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第7話 敗北と敗北

ズチュッ……。

 肉を断ち切り、胸を貫く生々しい音が響き渡った。

 マチルダは確かに勝利を確信した。だが、その手応えは致命的に狂っていた。血は流れているが、剣先が「心臓を貫いた」という確かな感触がなかったのだ。

「……ッ!」

 レオが素早く後方に跳び退き、マチルダから距離を取る。

 左胸からはおびただしい血が流れているが、その瞳に死の気配はない。固有魔法(こゆうまほう)事象反転(インヴェーション)』の極限の応用。レオはマチルダの刃が到達するコンマ一秒の刹那、自身の体内の「心臓の位置」そのものを強制的にズラし、即死の急所だけを間一髪で回避していたのだ。

「……なぜ生きてるかは分からんが、私から距離を取るとは愚かな。また同じことだ」

 マチルダが冷笑を浮かべ、再び自身の騎士剣に膨大な魔力を吸い込ませる。

「『斬撃遊戯ディシサージュパレード』!!」

 再び五十を超える致死の嵐を生み出そうと、マチルダが魔力を込め切ろうとした――その瞬間。

 彼女の視界から、後方にいたはずのレオの姿がブレて消えた。

(――速ッ!?)

 『事象反転(インヴェーション)』によるゼロ距離への急接近。

 魔力が込め切る前に、マチルダの眼前にはすでに日本刀を振りかぶったレオの姿があった。マチルダは魔法の詠唱を強制的に中断し、咄嗟に騎士剣を盾にしてその一撃を防ぐ。

 ガガァァァンッ!!

 火花が散り、マチルダの身体が大きく後ろへ流される。

(くっ……なぜかは知らんが、やつの剣術は私より上。今回は仕込みもない。このままでは不利だ……!)

 マチルダの予測は、残酷なまでに正しかった。

 ゼロ距離の近接戦闘に持ち込まれた以上、斬撃を飛ばし軌道を操るマチルダの固有魔法は真価を発揮できない。純粋な剣術と身体能力の勝負になれば、『天下一(てんかいち)』のデータを宿したレオが圧倒的に上回る。

 キンッ! キィィンッ!

 息をつく暇もない怒涛の連撃に、マチルダは防戦一方となり、徐々に壁際へと押し込まれていく。

(……しかし、なんという集中力だ)

 防戦の中で、マチルダは戦慄を覚えていた。

 目の前の男は、一切の言葉を発しない。ただ淡々と、瞬きすら忘れたかのように、機械的な正確さで敵を斬り伏せることだけを目的として剣を振るい続けている。恐怖も、焦りも、驕りもない。純粋な殺意の結晶のような太刀筋。

(このままでは負ける。……致し方ない)

 マチルダは一瞬、意図的に防御の手を緩めた。

 『天下一(てんかいち)』がその致命的な隙を見逃すはずがない。神速の居合がマチルダの胴を薙ぎ払う。

 ガキンッ!!

 鈍い金属音が響いた。マチルダは浅く斬り裂かれ、鮮血を散らしながら後方へ吹き飛ぶ。だが、彼女は倒れなかった。制服の下に纏っていた強固な「銀の鎧」が致命傷を防ぎ、辛うじて意識を保っていたのだ。

「……その鎧に救われたな」

 レオが刀の血振るいを行い、静かに言い放つ。

「だが、その傷では勝負にならない。降参しろ!」

 血を流し、肩で息をするマチルダ。

 しかし、追い詰められたはずの彼女の口元には、不気味な笑みが浮かんでいた。

「小僧、知っているか? 聖騎士が一位(プルミール)になるには、自身の固有魔法の『奥義(プルニーヴ)』を覚醒させなければならない」

 マチルダが自らの血に濡れた騎士剣を、再びレオへと向けた。

「見せてやろう。私の『奥義(プルニーヴ)』を!」

 マチルダは『奥義(プルニーヴ)』を繰り出そうと、再び自身の騎士剣に莫大な魔力を込め始める。

 レオはそれを待つほど愚かではない。再び固有魔法(こゆうまほう)事象反転(インヴェーション)』を発動し、マチルダの死角へと転移してその身体を容赦なく斬り裂く。

 だが、マチルダは倒れない。

 全身を血に染め、限界をとうに超えているはずの彼女は、聖騎士としての気力のみで大地に立っていた。

「私の『奥義(プルニーヴ)』――『斬撃大砲ディシサージュキャノン』!!」

 直後、鼓膜を破るほどの凄まじい爆音が辺りに響き渡った。

 マチルダが剣を振り下ろした瞬間、彼女の前方五十メートルあまりにわたり、空間そのものが抉り取られたかのような、底が見えないほどの巨大な大穴が穿たれていた。

 マチルダの奥義は、斬撃の威力と範囲を何十倍にも増大させる、まさに一撃必殺の破壊魔法だった。

 もうもうと立ち込める土煙の中、レオは冷や汗を流して固唾を呑んだ。

 ギリギリのところで『事象反転(インヴェーション)』を使い、強引に攻撃範囲外へと退避していたのだ。

(……転移先を少しでも間違っていたら、跡形もなく消し飛んで死んでいたぞ)

