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第38話 王都からの商談



午後は閉店札を出している。もっとも、常連なら表の札などろくに見ずに裏口へ回って声をかけるし、村人なら扉の前で遠慮なく「ロイドいるかい」と叫ぶので、表の扉を控えめに叩くような音は、だいたい外から来た人間のものだ。ミーナが店側へ向かい、少しして戻ってきた時、その表情はいつもの柔らかい明るさよりも少しだけ引き締まっていた。


「店主さん、王都のマルセル商会からお客様です。前に来たマルセルさんご本人ではなく、番頭さんだそうです」


「王都から?」


俺は思わずアイスと顔を見合わせた。


アイスはすでに講座用の紙をきっちり揃え、端を揃えて片づけ始めていた。切り替えが早い。俺の頭はまだ基材受容性だの魔力保持率だのの沼に片足を取られているというのに、彼女の目はもう完全に商談観察用の冷静なものへ変わっている。


店へ出ると、そこには二十代半ばほどの男が立っていた。くしゃりと跳ねた黒髪に、渦を巻いたような丸眼鏡、首元には妙に大きな黒い布をぐるぐる巻き、灰色のシャツに黒い吊り紐という格好で、商会の番頭というより王都の奥で怪しい帳簿と古書を相手に夜更かししている研究者に見える。口元には細い煙草のようなものを咥えているが、煙の匂いは薄く、身なりも清潔で、持っている革鞄にはきちんとマルセル商会の印が入っていた。以前来たマルセル本人が、人好きのする笑顔で相手の懐へ滑り込む商人だとすれば、この男はまるで逆だ。笑顔で距離を詰めるより、数字の齟齬や契約書の余白に潜む罠を見つけて、眼鏡の奥から静かに刺してくる種類の人間に見えた。


「閉店中に、しつれい。……マルセル商会王都本店、番頭補佐のレオナール、と申します。ロイド様、で相違ありませんかねえ」


「ロイドでいい。様はいらん」


「承知しました、ロイド様。敬称を外す件については前向きに検討します」


「外す気がなさそうだな…」


レオナールは薄く、けれど妙に癖のある笑みを浮かべた。冗談を理解したのか商人の礼儀として聞き流したのか、それとも最初からこちらの反応を帳簿の端にでも記録しているのか、判定が難しい。


「本日は当主マルセルより正式な商談の打診を預かって参りました。以前のような店頭在庫の買い取りではなく、王都で進んでいる共同調達の試験枠に関するお話です」


レオナールはそう言いながら、まるで天気の話でも始めるかのような落ち着いた口調を崩さなかったが、その内容はどう考えても天気どころではなかった。


「共同調達?」


俺が聞き返すとレオナールは静かに頷き、革鞄の留め具を外した。中から取り出されたのは数枚の書類だったが、その動作には無駄がなく、紙の端が揃う音まで妙に整っている。机の上へ並べられた書類はどれも厚みのある上質紙で、角の折れ一つ見当たらない。見るからに金がかかってそうな匂いがした。


…嫌な予感がした。


経験上“良い紙”というものは良い知らせを運んでこない。いや、正確には良い話である場合もあるのだが、その代わりに責任や契約や数字や判子といった面倒事を大量に連れてくるのが相場として決まっている。紙質が高級になるほどそこに書かれている金額も高くなり、求められる覚悟も重くなる傾向があるのだ。冒険者時代の依頼書は安い紙だった。税の通知はやたら紙質が良かった。つまりそういうことである。


「王都外縁部には、冒険者、荷運び人、工房労働者、下級騎士、巡回兵などが利用する中小治療院が複数ございます。高級治療院や貴族向け医療施設と違い、常に高級ポーションを備蓄する余裕はありませんが、魔物被害や工房事故、街道護衛中の負傷などに対応するため、一定品質以上の回復薬を継続的かつ安定的に確保したいという需要が存在しております」


レオナールは説明しながら一枚の資料をこちらへ向けた。


「それは分かる」


俺は素直に頷いた。


王都の外側には人が集まるのは、言わずもがなだ。仕事を求める者、護衛を請け負う者、荷を運ぶ者、工房で働く者、兵として巡回する者。人が集まれば怪我も増えるし、怪我が増えれば薬も必要になる。だが高級薬房の高品質ポーションは値段が張る。常備するには負担が大きい一方で、安価な一般品だけでは足りない場面も確実にある。傷の深い冒険者や魔物に襲われた護衛、工房事故で重傷を負った労働者などには、もう一段上の品質が欲しくなる。


