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第28話 面倒であることと、必要であること



解毒薬については、さらに厄介だった。アイスによれば、毒には生物毒、腐敗毒、魔力毒、鉱毒、呪毒などがあり、青ぷよ薬房で作れる解毒薬は主に生物毒と軽い腐敗毒、そして一部の魔力毒の緩和に向いているらしい。俺は今まで「毒っぽいならこれ」と出していたところがあり、ここでも少し背筋が冷えた。万能解毒薬など、そう簡単に存在しない。むしろ万能をうたう薬ほど怪しい、とアイスは言った。


「では、解毒薬は“何に効くか”より、“何には効かないか”を明記すべきです」


アイスはそう言った。


「呪毒、鉱毒、正体不明の複合毒には使用後すぐ治療院へ。症状が進んでいる場合は、薬だけで済ませない。店頭では高純度解毒薬の販売数を絞り、可能なら症状を聞いてから出すべきです」


「症状を聞くって、俺に判断できるか?」


「最低限の聞き取り表を作ります。噛まれたのか、刺されたのか、何を食べたのか、発熱、しびれ、呼吸、色の変化、意識の状態。完全診断はできませんが、危険な場合に止めることはできます」


「また紙が増えるな」


「命を守れるケースも増えます」


「そう言われると拒みにくいな」


ミーナが静かに頷いた。


「聞き取り表、私も覚えます。店頭でお客さんが慌てている時、店主さんが工房にいたら私が先に聞けるようにしたほうがいいですよね」


「助かるけど、無理はするなよ。毒の客なんて慌ててるに決まってるし」


「分かっています。でも、何も分からないまま瓶を渡すよりはいいと思います」


ミーナの声は明るいままだったが、表情は真剣だった。


「ミーナには、初級薬学の基礎を教えるべきですね」


アイスが言った。


「え、私ですか?」


「はい。店頭対応をするなら、最低限の薬効、禁忌、症状聞き取り、保管方法、販売制限を知っておく必要があります。薬師資格を取るほどではなくても、補助員としての基礎教育は必要です」


「私、学院に行ったことないですよ」


「店で教えます。座学は私が担当します。実務はロイドさんが担当します」


「俺も入るのか」


「当然です。あなたの説明は曖昧ですが、現場判断は有効ですから」


「褒めながら刺すの、本当にやめろ」


ミーナは少し驚いたように目を丸くして、それからゆっくり笑った。


「私、ちゃんと覚えます。お客さんに変な説明をしないようにしたいですし、店主さんが釜に集中できる時間も増やしたいので」


「ミーナ……」


「それに、帳簿と在庫だけ分かっていても、薬のことが分からないと怖いですから」


「本当に偉いな、お前」


「その分、お給金の相談もいつかお願いしますね」


「現実に戻すのが上手い」


「商売ですから」


ミーナはにこっと笑った。クラウスの資料が村娘を少しずつ商業組合側へ染めている気がする。けれど、給金の相談は当然の話だった。人を雇うとはそういうことだ。感謝だけで人は働けない。俺も若い頃に、飯だけ出すから手伝えと言われて丸太運びをさせられ、翌日腰をやったことがある。あれ以来、労働にはちゃんと対価がいると思っている。もっとも、今の俺がその対価をきちんと計算できるかは別問題なので、そこはクラウスとギデオンの顔がちらつくが。


「今後の商売計画としては、三段階に分けるのが妥当です」


アイスが、木板の空いている場所へ線を引いた。


「第一段階は、店の安定化。商品区分、価格表、在庫管理、販売制限、聞き取り表、製造記録を整える。現在ここです」


「すでに多いな」


「第二段階は、生産能力の整理。ロイドさんが必ず担当すべき工程と、補助員へ任せられる工程を分けます。瓶洗い、ラベル貼り、棚管理、簡単な薬草選別、粘液の粗濾し、販売記録は教育次第で任せられます。核洗浄、膜処理、魔導核抽出、高純度品の仕上げは当面ロイドさんが担当するべきです」


