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第207話「伝令神の越境」
アテナの使者がギリシャ圏を出たのは夜明け前だった。
名をヘルメスの遠縁にあたる若い神、クレアスという。正確には名前に相当する概念を持つ存在だが、人間の言語で呼ぶときはそう呼ばれる。
越境は初めてではない。ギリシャ圏の外に出たことは何度かある。だが日本圏へは初めてだ。
圏と圏の間には、何もない場所がある。神話が途切れる空白地帯。そこを通るとき、クレアスは自分の輪郭が少し薄くなる感覚があった。以前から薄くなるのだが、今回はいつもより早かった。入って五分もしないうちに、自分の名前を思い出すのに一瞬かかった。
止まらなかった。アテナに言われたことを繰り返す。「何かが止まっている理由を聞いてこい。」
空白地帯を抜けると、空気の質が変わった。密度が違う。情報量が多い、という感じがした。古いものが積み重なっている場所の感触。
日本圏の境界が、前方に見えた。
静かだった。門も番人もない。ただ境界がある。
クレアスは一度だけ深呼吸をして、足を踏み入れた。
観測層:第2層
記録単位:圏外移動
対象個体:クレアス(ギリシャ使者)
状態:越境完了
備考:空白地帯通過中の個体侵食を確認。軽微。日本圏接触開始。
記録主体:Archive 状態:稼働中