つまり連中は、その中間を探しているのだ。


高級薬房ほど高価ではないが、一般流通品より確実に効く回復薬。


そこへ俺のポーションが引っかかったということなのだろう。


「現在、複数の治療院と救護所が、商会を通じて中級以上の回復薬を共同購入する仕組みを検討しております。単独では負担の大きい仕入れを共同化することで価格を安定させ、商会が各施設へ分配する方式です。当商会は、その試験運用における候補品の一つとして、青ぷよ薬房製の一般冒険者向け回復薬、および高純度回復薬を少量納入いただきたいと考えております」


そう言ったレオナールの声色は終始変わらなかったが、俺にはその言葉の意味が十分すぎるほど理解できた。


これは単なる買い取りの話ではない。王都の流通網へ、青ぷよ薬房の名前が乗るかもしれないという話だった。


「少量って、どれくらいだ」


俺が警戒半分に尋ねると、レオナールは事前に予想していた質問だったのか、手元の資料を一枚めくりながら即座に答えた。


「初回は三十本です。一般冒険者向け回復薬二十本、高純度回復薬十本。納期は二十日後。納入先はマルセル商会王都本店倉庫、使用先は王都南外縁治療院組合の試験枠となります。通常販売を目的とした流通ではなく、実際の医療現場における使用評価を取得するための試験納入です」


その数字を聞いて、俺は思わず頭の中で計算を始めた。


“月五百本”などという聞いた瞬間に胃が裏返りそうになった騎士団の話に比べれば、三十本という数字はずいぶん現実的だった。もちろん楽ではないが、不可能ではない数字だ。騎士団分と店頭分を圧迫しすぎないように調整し、仕込み日を少し詰め、素材の選別を厳しくすれば何とかなるかもしれない。


…しかし、だからこそ怖い。


あまりにも無茶な条件なら「無理だ」の一言で断れるのだが、ぎりぎり届きそうな面倒事というやつは一番断りづらい場所に置かれている。しかも今回の話は商会が俺を試しているだけではない。王都の治療院が青ぷよ薬房の薬を「売れる商品」としてではなく、「医療現場で使えるかどうか」という目で見ようとしているのだ。つまり効きが強いとか評判がいいとかいう曖昧な話ではなく、怪我人の経過、再発、疲労の残り方、魔力循環への影響まで含めて現場の数字で測られる可能性があるということだ。マルセル商会としてもいきなり大量契約を持ちかけて失敗するより、まずは小さく流して評価を取り、治療院側の反応を見てから本格的な取引へ進めたいのだろうし、こちらとしても断るには少々惜しく、受けるには少々重い、実に商人らしい位置に餌を置かれている気がした。


「条件を聞いても?」


横からアイスが口を挟んだ。


レオナールは一瞬だけ彼女へ視線を向け、その佇まいや言葉の選び方から薬師会関係者だと察したのか、眼鏡の奥の目をわずかに細めてから、丁寧に頭を下げた。


「もちろんです。第一に、薬師会、またはレスタルム薬師会鑑定部による品質確認書の写し。第二に、製造日、ロット番号、使用素材区分の記録。第三に、瓶および栓の規格統一。第四に、納品後十日以内に現場評価報告を当商会より共有。第五に、今回の試験納入に限り、王都での独占販売権は要求いたしません」


「今回に限り、という言い方が嫌だな」


俺がそう言うと、レオナールは口元だけでわずかに笑った。大きく笑うタイプではないらしい。表情の変化が少ないので分かりづらいが、それでも今のは商談用の愛想笑いではなく、本心から少し面白がったように見えた。


「正直に申し上げますと、試験結果が良好であれば、次段階として優先交渉権をいただきたい、というのが当商会の希望です。ただし、独占契約を即座に求めるものではありません。青ぷよ薬房様の生産規模、既存契約、村内販売、薬師会研究枠を圧迫すれば、長期的に見て双方の利益になりませんので」


