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第203話「トールの退屈」
前線は静かだった。
トールにとって、静かな前線ほど居心地の悪いものはない。戦うべき相手がいない。守るべき境界は揺れているが、殴れるわけではない。霧のようなものと対峙している、と誰かが言った。正確だと思う。だからこそ腹が立つ。
沿岸の塔に三日いる。海を見ている。海は変わった色をしている。変わったというのは悪化したという意味ではなく、以前の色が思い出せないという意味だ。昨日、側近の一人が「この海、もともと何色でしたっけ」と言った。誰も答えられなかった。トール自身も。
それが侵食の仕方だ、とは分かっている。急に奪わない。徐々に、昨日と今日の差が分からないくらいゆっくりと、何かが消えていく。
だから殴れない。怒りの向け先がない。
トールは欄干を叩いた。石が少し欠けた。欠けた石を見て、少しだけ気が楽になった。それくらいしかできることがなかった。
観測層:第3層
記録単位:前線状態
対象神話:北欧
対象個体:トール
信仰量変動:−1.4%
備考:高位神の行動抑制状態が継続。戦意は保たれているが対象不在。
記録主体:Archive 状態:稼働中




