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第31話 見知らぬ少年



工房の扉を開けた時、ハルト・グレインはまず匂いに反応した。


それはほんのわずかな変化だった。顔をしかめるほどではなく、驚いて声を上げるほどでもなく、工房の中へ一歩入ったところで鼻先に触れたスライム粘液と薬草の混ざった青い匂いを受け止めるように、少しだけ呼吸を浅くし、それから視線を釜、乾燥棚、水桶、瓶置き場、素材保管箱の順に動かした。港の倉庫で働いていたというのは本当なのだろう。入ってすぐに中身を見ようとするのではなく、まず通路の幅、箱の位置、床の濡れ具合、棚の高さを見ている。物がどこにあり、人がどこを通り、何が落ちると危ないか、そういうことへ自然に目が行く人間の見方だった。


「ここが工房だ。今日は見学だけで、触っていいのは空き瓶と木箱だけにしてくれ。赤い札がついている棚は触らない。青い札は確認後なら触っていい。黒い札は俺以外触らない。アイスの記録板は、色に関係なく触らないように」


「最後、私物ではなく研究記録です」


「なおさら触らせない」


アイスは少し不満そうにしたが、ハルトは真面目に頷いた。


「承知しました。札の色分けは分かりやすいです。黒札は危険物、あるいは高価な素材という理解でよろしいですか」


「高価というか、壊れると俺の心が折れるものだな」


「店主さん、面接中です」


ミーナが小声で注意した。


「いや、だいたい合っているだろ。高純度用のスライム核、抽出前の核、研究提供用の小瓶、解毒用の濃縮液あたりは、触られると困る。危険というほどではないものもあるが、間違えると今日一日が沈む」


「沈むとは」


「単なる比喩だ」


「はい」


ハルトは笑わず、変に困った顔もせず、ただ工房の棚を一つずつ見ていた。俺の説明がやや変だったことは分かっている。分かっているのだが、釜の前の失敗というのは本当に一日が沈むのだ。朝から採った素材を洗い、薬草を刻み、火を入れ、泡を見て、ようやく仕上がりかけたものが、瓶の取り違えや濾過布の汚れで駄目になると、その日の空気が急に重くなる。失敗品観察用としてアイスが喜ぶことはあるものの、店主としては全く喜べない。研究者の目が輝く失敗は、商売人の胃を削るのだ。


空き瓶の確認は、思った以上に静かに進んだ。


俺はわざと、口元に小さな欠けのある瓶、内側に水滴が残っている瓶、栓の合いが甘い瓶、問題のない瓶を混ぜて木箱に入れておいた。ハルトはそれを一つずつ取り出し、まず光へ透かし、次に瓶の口を指先で軽く回し、最後に仮の栓を合わせて、横に置いた布の上へ仕分けていった。動作は早すぎないし雑でもない。指先がやや慎重すぎるくらいだったが、肩をかばうような不自然さはなかった。重い木箱を持たせるつもりはないにせよ、瓶の確認作業なら問題なさそうだった。


「これは口元に小さな欠けがあります。輸送には不向きです。店内で即日使用するものなら……中身によると思いますが、薬品なら避けたほうがよいと考えます」


「理由は?」


アイスが聞いた。


「栓が緩む可能性があることと、欠けた部分に布の繊維や汚れが残る可能性があります。倉庫では、欠け瓶は薬品用から外して、色水の見本や非飲用の工房液へ回していました」


「良い判断です」


アイスの声が、ほんの少しだけ柔らかかった。


ハルトはまた一瞬戸惑った。やはりアイスの褒め言葉は、初対面には分かりにくいらしい。俺たちですら、最近ようやく聞き分けられるようになったくらいだからな。あの「良い判断です」はかなり上の方だ。「悪くありません」は中の上。「妥当です」はたぶん合格。「記録価値があります」は褒めているのか捕獲しているのか微妙なところである。


ハルトの面接と工房確認が終わる頃、俺の中で彼の評価はかなり具体的になっていた。瓶確認、箱詰め、在庫整理、梱包補助には向いている。口数は多くないが、質問されたことには落ち着いて答える。怪我の申告も正直で、住み込みの不安も軽く扱っていない。反面、肩の件があるので重い箱や採取同行には無理をさせられないし、薬そのものへの興味が強いというより、物を整える仕事として応募している印象もあった。青ぷよ薬房の今の課題を考えると、かなり助かる人材なのは間違いない。けれど最初の一人として採るなら、薬房全体の空気に馴染めるか、村暮らしに耐えられるかをもう少し見る必要がある。


