第3話 レスタルムへ
さて、グラム地方について詳しく語るとしよう。
いきなり何を言い出すんだと思うかもしれないが、店を二日間閉めて交易都市レスタルムまで行くとなれば、道中の土地柄を知らないまま出かけるわけにもいかない。俺は別に学者ではないし、旅慣れた吟遊詩人でもないし、地図を広げて「この土地の歴史は三百年前にさかのぼる」なんて語り出すと自分で眠くなる性分ではあるものの、自分が暮らしている場所の周りくらいは一応知っている。
一応だぞ。
詳しい人間に聞かれたら、「まあ村のおっさんの話なので」と前置きしてほしい。
俺たちが住んでいる大陸は、世界に六つある大大陸の一つ、〈センターブルー〉と呼ばれている。
名前だけ聞くと爽やかだ。青い空、青い海、穏やかな風、白い雲、草原を駆ける馬、そういう景色を想像するかもしれない。実際、センターブルーには豊かな平野もあるし、きれいな湖もあるし、海沿いには魚がうまい町もある。中央部には大国の王都があり、街道は整い、商人が行き交い、冒険者ギルドも各地に支部を置いている。
平和そうに聞こえるだろう。
もちろん、平和な場所だけなら冒険者なんて職業は要らない。
北には雪と岩のウェスタロス山脈がそびえ、東には霧の湿原が広がり、南には赤砂の荒野があり、西には古代遺跡の眠る森がある。魔物もいれば野盗もいるし、時折よく分からない魔力異常も起こる。人が暮らしやすい土地のすぐ隣に、人が油断すると死ぬ土地がある。センターブルーとはそういう大陸だ。
名前の爽やかさに騙されてはいけない。
青いのは空と海だけで、世の中の事情はわりと泥臭い。
そのセンターブルーの中部やや西寄りに位置するのが、俺たちのいるグラム地方である。
グラム地方は、一言で言えば「ほどほどに豊かで、ほどほどに危ない土地」だ。
北にはウェスタロス山脈の末端があり、雪解け水が無数の川を作る。西には深い針葉樹林が続き、そこには狼型の魔物、角兎、毒きのこを食ったせいで妙に気が荒い大猪なんかがいる。南へ下れば穀倉地帯が広がり、小麦や豆、薬草畑が並ぶ。東へ進むと丘陵と牧草地が増え、羊と牛と、たまに羊を狙う羽根付き狼が出る。
地味に危ない。
羽根付き狼なんて、名前だけ聞くと少しかっこいい。実物は、空から羊をさらっていく迷惑な犬である。若い冒険者が初めて相手にすると、「狼なら地上にいるもの」という思い込みを空から噛まれる形で修正される。俺も昔、遠くから見たことがある。遠くから見ただけで帰った。あれは賢明な判断だったと思う。
グラム地方には、いくつかの村や町が点在している。
地図で見ればそれなりに広く見えるが、実際に歩いて回ろうとすると、なかなか骨が折れる距離だ。街道沿いにある町は活気があり、商人や冒険者が行き交う。そこから外れた場所には、小さな村がぽつぽつと散らばっていて、それぞれが自分たちのやり方で暮らしている。
俺の店があるエルムホルン村は、その中でもかなり控えめな部類に入る。
森と薬草畑のちょうど間に挟まれた、小さな村だ。
朝になると、畑に向かう人間と森に入る人間が、同じ道を逆方向へ歩いていく。昼には子どもが水路で遊び、夕方には煙突から同じような煙が上がる。夜は静かで、たまに遠くで獣の鳴き声が聞こえるくらいだ。
特産品と言えるものは、一応ある。
冷たい湧き水。
これは本当にうまい。夏でも手を入れると少し痛いくらい冷えていて、旅人がわざわざ汲みに来ることもある。
それから、よく育つ薬草。
土がいいのか、気候が合っているのか、理由はよく分からないが、とにかく育ちがいい。葉は厚く、香りも強く、薬師が見ればそれなりに価値があるらしい。
そして――やたら湧くスライム。
