第30話 初めての面接
二日間は、あっという間に過ぎた。
いや、正確に言えば、過ぎたというより押し流されたと言った方が近い。村長への説明、二階の物置の片づけ、納屋の雨漏り確認、寝台と鍵の見積もり、仕事の範囲を書いた説明書、給金案、試用期間、休日、食事、危険作業の線引き、工房で触ってはいけないものへの札貼り。やることを木板に書き出した時点ではこれを二日で終わらせるのは無理ではないかと思ったのだが、人間というものは追い詰められると意外に動く。動くには動くが、終わった頃にはだいぶ体力を消耗している。俺はスライム核なら綺麗に分離できるが、予定表に詰め込まれた用事を綺麗に分離する能力は持っていないのだ。
そして面接の日、青ぷよ薬房は朝から妙な緊張に包まれていた。いつものように釜は火にかかり、棚には青い小瓶が並び、店先にはすでに客が数組ほど来ていた。いつもと変わらない日常のはずなのに空気だけがどこか落ち着かない。午前の販売は早めに切り上げ、店先にはミーナの字で「本日午後、面接対応のため臨時短縮営業」と書いた札を出した。すると常連の冒険者が「面接? ついに従業員が増えるのか」と身を乗り出し、別の若い男が「じゃあ高純度の本数も増えるんですか」と目を輝かせたので、俺は棚の向こうから「そこまで簡単な話じゃない」と釘を刺した。
人が増えれば、ポーションが勝手に湧くわけではない。スライム核が棚の奥から増えるわけでもないし、釜が急に賢くなって自分で火加減を見てくれるわけでもない。むしろ最初のうちは、瓶の洗い方、薬草の分け方、ラベルを貼る位置、触っていい箱と駄目な箱、スライム粘液をこぼした時にまず何をするか、そういうことを一つずつ教えなければならないので、俺の仕事は増える可能性すらある。夢を見すぎるな。見れるものなら俺も見たいが、最近は夢より先に契約書と作業手順書が来るんだ。心してかからないと、あとで痛い目を見るからな…
昼過ぎ、村の入口のほうから馬車の音が聞こえた。
ミーナが店の窓から外を覗き、少しだけ声を弾ませた。
「来たみたいです」
「本当に来たか」
「来ますよ。面接ですから。職業斡旋局の人も、時間どおりに向かうって書いてありましたし」
「分かってるんだが、紙で見る応募者と馬車に乗ってこっちへ来る応募者では、現実の重さが違うんだよ」
「店主さん、緊張してます?」
「してない」
「今、手元の布を三回畳み直しましたよ」
「……緊張してるかもしれない」
認めるのは悔しいが、手元の布は確かに妙に綺麗な四角になっていた。普段なら作業台の端に適当に置いておく布である。それを三回も畳み直している時点で、俺の心はだいぶ落ち着いていない。人を雇う。面接をする。相手の仕事ぶりや性格を見て、こちらの条件を説明し、住み込みで働けるかどうかを確認する。言葉にすればそれだけなのに、実際にはその人間の生活の一部を預かる話でもある。瓶を一本仕入れるのとはわけが違う。割れたら買い直せばいい、という話ではないのだ。
アイスは店の奥で記録板を持っていた。
何も言わずに立っていれば、真面目な薬師会の若い研究者に見えなくもない。しかしあの記録板には「面接時観察項目」とか「作業工程適性推定」とか、応募者が見たら少し帰りたくなりそうな言葉がきっと書かれていることだろう。人間を雇う話をしているはずなのに、アイスにかかるとどうしても工程と適性と危険度に分解されるのはいかがなものかと思う。使いようによっては便利ではあるが、初対面の相手にいきなり向けていい刃物ではない。
「面接中、私は同席しますか」
「してくれ。ただし、最初から薬学理論で詰めるようなことはするなよ」
「詰めません。しっかり観察します」
「それが怖いんだ」