ハルトが一礼して控えの場所へ戻ると、二人目の応募者が呼ばれた。


ネリア・フォルスは、入ってきた時点でかなり緊張していた。十九歳と聞いていたが、実際に見ると年齢より少し幼く見える。薄い茶色の髪をきっちり後ろで結び、服装は地味で清潔、袖口も爪もよく洗われている。治療院の雑務経験があるというだけあって、薬品や血の匂いに慣れた人間特有の、身だしなみの真面目さがあった。目は大きく、こちらと視線が合うとすぐ下へ逃げる。自分の荷物を膝に置く時も、鞄の角が机に当たらないようにそっと置いた。悪い子ではなさそうだ。緊張しすぎて、初日に瓶を三本ほど落としそうな気配はあるが。


「ネリア・フォルスです。よろしく、お願いいたします」


声は小さかったが、聞き取れないほどではない。


「よろしく。緊張してるか?」


「はい。かなり」


正直だった。


「じゃあ、先に言っておくが、ここは王都の試験会場じゃない。落ち着いて話してくれればいい。俺も面接するのは初めてだから、緊張という面ではお互い様という感じだ」


「店主さん、それ言っちゃうんですか」


ミーナが小声で言った。


「言ったほうが楽だろ」


「まあ、そうですけど」


ネリアは少しだけ肩の力を抜いたようだった。


彼女の応募理由は、薬師補助の仕事を学びたいというものだった。レスタルム外縁の小さな治療院で、包帯洗い、病室清掃、薬瓶洗い、受付補助、患者の案内をしていたらしい。正式な薬師教育は受けていないが、薬品の保管棚を拭く時の手順、使用済み器具の洗浄、飲み薬と外用薬の瓶を間違えないための色札、患者が慌てている時にまず座らせることなど、現場で覚えたことは多いようだった。話し始めると緊張で声は揺れるものの、内容は意外としっかりしていた。


「治療院を辞めた理由は?」


俺が聞くと、ネリアは少し迷ってから答えた。


「辞めたというより、契約期間が終わりました。もともと短期の雑務補助で、正式な見習い枠ではありませんでした。私は、できれば薬に関わる仕事を続けたいと思ったのですが、治療院の見習い枠は院長先生の親族の方が入ることになって……それで、斡旋局で求人を探していました」


「なるほどな」


そういうことは、たぶんどこにでもあるのだろう。村では血縁や顔見知りの関係で仕事が決まることが多いし、街でも院長の親族が見習い枠に入るのは不思議ではない。本人に落ち度がなくても、席がなければ残れない。仕事というのは、能力だけで決まるほど単純ではないらしい。


アイスはネリアへ、薬に対する認識を聞いた。


「ポーションや薬品を扱う上で、一番避けるべきことは何だと思いますか」


ネリアは少し考え、それから小さな声で言った。


「思い込みで渡すこと、だと思います。治療院で、患者さんが“いつもの薬”と言っていたのに、実際には前と症状が違っていたことがありました。受付でそのまま通してしまうと危なかったと、薬師の先生に言われました。だから慣れている人でも、ちゃんと確認することが大事だと思います」


アイスが一瞬だけ目を細めた。


「良いです」


言葉としては短い。


それでも、さっきのハルトよりさらに高評価に聞こえた。


ネリアは顔を少し赤くして、「ありがとうございます」と小さく頭を下げた。


工房見学では、ネリアは匂いにほとんど抵抗を示さなかった。水桶、洗浄台、乾燥棚を見る目も慣れている。空き瓶洗いの動作はハルトほど管理向きではないが、丁寧で、布の扱いが柔らかかった。薬草棚の前では、青水花と銀葉草を見て「これ、治療院でも少し使っていました」と言った。アイスがすぐに「用途は」と聞くと、ネリアは「銀葉草は洗浄水に少し入れていました。青水花は熱を持った患部に当てる布に香りを移す時に」と答えた。正式な理論は知らないようだが、それでも現場の手順はしっかり覚えているらしい。


