第7話 青ぷよ薬房の店主です
ここで少し、この世界の商業の仕組みについて話しておこう。
センターブルーの中部地域では、都市をまたいで商売をする場合、基本的に各地の商業組合へ登録することになっている。小さな村の中で野菜や薪を売る程度なら村長の管理で済む。手作りの小物を市で売る程度なら臨時販売許可で足りる。ところが、魔法薬、武具、魔道具、加工食品、長距離輸送品など、人の命や生活に関わる商品を継続的に売る場合、登録と帳簿の提出が求められる。
理由は単純だ。
粗悪品が出回ると人が死ぬ。
税を取り損ねると都市が困る。
盗品が流れると治安が荒れる。
契約を破る者が増えると商売そのものが信用されなくなる。
商業組合は、そのあたりをまとめて管理する半官半民の組織である。都市の役所と商人たちの共同体の中間みたいなものだ。組合員になれば、取引証明、契約書の保管、仲裁、相場情報、倉庫利用、護衛紹介、職人紹介などが受けられる。代わりに登録料、年会費、取引税、帳簿提出が必要になる。
要するに、守ってやるから記録を出せ、という仕組みだ。
気持ちは分かる。
分かるから面倒なのだ。
俺が受付に近づくと、若い係員の女性が顔を上げた。眼鏡をかけ、髪をきっちりまとめ、指先にインクが少しついている。書類と戦う人間の手だ。
「本日はどのようなご用件でしょうか」
「商業登録と、取引に関する相談を。村長から紹介状を預かっています」
「紹介状ですね。お名前をお願いします」
「ロイド。エルムホルン村の青ぷよ薬房の店主です」
係員の女性は手元の帳面にペンを走らせ、途中で止まった。
「青ぷよ薬房」
「はい」
「青ぷよ薬房のロイド様」
「はい」
「少々お待ちください」
急に丁寧になった。
嫌な予感がした。
係員は奥の扉へ消えた。俺は受付前に立ったまま、周囲の視線を感じた。隣の列の商人がちらっとこちらを見る。公告板の前にいた男も見る。どこかで「青ぷよ」と小さな声がした。
やめろ。
青ぷよという単語を公共の場でざわつかせるな。
しばらくして、奥から年配の男が現れた。
背は高くない。むしろ小柄だ。白髪混じりの髪を後ろへ撫でつけ、細い銀縁眼鏡をかけ、黒い上着を皺一つなく着ている。顔は干し肉のように硬そうで、目だけが妙に鋭い。手には村長の紹介状らしき封筒を持っていた。
「ロイド殿か」
「そうです」
「クラウス・ベンドルだ。このレスタルム商業組合で登録審査と契約相談を担当している」
村長の知人だ。
少し偏屈だが数字に強い、と言っていた男。
見た目からして偏屈そうで安心した。
いや、安心するところではない。
「村長から紹介状を預かっています」
「読んだが、…あの男は昔から説明が足りん」
「そうなんですか」
「『腕は確かだが常識は怪しい。しかし悪人ではない』と書いてある」
「紹介状としてどうなんですか、それ」
「かなり正確なのだろう」
「初対面で断定しないでください」
クラウスは鼻を鳴らした。
「相談室へ来なさい。受付前で青ぷよ青ぷよ言われると騒がしい」
「俺が言わせてるわけじゃないんですが」
「店名をつけたのは君だろう」
「それはそうです」
反論できない。
俺はクラウスに案内され、奥の相談室へ入った。
部屋の中には大きな机、椅子、棚いっぱいの帳簿、壁に貼られた税率表、商業区分表、取引許可の一覧があった。窓際には鉢植えの薬草が置かれている。なぜ商業組合に薬草があるのかと思ったら、よく見ると葉に小さな札が刺さっていて、「水やり忘れ防止」と書かれていた。誰かが何度も枯らしたのだろう。
クラウスは席に着くなり、俺の前に紙を並べた。
「まず、現在の事業内容を説明しなさい」
「エルムホルン村でポーション屋をしています。主にスライム素材を使った回復ポーション、疲労回復、解毒などを作って販売しています」