「必要な時だけ質問します。薬品臭への耐性、手指の細かい動作、衛生意識、記録への抵抗感、危険工程に対する理解、このあたりは確認しておくべきです」
「確認はいい。ただ、“あなたは粘液濃度の揺れをどう認識しますか”みたいな質問を最初に投げるなよ」
「初回質問としては不適切だと判断します」
「その判断を常に持っていてくれ」
「努力します」
努力という言葉に不安を覚えるようになったのは、たぶんアイスのせいだ。
馬車から降りてきたのは、職業斡旋局の若い補助職員と、応募者らしい四人だった。遠目にも、かなり雰囲気が違うのが分かる。大きな荷物は持っていない。今日は面接だけで、採用が決まるわけではないからだろう。職業斡旋局の補助職員が村の通りを見回しながら、少し緊張した顔でこちらへ歩いてくる。その後ろに、最初の面接予定者であるハルト・グレインがいた。
ハルトは、思っていたより細身だった。二十七歳と書かれていたが、落ち着いた顔つきのせいで少し上にも見える。髪は薄い栗色で短く整えられており、服は古いが清潔で、袖口や靴の手入れを見る限り、物を雑に扱う人間ではなさそうだった。腰には小さな帳面と紐でくくった筆記具を下げている。右手で持っている鞄は小さく、余計な飾りはない。港区の倉庫で働いていたというだけあって、歩く時に周囲の荷物や段差へ自然に目が行っている。店先に並べていた空き瓶箱を見た時、ほんの一瞬だけ視線が止まった。瓶の扱いに慣れている者の目だった。
職業斡旋局の補助職員が軽く頭を下げた。
「青ぷよ薬房のロイド・エルムホルン様でよろしいでしょうか。本日は職業斡旋局から、応募者四名をお連れしました。まずは予定通り、ハルト・グレイン氏から面接をお願いできますか」
「はい。よろしくお願いします」
俺も頭を下げた。
ハルトも、少し硬い動きで頭を下げた。
「ハルト・グレインです。本日はよろしくお願いします」
声は低すぎず、高すぎず、聞き取りやすかった。妙に愛想がいいわけではないが、不機嫌でもない。緊張しているのは分かる。そりゃそうだろう。レスタルムから馬車で辺境の村まで連れてこられ、噂の妙な名前の薬房でスライム素材のポーションを作っているおっさんと面接するのだ。俺が逆の立場ならかなり警戒するし、むしろ本当に大丈夫かと疑ってかかるところだ。
「こちらこそ。店主のロイドだ。こっちは店を手伝ってくれているミーナ。奥にいるのが薬師会から来ているアイス」
「ミーナです。よろしくお願いします」
「アイス・レインフォードです。作業適性確認のため、面接に同席します」
アイスは相手の反応を観察しているらしく、記録板へ何かを書き込もうとして俺と目が合うとぴたりと手を止めた。偉いぞ。今ここで筆を走らせたら、応募者のほうが「自分は面接を受けに来たのか、薬師会の実験対象になったのか」と不安になるところだった。記録は大事なのは分かるが、人間には記録される準備というものがあるんだ。少なくとも椅子に座って三呼吸もしないうちに観察項目へ分類されるのは、研究対象のカエルでも少し文句を言うと思う。
面接場所として整えたのは、店の奥にある小部屋だった。普段は俺たちが食事をしたり、帳簿を広げたり、ミーナが棚卸しの数字を確認したり、アイスが俺の「匂いが丸い」という発言をどう書類に残すか悩んだりしている場所である。今日はそこに、仕事内容一覧、給金案、住み込み条件案、試用期間の説明、危険作業に関する注意書き、触ってよい物と駄目な物の簡単な区分表まで並べてあった。こうして見ると、青ぷよ薬房とは思えないほどまともな面接会場になっている。
ハルトが椅子に座ると、俺は一度、深く息を吸った。
面接する側。
事業者主。
雇うかどうかを判断する人間。