ミーナとの相性も悪くなさそうだった。店頭に出るなら、緊張しやすい体質は課題になる。客が怒鳴ったり、冒険者が急いでいたり、商人が値引き交渉してきたりした時、ネリアが落ち着けるかどうかは分からない。けれど治療院の受付補助をしていたなら、具合の悪い人間や焦った家族の相手をした経験はあるはずだ。青ぷよ薬房には、解毒薬や高純度回復薬を求めて慌てた客が来る可能性がある。その時、ネリアの「まず確認する」という感覚はかなり役に立つ気がした。


「住み込みは不安か?」


俺が聞くと、ネリアは正直に頷いた。


「はい。村で暮らしたことがないので、不安はあります。ただ、治療院の夜番で宿直室を使っていたことがありますので、知らない場所で眠れないということはないと思います。……虫は、少し苦手です」


「村は虫が出るぞ」


「はい。努力します」


「努力でどうにかなる虫と、ならない虫がいる」


「店主さん、面接で脅さないでください」


ミーナに注意された。


いや、大事なことだ。虫が無理な人間は、エルムホルン村の夏にかなり苦労する。スライムより虫のほうが精神を削る人間もいるだろう。俺は慣れているが、慣れていない人にとっては死活問題かもしれない。まあ、死活は少し大げさか。いや、夜中に大きい甲虫が部屋に入ってきたら、かなり死活に近いかもしれない。


ネリアは控えに戻り、三人目のボリス・タングが入ってきた。


ボリスは、扉をくぐった時点で部屋の空気を少し狭くした。三十四歳と書かれていたが、日に焼けた顔とがっしりした肩幅のせいで、実際の年齢より古い木の柱みたいに見える。元冒険者という肩書きは間違いなさそうだった。革鎧は着ていないが、立ち方が街の事務員ではない。目つきは悪くないものの、初対面の相手を一度で観察する癖がある。腰には武器をつけていない。職業斡旋局から来ているのだから当然だが、手首や指の動きに刃物を扱ってきた名残があった。


「ボリス・タングだ。よろしく頼む」


声が大きい。


悪気はないのだろうが、小部屋で聞くと少し壁が震えている気がする。


「よろしく。求人票では、元冒険者で採取や護衛の経験があると聞いている」


「ああ。若い頃から討伐と護衛をやっていた。ランクは中の上くらいまで行ったが、膝をやってな。長距離行軍と急な斜面はきつい。軽い採取と荷運びならできる」


「膝か」


「無理すりゃ動く。ただ、無理すると翌日使いものにならんことがある」


正直なのはいい。


ただ、無理すれば動くという人間ほど危ない。無理をすることが癖になっているからだ。冒険者というのは、たぶんそういう職業なのだろう。あと一歩無理すれば報酬に届く。あと半日歩けば街へ戻れる。もう一匹倒せば依頼達成。そうやって身体に借金を作る仕事だ。俺も若い頃に少しだけ冒険者の真似事をしたから分かるんだ。無理をした先に泥沼と報酬ランクの高い中型魔獣に出くわしたこともあった。あれ以来、俺は無理という言葉に少し慎重になったのだ。


ボリスは青ぷよ薬房の求人に応募した理由を、かなり率直に話した。


「冒険者稼業を続けるには、膝が不安だ。かといって、ずっと宿の用心棒みたいな仕事をするのも性に合わん。素材採取や魔物相手の経験はある。スライムなら、まあ問題なく扱えるだろうと思った。辺境の村なら、街のごたごたより性に合うかもしれん」


「スライムをどう扱っていた?」


アイスが聞いた。


「普通に叩くか、切るかだな。畑に出たやつなら棒で追う。素材用なら核だけ拾う。まあ、いい値はつかんが」


アイスが無言になった。


怖い沈黙だった。


俺は慌てて口を挟んだ。


「うちのスライム素材は、普通の討伐とは扱いが違う。採取補助を任せるとしても、最初は見学だけだ。棒で叩かれると困る」


「そうなのか?」


「そうなんだ」


「スライムだぞ?」


「その“スライムだぞ”で世間が雑に扱ってきた結果、俺が今こうなってる」


「よく分からんが、店主が困るなら叩かん」


悪い人間ではなさそうだ。


ただ、細かい素材扱いには向かないかもしれない。力仕事、護衛、納屋の修理、重い水桶、木箱運び、採取時の周辺警戒には使える。使えるという言い方は人に対してよくないかもしれないが、実際、彼の体格と経験はそういう仕事に向いている。エルムホルン村で暮らす適性も、もしかすると高い。街の細かい人間関係より、村の外れで薪を割っているほうが似合いそうな男だった。