「販売範囲は」
「元々は村内と近隣の冒険者向けでした。最近は外から客が来るようになって、王都騎士団と仮契約も」
クラウスの眉がぴくりと動いた。
「王都騎士団」
「はい。月八十五本ほど」
「契約書は」
「仮契約の写しなら」
俺は鞄から書類を出した。
クラウスはそれを受け取り、眼鏡を押し上げ、ものすごい速度で読み始めた。紙をめくる手が速い。目も速い。たぶん俺が一行読む間に、彼は三項目くらい問題点を見つけている。
「……悪くはない。騎士団側にしては穏当な内容だ。納期、品質、違約、不可抗力、支払い条件も明記されている」
「そうですか」
「ただし、君の側の供給能力が曖昧すぎる。月八十五本をどう確保するのか、店頭販売分と契約分をどう分けるのか、品質検査をどう行うのか、代替納品が不可能な場合の扱いも詰めるべきだ」
「詰めることが多いですね」
「商売とはそういうものだ」
「俺はスライムを狩って鍋をかき混ぜていただけなんですが」
「それを売って金を得ている以上、商売だ」
正論が来た。
商業組合の正論は、ミーナの正論より少し硬い。
「次に価格だ。商品一覧と現在価格は」
俺は手元の紙を出した。
クラウスは受け取り、数秒見て、動きを止めた。
「通常回復、銅貨八枚」
「はい」
「疲労回復、銅貨十枚」
「はい」
「解毒、銀貨一枚」
「はい」
「君は慈善団体か」
「違います」
「では、なぜこの価格なのだ」
「スライム素材なので」
クラウスは眼鏡を外し、布で拭き始めた。
怒っている時、人は眼鏡を拭くらしい。
「素材の安さと商品の価値は同一ではない」
「よく言われます」
「よく言われて改めないのは、聞いていないのと同じだ」
「耳が痛い」
「痛いなら覚えなさい」
クラウスは紙に数字を書き始めた。
「まず一般的なレスタルム市内の相場だ。低品質回復ポーションで銅貨十五枚から銀貨一枚。標準品で銀貨一枚から一枚半。高品質品で銀貨三枚以上。軍用規格に近いものなら銀貨五枚から八枚。安定供給が可能なら契約価格はさらに別になる」
「うち、銅貨八枚なんですが」
「見れば分かる」
「半額以下ですか」
「品によっては十分の一かもしれん」
俺は黙った。
十分の一。
それは安いというより、何かが壊れている。
「いや、うちのが高品質とは限らないでしょう」
「その確認のために薬師会へ行くのだろう。商業組合としては、品質鑑定前に断定はしない。しないが、君の店の噂と王都騎士団の接触を考えれば、少なくとも低品質品ではない」
「噂って怖いですね」
「噂だけで商売をする者は失敗する。噂を無視して商売をする者も失敗する」
「名言みたいに言うのやめてください。覚えなきゃいけない気がする」
「覚えなさい」
覚えることが増える。
クラウスはさらに説明を続けた。
この地域の魔法薬販売には、大きく分けて三つの区分があるらしい。
一つ目は、村落内の民間薬販売。
村長や自治組織の管理下で、住民向けに簡易な薬や伝統薬を売るもの。規模が小さく、域外販売をしないなら、薬師資格がなくても認められる場合がある。ただし、毒物や強化薬、魔力干渉の強いものは対象外。
二つ目は、登録商店による一般魔法薬販売。
商業組合へ登録し、帳簿を整え、販売品目を届け出る。薬師会の認定品、または認定調合師の責任で作られた商品を扱う必要がある。店主自身が薬師でなくても、雇用薬師や契約薬師が品質責任者になれば営業できる。
三つ目は、軍用、貴族向け、大量供給を含む特定契約販売。
これは品質規格、納品記録、鑑定証明、保管条件、輸送責任、事故時の賠償まで細かく決める必要がある。騎士団との契約はここに近い。
俺は途中から、脳が煮えそうになった。