その言葉が、自分の肩に乗るとやけに重かった。スライム素材の入った木箱より重い。木箱なら腰を入れて持てばいいが、これは正直どう持てばいいのかさっぱり分からない。今までは、駄目なら駄目でやり直せた。素材が悪ければ別の素材を使えばいいし、調合を失敗したなら鍋を洗って最初からやり直せばいい。だが人はそうはいかない。目の前の相手を「やっぱり違いました」で鍋ごと捨てるわけにはいかないのだ。そう考えると、面接というのは思った以上に胃へ来る作業だった。
「まず、遠いところまで来てもらってありがとう。うちは見ての通り、レスタルムの大きな工房じゃない。辺境の村にある小さな薬房だ。仕事も華やかなものじゃない。瓶を洗う、棚を整理する、ラベルを貼る、在庫を数える、薬草を選ぶ、箱を詰める、掃除をする。慣れてきても、しばらくはスライム核や高純度の仕込みには触らせられない。それでも、この求人に応募した理由を聞かせてもらえるか」
ハルトは少しだけ背筋を伸ばし、膝の上で両手を組んだ。倉庫仕事をしていたと書かれていた通り、座り方にも妙に落ち着きがある。大声で自分を売り込む感じではないが、言葉を選んで話そうとしているのは分かった。
「はい。私はレスタルム河川港区の倉庫で、薬瓶や小型木箱の管理補助をしていました。荷札を確認し、棚ごとに瓶箱を分け、破損がないか見て、出荷前の数を合わせる仕事です。重い荷を運ぶこともありましたが、去年、貨物の積み替え中に右肩を痛めまして、医者から重荷役は控えるように言われました。大きな商会の倉庫では、どうしても力仕事を避けきれません。帳簿だけの仕事へ回してもらう話もありましたが、私は机に向かい続けるより、手を動かして物を整える仕事のほうが向いていると思っています。青ぷよ薬房の求人票に、瓶管理、ラベル貼り、在庫整理、梱包とありましたので、これならこれまでの経験を活かせるかもしれないと考えました」
思ったより、しっかりした答えだった。
ミーナが木板に小さく「経験あり、肩の怪我」と書く。アイスはじっとハルトの右肩を見た。頼むから見すぎるなよ?面接でいきなり身体の部位を観察されると怖いだろう。薬師としては怪我の程度や動きの癖を見たいのかもしれないが、今は診察ではない。応募者が相手である。人間には、見られていると分かると余計に肩が固まる瞬間があるんだ。
「肩の具合は、どの程度なんだ?」
俺が聞くと、ハルトは慌てることなく答えた。
「日常作業や軽い箱運びは問題ありません。重い木箱を一人で持ち上げること、肩より上へ荷を積むこと、長時間続けて荷役を行うことは避けるように言われています。瓶箱程度なら両手で持てば運べますし、台車が使えるならかなり楽です。ただし、無理をすれば悪化する可能性があるので、そこは正直に申告します」
「正直に言ってくれるのは助かる」
「隠して採用されても、働き始めてから困るのはこちらも店主様も同じだと思いました。できないことをできると言ってしまうと、結局、荷物にも人にも迷惑がかかります」
そういうのは気恥ずかしいからやめてほしい。
俺は様をつけられるような店主ではない。朝はスライムを追い、昼は客に値段で困惑され、夕方はアイスに「匂いが丸い」を記録されるただのおっさんだ。様をつけるなら、せめてもう少し立派な服を着ている時にしてほしい。
「住み込みについては、どう考えている?」
「求人票で確認しました。レスタルムから毎日通うのは無理ですので、住み込みが前提になることは理解しています。村暮らしの経験はありません。港区育ちなので、最初は慣れないと思います。ただ、大人数の倉庫や夜遅くまで騒がしい宿舎より、静かな場所のほうが今の自分には合うかもしれないとも思っています」
「静かすぎる可能性はあるぞ。夜は本当に静かだ。人の声より虫の声のほうがよく聞こえるし、店も市場も早く閉まる。冬は道が悪くなる。店の周りには娯楽も少ない。酒場も大きな市場もない。村人は距離が近いし、外から来た人間のことはたぶん皆が気にするだろう」