工房見学では、ボリスは釜や棚より、出入り口と窓、刃物の位置、床の濡れた場所へ目を向けた。安全確認という意味では悪くない。空き瓶の確認は、正直かなり危なかった。口欠けを見つける前に、瓶を持つ力が少し強い。俺とミーナが同時に「あ」と言いかけ、アイスが「力を弱めてください」と冷静に言った。ボリスはすぐに謝り、力を緩めたが、本人も自分で苦笑した。


「細けえ作業は向かんな」


「正直で助かる」


「箱運びならやれるんだが」


「膝に負担が少ない範囲ならな。採るなら、スライムじゃなく薪かもしれない」


「薪なら得意だ」


本当に悪い人ではなさそうなのが、余計に悩ましかった。


四人目のリゼット・マーレンは、入ってきた瞬間から空気が違った。


二十二歳。商会事務見習い経験あり。帳簿、ラベル作成、在庫一覧作成、顧客控えの整理が可能。紙面だけでもしっかりした人間だろうと思っていたが、実物はさらにしっかりしていた。淡い金茶の髪をきれいにまとめ、服は簡素ながら襟元がきちんと整い、鞄から取り出した自分用の筆記具と小さな帳面を机の上にまっすぐ置いた。椅子に座る前に部屋の広さ、窓の位置、机の上の条件書、俺、ミーナ、アイスの順に視線を置く。商人ほどぬるっとしていないが、事務方として物事を逃さない目をしている。


「リゼット・マーレンです。本日は面談のお時間をいただき、ありがとうございます」


丁寧だ。


丁寧すぎて、青ぷよ薬房の小部屋が少し背筋を伸ばした感じがした。


「こちらこそ。応募理由を聞かせてもらえるか」


「はい。私は以前、レスタルムの中規模商会で事務見習いをしていました。商品札、在庫台帳、納品控え、顧客別の販売記録などを担当していましたが、商会の方針変更で見習い枠が縮小され、契約終了となりました。大商会の末端で一つの作業だけを続けるより、小規模事業所で販売、在庫、帳簿、契約補助を広く学びたいと考えています。青ぷよ薬房は現在、急成長中でありながら制度整備の途中と聞きましたので、実務全体を経験できる可能性があると思い、応募しました」


俺は思わずミーナを見た。


ミーナも俺を見た。


アイスは少しだけ目を細めた。


急成長中で制度整備の途中。


言い方は綺麗だが、つまり「今なら混乱していて学ぶことが多そう」という意味だろう。間違ってはいない。間違っていないからこそ、理由としては少し怖い。リゼットはうちの店をただの働き口ではなく、自分の実務経験を増やす場として見ている。悪いことではないし、むしろ成長意欲がある。けれどこちらがぼんやりしていると、いつの間にか帳簿と契約書を握られそうな気配もある。クラウスの若い親戚と言われても、少し納得するかもしれない。


「住み込みについては、条件次第と書いてあったな」


「はい。住み込み自体は可能です。ただし、寝室の施錠、私物保管場所、休日の扱い、食事費用が給金に含まれるのか別計上なのか、病気時の対応、退職時の移動費について確認したいです」


強いな。


全般的に質問が強い。


俺の胃が少し縮んだ。


ミーナは感心したように木板へ書き、アイスは「妥当です」と言った。妥当なのか。確かに、雇われる側からすれば大事なことばかりだ。住み込みで働くなら、部屋に鍵があるか、荷物を置けるか、休みの日に自由にできるか、食費がどう扱われるかは生活そのものに関わる。俺は雇う側としてやっと考え始めたばかりだが、リゼットは最初からそこを確認してくるあたり、都会の人間の気質というのはどうも事前準備というものがしっかりしているらしい。


「そのあたりはまだ整備中だ。今日の段階では、案として説明することになる。採用を決める前に、書面でちゃんと出すようにはする」


「承知しました。書面で確認できるなら問題ありません」


「……しっかりしてるな」


「以前の職場で、口頭条件と実際の扱いが違う事例を見ましたので」


その一言で、少し印象が変わった。


ただ条件にうるさい人間ではない。過去に見たことがあるのだろう。言った、言わないで揉める職場を。見習いだから、若いから、女だからという理由で、契約の細かいところを聞きにくい空気を。そういうものを見た人間が最初から書面を求めてくる。ギデオンの掲示板に並んでいた決まりと同じで、理由のあるちゃんとした細かさだった。