ポーションより先に俺が煮詰まる。
「つまり、俺はどうすればいいんですか」
「まず商業組合に店舗登録を行い、域外取引を可能にする。次に薬師会で君の商品を鑑定し、販売区分を確認する。君自身が薬師資格を取るか、認定調合師の暫定登録を目指すか、あるいは資格持ちを雇うか決める。騎士団契約は、正式締結前に品質責任と供給条件を明記する。雇用を行うなら職安で労働契約を整える」
「全部ですね」
「全部だ」
「やっぱり帰っていいですか」
「帰っても書類は減らん」
「嫌なことを言う」
クラウスは机の引き出しから数枚の用紙を出した。
「商業登録の申請書だ。書きなさい」
「今?」
「今だ。放置すると君は逃げる顔をしている」
「村長と同じことを言う」
「村長も昔、同じ顔をした」
あの村長、若い頃に何をやったんだ。
俺は羽ペンを持った。
申請書には、店名、所在地、事業内容、主な取扱品、責任者名、年間見込み売上、仕入れ方法、従業員数、倉庫の有無、危険物取扱の有無などを書く欄があった。
店名。
青ぷよ薬房。
正式書類に書くと、いつも以上に破壊力がある。
「……店名、変えたほうがいいですかね」
「今さらか」
「正式書類に書くと、ふざけてる感じが」
「覚えやすいという利点はある」
「本当ですか」
「商売において、名を覚えられることは強い。…覚えやすければいいというものでもないがな」
「最後が余計です」
所在地、エルムホルン村。
事業内容、スライム素材を主としたポーション製造および販売。
主な取扱品、回復ポーション、疲労回復ポーション、解毒ポーション、その他試作品。
「試作品は書くな」
クラウスが即座に言った。
「なぜです」
「書類に『その他試作品』と書く者は、監査で必ずと言っていいほど面倒を起こす」
「そんなに危険ですか」
「危険だ。何を作っているのか聞かれるし、答えられなければそこで止まる。答えたら答えたで、品目追加になるのがオチだ」
「じゃあ、その他調整中の魔法薬」
「もっと怪しい」
「その他」
「曖昧すぎる」
「じゃあ何と」
「現時点では三品目に絞り、追加品は薬師会鑑定後に届け出る」
「なるほど」
書類とは、書きすぎても駄目で、書かなすぎても駄目らしい。
面倒な料理みたいだ。
…塩加減が難しい。
年間見込み売上の欄で手が止まった。
「これは何を書けば」
「直近の売上から概算する」
「最近、急に増えたので当てにならないかと」
「少なく書きすぎると、あとで修正が必要になる。多く書きすぎると税の見込みが重くなる。現実的な中間を取るように」
「現実的な中間が分からないんですが」
「帳簿を出しなさい」
俺はミーナがまとめてくれた帳簿の写しを出した。
クラウスはそれを見ながら、また止まった。
「この売上で、この価格なのか」
「はい」
「値上げしなさい」
「急ですね」
「値上げしなさい」
二回言った。
圧がある。
「常連が困ります」
「常連価格と一般価格を分ける方法もある。村内医療用途、冒険者通常販売、契約納品、卸売り、それぞれ価格を変えるのは珍しくない」
「そんなことしていいんですか」
「むしろ同じ価格にするほうが無理が出る。村の婆さんと王都騎士団に同じ値段で売る必要はない」
「それはそうか」
「君は善意で値段を低くしているつもりかもしれんが、安すぎる商品は市場を壊す。競合店が潰れる可能性もあるし、転売屋が群がる。品質に見合った価格をつけることも商売人の責任だ」
急に重いな。
値段を上げるだけなのに、急に責任の話になった。
俺は今まで、安ければ客が助かると思っていた。実際、村の連中や駆け出し冒険者は助かっていたはずだ。けれどそれを外に広げると別の問題が起きる。転売、買い占め、既存店との摩擦、供給不足。俺の店の前にできた行列が、すでに答えみたいなものだ。