「はい」
「それでも大丈夫か?」
ハルトはすぐには答えなかった。少し視線を落とし、膝の上で組んだ手に目をやってから、こちらを見た。
「大丈夫と言い切るのは、まだ早いと思います。実際に住んでみないと分からないことがあります。ただ、条件を事前に聞いたうえで、それでも試用期間を受けたい気持ちはあります」
俺は思わずアイスを見た。
アイスは小さく頷いた。
たぶん、今の答えは悪くないのだろう。「大丈夫です」と軽く言われるより、分からないことを分からないと言われるほうが、俺には信用しやすかった。村暮らしは良いことだけではない。静かだし、水はきれいだし、森も近い。けれど不便でもある。外の人間にとっては、閉じた空気に感じるかもしれない。そこを考えずに「平気です」と言われると、少し不安になる部分もあった。
「薬品やポーションの匂いに弱いとか、そういうことはあるか?」
「強い香油や腐敗臭は苦手ですが、薬瓶洗いの経験がありますので、一般的な薬品臭は問題ありません。スライム素材については、実際に近くで扱った経験が少ないので、確認したいです」
「正直でよろしい」
アイスがつぶやいた。
ハルトが少し緊張した顔でそちらを見る。
「すみません、何か問題が?」
「いいえ。未経験分野を未経験と申告するのは良い判断です。薬品臭に対する耐性は、実際に工房見学で確認します」
「はい」
アイスの言葉は相変わらず硬いが、ハルトはきちんと受け止めていた。今のところ、会話の内容自体は悪くない。
「細かい作業はどうだ?」
俺が聞くと、ハルトは少しだけ表情を柔らかくした。
「得意なほうだと思います。倉庫では、薬瓶の数量確認、破損品の選別、木箱への札付け、納品先ごとの仕分けを担当していました。特に、瓶の口が欠けていないか、栓が緩くないか、箱詰めした時に中で動かないかを見る作業はよく任されていました」
ミーナの目が、分かりやすく輝いた。
俺も思わず、少し前のめりになりかけた。
瓶の口欠けを見られる。
これは大きい。
ポーション作りでは、瓶というものが思ったよりずっと大事だ。中身がどれだけ良くても、瓶の口が欠けていれば栓がきちんと締まらないし、わずかな隙間から魔力が抜ければ保存性が落ちる。輸送中に漏れでもすれば、騎士団へ納める木箱の中が青く染まり、納品書より先に謝罪文を書く羽目になる。そんなことになったら俺の胃まで青くなる。最近ようやく瓶の確認を徹底し始めたが、正直なところ、調合と販売と納品準備の合間に俺とミーナだけで全部の瓶を見て回るのはかなり負担だった。
「瓶の欠け、見られるんだな」
「はい。光に透かして縁の歪みを見る、指で軽く回して引っかかりを確かめる、栓を仮に合わせて緩みがないか確認する、箱詰め前に口元を布で拭いて繊維が引っかからないかを見る。その程度ならできます」
「その程度って言うな。うちではかなり助かる内容だぞ」
ハルトは少し意外そうに目を瞬かせた。
「そうですか」
「ああ。うちは今、瓶が増えすぎている。洗って乾かして、欠けを見て、ラベルを貼って、栓を合わせて、箱に詰めて、納品分と店頭分に分ける。気づくと中身より瓶のほうが俺を追いかけてくる日があるくらいだ」
「……瓶が追いかけてくるのですか?」
「例えだ。実際に追ってきたら、俺は店を閉めて神父を呼ぶことになる」
「店主さんの例えは時々変ですから、気にしないでください」
ミーナが小声で言った。
「今は面接中だぞ」
「だから小声です」
ハルトが、ほんの少しだけ笑った。