リゼットは帳簿やラベル作成の実技では、かなり優秀だった。商品名、番号、日付、保管棚、販売区分を短時間で整理し、サンプルの在庫表を見やすく作り替えた。ミーナが横で「すごい……」と小さく言った。俺も正直そう思った。俺の帳簿は最近かなりましになったとはいえ、まだ俺の頭の中を無理やり紙に出したようなところがある。リゼットの表は最初から他人が読むことを考えていた。


反面、工房の匂いには少し戸惑っていた。顔には出さないようにしていたが、スライム粘液の青い匂いを嗅いだ時、呼吸が一度浅くなった。本人もそれを隠さず言った。


「薬品関連の経験がないため、工房作業は慣れが必要だと思います。帳簿や棚管理から入るなら対応できますが、洗浄や素材処理を主業務にする場合、最初は時間をいただきたいです」


四人の面接が終わる頃には、外の空は少し傾き始めていた。職業斡旋局の補助職員は、全員をいったん馬車の近くへ戻し、採用判断は後日斡旋局を通じて連絡するという形で確認してくれた。俺はその場で誰かに「採用」と言わずに済んだことに、少しだけ胸を撫で下ろした。勢いで言ってしまいそうな自分が怖かったのだ。誰も悪くなかった。むしろ、全員どこかしら良かった。…最初からなんとなく予想していたことだが、そういうのが一番困るんだよな。


店の奥の小部屋へ戻ると、木板は応募者ごとの長所と課題で埋まっていた。


ハルト。瓶確認、箱詰め、在庫整理に強い。落ち着いている。肩の怪我があるため重作業不可。村暮らしは未知。薬そのものへの興味は中程度。


ネリア。洗浄、衛生、受付補助、患者対応の感覚あり。薬品臭に強い。緊張しやすい。虫が苦手。薬への興味は強い。


ボリス。力仕事、周辺警戒、修理、薪、採取時の安全面に向く。細作業は苦手。膝に不安。スライムを雑に扱う癖を矯正する必要あり。


リゼット。帳簿、ラベル、在庫表、条件確認に非常に強い。住み込み条件を重視。工房作業は未経験。将来的に事務管理へ向く可能性。


「……全員、違う意味でほしいな」


俺が言うと、アイスが即座に答えた。


「全員採用は不可です」


「分かってるさ。ただ言ってみただけだ」


「言ってみる癖が危険です」


「お前は俺の癖まで危険物にするな」


ミーナは木板を見ながら、かなり真剣な顔をしていた。


「今、一番困っているのは、瓶と棚と店頭ですよね。工房の中核は店主さんが触らないといけないですし、薬効説明は私と店主さんでやるとして、空き瓶確認、ラベル貼り、在庫整理、納品箱の準備が楽になるだけでも大きいと思います」


「そう考えるとハルトか」


「はい。安定していそうです。肩のことをちゃんと考えれば、無理なく働けるかもしれません」


「衛生と薬品対応ならネリアだな」


「そうですね。店頭で解毒薬の聞き取りを補助するなら、将来的にはネリアさんも良さそうです」


「帳簿ならリゼット」


「かなり助かると思います。でも、リゼットさんは条件をしっかり整えないと、逆にこちらの未整備な部分が全部見えちゃいそうです」


「もう見えてた気がする」


「見えていましたね」


二人でため息をついた。


アイスは記録板を見ながら、淡々と分析した。


「初回採用の目的を一つに絞るべきです。ロイドさんの負担軽減を最優先するなら、瓶確認と在庫補助のハルト氏。薬房としての安全性と店頭聞き取りの将来性を重視するならネリア氏。事業所としての帳簿整備を進めるならリゼット氏。採取や施設整備を重視するならボリス氏。ただしボリス氏は、初回採用より臨時雇用や外部作業依頼のほうが合うかもしれません」


「臨時で薪割りや納屋修理を頼むってことか」


「はい。彼の経験は有用ですが、現在の青ぷよ薬房の日常業務とはずれがあります」


「言い方は冷たいが、分かる」


ボリスは嫌いではない。むしろ村には馴染むかもしれない。猟師のバルドと一日で酒を飲む仲になる姿すら浮かぶ。けれど最初の住み込み従業員として、瓶洗いと棚管理を中心に任せるには少し合わない。膝の不安もあるし、無理をして薪を割り、翌日動けなくなる未来がどうしても見えてしまう。未来予知ではなく、こういう男を何人か見てきた経験からの予感だ。