商人にしては、ずいぶん慎重な言い方だった。


だが少し考えてみれば、それはむしろ当然なのかもしれない。


以前のマルセル本人は、初めて店へ来た時から利益の匂いに素直だった。良い商品を見つければ買う。売れるなら需要のある市場へ流す。商人としては極めて健全な考え方であり、自然なやり方であると捉えることができる。だが、目の前のレオナールは少し違う。こちらの生産能力を超える契約を押しつけても意味がないことを理解しているし、無理な囲い込みが失敗すれば供給そのものが止まることも理解している。そして何より、商会が今見ているのは三十本のポーションではなく、その先にある可能性なのだろう。


考えてみれば、不自然な話ではない。


王都には名の知れた優秀な薬師が数多く存在し、大規模な薬房もいくつも軒を連ねている。さらに、長年かけて築き上げられた強固な流通網まで整っているのだ。


それにもかかわらず王都から遠く離れた辺境の小村にある無名の小さな薬房へ、わざわざ試験納入の話を持ち込んできた。


理由が単に俺のポーションが売れているから――それだけであるはずがない。


実際、騎士団は継続契約への関心を示し、薬師会は品質調査を開始している。高純度回復薬は安定した品質を維持し続けており、何より注目すべきは「スライム素材」という安価な原料からその品質を実現している点だった。


本来、高品質な薬は高価な素材から作られる。


高価な素材を使うからこそ製造コストが上がり、販売価格も高くなる。


それが薬業界における揺るぎない常識だ。


だが、俺のポーションはその常識からわずかに外れている。


もちろん、王都の最高級薬房が秘匿する伝説級の秘薬には及ばない。けれど価格に対する性能比だけを見れば明らかに“異常”らしいのだ。


商会の立場からすれば、その一点だけでも十分に調査する価値がある。


安定供給が可能なら継続的な利益を生み出せる。


製法の再現が可能なら新たな事業として成立する。


さらに薬師会から正式な評価を得られれば、市場そのものが拡大する可能性すらある。


だからこそ彼らは今すぐ囲い込むのではなく、まず見極めようとしているのだろう。


この薬が一時的な偶然の産物なのか、それとも継続して生み出せる確かな技術なのかを。


そして、その判断はおそらく正しい。


なにしろ俺自身ですら、なぜここまで高く評価され始めているのか、その理由をまだ完全には理解できていないのだから。


「価格は?」


その時、ミーナが会話の流れを切ることなく自然に問いかけた。


俺は思わず小さく目を見開く。


「一般冒険者向け回復薬は一本につき銀貨二枚半。高純度回復薬は一本につき銀貨五枚。輸送費および王都内での分配費用は当商会が負担いたします。また瓶につきましては、今回の試験納入に限り当商会側で規格品を支給いたします。輸送中の破損防止用木箱もこちらでご用意いたします」


「うちの店頭価格より高いな」


思わずそう口にすると、レオナールは当然の疑問だと言わんばかりに静かに頷いた。


「王都医療用の試験枠ですので、現場評価、経過記録、納品管理、それらに伴う事務処理まで含めた価格設定となっております。安く買い叩く意図はございません。むしろ品質に対して不自然なほど安価な価格で王都へ流通させれば、既存薬師や治療院側から品質そのものを疑われる可能性がございます」


その理屈は妙に納得できた。


たぶんクラウスがここにいたら、腕を組んで何度も頷いていただろう。


俺もようやく理解し始めたことだが、安いことは必ずしも正義ではない。


良い品を安く売れば客は喜ぶ。


しかし市場全体で見れば話は別になる。


高品質なのに安すぎる商品は、他の薬師から見れば採算が取れない価格に見えるし、商人から見れば裏があるように見え、組合から見れば市場を乱す火種にもなりかねない。


俺としては「村の連中が困らなければいい」という感覚で値段を付けていただけなのだが、どうやら俺の善意価格というやつは、時々社会全体に対して危険物扱いされるらしいのだ。


「前払いはありますか?」


今度はアイスが口を開いた。


さっきから聞くべきことを的確に拾っていくあたり、完全に薬師会側の人間である。


レオナールは即座に答えた。


「半額を前金としてお支払いいたします。さらに、もし青ぷよ薬房様が王都向け納品規格を満たすため、瓶棚、保管箱、洗浄台などの設備改修を行う場合は、当商会より無利子の設備前渡金をご用意できます。返済は今後の納品代金から少額ずつ相殺する形式を想定しております」