その笑い方は控えめだったが、張りつめていた肩の力が少し抜けたように見えた。ふむ、悪くない。ここで大笑いされると、俺の事業者主としての薄い威厳がさらに薄くなるし、逆にまったく笑わない相手だと、この店の空気に合うのか少し不安になる気もする。前もって言わせてもらうが、うちは真面目な薬房ではある。ただスライム粘液を相手に「今日はぷるがいいな」と言うような気の抜けた職場でもあることも事実だ。その点、ハルトの反応はちょうどよかった。
「では、こちらから条件を説明します」
俺はギデオンに教えられた通り、用意した紙を一枚ずつ出した。
「まず、採用するとしても最初は試用期間一か月。仕事内容は、瓶洗い、瓶確認、乾燥棚管理、ラベル貼り、空き箱整理、納品箱の補助、在庫数え。薬品の中核工程、スライム核の膜処理、高純度品の調合、解毒薬の配合には触らせない。工房内で触っていい棚と駄目な棚は札で分ける。勤務時間は朝の仕込み準備から夕方の片づけまで。昼休みあり。休日は月に四日以上、村の行事や体調で調整。住み込みの場合、寝床と朝夕の食事はこちらで用意する。昼は店の都合に合わせる。給金は試用期間中がこの額、本採用後はこの額。ただし、危険作業や採取同行が入る場合は別に手当をつける」
一息に言うと、喉が渇いた。
人に条件を説明するのは、ポーションを説明するより疲れる。ポーションなら単純に効能や値段を言えばいい。人を雇う条件は、その人の一か月、一年、生活そのものに関わる。間違えればあとで揉めるらしいからな。しわがれたギデオンの言葉が頭の中で何度も響く。揉めるから制度がある。揉めるから書く。揉めるから決める。
ハルトは黙って紙を受け取り、一つずつ読んだ。
思ったよりもかなり丁寧に読んでいる。
流し読みしない。給金欄で一度止まり、住み込みの食事条件でまた止まり、危険作業の項目で眉を少し動かした。
「質問してもよろしいですか」
「もちろん」
「肩の件がありますので、採取同行や重い木箱運搬は、事前に相談したいです。瓶箱程度なら問題ありませんが、騎士団向けの納品箱がどの程度の重さになるか見ておきたいです」
「それは見てもらったほうがいいな。無理なものは無理と言ってくれ。黙って悪化されたほうが困るからな」
「ありがとうございます。それと、住み込み部屋は本採用後に使用開始ですか」
「試用期間中から必要なら使ってもらうことになる。ただし、今はまだ整備中だ。今日見てもらって、足りないところも正直に話す。鍵と寝具は勤務開始前に用意する」
「分かりました。もう一点、休みの日にレスタルムへ戻ることは可能ですか」
「馬車代と時間の問題はあるが、禁止はしない。道の安全と店の予定次第だな。距離が距離だから毎週は難しいかもしれない」
「承知しました」
質問が具体的だった。
悪くない。
少なくとも、条件をろくに聞かないまま「何でもやります」と胸を張るタイプではなさそうだった。それは助かる。何でもやります、という言葉は一見すると頼もしく聞こえるが、実際には仕事の範囲も責任も分からないまま勢いだけで言っている場合がある。人間は瓶ではない。空いているからといって、何でも詰め込めばいいわけではないのだ。無理に詰めれば割れるし、混ぜてはいけないものを混ぜれば、あとで困るのは本人だけでは済まない。
そこでアイスが、初めてまっすぐハルトに視線を向けた。
「ポーションを扱う仕事について、どのように考えていますか。便利な商品である、という理解だけでは危険です。瓶を洗う、札を貼る、棚へ置く、箱へ詰める。そのどれも調合そのものではありませんが、間違えれば使用者に影響が出ます」
いきなり少し重いな。
だが、聞くべきことではあった。アイスは言い方こそ冷たいが、見ている場所は間違っていない。ポーションは売れればいい品物ではない。傷を癒やすこともあれば、飲む量や用途を間違えれば体に負担をかけることもある。解毒薬と疲労回復薬を取り違えるだけでも、現場では大きな事故になるかもしれない。うちの棚に並んでいる青い小瓶は見た目だけならどれも似ている。だからこそ、札と棚と箱の間違いは怖い。