「……考えます」
「考えるだけではなく、決めなさい」
「はい」
「まず薬師会で品質を見てもらえ。その結果次第で価格帯を組む」
「薬師会、怖くなってきました」
「商業組合よりは感情豊かだ」
「それは良いことですか」
「時と場合による」
嫌な言い方だ。
申請書を書き終える頃には、手が疲れていた。釜をかき混ぜるほうがまだ楽だ。クラウスは書類を確認し、いくつか赤で修正を入れた。俺の書いた「スライムを採って作る」が「スライム由来素材の自家採取および精製」に直された。急に賢そうに見えるのはなんでだろうな。書類の言葉というのは、現実を少し偉そうにする力がある。
「仮登録は受け付ける。本登録は薬師会の確認後だ」
「ありがとうございます」
「礼を言うのは早い。次に雇用だ」
「まだあるんですか」
「ある。人を雇うつもりなのだろう」
「はい。村では人手が足りないので、職安で探そうかと」
クラウスは別の紙を出した。
「この都市と周辺地域では、雇用契約にはいくつかの形がある。日雇い、季節雇い、見習い、専門職契約、住み込み。ポーション店の場合、瓶洗い、荷運び、接客は一般職で足りる。薬草の選別や調合補助を任せるなら、守秘契約と安全教育が必要だ。製造手順を扱わせるなら、品質事故時の責任範囲も決める」
「人を雇うって、もっとこう、『働きませんか』『はい』で済まないんですか」
「済ませた者が揉めて、ここに来る」
「なるほど」
「賃金相場も確認しなさい。安く雇えば人はすぐ辞める。高すぎれば店が続かない。住み込みなら食費と寝床の扱いも決める。未成年を雇う場合は保護者の同意がいる」
「分かりました」
「本当に分かっているか」
「今、分かったふりをしました」
「正直なのは美点ではあるが、商売では弱点にもなる」
クラウスはため息をついた。
初対面でため息をつかれる回数が多い。
俺は自分が思っているより、組織の人間を疲れさせるのかもしれない。
その時、相談室の扉が軽く叩かれた。
「クラウス主任、例の港湾倉庫の件で――」
入ってきたのは、赤毛の若い女性だった。二十代前半くらい。動きやすそうな商業組合の制服を着ているものの、腰には短い計算尺と小型のそろばん、背中には書類筒を斜めに背負っている。目がやたら明るい。声も大きい。部屋に入った瞬間、空気が二割ほど騒がしくなった。
彼女は俺を見て、ぱっと顔を輝かせた。
「あっ、もしかして青ぷよの店主さんですか!」
「店主です。青ぷよ本人ではありません」
「わあ、本物だ!」
「だから青ぷよ本人では」
「私、リタ・マイヤーです! 商業組合の流通調査担当です! 噂のスライムポーション、すごく興味あります!」
クラウスが眉間を押さえた。
「リタ、声が大きい」
「すみません、主任! でも青ぷよですよ!」
「彼はロイド殿だ」
「ロイドさんですね! よろしくお願いします!」
リタは勢いよく頭を下げた。
明るい。
まぶしい。
朝の市場より騒がしい。
「流通調査担当って、何をするんですか」
俺が聞くと、リタは待ってましたと言わんばかりに顔を上げた。
「都市間の物資の流れ、需要、価格変動、輸送経路、品不足の兆候を調べる仕事です。最近は魔法薬の需要が増えていて、特に冒険者向けの回復薬は供給が不安定なんです。レスタルム周辺では中級品以上が高く、低級品は品質がばらついているので、安定した中級品があれば市場がかなり動きます」
「早口ですね」
「よく言われます!」
「褒めてはいません」
「分かっています!」
分かっていてその勢いなら、もう止めようがない。
リタは机の上の申請書をちらっと見た。