……最後の一つを特産品と言っていいかは、正直かなり怪しい。
村の婆さんたちは「ロイドが来てから役に立つようになった」と言うが、言い換えれば、俺が来るまではただの厄介者だったということだ。
畑の水路に詰まる。
収穫した薬草にくっつく。
夜道でうっかり踏むと滑る。
子どもが棒でつついて遊んでいると、たまに服を溶かす。
誰にとっても、便利とは言い難い存在だった。
それが今では、「ロイドの材料」として扱われている。
世の中、立場が変わると評価も変わるものだ。
西の森に入れば、そのスライムたちはいくらでも見つかる。
青スライム、緑スライム、水スライム。
木の根元や倒木の影に張りつく、苔をまとった苔スライム。
雨上がりには数が増え、晴れの日には日陰に集まり、季節によって微妙に色味や粘りが変わる。
だが、普通の冒険者は見向きもしない。
せいぜい、登録したての初心者が小遣い稼ぎに狩る程度だ。
理由は単純で、割に合わないからだ。
スライムは弱い。
弱いが、そのぶん得られる報酬も低い。
しかも素材として使うには、いくつか面倒な条件がある。
まず、粘液をきれいに採るのが難しい。
適当に斬れば飛び散るし、叩き潰せば不純物が混ざる。雑に扱えば扱うほど、あとで使い物にならなくなる。
さらに厄介なのが核だ。
スライムの中心にある小さな核――あれを壊すと、粘液の質が一気に落ちる。魔力の流れが途切れるせいだと聞いたことがあるが、詳しい理屈は知らない。ただ、壊すと値段が下がる。それだけは確かだ。
つまりきれいに倒して、きれいに採取しないと価値が出ない。
そのくせ、元の値段が安い。
手間のわりに儲からない。
だから雑に扱われる。
雑に扱われるから品質が落ちる。
品質が落ちるから「やっぱり安い素材だな」と判断される。
……世の中の評価というのは、だいたいこういう悪循環でできている。
一度「安い」と決まったものは、なかなかそこから抜け出せない。
俺の場合、その悪循環から少し外れている。
〈スライムキラー〉のせいかどうかは分からないが、素材が妙にきれいに採れるのだ。
倒した瞬間、核をほとんど傷つけずに動きを止められる。
そのまま瓶や器に流し込むと、余計な濁りがほとんど出ない。
色も澄んでいるし、匂いもきつくならない。
最初は偶然だと思っていた。
だが何度やっても同じ結果になるので、「ああ、これはスキルの影響なんだろうな」と納得した。
……自慢ではない。
本当に。
スライム相手にどれだけ上手くやれるかなんて話をしても、普通の冒険者には「で?」で終わる。
むしろ、「他の魔物にも効くのか?」と聞かれて、「効かない」と答えた瞬間に興味を失われる。
分かりやすい強さではない。
だから自慢のしようがない。
そもそも、スライム相手に自慢してもむなしいしな。
北へ進むと、鉱山町ダルモアがある。
エルムホルン村からだと、街道を半日ほど歩き、途中で山道へ入ってさらに登る。道幅は狭くなり、荷馬車同士がすれ違うたびに御者が怒鳴り合うような場所を抜けた先に、煤けた空気の町が見えてくる。
ダルモアは、その名の通り鉱山の町だ。
鉄と銅が主な産出で、運が良ければ少量の魔鉱石も出る。魔鉱石は量こそ少ないが価値が高く、出た日には町全体が少し浮き足立つらしい。
町に入ると、まず耳に入るのは金属音だ。
カン、カン、カン、と一定のリズムで響く槌の音。あちこちの鍛冶場から煙が上がり、赤く熱せられた鉄を叩く火花がちらちら見える。空気は鉄と煤と油の匂いが混ざっていて、慣れないと喉がいがらっぽくなる。
鍛冶屋が多いのも当然で、鉱石が出る場所には加工する人間が集まる。
