第8話 レスタルム薬師会本部
ポーションと言っても、世の中には様々な種類がある。
こういう話をすると、たいていの人間は「回復薬だろ」と一言で済ませようとする。それは最初にも述べた通りだが、実は俺も昔はそうだった。傷口にかければ血が止まる赤いやつ。疲れた時に飲むと足取りが少し軽くなる黄色いやつ。毒蛇に噛まれた時、慌てて栓を抜く緑っぽいやつ。冒険者が腰の革袋に何本か差していて、魔獣に殴られたあとで「まだいける」と言いながらぐいっと飲む、あの小瓶。
まあ、間違いではない。
実際、酒場で若い冒険者が「昨日はポーションを二本も使ったぜ」と得意げに語っている時のポーションは、だいたいその手の回復薬である。村の子どもに聞いても似たような答えが返ってくるし、畑仕事で鎌を滑らせたおっさんが駆け込んでくる時も、求めているのは傷を塞ぐ薬だ。
けれど、それだけで片づけようとすると薬師に怒られる。
ポーションという存在は、大きく分ければ「魔法薬」や「魔力処理された薬品」に該当するものと考えていい。普通の薬草煎じと違い、素材そのものに含まれる魔力や、精製の途中で薬師が流し込む魔力、火加減、抽出時間、混ぜる順番なんかによって効果を発現させる代物だ。飲むだけではなく、傷口に塗るものもあれば、布に染み込ませて患部に巻くものもある。蒸気にして吸わせる薬もあるし、浴びるだけで皮膚の熱を下げるものまである。
つまり、小瓶に入っているからといって、全部ぐいっと飲めばいいわけではない。
実際、昔の俺は外用の鎮痛ポーションをうっかり飲みかけて、村の爺さん薬師に耳を引っ張られたことがある。あれは苦かった。薬ではなく説教が。
問題は、その下側にある“分類”だ。
これがまあ、気が遠くなるほど多い。
怪我を治す回復系ひとつ取っても、浅い切り傷を塞ぐもの、血止めを早めるもの、打撲の腫れを引かせるもの、骨のつながりを助けるものがある。毒を打ち消す解毒系も、蛇毒、魔獣毒、腐った食べ物に当たった時の腹下し用、呪いに近い魔性毒用では、使う素材も煮込み方もまるで違う。
病み上がりの体に力を戻す滋養系、痛みを和らげる鎮痛系、魔力の巡りを整える魔力補助系、筋力や反応速度を一時的に上げる身体強化系、不安や興奮を鎮める精神安定系、暗闇で目が利くようにする感覚強化系、寒さや暑さに強くなる耐性付与系。さらに、裂傷や骨折に特化した外傷処置系、胃や肺や肝の不調を見る内臓治療系、魔術師が術式を組む時に魔力の暴走を抑える術式補助系なんてものまである。
そこまでは、まだ分かる。
人は怪我をするし、毒にやられることもある。疲れることはもちろん、寒がったり暑がったり、魔力の巡りがおかしくなることもある。だから薬が必要になるんだ。理屈としては納得できるし、俺みたいな見様見真似の薬師でも、そういう需要があることくらいは分かる。
だが、ポーションの世界はそこで止まらない。
乾いた魔草を柔らかく戻す素材処理用、作物の根張りをよくして実つきを増やす農業用、牛や馬の腹具合を整える獣医用、鍛冶場で焼けた金属の冷却を安定させる鍛冶補助用、神殿で香炉や聖水に混ぜる儀式用。香料に近いものもあれば、保存剤に近いものもある。瓶に一滴落とすと中身の腐敗を遅らせるもの、革鎧のひび割れを防ぐもの、インクのにじみを抑えるもの、夜道で瓶そのものがぼんやり光るだけのもの、そして飲むと髪が一時的につやつやになるだけのものまである。
最後のやつは本当に必要なのかと思う。
必要なのだろうな。
世の中には、髪のつやに命を懸ける人間もいる。俺には分からない世界だが、王都の貴族あたりなら、魔獣討伐用の回復薬より、そちらに金貨を積むかもしれない。
タイプとしてのカテゴリーだけで、本が一冊できるくらいの量があるんだ。