ハルトは少し緊張した顔になったが、すぐに答えず、考える時間を取ってから口を開いた。
「私は薬師ではありませんので、専門的なことは分かりません。ただ、倉庫で薬瓶を扱っていた時、納品先を間違えた瓶が一箱あって、大きな問題になったことがあります。色は似ていましたし、瓶の形もほとんど同じでしたが、中身は用途が違いました。その時、上役から、薬は商品である前に人の体へ入るものだと厳しく言われました。ですから、ポーションも同じだと思っています。私は調合はできませんが、札や箱や棚を間違えないことなら、薬の安全に関わる仕事だと考えています」
部屋が少し静かになった。
俺はミーナを見た。
ミーナは小さくうなずいていた。
アイスは表情を変えないまま、ほんの少しだけ記録板へ目を落とし、それから言った。
「悪くありません」
ハルトは、それが褒め言葉なのかどうか分からなかったらしく、一瞬だけ戸惑った顔をした。
俺は助け舟を出した。
「アイスの“悪くありません”は、かなり良いほうだ」
「そうなのですか」
「たぶんな」
「たぶんではありません。現時点では良評価です」
「ほらな」
「分かりにくい評価で申し訳ありません」
「そこは少し自覚あるんだな」
「伝達方法には改善余地があります」
「面接中に自分の改善点を記録するなよ」
ハルトは、そこで少しだけ肩の力を抜いた。
面接は、まだ始まったばかりだった。工房見学も残っている。住み込み予定の部屋の確認もある。瓶の欠けを見る実技も、軽い箱を持った時に肩へ負担が出ないかの確認も、こちらの勤務条件を一つずつ説明する時間も必要だ。採用するかどうかは、まだ決めない。そんな簡単には決めてはいけない。俺は困っている人を見ると、条件を詰める前に気持ちだけで受け入れそうになる傾向があるらしいし、今回は店の未来と相手の生活がかかっている。ここで勢いだけで決めると、きっと後で誰かが困ることになるだろう。なにより目の前のこの男が困ることになる。そして漏れなく俺も頭を抱えることになる。
それでも最初の応募者として、ハルト・グレインは悪くなかった。
俺はそう思いながら、机の上に置かれた条件書と、まだ少し緊張を残した応募者と、真剣に木板へ記録するミーナと、相変わらず冷静な顔で観察しているアイスを見た。
本当に始まってしまったのだと思った。
青ぷよ薬房は、俺が一人で釜を見て、ミーナが手伝って、アイスが記録を取るだけの店ではなくなろうとしている。人を雇い、教え、管理し、守り、判断する店になろうとしている。俺はまだ、自分がその主に向いているとは少しも思えない。スライム核の膜なら傷つけずに外せる。釜の泡なら見ていられる。ポーションなら、まあ作れる。けれど、人を育てることは別だ。相手は核でも粘液でもない。こちらの都合で煮たり濾したりできない。言葉で伝え、失敗を見守り、できるようになるまで待たなければならない。
面倒だ。
それでも、必要なのだろう。
俺は条件書をもう一枚めくり、ハルトに向き直った。
「それじゃあ次は、実際の工房を見てもらう。触っていいものと駄目なものを分けてあるから、まずは見学だけだ。そのあと、空き瓶の確認を少しやってもらう。採用を決めるための試験というより、お互いに仕事が合うかを見るための確認だと思ってくれ」
「はい。よろしくお願いします」
ハルトは静かに立ち上がった。
俺も立ち上がった。
奥の工房へ続く扉の向こうからは、今日の仕込みを終えた釜の匂いがまだ少し残っていた。青くて、少し甘い、スライム粘液と薬草の匂い。俺にとってはいつもの匂い。外から来た人間にとっては、これから自分が働くかもしれない場所の匂い。
その扉を開ける前、俺はふと、店先の看板を思い出した。




