幸せな二人。
ルーカスの姿を見た次の日は、どうしてかわからないけれど気力が抜けて一日中ぐったりとしていた。
サラが顔を出してくれても、屋敷の子達がお花を届けてくれても、どうしても元気が出なくて、リーンにベッタリとくっついていた。
「リーン、やだ! 行かないで!」
「わたしにだって仕事があるんです!」
「リーンの仕事はわたくしのお世話でしょう! ずっとそばにいなさい!」
リーンが部屋から出ようとしたので、彼女のスカートをぎゅっと掴んだ。
急に引き止められて勢い余ったのか、リーンのスカートがふわっと浮き上がる。彼女は真っ赤な顔をして怒った。
「もう! おやめください!」
「別に中は見えていないわよ! トムもいないし、いいじゃない」
「ト、トムは関係ないです!」
「あら? そうなの? 二人がいつも楽しそうに話しているから、仲良しなんだと思っていたわ」
「……仲良しですが……」
二人は同じ26歳。この屋敷に来て働き始めたのは、二人とも13歳の時だった。
住み込みでやって来た二人は昼間に学校に通い、帰宅後に見習いとして働きだしたのだ。貧しい貴族の子供が、高位貴族の家で行儀見習いとして働くのはこの国では当たり前のことだった。
わたくしがアビナ先生から教わる時は、サボらないようにとお父様がリーンを見張り役に付けたため、彼女も一緒に授業を受けた。
のちにリーンは「お嬢様のおかげで素晴らしいマナーを教えていただくことができました」と感謝してくれたけれど、わたくしのサボり癖のおかげで良い思いができたのだからお互い様じゃない!
だから今はそばにいてちょうだい!
心の中でそう叫んでいるのが伝わったのかしら。
昨日のことなんて何も話していないのに、昨日の夜からいつも以上に世話を焼いてくれる。
夕食後には大好きな苺がたっぷりのった生クリーム多めのケーキを出してくれたし、今朝も搾りたてのオレンジジュースをお代わりさせてくれた。子供達が部屋まで来てくれたのだって、リーンが声をかけてくれたからだと思う。
だけど、一番そばにいてほしいのはリーンなの。
誰にも相手にしてもらえないわがままなわたくしに、ずっと付き合ってくれたのはリーンだけだったもの。
「……リーン……」
瞳をうるうるさせながら、悲しそうに彼女の名を呼ぶ。
「リーンが忙しいならトムを呼ぶわ。確か今日はトムの休日で休んでいるはずだから、わたくしとお話しする楽しい一日にしてあげる」
リーンはぎゅっと眉根を寄せた。
「お嬢様、使用人達の大切な休日を勝手に奪わないでください」
「トムなら嫌とは言わないはずよ? だってこの部屋に一日中いれば、リーンの顔を何度も見られるもの。ね? いい考えでしょう?」
「いくらお嬢様専用の護衛とはいえ、なんでも言うことを聞くと思わないでください!」
「だったらリーンがそばにいてちょうだい! そうだわ、二人がいてくれたらわたくしも元気になれると思うの」
早速メイド長にお願いしてトムを呼んでもらった。そしてリーンにも、今日はわたくしのお世話以外の仕事は免除してもらうよう頼み込んだ。
トムは「は? なんで?」とぶつぶつ言いながらも部屋に来てくれた。
三人でのんびりとお茶を楽しんでいると、明後日のはずだったマーカス先生の診察が突然始まった。
「あら? 先生? どうなさったの?」
「イライザ嬢の体調が悪いと聞いたんじゃが?」
先生がジロリとリーンを見た。
リーンは何食わぬ顔でお茶を一口飲み、言った。
「マーカス先生、お嬢様は体は22歳ですが心はまだ16歳です。私の服を掴んで離さず、寂しいと駄々をこねるんです。休日のトムまで呼び寄せて部屋から出してもらえません。これは心が病んでいるからだと思います。ぜひ診察をお願いいたします」
「ほほ、赤ちゃん返りだな。過度なストレスがかかったのか?」
「……別に、何もございませんわ」