「人を増やすってことか」


「いずれ必要です。現時点で、店頭、仕込み、採取、記録、契約対応を三人で回すのは不安定です」


「三人って言うけど、お前は薬師会から来てるだけで、うちの従業員じゃないぞ」


「現実の稼働としては含めるべきです」


「さらっと居座る前提に近づいてないか?」


「研究期間中は必要です」


「期間が終わったら?」


アイスは少しだけ黙った。


本当に少しだった。けれど、彼女がそこで即答しなかったことに、俺は気づいた。ミーナもたぶん気づいていた。アイスは目を記録板へ落としたまま、いつもの冷たい声で答えた。


「その時に判断します」


「そうか」


「はい」


それ以上は言わなかった。俺も聞かなかった。アイスは理論の人間で、薬師会の研究生で、魔導学術院を主席で出た天才で、青ぷよ薬房に長くいるような人物では本来ない。彼女には彼女の道がある。薬師会の研究室も、論文も、師匠であるセレーナもいる。けれど、今この瞬間、彼女は俺の古い机の前に座り、青ぷよ薬房の商品区分を真剣に考えている。それが少し妙で、少し面倒で、少しだけ悪くないと思っている自分がいた。


「第三段階は、外部対応です」


アイスは話を戻した。


「騎士団契約、薬師会研究、商業組合報告、外部商会からの接触。これらは今後確実に増えます。ロイドさんが毎回その場で判断すると、相手の条件に流される危険があります。事前に方針を決めるべきです」


「方針ねえ」


「はい。例えば、卸販売は当面しない。高純度品の大量供給は受けない。契約本数は月ごとの上限を設定する。村内生活価格を守る。転売対策として購入記録を取る。薬師会への研究提供は用途を明記させる。新商品は薬師会確認前に広く売らない」


「最後のやつ、試作品を欲しがる客が聞いたら泣くな」


「泣いてもらってください」


「冷たい」


「試作品で客を泣かせるよりましです」


「それはそうだ」


ミーナが木板に大きく「方針」と書いた。そこへ、三人で少しずつ項目を増やしていく。


村内生活価格は守る。外部価格は品質に合わせる。高純度品は数を絞る。疲労軽減薬は“休むための薬”として売る。解毒薬は聞き取り表を使う。騎士団分は契約上限を超えない。薬師会提供分は研究用途を確認する。商会への卸しは当面見送り。補助員を雇う場合は、まず瓶洗いと棚管理から。ミーナには初級薬学と販売聞き取りを教える。ロイドの睡眠を確保する。


最後の項目だけ、妙に家庭内の決まりごとみたいだった。


「俺の睡眠、方針に入るのか」


「入ります」


アイスとミーナが同時に言った。


「声がそろったな」


「店主さんが倒れたら、店が止まりますから」


「ロイドさんの技術は現時点で代替不能です。過労で判断精度が落ちるのは避けるべきです」


「心配されてるのか、設備扱いされてるのか分からないんだが」


「両方です」


「そこもそろえるな」


二人は顔を見合わせ、ミーナは笑い、アイスは少しだけ首を傾げた。アイスのほうはどうして笑われたのか分かっていない顔だった。やはり人の空気というのが苦手らしい。


会議が終わる頃には、木板は文字でいっぱいになっていた。俺が一人で考えていたなら、たぶん途中で嫌になって釜を洗いに逃げていたと思う。けれど三人で話すと、不思議と形になった。アイスが専門的な分類と危険性を出し、ミーナが店頭で使える言葉へ直し、俺が生活感と実際の作業に引き寄せる。三人の言っていることはばらばらで、時々まったく噛み合わない。アイスは理論へ行きすぎるし、俺は感覚へ逃げすぎるし、ミーナは笑顔で現実を置いてくる。それでも木板の上には、青ぷよ薬房が明日からどう動くべきかが少しずつ見える形で残っていた。


「つまり、ポーションっていうのは、ただ効けばいい薬じゃないんだな」


俺がそう言うと、アイスは記録板を閉じながら頷いた。


「はい。効果、安全性、再現性、保存性、説明、流通、使用者の理解まで含めて、初めて商品になります。薬師の仕事は液体を作ることだけではありません。使われ方まで設計することです」