武器、防具、農具、釘や鎖のような細かいものまで、何でも揃う。質も悪くない。むしろ実用一点張りで、無駄な装飾がないぶん信頼できる。
ただし値段はそれなりだ。
鉄は重いし、運ぶのも大変だからな。
鉱山の奥には、当然のように魔物も出る。
石喰い虫、鉱石スライム、岩蜥蜴。
石喰い虫は名前の通り、岩や鉱石をかじって進む虫だ。見た目は太い芋虫に近いが、口の部分がやけに硬くて、油断すると道具を齧られる。だから鉱山夫には嫌われている。
鉱石スライムは、普通のスライムに細かい鉱石が混ざったようなやつだ。粘液にざらつきがあり、光の当たり方によってはきらきら光る。見た目は少し綺麗だが、採取するとなると器具が傷むので面倒くさいと聞いた。
そして岩蜥蜴。
これがまた、若い冒険者の心を無駄にくすぐる。
見た目が小さな竜に似ているのだ。四足で鱗があり、口を開けばそれなりに鋭い牙が並んでいる。「竜っぽい何か」を相手にしている気分になれるので、駆け出しの連中がよく張り切っているのを見かけることがある。
気持ちは分からなくもない。
ただ、現実はそこまで格好いい相手ではない。
確かに革は丈夫で、防具に加工すればそこそこ役に立つ。爪も削れば道具になる。だが肉は――正直、うまくない。
昔、酒場で一度だけ食べたことがある。
「珍しいぞ」と言われて出された煮込みだったのだが、一口食べて思った。
靴底を煮たような味だ、と。
硬い。ひたすら硬い。
噛んでも噛んでも味が出てこないくせに、妙に脂っこい。塩と香辛料でどうにかしている感じだったが、どうにもなっていなかった。
二度と食わないと、その場で決めた。
南には農村地帯のミルナ平原が広がる。魔物は少ないものの、収穫期になると穀物に引かれて小型魔獣が寄ってくる。畑荒らしの角兎、群れで来る灰鼠、畦道に潜む泥スライム。地味な魔物ばかりなので、冒険者からすれば稼ぎは少ない。村人からすれば作物を食われるので死活問題だ。世の中、危険の大きさと被害の深刻さは必ずしも一致しない。
東には牧場町オルフェがある。チーズがうまい。羊も多い。風が強い。羽根付き狼がいる。以上。
いや、以上ではないな。
オルフェの牧場主は気が強く、魔物相手でも杖を振り回して追い払うと聞く。俺も一度だけチーズの買い付けで行ったことがある。牧場の女将に「お前、体格は悪くないのに覇気がないね」と言われた。余計なお世話である。覇気があったらスライム専門のポーション屋なんてやっていない。
そして、グラム地方の中心にあるのが交易都市レスタルムだ。
ウェスタロス山脈を源流に持つ大河、ライン川。
その流れに沿って築かれた城塞都市が、レスタルムである。
ライン川は大きい。
本当に大きい。
山の雪解け水を集め、支流を飲み込み、森と平野を抜け、いくつもの町へ水と荷を運ぶ。川幅は場所によって馬車道より広く、流れの深いところでは大型の荷船が進む。春には水量が増え、夏には川辺の市場が賑わい、秋には穀物と薬草が運ばれ、冬には山から来る冷たい風で水面が鉛色になる。
レスタルムは、そのライン川の中流にある。
都市の北側には石造りの城壁があり、南側には川港が広がる。東西の街道が交わり、北からは鉱石と毛皮、西からは木材と薬草、南からは穀物と酒、川からは魚と塩漬け肉と遠方の品が入る。商人、冒険者、職人、薬師、傭兵、巡礼者、旅芸人、怪しい占い師、もっと怪しい薬売り、そういう連中がごった返す場所だ。
城塞都市と呼ばれるだけあって、外壁は分厚い。古い戦乱の時代に築かれた壁を何度も補修して使っているらしく、場所によって石の色が違う。門には衛兵が立ち、荷物の検査を行い、川港には関税を扱う役人がいる。街の中には商業組合、冒険者ギルド、薬師会の出張所、職安、宿屋街、工房街、市場通り、貴族の屋敷がある区画まである。