「元夫の屋敷で働くからじゃ。いくら変装してもいつかはバレる。それに、自分が産んだ娘に母親と認識してもらえないのは辛いじゃろ?」
「……別に、わたくしが産んだ記憶もないのだから何も感じないわ」
「イライザ嬢、お前にわずかだが記憶が戻りつつあることは聞いておる。そんなに辛いなら、もう行かなくていいんじゃないか?」
「……知りたいの。失った3年間の記憶を取り戻したいわ。みんな話したがらないから聞かないでいるけれど、記憶を取り戻せば本当のことがわかるもの」
「話したがらないのは確かじゃが、わからんことも多いのは事実じゃ」
先生の言葉に、わたくしは静かに頷いた。
「わたくしがなぜあの屋敷で倒れていたのか。屋敷の者達がわたくしを嫌って放置していたのか、ただ誰も気づかなかっただけなのか……わからないけれど、知りたいの。それに、わたくしがこんなに苦しんでいるのに、幸せそうに過ごしているルーカスが許せないの」
「何をしようとしているんじゃ?」
「別に。ただ、イザベラの家庭教師をしているだけだわ。それ以外、何もしていないわ」
そう、今は何もしていない。
けれど、全てを思い出した時や事実を知った時、どうするかまではわからないし「何もしない」なんて断言できない。
何かするかもしれない。そう、何かを。
ルーカスだけが幸せでいるなんて、絶対に許さない。
✴︎ ✴︎ ✴︎
二人がそばにいてくれたおかげで気分もスッキリした。
今日もイザベラの家庭教師として、伯爵家の屋敷を訪れる。
使用人用の馬車の乗り心地にも慣れてきた。たまに腰とお尻が痛くなるけれど、文句は言えないわね。
「先生、おはようございます!」
可愛らしく挨拶をするイザベラに、わたくしもにこやかな笑顔を返す。
「今日の授業は『お庭でのお茶会での過ごし方』をお勉強しましょう」
「おにわ?」
キョトンとするイザベラの表情が今日も可愛い。思わず胸がキュンとする。
「ええ。他家のお屋敷にお呼ばれした時のマナーを学びましょうね」
「およばれ?」
「イザベラ様は、同世代のお子様たちの集まりに参加されたことはございませんか?」
「……まだないわ」
「これからたくさんお呼ばれする機会がありますよ。その時に伯爵令嬢として恥ずかしくないよう、挨拶の仕方、椅子の座り方、カップの持ち方や飲み方、笑顔の作り方まで覚えることはたくさんあります。まだ5歳だからと甘えてはいられませんわ」
「……はい」
「でもね、イザベラ様。それ以上に『お茶会でみんなとどれだけ楽しく過ごせるか』も教えて差し上げますわ」
厳しい顔から柔らかい笑顔に変えると、イザベラもパッと表情を輝かせた。
「たのしい? みんなとなかよく?」
「ええ。子供の社交だからと舐めてはいけないわ。まずは自分がどれだけその場で優位に立てるかを計算して動くの。過酷な社交界を生き抜くための防衛策であり、生存戦略でもあるのよ」
わたくし自身、侯爵令嬢として常に令嬢たちの見本となるよう振る舞ってきた。勉強だけは少し苦手だったけれど、他国の友人とも関係を築き、取り巻きの令嬢たちにも優しく接してあげたのだから。
庭の大きなテラスに座り、マナーを教えながら楽しくお茶をいただく。
イザベラはわたくしと同じで、搾りたてのオレンジジュースが好きだと教えてくれた。
「わたくしもオレンジジュースが大好きなのよ」
「うわぁ! せんせいとおなじなんてうれしい!」
目を輝かせて笑うイザベラに胸が熱くなる。
この子はわたくしと血が繋がっているのだと実感する。好きな物が同じというだけで、どうしてこんなにも心が温かくなるのだろう。
授業が終わり、メイドたちと一緒にイザベラの部屋へ戻ろうとしたその時……
「おとうさま!」
イザベラが嬉しそうな声を上げた。
振り返るとそこには、ルーカスの腕に愛おしそうに手を絡ませ、仲睦まじく歩くルーカスとカーラの姿があった。