いや、一冊では足りないかもしれない。王都の薬師学院には「基礎ポーション分類論」という分厚い本があると聞いたことがあるが、あれは上下巻に分かれていて、さらに応用編や補遺まで含めると棚ひとつ埋まるらしい。基礎と名がついているくせに、机に置けば端がしなるほど重く、うっかり足の上に落とせば骨折の原因にもなるとかならないとか。あれを毎日持ち歩いて講義を受ける学生は、それだけで腕力が鍛えられるに違いない。
中身もまた凄まじい。
回復系ひとつ取っても「外傷回復・軽度」「外傷回復・重度」「慢性損傷回復補助」などと細かく分かれ、その中でさらに「血液凝固促進型」「組織再生促進型」「痛覚遮断併用型」などと枝分かれしていく。解毒系も「有機毒」「無機毒」「魔性毒」「呪詛混入毒」と分類され、それぞれに推奨される中和素材や煮沸温度、魔力の通し方までびっしり書かれているらしい。ページの端には小さな文字で「※この配合は過去に爆発事故あり」とか「※過剰摂取で幻覚症状」とか、読むだけで不安になる注意書きが並んでいると聞く。
そこまで細かく分類しなければならない理由も、理屈としては分かる。
同じ「効く薬」でも、どう効くかで結果が変わる。血を止めるだけでいいのか、肉を再生させるのか、痛みを感じさせないことが優先なのか。毒だって、打ち消す対象を間違えれば逆に症状を悪化させる。魔力に関わるものに至っては、流れを整えるのか、増幅するのか、遮断するのかで扱いがまるで別物になる。
分かる。分かるが。
そこまできっちり把握して調合できる気がしない。
俺があの本を手に取ったら、三ページ目で眠くなり、五ページ目で意識が飛び、起きた頃には本が顔に落ちてきて痛い思いをする未来が見える。だから読んでいないし、今後もたぶん読まない。
そして、分類以上に厄介なのがポーションの“素材”だ。
薬草ひとつでも、朝露を含んだものと日が昇って乾いたものでは性質が変わるし、同じ種類でも生えている土地の土質や水の流れで効き目に差が出る。魔草に至っては、近くに魔力の溜まり場があるかどうかで別物になることすらある。森の奥で採れたものと街道沿いのものでは、見た目が同じでも中身が違うのだ。
動物由来の素材も面倒だ。
魔獣の角は削り方で効力が変わるし、牙は抜いた直後でないと毒性が抜けすぎる。鳥の羽は種類ごとに魔力の通しやすさが違い、魚の胆は時間が経つと急速に劣化する。虫に至っては、季節で成分が変わるものまでいるらしい。
鉱石や液体も例外ではない。
鉱石粉は粒の細かさで反応速度が変わり、精霊水は汲んだ場所と時間帯で性質が変わる。夜露などは月の満ち欠けで効果が揺らぐと言われているし、井戸水ですら、深さによって微妙に魔力の含み方が違うと聞く。
そして、スライムの粘液。
これもまた、単純なようでいて奥が深い。
個体差、色、粘度、採取のタイミングで質が変わる。雨上がりのやつは水気が多く、日向に長くいたやつはやや濃い。小さい個体は扱いやすいが量が少なく、大きいやつは量は取れるが不純物も増える。俺は長年こればかり相手にしてきたから感覚で分かるが、初めて触る人間にはただのぬるぬるした何かにしか見えないだろう。
知られている素材だけでも数万、組み合わせまで含めれば際限がない。
だからこそ学院では何年もかけて学ぶのだろうし、だからこそ俺みたいな見様見真似の薬師は、分かる範囲だけでやっていくしかない。
……まあ、その「分かる範囲」が、最近どうもおかしいことになっている気もするのだが。
今の俺の心のうちを本職の薬師に聞かれたら、たぶん怒られる。
いや、怒られるだけで済めばいいほうかもしれない。「薬を作る者としての自覚が足りない」と説教され、「基礎分類論から学び直せ」と分厚い本を渡され、ついでに「スライム素材の扱いについて詳しく聞かせろ」と別室に連れていかれる可能性まである。
これから行く場所は、その薬師がたくさんいる場所だ。
しかも、ただの薬師ではない。登録された調合師、鑑定師、研究者、毒物管理官、学院帰りの若い秀才、地方の治療院とつながりを持つ偉い先生たち。そういう連中が、建物の中を当たり前の顔で歩いている場所である。