「本当に……こざかしい男だ……」

 血を吐きながら、マチルダがレオを睨みつける。

「だが、次で終わりだ……。私の『斬撃大砲ディシサージュキャノン』と『斬撃遊戯ディシサージュパレード』の応用で、全方位に大砲を放つ。お前に、逃げ場は無い……ッ!」

 マチルダの身体から、残された命の火を燃やすような、最後にして最大の魔力が膨れ上がる。レオもまた、日本刀の柄を強く握り直した。

「『斬撃爆発ディシサージュエクスプロージョン』!!」

「『覇王剣(はおうけん)白虎衝撃波(びゃっこしょうげきは)』!!」

 両者の必殺の技が、同時に放たれた。

 だが、決着の瞬間は、残酷なほどの速度差によって決まった。

 『事象反転(インヴェーション)』によって、マチルダの眼前へと瞬間移動していたレオの方が、技を叩き込むのが圧倒的に早かったのだ。

 ドンッ!! という重低音。

 レオの放った渾身の「突き」がマチルダの鎧を捉える。その切っ先が当たると同時に、刀身から放たれた目に見えぬ強烈な衝撃波が、マチルダの身体を後方へと大きく吹き飛ばした。

 それは、『天下一(てんかいち)』によってレオの脳髄に刻み込まれた神域の剣技――『覇王剣(はおうけん)』を構成する四つの型のうちの一つである。

「ガ、アァァ……ッ」

 吹き飛ばされ、壁に激突したマチルダは、そのまま力なく崩れ落ち、ついに完全に意識を失った。

「ガハッ……!」

 マチルダが倒れ伏した直後、レオは片膝をつき、激しく吐血した。

 『天下一(てんかいち)』という、誰にも負けない最強の剣術データ。それを脳内にインストールし、完璧に使いこなすための神経接続は完了していた。だが、その超人的な動きに耐えうる「肉体」が、底辺警察官であるレオにはまだ出来上がっていなかったのだ。限界を超えた動作により、レオの身体中の筋肉と血管が悲鳴を上げている。

(勝った……。一位(プルミール)に……!)

 血の鉄の味を感じながらも、レオは心の中で確かな勝利を噛み締めていた。

 ――しかし、その刹那。

 ドスゥン、と。

 空間そのものが重く圧縮されたかのような、異常な質量の「圧」がレオの全身にのしかかった。

「……ッ!?」

 呼吸すらままならない。立ち上がることなど到底不可能に思えるほどの、圧倒的なプレッシャー。

 静まり返った祭壇の部屋に、コツリ、コツリという冷酷な足音が次第に大きくなっていく。

 崩れ落ちた扉の向こうから姿を現したのは、特位聖騎士エクセルシオネスアーサーヴァン・フォンシオンであった。

「マチルダを倒したのか?」

 ヴァンは、倒れたマチルダを一瞥もせずに、ゆっくりとレオへ語りかける。

 その言葉には怒りも悲しみもなく、ただ純粋な無関心だけが張り付いていた。

「彼女は私の部下の中で、一番の手練れだ。お前、何者だ?」

「ハァッ……ハァッ……」

 圧に押し潰されそうになりながらも、レオは日本刀を杖代わりにして、気力のみでよろめきながら立ち上がった。その両足は限界を迎え、小刻みに震えている。

 そんなレオの姿を見て、ヴァンはゆっくりと腰の騎士剣を抜いた。

「哀れな……。苦しかろう。今、楽にしてやる」

 ヴァンの剣が静かに振り上げられる。

 殺される。そう直感した瞬間、レオの肉体が生存本能から最後の一撃を放った。

「『覇王剣(はおうけん)白虎衝撃波(びゃっこしょうげきは)』!!」

 マチルダを沈めた、渾身にして必殺の一撃。

 神速の『突き』がヴァンの胴体を正確に捉え、刀身から爆発的な衝撃波がゼロ距離で放たれた。ガキンッ、とヴァンが制服の下に纏っていた銀の鎧が砕け散る音が室内に響き渡る。

 ――だが。

「……その黒い『日本刀』は…。」

 ヴァンは、自身の胴体に渾身の突きを食らいながらも、何事もないかのような涼しい顔でレオの手元を見下ろしていた。

「そうか。お前が『あの方』のおっしゃっていた適合者か……」

「な……ッ」

 絶望に目を見開くレオ。

 次の瞬間、ヴァンの剣が、何の抵抗も感じさせないほど滑らかに振り下ろされた。

「ガ、アァァァッ……!!」

 レオの胸元から腰にかけて、深い斬撃が走る。

 大量の鮮血を宙に撒き散らしながら、レオの身体は力なく祭壇の冷たい床へと崩れ落ちた。

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