「ハルトさんか、ネリアさんか、リゼットさんか……」


ミーナが木板を見つめる。


「一人に絞るのって、思ったより大変ですね」


「人を選ぶって、こういうことなんだな」


俺は椅子にもたれた。


採用するとは、採用しない人を決めることでもある。そんな当たり前のことに、今さら気づく。四人とも、それぞれ生活がある。仕事を探している理由がある。青ぷよ薬房へ来た理由がある。俺が誰かを選べば、他の誰かには断りを入れることになる。向いていないからではない。悪い人間だからでもない。今の店に合うか、最初の一人として必要か、その条件で選ぶだけだ。


それが、なんだか重かった。


スライムなら、未成熟個体は見逃す。濁った核は外用に回す。泥の混じった粘液は濾過回数を増やす。素材の判断は、まだ気が楽だ。相手は人間ではないし、こちらの判断で傷ついた顔をしない。けれど応募者は違う。断れば、相手はまた仕事を探す。レスタルムへ戻り、斡旋局の壁を見る。そう考えると、どの名前にも簡単に線を引けなかった。


「店主さん」


ミーナが静かに言った。


「全員を助けようとしなくていいと思います」


「……顔に出てたか」


「出てました」


「そんなにか」


「はい」


アイスも頷いた。


「雇用は救済ではありません。店の必要性と相手の適性が合うかどうかです。無理に受け入れると、結果的に相手にも不利益になります」


「分かってる。分かってるんだがな」


「分かっていても迷うのは、悪いことではありません」


アイスにそう言われるとは思わなかった。


俺が少し驚いて見ると、彼女は目を逸らさずに続けた。


「ただし、迷った結果を条件と記録で整理してください。感情だけで決めないことです」


「最後にいつものが来たな」


「必要です」


「はいはい」


木板の上で、四人の名前が並んでいる。


俺たちはその後も、かなり時間をかけて条件を詰めた。ハルトを採る場合、肩に負担をかけない仕事内容へ限定し、瓶確認と梱包を中心にする。ネリアを採る場合、最初は洗浄と店頭補助、薬効聞き取り表の訓練を行い、緊張対策としてミーナと一緒に接客する。リゼットを採る場合、帳簿と在庫表は大きく整う一方、工房作業へ慣れる時間が必要で、給金や条件面も最初から明確にしなければならない。ボリスは本採用ではなく、納屋修理や薪割り、周辺整備の短期契約として斡旋局へ相談する案が出た。


話せば話すほど、採用は商売そのものだと思った。誰を選ぶかだけではない。どの仕事を任せるか、何を任せないか、どこまで教えるか、給金をいくらにするか、住み込み部屋をいつまでに整えるか、村へどう紹介するか。人を入れる前に、店の形をこちらが分かっていなければならない。今まで俺は、自分の手の届く範囲だけで店を見ていた。釜、棚、客、森、帳簿。そこへ人が加わると、店は単なる場所ではなく、働く場所になる。


そう考えると、急に店の床板の軋みまで気になってきた。


「今日は決めないほうがいいな」


俺は木板を見ながら言った。


「はい。斡旋局へは、明日以降に返事でも大丈夫です」


ミーナが言った。


「一晩置くべきです」


アイスも頷いた。


「ただし、返答期限は守ってください。応募者を待たせすぎるのは不誠実です」


「分かってる。明日の昼までには方向を決めて、ギデオンに相談する」


「それが妥当です」


ようやく一息ついた時、外はもう夕方だった。店の前は静かになり、村の道には夕飯の匂いが流れ始めていた。遠くで誰かが牛を呼ぶ声がし、森のほうからは虫の音が聞こえる。面接で張りつめていた空気が少しずつほどけ、俺はやっと椅子の背にもたれた。ミーナも肩を回し、アイスはまだ記録板に何かを書いている。あいつの手だけは、疲れを知らないのだろうか。


その時だった。


店の扉が、こん、と小さく叩かれた。


強い音ではない。客が勢いよく入ってくる時の叩き方でも、村人が「ロイドいるか」と呼ぶ時の気安さでもない。ためらいがあり、けれど逃げるつもりもないような、短い音だった。