「見えてきましたよ。あれがレスタルム薬師会本部です!」
リタが前方を指差した。
俺はその指の先を見て、思わず足を止めた。
でかい。
商業組合も十分に大きかったが、薬師会はまた別の意味で大きかった。商業組合が「金と物が集まる場所」だとしたら、こちらは「知識と薬と面倒な規則が詰め込まれた場所」という圧がある。建物そのものから、うかつな素人を寄せつけない雰囲気がにじみ出ていた。
白い石で組まれた壁はよく磨かれていて、屋根は淡い緑色。中央には丸い塔が立ち、その上には薬草を模した紋章と、二匹の蛇が杯に巻きつく意匠が掲げられている。正面玄関は馬車が二台並んで通れそうなほど広く、両側には鉢植えの薬草がずらりと並んでいた。見たことのある薬草もあれば、見たことのない葉の形をしたものもある。中には、近づくだけでくしゃみが出そうな粉をまとった草や、葉先が小さく光っている草まであった。
門柱には魔力灯が淡く灯っている。昼間なのに消していないあたり、ただの照明ではなく、何かの結界か消毒か、あるいは虫除けの役目でもあるのかもしれない。建物の左右には別棟が伸び、奥にはガラス張りの温室らしき施設まで見える。さらに裏手には煙突のある棟もあり、そこからは薬草を煮詰めたような、甘いような苦いような匂いが細く流れてきていた。
薬の組織というより、小さな砦である。
「本部って言いました?」
「はい。正確にはグラム地方薬師会レスタルム本部です。王都本会ほどではありませんけど、地方拠点としてはかなり大きいですよ。鑑定部、調合師登録部、研究部、薬草管理部、毒物管理室、教育部、治療院連携窓口、素材保管庫、あと少し離れたところに実験温室があります」
「多いですね」
「ポーションの種類が多いですから!」
「その理屈は分かるような、分かりたくないような」
正面玄関の前では、白衣を着た薬師たちが忙しそうに出入りしていた。籠いっぱいの薬草を抱えた若者が駆け込み、木箱に詰めた瓶を二人がかりで運ぶ職員がそれを避け、巻物をくわえたまま走る見習いらしき少年が誰かに怒鳴られている。入口脇では、老人の薬師が小瓶を光に透かし、液体の色を確かめながら眉間に深いしわを寄せていた。あれはたぶん、怒っているのではなく考えている顔なのだろうが、俺から見ると十分怖い。
掲示板もまた、ただの掲示板ではなかった。
大きな板が三枚も並び、そこに試験日程、素材取引の注意、危険薬品の取り扱い規則、講習会の案内、薬草採取地の立入制限、偽造ポーションへの警告、毒草誤認事故の報告書までびっしり貼られている。文字が小さいし、量が多い。紙の端に赤い印が押されているものなど、見ただけで面倒な気配がする。
…それにしても、やはり情報量が多い。
レスタルムは全体的に情報量が多すぎる。
エルムホルン村なら、掲示板に貼られるのは「橋の修理」「祭りの準備」「羊が逃げました」くらいだ。たまに「羊、見つかりました」が追加される。実に平和で分かりやすい。
それに比べて、薬師会の掲示板には「低温魔力抽出講習」「毒草誤認事故について」「魔核由来ポーション保存基準改定案」「三級調合師実技試験の再評価基準」「未登録薬液の市場流通に関する注意喚起」などと書かれている。
羊のほうがよかった。
「ロイドさん、行きましょう」
「今、帰る選択肢は」
「ありません!」
「元気に封じるな」
リタに促され、俺は薬師会の中へ入った。
外から見ても大きかったが、中はそれ以上だった。玄関ホールは広く、天井は二階分どころか三階分はありそうな高さで、声がわずかに反響する。磨き込まれた石床は淡く光を返し、その表面には円形の魔法陣が重ねるように刻まれていた。幾何学模様の中に小さな文字がびっしりと並んでいるあたり、ただの装飾ではない。足を踏み入れた瞬間、靴底にわずかな抵抗を感じたので、おそらく浄化と防汚、ついでに外から持ち込まれた毒素や魔力の残滓を削ぐ術式でも組み込まれているのだろう。
空気も外とは違う。