俺は思わずレオナールの顔を見た。


「……なんでうちの改装話を知ってる」


「知っていたわけではありません。小規模工房が王都向け医療品を納める際、最初に問題となるのは、ほぼ例外なく設備と記録ですので。こちらとしても、その点は条件提示の段階でご提案する予定でした」


「世の中、どこへ行っても設備と記録か」


「医療品ですので」


腹立たしいほど正しいな。


今日は朝から薬師会講座で理論を叩き込まれ、昼には工房改装の必要性を突きつけられ、午後には王都商会から設備投資の話を持ちかけられている。


感情を脇へ置いて冷静に内容を整理してみれば、レオナールの提案は驚くほど堅実で現実的だった。求められているのは無謀な大量受注ではなく、まずは三十本という現在の生産体制でも十分対応可能な数量に限定されている。販路も王都全域への大規模展開ではなく、中小規模の治療院による試験運用という慎重な範囲に留められていた。提示価格は青ぷよ薬房に十分な利益をもたらす水準でありながら、王都市場ではむしろ適正価格の範疇らしい。独占販売権の要求もなく、輸送費や容器代は商会側が負担し、さらに契約時の前金に加え、設備改修が必要であれば無利子の前渡金まで用意できるという破格の条件が並んでいた。


そして何より、この提案には「今すぐ生産量を何倍にも増やせ」「市場を独占するために急拡大しろ」といった類の圧力が一切含まれていなかった。


おそらくマルセル商会は青ぷよ薬房を買い叩こうとしているのではない。むしろ育てようとしているのだ。正確には、自分たちの利益へと繋がる形で、時間をかけて着実に成長させようとしている。その根底には決して“焦らない”という明確な方針が見え隠れしていた。無理に囲い込み、急激な拡大を強いれば、未熟な工房など簡単に壊れてしまうことを理解しているのだろう。騎士団との継続契約という実績、薬師会による調査結果、高純度回復薬への評価――そうした材料を十分に確認したうえで、まずは小規模な取引で実績を積ませ、その成果を見極めてから次の段階へ進む。その慎重さと合理性は、商人として理想的とすら思える判断だった。


だからこそ厄介だった。


怪しい話なら粗を探して断る理由を作れる。露骨に欲へ塗れた提案なら警戒心も働く。しかし今、目の前に差し出されているのは、こちらの事情も限界も将来性までも丁寧に計算へ織り込み、双方に利益が残る形へ整えられた、あまりにも真っ当で良識的な提案だった。誠実であればあるほど反論の余地は減り、その善意と合理性が積み重なるたびに、こちらの逃げ道だけが静かに塞がれていくような気がした。


「これを受けると、何が起きる?」


俺は書類から目を離し、向かいに座るアイスとミーナへ視線を向けた。契約書の文面をいくら一人で睨み続けたところで、結局見えてくるのは自分の都合や不安ばかりだ。こういう話は現場を回している人間と、専門知識を持っている人間の意見を聞いた方が早いし正確である。そんなことは本来もっと早く気付くべきだったのだろうが、昔の俺は面倒事も責任も全部自分で抱え込み、誰にも相談せずに勝手に悩んで勝手に疲れるタイプだった。しかし今は違う。この店は俺一人で成り立っているわけではなく、ミーナがいてアイスがいて、他にも支えてくれる人間がいる。その事実を理解してからは、無理に一人で結論を出そうとすることも少なくなっていた。


ミーナはすぐには答えず、少しだけ考えるように視線を落としてから、慎重に言葉を選びながら口を開いた。


「三十本でしたら、今の生産量でもおそらく不可能ではないと思います。ただ、店頭販売分と騎士団への納品分をこれまで通り確実に維持するのであれば、仕込みの予定を今まで以上に細かく組み直す必要がありますし、もし王都向けの商品だけ瓶やラベルを別仕様にするのでしたら、保管場所も分けた方がいいと思います。今の棚ですと混在する可能性がありますし、その場合は納品管理もかなり大変になるはずです」


完全に現場責任者の意見だった。


アイスは書類へ目を落としたまま、内容を追いながら静かに答える。


「薬学的な観点から申し上げれば、試験納入後の評価報告を得られるのは非常に有益です。治療院での使用結果、患者の反応、保管状態の変化、さらには輸送後の品質維持に関する情報まで確認できます。ただし、王都で効果が実証されれば需要は確実に増加します。研究対象としても商業対象としても注目度が高まることになりますので、薬師会との連携体制は先に固めておくべきでしょう」


