はまだ青いのだろう。
頭痛はなんとか治まってきたものの、体がだるく微熱が続いていた。
今日は家庭教師の仕事もお休みさせてもらった。
そう、体調が悪かったからであって、昨日のあの仲睦まじい親子の姿を見たせいなどではないのだ。
それなのに……伯爵家で、あの三人の仲睦まじい姿を見てから、どうしてか胸がズシリと重たい。
記憶がないのだから執着も思い入れもない。三人に対して何の感情も抱いていないはずなのに、なぜかしら。
「……そうね……」
ふと弱気になって頷きかけた――けれど。
「それって……わたくし、あの三人に負けたことになるのではないかしら? そんなの嫌よ、絶対嫌!」
ガバッと跳ね起きると、思わず声を張り上げた。
「服を着替えるわ! リーン、早くカツラを被せてちょうだい!」
「ですがお嬢様、今日は体調不良でお休みすると向こうの屋敷に伝えたはずですよ!?」
「微熱なんて気の持ちようよ! 元気になったからいいの。休んだら負けだわ!」
いつもの馬車に乗り込み、ギリギリの時間でイザベラの部屋へと向かう。
伯爵家の執事・ロミオは「本日はお休みではなかったのですか?」と驚いた顔を浮かべた。
「ええ、少し横になりましたら元気が出てまいりましたので……やはりイザベラ様のことが気になりまして」
「おお、そうですか。とても熱心なお方ですね」
「ふふ、ありがとうございます」
淑女の微笑みを貼り付けてその場をやり過ごす。
イザベラの部屋は一階の南向きにある明るい室内で、可愛らしいぬいぐるみや白い家具が整然と置かれていた。
扉を叩き、「どうぞ」と聞こえた声に返事をする。
いつものメイドの声ではない。
この声は……カーラ様?
最近、ルーカスやカーラ様がこの屋敷で昼間も過ごしているため、変装には抜かりがない。
栗色のかつらを被り、薄化粧を施し、清潔感のある白いフリルブラウスに夜の帳のような黒のロングスカートを合わせている。
華美な装飾を排したその姿は、準男爵家の令嬢というわたくしの「設定」に完璧に馴染んでいた。
部屋に入ると、思った通りカーラ様がイザベラとおしゃべりをしていた。
顔も髪の色も全く似ていない。それなのに……どこからどう見ても仲の良い親子の姿に見えてしまう。
わたくしは右手をギュッと強く握りしめた。
「今日はお休みではなかったのかしら?」
「はい。お休みをいただくつもりでしたが、すっかり回復いたしましたので。それに……イザベラお嬢様がお一人でいらっしゃると、どうしても気になってしまいまして」
(お一人で過ごして寂しがっているのではないか)と言外に含ませたものの、返ってきたのは冷ややかな一言だった。
「そう。けれどイザベラはとてもお利口さんで手がかからないのよ。親を困らせるようなことは絶対にしないから、心配いらないわ」
(――この子はひとりでも大丈夫だと、本気で言っているの?)
それは大人の勝手な言い分だ。
どれほど楽しそうにしていても、イザベラは時折、胸が締め付けられるような寂しげな顔を見せるというのに。
カーラ様は不機嫌そうに部屋を出ようとしたが、ふと足を止め、わたくしを嘲笑うような視線を向けてからイザベラに告げた。
「イザベラ、しっかりこの先生にお勉強を教わりなさい。どれほど優秀なお方かは存じあげませんけれど、結果だけは嘘をつきませんから」
「……うん」
「『うん』ではないわ。『はい』とお言いなさい。これで家庭教師が付いていると言えるのかしら、困ったことだわ」
冷たく言い捨てて扉をバンと閉める。
その姿が見えなくなると同時に、イザベラは深く俯き、口を閉ざしてしまった。
(もしや、泣かせてしまったのかしら……)
仲良く過ごしていた二人の邪魔をして、カーラ様の機嫌を損ねてしまったのは失敗だったかもしれない。そんな不安がよぎった時だった。
「せんせい……ごめんなさい」
「え? どうしてあなたが謝るの?」
「だって……おかあさまが……。やめないでください、おべんきょう……いつもたのしみにしてるの……」
不安そうに服の裾をギュッと掴むイザベラを見て、胸の奥がギュッと締め付けられる。
「やめないわ、安心してちょうだい。わたくしもあなたに教えるのがとても楽しいのよ。こんなに優秀で可愛らしいお嬢様と一緒に過ごせて、とても光栄だわ」