薬草を刻んだ青い匂いに、消毒用のアルコールの刺激、さらにどこかで煮詰めているのか甘い樹液のような香りが混じっている。鼻に残るが、不快ではない。ただ、長時間いれば頭がぼんやりしてきそうな、そんな濃さだ。
受付は正面に横長のカウンターがあり、五つほどの窓口に分かれていた。それぞれに白衣の職員が座り、書類を受け取ったり、瓶を検めたり、来訪者の質問に淡々と答えている。奥では別の職員が帳簿をめくり、何やら数字を確認していた。右手には待合用の長椅子が並び、左手には簡単な仕切りで区切られた相談スペースがある。そこでは顔色の悪い男が何かを訴え、職員が真剣な顔で話を聞いていた。
壁には大きな案内板が掛かっている。
木製の板に焼き付けるように文字が刻まれ、その横に小さな矢印と簡単な地図が添えられている。ぱっと見ただけでも行き先が多すぎて、どこを見ればいいのか一瞬迷う。
鑑定受付。
資格登録。
素材持込。
調合依頼。
調合事故相談。
毒物管理。
治療院連携。
研究部受付。
講習申込。
ざっと目に入っただけでもこれだ。まだ下のほうに続きがある。
「初めての方は鑑定受付か総合窓口ですね」
リタが慣れた様子で言う。
慣れているのが怖い。
それぞれの窓口の前には小さな札が立っていて、現在対応中の内容が簡単に書かれていた。「魔獣毒の簡易鑑定」「三級調合師登録更新」「素材等級確認」「異臭発生液体の処理相談」など、読むだけで軽く不安になる単語が並んでいる。
特に目を引いたのがこれだ。
調合事故相談。
相談、という言葉で少し柔らかくしているが、要するに「やらかした人の駆け込み先」である。瓶が爆発した、煙が出た、変な色になった、飲んだら倒れた、そういう類の何かが日常的に起きているからこそ、わざわざ窓口が用意されているのだろう。
「調合事故って、よくあるんですか」
「ありますよ。鍋が泡を吹いたり、瓶が割れたり、煙が出たり、飲んだ人の髪が一晩だけ紫になったり」
「最後のは事故なのか」
「本人が望んでいなければ事故です」
「なるほど」
受付の女性にクラウスの紹介状を渡すと、すぐに奥へ通された。商業組合でも似たような流れだった。青ぷよ薬房という名前は、どうも変なところで通りがいい。
通されたのは、鑑定部と書かれた区画の奥にある待合室だった。
部屋は思っていたより広く、壁際には背の高い棚がいくつも並び、その一つ一つに小さなガラス瓶が整然と収められている。瓶の中には粉末状の鉱石、乾燥した草、液体に浸された何かの器官、見ただけで舌がしびれそうな色の粘液などが入っていて、それぞれに細かいラベルが貼られていた。どう見ても素人が軽い気持ちで触っていい代物ではない。
部屋の中央には来客用らしい長椅子と低い机が置かれており、その机の上にも数冊の分厚い記録帳と、注意書きの札がいくつか並んでいる。
壁に目をやると、やけに主張の強い文字で書かれた掲示がいくつも貼られていた。
「鑑定結果は必ずしも希望する評価を保証しません」
「未登録薬品の試飲は禁止」
「危険反応を示す素材は事前に申告してください」
……未登録薬品の試飲禁止。
その一文だけ妙に生々しい。
普通に考えれば、見たこともない液体をその場で口にするなど正気の沙汰ではない。しかしこうしてわざわざ注意書きとして貼られているということは、実際にやる人間がいるということだ。
薬師というのは、そういう生き物なのだろうか。
いや、たぶんそうなのだろう。
俺はふと視線を逸らした。
思い返せば、自分でもやった覚えがある。試作品を水で薄めて、匂いを確かめるつもりが、そのまま一口いってしまったことが何度かある。あの時はたしか、妙に体が軽くなったと思ったら、そのあと半日くらい妙に落ち着かなくなって――
……まあ、細かいことは思い出さないほうがいい。
人のことをどうこう言える立場ではないのは確かだ。