「スライム素材が主原料なんですね。面白いです。スライム素材は安いけど、採取状態で価値がかなり変わりますし、低魔力素材だからこそ薬草の性質を邪魔しにくいという説もあります。問題は純度と保存性ですけど、噂が本当ならそこを解決している可能性があって――」
「リタ」
クラウスの声が低くなった。
「すみません、主任!」
リタは口を閉じた。
三秒後に開いた。
「サンプルってありますか?」
「ありますけど」
「見たいです!」
俺はクラウスを見た。
クラウスはため息をついた。
「薬師会で鑑定する前にここで騒ぐな」
「騒ぎません。見ます」
「君の見るは騒ぐの前段階だ」
「主任、信用してください」
「信用しているから止めている」
この二人、付き合いが長そうだ。
俺は鞄から小さなサンプル瓶を取り出した。通常回復ポーションの見本と、未加工の青スライム粘液、核の小片。机に置くと、リタの目がさらに輝いた。
「わ、透明度が高いですね。粘液の濁りが少ない。核片も割れがほとんどない。採取道具は何を使っているんですか?」
「普通のナイフです」
「普通のナイフで?」
「はい」
「保存処理は?」
「採った日に洗って、魔力を落ち着かせて、瓶に入れてます」
「魔力を落ち着かせるって、具体的には?」
「こう、濁りが沈むまで待つ」
リタが固まった。
クラウスも固まった。
俺は嫌な汗をかいた。
また何か言ったか。
「……感覚派ですね」
リタが小さく言った。
「悪い意味ですか」
「研究者が頭を抱える意味です!」
「悪い意味じゃないですか」
「良い悪いではなく、記録が必要です。温度、時間、採取後の経過、容器、魔力濃度、周辺環境、全部記録すると再現性が見えます」
「再現性」
「商売を広げるなら大事です」
クラウスがうなずいた。
「リタの言う通りだ。君の製法が職人芸の範囲にあるなら、規模拡大の限界が早く来る。人を雇うなら、教えられる形にしなければならない」
「教えられる形……」
俺は考え込んだ。
俺は今まで、感覚で作っていた。鍋の泡、匂い、色、粘度、魔力の揺れ。言葉にすればそれっぽいが、実際は「このくらい」「まだ少し早い」「もういいな」という勘に近い。自分一人ならそれでいい。ミーナに瓶洗いや帳簿を任せるだけなら問題ない。けれど、調合補助を雇うなら、それでは通じない。
人を増やすというのは、仕事を分けるということだ。
仕事を分けるには、仕事を言葉にしなければならない。
またやることが増えた。
「店主さん、顔が引き攣ってます!」
リタが言った。
「最近、初対面の人にも顔で読まれるんだが」
「分かりやすいです!」
「そこは少し遠慮してくれ」
リタは笑った。
明るい子だ。
苦手ではない。
少し疲れるだけだ。
クラウスは書類をまとめ、俺に控えを渡した。
「本日の時点でやるべきことは三つ。商業仮登録の完了、価格見直しのための市場調査、薬師会での品質鑑定。雇用はその後でもよい。焦って人を入れるより、先に業務を整理しなさい」
「分かりました」
「薬師会へ行くなら、紹介状はあるか」
「村長からは商業組合宛てだけです」
「なら、こちらで一筆書く」
クラウスは短い紹介状を書き始めた。
ありがたい。
ありがたいが、そこに何を書かれるのか少し怖い。
「内容、見ても?」
「見てもよい」
渡された紙には、こうあった。
――エルムホルン村青ぷよ薬房店主ロイド殿。民間調合によりスライム素材を主としたポーションを製造販売。商業登録手続き中。品質および販売区分の確認を求む。本人は悪意なく常識に欠ける恐れがあるため、説明は具体的に行われたい。
「悪意なく常識に欠ける恐れ」
俺は読み上げた。
「事実だ」
「もう少し柔らかくなりませんか」
「柔らかくすると伝わらん」
「紹介状って、相手を助けるためのものですよね」