田舎者にとっては、いろいろ多すぎる。
右を見れば行商人が値段交渉をしていて、左を見れば冒険者が依頼票を見ながら言い争い、前からは荷車が来て、後ろからはパン売りの少年が走ってくる。街というものはどうしてあんなに全員が急いでいるのか、俺には分からない。店の前に行列ができるようになった今でも、やっぱり分からない。
そんな場所へ、俺は行かなければならない。
相場調査のために。
人手探しのために。
スライム素材の市場価値を知るために。
ついでに飯屋を探すために。
「ロイドさん、荷物これで全部ですか?」
出発の朝、ミーナが店先で荷物を確認していた。
俺の荷物は大したものではない。着替え、携帯食、財布、商業組合への相談用にまとめた帳簿の写し、村長から預かった紹介状、販売しているポーションの見本、そしてスライム素材のサンプル瓶が数本。あまり重くすると道中で嫌になる。俺は冒険者になりそこねた男なので、軽装の大切さは知っている。
「全部だ。あとは旅用のポーションを少し」
「少しって、何本ですか」
「通常回復が五本、解毒が二本、疲労回復が三本」
「それ、普通の旅人なら十分すぎますよ」
「自分で作れるから感覚が狂うな」
「狂っている自覚があるなら大丈夫です」
「大丈夫か、それ」
店には臨時休業の張り紙を出した。
――素材および市場調査のため、二日間休業いたします。
その下に、ミーナが丁寧な字で「騎士団納品分および予約分には影響ありません」「転売目的の購入はお断りします」「整理券制度は継続します」と書き足している。張り紙なのに契約書みたいになっている。通りかかった村人が「ロイドの店、張り紙まで忙しそうだな」と笑っていた。
笑うな。
本当に忙しいんだ。
「店は頼んだぞ」
「はい。今日は整理と仕込みだけしておきます。販売はしません」
「客が来ても開けるなよ」
「開けません」
「泣き落としされても」
「開けません」
「怪我人が来たら」
「緊急用だけ渡します」
「商人が来たら」
「帰します」
「騎士団が来たら」
「店主さんはレスタルムですと言います」
「王族が来たら」
「村長さんを呼びます」
「完璧だな」
ミーナは胸を張った。
この子に任せておけば、店は俺がいる時より整うかもしれない。考えると少し寂しいので、考えないことにした。
旅の相棒は、村の厩で借りた騎獣だ。
エルムホルン村の厩は、立派とは言い難いが手入れは行き届いている。木造の屋根は少し歪み、壁には補修の跡がいくつもあるが、藁は乾いているし、水桶もきちんと替えられている。世話をしているゲン爺が口うるさいだけあって、動物の扱いに関しては信用できる場所だ。
その奥の一角で、俺の相棒はいつも通り気の抜けた顔をしていた。
名前はモカ。
茶色い毛並みの、長耳ラプトという種類である。
長耳ラプトは、初めて見た人間がだいたい困った顔をする生き物だ。
説明しろと言われると難しい。
馬のように四足で立ち、蜥蜴のようにしなやかな胴体を持ち、兎のようにやたら長い耳がぴょこんと伸びている。そこに、なぜか常に眠そうな半目の表情が加わる。
結果、「なんかよく分からないが、とりあえず乗れる生き物」という印象になる。
体高は馬より少し低いが、胴がしっかりしているぶん安定感がある。後ろ足の力が強く、段差やぬかるみの多い道でも踏ん張りが利くので、山道や森の中では馬より扱いやすい。
耳が長いのは見た目だけではなく、ちゃんと役に立っている。
周囲の音に敏感で、遠くの物音にもすぐ反応する。人間が気づかないような小さな気配にも耳をぴくりと動かし、危険を感じるとその場でぴたりと止まる。