そんなことを考えながら長椅子に腰を下ろしていると、奥の扉の向こうで、何か硬いものが触れ合うような音がした。ガラスか、金属か。鑑定器具の類だろうか。ここに並んでいる素材の数を考えれば、奥にはもっと厄介なものが山ほどあるに違いない。
やがて控えめなノックのあと、扉がゆっくりと開いた。
現れたのは、背の高い女性だった。
年の頃は三十代の半ばあたりだろうか。無駄のない動きで一歩踏み出し、こちらへ視線を向ける。その仕草だけで、この部屋の主が誰なのかははっきり分かった。
薄紫の髪を後ろでまとめ、白衣の上から深緑のケープを羽織っている。ケープの縁には細かな刺繍が施されていて、ただの研究員ではなくそれなりの地位にあることがうかがえた。指にはいくつもの細い指輪がはめられており、そのどれもが魔力を帯びているのが素人の俺でもなんとなく分かる。
目元は涼しげで、表情そのものは落ち着いている。
だが――
こちらを見据えるその瞳だけが、やけに鋭かった。
まるで素材の価値を測るように、あるいは中身まで見透かそうとするように、静かに、そして容赦なく。
「あなたが青ぷよ薬房のロイドさん?」
「はい。店主のロイドです」
「私はセレーナ・ヴァイス。レスタルム薬師会鑑定部の主任をしているわ」
主任。
また主任。
この街では主任がよく出てくる。
セレーナは俺の持っている鞄に目を向けた。
「噂には聞いているわ。辺境の村で、スライム素材のポーションを妙な価格で売っている店があるって」
「妙な価格」
「銅貨八枚でしょう?」
「はい」
「本当に?」
「はい」
セレーナは一瞬、笑った。
綺麗な笑顔すぎて、逆に怖かった。
「面白いわね。効果が噂通りなら市場破壊。噂が誇張なら安物売り。どちらにしても放っておけないわ」
「放っておいてほしい気持ちもあるんですが」
「薬師会としては無理ね」
ですよね。
俺は小さく息を吐いた。
「本日は品質鑑定と、販売区分や資格について相談に来ました。商業組合からの紹介状もあります」
「確認しているわ。クラウスさんの紹介状も読んだわよ。『本人は悪意なく常識に欠ける恐れがある』って」
「それ、広めないでもらえますか」
「事前情報として助かるわ」
「助かるんですね」
セレーナは笑い、俺たちを奥の鑑定室へ案内した。
鑑定室は、想像していたよりずっと本格的だった。
中央に魔導鑑定台があり、その周囲に水晶球、秤、試験管、魔力計、温度計、浄化槽、記録用の書架が並んでいる。壁際には小さな炉と冷却箱があり、奥には分厚い扉のついた保管庫があった。床には複雑な魔法陣が刻まれ、部屋全体が白い光で満たされている。
「すごいですね」
「地方本部としては標準よ」
「標準の基準が高い」
「魔法薬の鑑定は、人命に関わるから」
その一言には、軽さがなかった。
薬師会が巨大な組織である理由も、少し分かる気がした。
ポーションは便利だ。冒険者にとって命綱であり、村人にとって治療の助けであり、騎士団にとって戦力を維持する物資でもある。けれど、効き目があるものは、間違えれば害にもなる。粗悪な回復薬で傷が化膿することもあれば、強すぎる強化薬で身体を壊すこともある。解毒剤の配合を誤れば、毒より危険になる場合もある。
だから資格がある。
だから鑑定がある。
だから書類がある。
面倒ではある。
必要でもある。
世の中、必要な面倒が多すぎる。
「では、サンプルを見せて」
俺は鞄から、通常回復ポーション、疲労回復ポーション、解毒ポーション、青スライム粘液、スライム核を取り出した。瓶を鑑定台に並べると、セレーナの表情が少し変わった。
「……見た目は綺麗ね」
「ありがとうございます」
「スライム素材なのよね?」
「はい。主にエルムホルン村近くの青スライムです」
「製法は?」
「魔導核製法です」
セレーナが頷いた。
ここで、俺が作っているポーションの製法について説明しておこう。
俺のポーションは、いわゆる“魔導核製法”と呼ばれる精製法によって作られている。