「助けている。先方にも君にも」
反論しづらい。
リタが横からのぞき込み、笑いをこらえていた。
「笑うなら笑え」
「すみません、ちょっとだけ面白いです」
「ちょっとで済むか?」
「かなり面白いです」
正直でよろしい。
…いややっぱりよろしくない。
クラウスは最後に、レスタルムの商業構造についてもう少し説明してくれた。
この街では、川港を通る商品には港湾税がかかる。街道から入る荷には門税がかかる場合がある。都市内の店舗販売には売上に応じた商業税があり、域外へ出荷する場合は取引証明が必要になる。魔法薬は偽造や粗悪品を防ぐため、一定以上の規模になるとロット番号、製造日、製造責任者を記録するのが望ましい。
ロット番号。
製造日。
責任者。
俺のポーションが急に立派な商品みたいになってきた。
今までは、棚に並べた順に売っていただけだ。ラベルも「回復」「疲労」「解毒」くらいしか書いていない。製造日はミーナが帳簿につけ始めてくれている。ロット番号なんて考えたこともなかった。番号をつけられたポーションが棚に並ぶ姿を想像すると、青ぷよ薬房が少しだけまともな店に見える。
いいことなのか。
少し寂しい気もするが…
「君の店は、今後このまま小規模で続けることもできる」
クラウスは静かに言った。
「ただし、需要が増え続けるなら、規模を制限する仕組みが必要だ。販売日を絞る、予約制にする、契約分を優先する、常連枠を設ける。逆に拡大するなら、人手、設備、登録、品質管理、価格、すべてを整える必要がある。中途半端が一番危ない」
中途半端…か。耳が痛いな。
俺の人生はだいたい中途半端だった。冒険者になりたかったけれど向いていなかった。薬師になったわけではないのにポーションを作っている。商売人として野心があるわけではないのに店は繁盛している。けれど今はその中途半端な場所に、人が並び、契約が来て、書類が積まれ始めている。
腹を決める必要があるのかもしれない。
大きくするのか。
小さく守るのか。
俺はまだ答えを出せない。
「……俺は、静かに暮らしたいだけなんですが」
「静かに暮らすには、静かに暮らすための制度がいる」
クラウスは淡々と言った。
また名言だ。
この人、商業組合に置いておくには惜しいくらい、嫌なところを突いてくる。
「まず薬師会へ行け。鑑定結果が出なければ、価格も登録区分も決めきれん」
「分かりました」
「リタ、彼を薬師会まで案内しなさい」
「はい!」
「え、案内してくれるんですか」
「薬師会、初めてだと入口が分かりにくいんですよ。あと、変な薬売りの路地に入ると面倒なので」
「変な薬売り」
「『飲むだけで運命の相手に出会える恋愛ポーション』とか売ってます」
「効くんですか」
「飲んだ人が腹を下して治療院で看護師さんに出会った例はあります」
「運命の解釈が雑すぎる」
俺は書類の控えと紹介状を鞄にしまった。
相談室を出る時、クラウスが最後に言った。
「ロイド殿」
「はい」
「商売は、品を売るだけではない。信用を売り、継続を売り、責任を引き受けることでもある。君の品が本当に評判通りなら、君が思う以上に多くの者が関わる。面倒から逃げるなとは言わん。逃げ道も設計しなさい」
「逃げ道も設計」
「完全に逃げると破綻する。逃げる余地がないと君が潰れる」
「……覚えておきます」
今度は本当に覚えたほうがよさそうだった。
商業組合の建物を出ると、朝よりもずいぶん日が高くなっていた。
石造りの重たい扉を背にして外へ出た瞬間、こもっていた空気が一気に抜けて、代わりに広場の熱気と光が押し寄せてくる。さっきまで紙とインクと規則に囲まれていたせいか、外の空気が妙に軽く感じられた。
中央広場は、朝よりさらに賑わっている。