これがありがたい時もあれば、面倒な時もある。
ただの風で止まるな、と言いたくなることもあるが、実際にそれで助かったこともあるので文句は言いにくい。
逃げる時は速い。
本気で走らせると、見た目に似合わずかなりの速度が出る。後ろ足で蹴るように地面を蹴り、体を低くして一気に距離を取る。持久力もそこそこあるので、短距離だけでなく中距離の移動にも向いている。
荷物もそれなりに積める。
ただし、積みすぎると露骨に嫌な顔をする。
性格は個体差が大きいと言われているが、それは本当だと思う。素直で従順なやつもいれば、頑固で動かないやつもいるし、やたら気が荒い個体もいるらしい。
モカは、その中でもだいぶ分かりやすい部類だ。
穏やかで、食いしん坊で、面倒くさがり。
餌を出せば機嫌がよくなり、出さなければじっとこちらを見る。急がせると嫌そうにするが、無理に引っ張れば一応は動く。危険な気配にはちゃんと反応するが、安全だと分かるとすぐ気が抜ける。
つまり、俺と気が合う。
厩の柵に寄りかかって首筋を撫でると、モカはちらりとこちらを見て、また半目に戻った。長い耳がゆるく揺れ、もそもそと干し草を噛み続けている。
「モカ、今日も頼むぞ」
そう声をかけると、一応、耳がぴくりと動いた。
それだけだ。
鳴き声を上げるわけでもなく、首を振るわけでもない。ただ、噛む動きが一瞬だけ止まり、また再開される。
……頼もしい返事だ。
返事になっているかは知らないが、こいつなりに「聞いた」という合図なのだろう。たぶん。
「ロイドさん、モカに乗って行くんですか?」
「馬車でもよかったんだが、荷が少ないし、途中で薬草の様子も見たい。モカのほうが気楽だ」
「道中、気をつけてくださいね」
「レスタルムまでの街道なら大丈夫だろ」
「店主さんの大丈夫は少し信用できません」
「スライム以外が出たら逃げる」
「そこは信用できます」
評価が複雑だ。
俺はモカにまたがり、荷物を固定した。長耳ラプトの背は馬より揺れが少ない。歩き方に独特の弾みがあるので、慣れない者は最初に尻を痛める。俺は昔から何度か乗っているためそこまで苦ではないが、…尻はまあ、年相応に痛くなる。そこは仕方ない。
村の出口では、何人かの常連が見送りに来ていた。
猟師のバルド、腰の婆さん、村長、そしてなぜか若い冒険者のエドまでいる。
「おっちゃん、レスタルム行くんだって?」
「相場調査だ」
「ついでにうまい武器屋見てきてよ」
「俺は武器屋に詳しくない」
「じゃあポーションの値段見て、帰ってきたら安すぎたって驚くんだな」
「嫌な予言をするな」
腰の婆さんが杖をつきながら近づいてきた。
「ロイド、都会の商人に丸め込まれるんじゃないよ」
「善処します」
「善処じゃ駄目だよ。あんた、ぼんやりしてるからね」
「俺、村中からぼんやり認定されてないか」
「自覚があるならいい」
「ないから困ってる」
村長は紹介状をもう一通差し出した。
「レスタルムの商業組合に古い知人がいる。名はクラウス。少し偏屈だが、数字には強い」
「助かります」
「それと、薬師会では余計なことを言いすぎないように」
「余計なこと?」
「『見様見真似で作りました』とか、『普通だと思います』とか」
俺は目をそらした。
言いそうだ。
かなり言いそうだ。
「……気をつけます」
「口を開く前に一度考えなさい」
「それは人生全般に効きそうですね」
「君には特に効く」
村長まで手厳しい。
俺は見送りに出てきた村の連中に軽く手を振り、モカの腹をかるく踵で叩いた。合図というほど大げさなものではない。こいつの場合、「そろそろ動くぞ」と思わせれば十分だ。
モカは一瞬だけ耳を揺らし、それからのそのそと歩き出す。