「つまり、受けても面倒だし、断ってもたぶん別の形で面倒がやって来るってことか」


「要約としてはだいぶ雑ですが、おおむねその認識で問題ありません」


レオナールは椅子に深く腰掛けたまま、こちらへ返答を求めるような素振りも見せず、静かに待っていた。指先で机を叩くこともなければ、契約の利点を重ねて押し込んでくることもない。ただ相手が考える時間を尊重するように、落ち着いた表情で成り行きを見守っている。その余裕ある態度は商人としてかなり好印象だった。急かされれば人は判断を誤るし、少なくとも俺は面倒になると逃げ出したくなる性格である。実際、過去にも考え事に行き詰まった結果、気分転換と称して森へ採取に向かい、そのまま半日ほどスライム狩りに没頭したことが何度もあった。逃げた先が森だった場合、その被害を受けるのはだいたいスライムだ。何も知らずにぷるぷるしていた連中からすれば完全なとばっちりである。もしスライムに感情があるなら、俺が森へ入った瞬間に集団で震え上がっていても不思議ではなかった。


「レオナールさん」


俺は書類から顔を上げた。


「この話は即答できない。騎士団との契約もあるし、薬師会への確認も必要だ。それに、店の改装費だって計算しないといけない」


「当然です。本日はあくまで打診と条件提示の段階ですので、正式なお返事は十日以内で構いません。ただ、王都側の試験枠には時期的な制約がございますので、もし受諾いただける場合は、二十日後の納品に間に合わせるためにも七日以内には初期手続きへ入りたいところです」


「七日か」


提示された期限を頭の中で反芻しながら、俺は無意識に天井へ視線を向けた。商売の話として考えれば、契約内容を確認し、関係各所へ相談し、必要な準備を整える時間としては決して短すぎるわけではないのだろう。だが、実際に自分が動くことを想像すると、その七日間は驚くほどあっという間に過ぎ去りそうな気がした。追加生産に必要なスライム核の確保、釜の稼働計画の見直し、保管棚の増設、騎士団への説明、薬師会との調整――考えるべきことを並べるだけで頭が重くなる。そのうえ利益が増えれば税金も増えるわけで、そこまで想像したところで俺は意識的に思考を打ち切った。未来の税額など、今の段階で真面目に考えても精神衛生に悪いだけである。


「それと、もう一点ございます」


レオナールがそう言って鞄の中から小さな木札を取り出した。


そこには青い丸印が押されていた。青ぷよ薬房の看板を思わせる、簡略化されたスライムの意匠である。ただし、ゲン爺が描いた溶けた饅頭のような絵とは違い、こちらは妙に整っていて見栄えが良かった。…うん、少し悔しいな。


「王都向け試験品には、製造元識別のためこちらの印を仮ラベルとして使用したいと考えております。名称は『青ぷよ薬房製スライム核回復薬』。産地と製法の特徴を隠さず、そのまま示す形です」


「スライム核って書くのか」


「はい。むしろ隠さない方がよいかと存じます。確かに安価な低級素材という印象はございますが、薬師会の確認書と治療院からの評価が付けば、それ自体が新規性として価値になります」


「新規性って、また話が大きくなりそうな言葉だな」


俺が苦笑混じりにそう返した直後、隣に座るアイスが木札へ視線を固定したまま微動だにしなくなっていることに気付いた。普段から感情表現が豊かな方ではないが、それでも今の彼女の様子は分かりやすかった。瞳の奥には好奇心と探究心がはっきりと宿っており、新しい研究テーマを前にした学者特有の熱量が静かに燃え始めている。


その視線の意味を理解した瞬間、俺の背筋に嫌な予感が走る。


王都の治療院から評価報告が届けばどうなるのか。薬師会が興味を示したらどうなるのか。さらに別の素材との組み合わせを試したいと言い出したらどうなるのか。


答えは簡単だった。


アイスは間違いなく喜ぶ。そして喜んだ研究者は、だいたい周囲を巻き込むに違いない。


つまり、この話が本格的に動き出した場合、俺は商売だけでなく研究面でも新たな騒動に付き合わされる可能性が高いということだ。


その未来図があまりにも鮮明に想像できてしまったため、俺は思わず額を押さえた。


よくない予感しかしなかった。


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