噴水の周りでは子どもたちが水しぶきを上げながら走り回り、その横を縫うようにして荷馬車が市場のほうへ入っていく。御者が怒鳴り、商人が手を振り、通りの端では布を広げた露店が客を呼び込んでいる。城壁の上では衛兵が交代の合図を受けて持ち場を入れ替えており、槍の穂先が陽に反射してちらりと光った。
視線を少し遠くへ向けると、ライン川が見える。
白い陽射しをまとった水面がきらきらと揺れていて、その上を荷船がゆっくりと行き交っている。あの流れに乗って、物資も、金も、噂も、この街へ流れ込み、また別の場所へ運ばれていくのだろう。
レスタルムという都市は、戦の砦から商売の街へ姿を変え、今もこうして人と物と金を流し続けている。
その流れの中へ、〈青ぷよ薬房〉なんてふざけた名前の小店が、どうやら片足を突っ込んでしまったらしい。
……いや、片足どころか、膝くらいまで入っている気もする。
「それじゃあ、薬師会へ行きましょう!」
隣でリタが、やけに明るい声を出した。
振り返ると、さっきまで商業組合の中で書類をやり取りしていたとは思えないくらい元気な顔をしている。ああいうのは才能だと思う。
「元気ですね」
思ったままを口にすると、
「仕事ですから!」
と、間髪入れずに返ってきた。
「俺はすでに疲れました」
正直な感想を漏らすと、
「まだ午前ですよ!」
と、これまた即答だ。
「それが信じられない」
体感では、もう夕方くらいの気分なんだが。
書類を三枚書いただけで一日分の労力を使った気がするのは、たぶん俺の適性の問題だろう。
リタはそんな俺を見て、小さく笑いながら続けた。
「薬師会は商業組合より濃い人が多いので、頑張ってください!」
「今、帰りたくなる情報をさらっと言いましたね」
思わず足が止まりかける。
「大丈夫です。たぶん」
「たぶんは大丈夫じゃない時に使う言葉だ」
「でも面白いですよ?」
「俺は面白さより平穏がほしい」
リタは楽しそうに肩を揺らし、そのまま先に歩き出した。
完全に逃げ場を断たれた形で、俺はその後を追う。
鞄の中には、さっき受け取った商業仮登録の控え、クラウスの紹介状、念のために持ってきたポーションのサンプル、そしてスライム素材の瓶がいくつか入っている。歩くたびに、瓶同士がかすかに触れ合って音を立てた。
頭の中は、それ以上にうるさい。
価格設定、登録手続き、税金、雇用の形、品質管理、ロット番号、納品ルート、そして逃げ道の設計――慣れない単語がぐるぐると回って、うまく整理できない。
書類仕事という魔物は、やっぱりスライムより手強い。
あっちは斬れば終わるが、こっちは終わったと思ったところから増えていく。
しかも倒しても素材にならない。
何の旨味もない。
俺は歩きながら、ふと空を見上げた。
雲ひとつない青空だ。
こんな日は、森に入ればスライムがよく出る。採取にはもってこいの天気だ。釜に火を入れて、いつもの手順でポーションを作って、夕方には店を閉めて――そんな一日を過ごしていたはずなのに。
心の中で、小さくつぶやく。
俺はただ、静かにポーションを作って暮らしたいだけなんだ。
それなのに今日は、商業組合を出た時点で、すでに一日分の冒険を終えた気分である。
そして、その先にまだイベントが控えている。
薬師会。
できれば普通に鑑定して、普通に説明して、普通に終わってほしい。
余計な演出はいらない。
頼むから誰も震えたり、叫んだり、急に偉い人を呼びに走ったり、その場で会議を始めたりしないでほしい。
俺のそんな願いを知ってか知らずか、リタはくるりと振り返り、満面の笑みで言った。
「ロイドさんのポーション、薬師会の人たち、絶対大騒ぎしますよ!」
言うな。
頼むから、そういう予言は口に出すな。