相変わらず速くはない。
だが急ぐ旅でもないので問題はないし、むしろこのくらいの速度のほうが助かる。店の前で押し合いへし合いしていた人の波や、あれこれ考えなければならないことに追い立てられていた頭が、歩調に合わせて少しずつ緩んでいくのが分かる。
一定のリズムで揺れる鞍、土を踏む足音、風の流れ。
それだけで、だいぶ楽になる。
エルムホルン村を出ると、まずは薬草畑の間を抜ける道に入る。
朝露に濡れた葉が陽を受けてきらきらと光り、風が吹くたびに、青くて少し苦いような匂いがふわりと漂ってきた。あの匂いを嗅ぐと、「ああ、この村に帰ってきたな」と思うし、同時に「今日も仕事だな」とも思う。
畑にはいくつかの種類の薬草が整然と並んで植えられている。
回復ポーションによく使うミル草は、丸みのある葉が密に生えていて、指で擦るとわずかに甘い香りがする。刻んで煮ると、体力の回復を促す成分がじわじわと出る。
解毒用の銀葉草は、名前の通り葉の裏が銀色に光る。朝露を弾く様子が綺麗で、見た目だけなら観賞用でも通じそうだが、煮出すときつい匂いが出る。効果は確かなので文句は言えない。
苦味の強い黄根草は、地面の下に太い根を張る。引き抜くのに力がいるし、乾燥させて粉にするときも手間がかかるが、少量混ぜるだけで薬の効き方がはっきり変わる。扱いは面倒だが重要なやつだ。
村人たちは昔からこういう薬草を育てていて、必要な分を分けてもらっている。
代わりに、俺はポーションを少し安く渡したり、怪我や体調不良の時に優先的に回したりする。持ちつ持たれつというやつだ。
俺のポーション作りは、スライム素材だけで成り立っているわけではない。
スライム粘液が土台だとすれば、薬草はその上に方向性を与えるものだ。
回復に寄せるのか、解毒に寄せるのか、疲労を抜くのか、それとも少しだけ体を底上げするのか。その調整をしているのが薬草だ。
味付け、と言ってしまうと分かりやすいのだが――
「料理みたいに言わないでください」
と、ミーナに真顔で言われたことがある。
薬の話をする時は、あまりそういう言い方をしないほうがいいらしい。納得はしているが、つい口に出そうになる。
畑を抜け、村の南西へ伸びる小道を進むと、やがて森の端が見えてくる。
エルム森。
正式な名前はもっと長かった気がする。地図で見たときは、やたらと装飾の多い古い文字で書かれていた。たしか精霊語がどうとか説明もあったはずだが、村の誰もそんな呼び方はしていない。
森は森だ。
俺にとっては、スライム畑である。
木々の間には、朝の光が細く差し込んでいた。葉の隙間から落ちてくる光がまだ柔らかく、地面にまだらな模様を作っている。湿った土の匂いと、苔の匂い、少し冷たい空気が肌に触れる。
枝の上では小鳥が鳴き、足元では小さな虫が動いている。
そして、そのあちこちにスライムがいる。
葉の上を、水のように透けた水スライムがゆっくり這い、倒木の陰から青スライムがぷるんと顔を出す。苔に紛れてほとんど見えないやつもいれば、日向でのんびりしているやつもいる。
そのうちの一匹と、ばっちり目が合った。
次の瞬間、そいつはぴたりと動きを止め、全身を小刻みに震わせた。
……まあ、そうなるよな。
「今日は狩らん。出張だ」
俺は適当にそう言ってみる。
言葉が通じるとは思っていないが、言わないよりは気分がいい。
スライムは信じていないらしく、震えたままじりじりと後退し、そのまま草むらの中へ消えていった。
完全に警戒されている。
信用がない。
いや、まあ当然だ。
今まで何匹仕留めてきたと思っている。
……とはいえ。
スライムから信用されても、それはそれで困るが。