魔導核製法というのは、外部由来の魔力を抽出し、それを様々な素材や処理を介して魔法薬としての成分に落とし込む作り方だ。外部由来というのは、魔物や魔力を持つ鉱物、植物などに備わっている「魔核」や、それに近い魔力結晶を利用するという意味である。
魔物の体内には、小さな魔力の核がある。
スライムにもある。
普通は小さく、脆く、魔力も弱い。スライムの核なんて、駆け出し冒険者が雑に潰してしまう程度のものだ。けれどきれいに取り出して、余計な濁りを取り除き、薬草や粘液と合わせて温度と魔力の流れを整えると、回復や解毒に使えるポーションの土台になる。
魔導核製法は、無数にあるポーション製法の中でも比較的ベーシックな作り方として知られている。
薬草の成分を魔力で引き出す薬草主導製法。
水や鉱石の性質を媒体にする鉱水製法。
術式を瓶の中に封じる刻印製法。
精霊の加護を借りる精霊滴下法。
他にもいろいろあるらしいが、俺はあまり詳しくない。俺が使えるのは、スライム核を利用した魔導核製法だけだ。理由は単純で、スライムしか安定して狩れないからである。
「魔導核製法なら、核の状態が重要ね」
セレーナはスライム核の瓶を手に取った。
「採取後、どのくらいで処理しているの?」
「その日のうちです」
「洗浄方法は?」
「冷たい井戸水で洗って、薄めた銀葉草液に少し浸けて、濁りが落ち着いたら布で拭きます」
「温度管理は?」
「井戸水の冷たさくらいです」
「数値は?」
「……冷たいな、くらい」
セレーナの手が止まった。
リタが横で目をそらした。
「記録を取りましょう」
セレーナは静かに言った。
「はい」
「必ず」
「はい」
薬師会の静かな圧というのは、本当に質が悪い。
そもそも人が怖いと感じる場面というのは、たいてい分かりやすいものだ。怒鳴られるとか、机を叩かれるとか、理不尽な要求を突きつけられるとか。そういう露骨な圧力ならこちらも身構えられるし、「面倒な相手に当たったな」で心の中に壁を作ることもできる。
しかし薬師会のそれは違う。
会議室はやけに静かで、余計な装飾もなく磨かれた机と背筋の伸びた連中が整然と並んでいる。誰も声を荒げないし、誰も感情を露わにしない。ただ書類をめくる音とペン先が紙をなぞる音だけが、やけにくっきりと耳に残る。
そして、順番に視線がこちらへ向く。
一人ひとりは何も言わない。ただ確認するように、測るように、値踏みするようにこちらを見る。その視線がまるで「お前の価値はここで決まる」とでも言っているみたいで、妙に逃げ場がない。
やがて、淡々とした声で質問が来る。
「この調合工程について、再現性の担保はどうなっていますか」
「素材の個体差に対する補正値は記録されていますか」
「第三者による検証は行われていますか」
どれも正論だ。間違っていることは一つもない。むしろ、薬師としては当然問われるべき内容だろう。だからこそ厄介だ。反論の余地がない問いほど、人間の逃げ場を奪うものはない。
こちらが言葉を選びながら答えると、相手は小さく頷くか、あるいは何も言わずに次の書類へ目を落とす。その一瞬の間が、やけに長く感じる。
評価されている。
判断されている。
そういう実感だけが、じわじわと積み重なっていく。
正直に言って、怒鳴られるほうがまだ楽だ。
怒鳴られれば、こちらも「すみません」と頭を下げてやり過ごせるし、内心で「そこまで言わなくてもいいだろ」と反発する余地もある。相手の感情に対して、自分の感情でバランスを取れるからだ。
だが、この場にはそれがない。
感情がないわけではないのだろうが、表に出てこない。あるのは記録と手順と結果だけだ。良いか悪いか、適切か不適切か、それだけが静かに並べられていく。
そして最後に、結論が告げられる。
短く、無駄なく、逃げ場なく。
その一言で、自分がどこに立っているのかがはっきりする。
だからこそ、薬師会の静かな圧は怖い。
殴られるよりもずっと静かで、ずっと正しくて、そして何より――逃げる理由を一つも与えてくれないのだから。