三人で顔を見合わせた。


「今日はもう閉店札、出してますよね」


ミーナが言った。


「ああ。出してる」


「職業斡旋局の人でしょうか」


「忘れ物かもしれないな」


俺は立ち上がり、店の表へ向かった。扉の向こうに人の気配がある。大人にしては軽い。子どもにしては、妙に息を潜めている。俺は少しだけ警戒しながら扉を開けた。


そこに立っていたのは、見知らぬ少年だった。


年は十五くらいだろうか。背は高くないし、かなり細い。白銀に近い髪が夕方の光を受けて薄く光り、肌は街の裏路地で育った子ども特有の、日に焼けているのか青白いのか分かりにくい色をしている。目つきは悪い。眠そうにも見えるし、こちらを信用していないようにも見える。服は擦り切れていたが、完全な浮浪児のぼろではなく、どこかで上等だった布を無理やり着古したような妙な違和感があった。靴は汚れていて、裾には馬車の下に潜った時についたような土と藁が絡んでいる。


少年は俺を見上げ、口を開くまでに少し時間を置いた。


「……ここ、青ぷよ薬房?」


「そうだが」


「人、雇うって聞いた」


声は低く、愛想がない。ひどく疲れたようで、それでいて目の奥だけは鋭い。野良猫が人の手に近づきながら、逃げ道だけは絶対に確保しているような目だった。


俺は扉を少し開けたまま聞いた。


「君は職業斡旋局の応募者じゃないな」


少年は一瞬だけ目を細めた。


「違う」


「じゃあ、どうやってここまで来た」


「馬車」


「今日の面接の馬車か?」


返事はなかった。


沈黙が答えだった。


俺は頭を押さえたくなった。つまり、この少年は職業斡旋局の馬車に隠れて、レスタルムからエルムホルン村までついてきたということになる。面接が終わり、応募者たちが帰る前か、あるいは馬車が村に着いた時にどこかで降り、今になって店の扉を叩いたのだろう。…おいおい勘弁してくれよ。求人一つ出しただけで、正式応募者のほかに隠し応募者まで来るとは聞いていないぞ。


「名前は?」


「ホワイト」


「ホワイト?」


「ホワイト・フロー」


その姓を聞いた時、奥から出てきたアイスの表情がわずかに変わった気がした。ほんの少しだった。ミーナは少年を心配そうに見ている。俺は少年の顔を見たまま、なるべく声を荒げないようにした。


「年は」


「十五」


「保護者は?」


少年の目が、露骨に冷えた。


「いない」


「いないってことはないだろ」


「いない」


会話が短い。


短いというより、切り落としているような話し方だった。必要以上のことを言えば、そこから何かを奪われると思っているような声。俺は若い頃の冒険者ギルドで、似た目をした子どもを見たことがある。家から逃げたのか、路地で育ったのか、誰かに追われているのか、詳しい事情は分からない。けれど、人を信用する前に相手の手元を見る子どもは、だいたい何かを抱えている。


「それで、何の用だ」


俺が聞くと、ホワイトは少しだけ顎を上げた。


「雇って」


「簡単に言うな」


「働く。瓶も薬品も運べる。毒物の札も読める。倉庫の整理もできる。……スライムも、扱える」


最後の言葉で、アイスの目がはっきり動いた。


俺も、少しだけ反応した。


「スライムを扱える?」


ホワイトは面倒くさそうに視線を外した。


「雑魚魔物だろ。別に」


その言い方は、どこか自分自身へ向けているようにも聞こえた。


俺は扉の外に立つ少年を見た。白い髪。悪い目つき。汚れた靴。馬車に隠れて来た無茶。求人を見て、わざわざエルムホルン村まで来た理由。雇ってくれという、短い言葉。


面接は終わったはずだった。


採用する人間を、四人の中から選ぶはずだった。


それなのに、青ぷよ薬房の扉の前には予定表にも応募者一覧にも載っていない少年が立っている。


俺は深く息を吸った。


「……とりあえず、中に入れ。話は聞く。ただし、雇うかどうかは別だ」


ホワイトは俺の顔をじっと見た。


信用していない目だった。


けれど、逃げなかった。


「契約、ちゃんとする?」


その一言で、俺は少しだけ眉を動かした。


「働くならな。給金も、仕事も、住む場所も、ちゃんと書く。勝手にこき使ったりはしない」


ホワイトは、ほんのわずかに目を伏せた。


その表情はすぐ消えたが、俺は見逃さなかった。


「……なら、話す」


少年はそう言って、青ぷよ薬房の中へ一歩入った。


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