「使われ方まで、か」


「あなたは今まで、そこを村の信頼関係で補っていました。村人の顔を知っていて、生活を知っていて、どの程度の薬を渡せばいいか感覚で分かっていた。外部客が増えると、それは通用しません。だから制度、分類、記録、説明が必要になります」


「面倒だな」


「面倒です」


「否定しないのか」


「面倒であることと、必要であることは両立します」


「本当に嫌な名言を作るな」


ミーナが木板の端に、小さくその言葉を書いていた。


「書くなよ」


「いい言葉だと思います」


「俺は嫌だ」


「でも、青ぷよ薬房にぴったりですよ」


ミーナはそう言って、木板をこちらへ向けた。


面倒であることと、必要であることは両立します。


たしかに、今のうちの店そのものだった。価格改定は面倒だ。棚分けも面倒だ。聞き取り表も面倒だ。薬学の基礎を学ぶのも、工程を記録されるのも、疲労軽減薬の売り文句を考えるのも面倒だ。けれど、どれも必要だった。必要だと分かってしまった。分かってしまった以上、知らないふりをして釜だけ見ているわけにはいかない。世の中には知らないままでいたほうが幸せな知識がある。税金がそうだ。そして薬学も、少しだけその仲間に入りかけている。知れば知るほど、責任が増えるからだ。


「なあ、アイス」


「何ですか」


「薬学って、思ったより怖いな」


アイスは少しだけ目を細めた。


「怖い学問です。魔力と生命の境界を扱いますから。効く薬は、人を助ける力を持つ一方で、間違えば人を壊します。だから、記録と理論と制度が必要です」


「そりゃ、俺みたいなのが感覚だけでやってたら怒られるわけだ」


「怒ってはいません」


「初日からずっと怒ってるように見えたぞ」


「苛立っていました」


「正直だな」


「理解できないものを見ると、苛立ちます。特に、結果が正しいのに理論が見えないものは不快です」


「俺、今わりとひどいこと言われてるよな」


「以前よりは不快ではありません」


「それ、褒めてるのか?」


アイスは少し考えた。


「たぶん」


「たぶんで褒めるな」


ミーナが吹き出した。俺も少し笑った。アイスはやはり分からない顔をした。食卓の上には、冷めた茶と、文字だらけの木板と、アイスの記録板と、ミーナの炭筆が並んでいた。窓の外では、村の夜が深くなっている。工房の方では、冷えた釜と瓶詰めを終えたポーションたちが静かに棚で休んでいる。明日になれば、また客が来る。村人が来て、冒険者が来て、たぶん商人も来る。騎士団の納品箱も作らなければならない。聞き取り表も作る。ミーナの初級薬学講義も始まる。アイスは俺の「匂いが丸い」をどうにか別の言葉へ翻訳するのだろう。


静かな商売からは、また少し遠ざかった気がする。


それでも、今日決めたことは悪くなかった。


「よし」


俺は木板を見ながら、ゆっくり息を吐いた。


「明日から、生活用、冒険者用、高純度、疲労軽減、解毒で札を作り直す。疲労軽減には“休む前の一本”。解毒には“症状を聞いてから”。高純度は店頭五本まで。緊急用は絶対に残す。騎士団分は十本。研究用は……」


「三本」


アイスが言った。


「一本」


「三本」


「二本」


「三本」


「増やすな。二本半」


「瓶を半分にする意味がありません」


「前にも聞いたな、このやり取り」


「では二本で妥協します。ただし、粘液濃度記録付きの個体を優先してください」


「分かったよ」


「ありがとうございます」


「お前が礼を言うと、少し不安になるな」


「なぜですか」


「そのあと追加条件が来そうだから」


「では、追加で聞き取りを」


「ほら来た」


ミーナが笑いながら立ち上がった。


「聞き取りは明日の朝にしましょう。今日はもう遅いです。店主さん、本当に目が閉じかけています」


「閉じてない。少し内側を見てるだけだ」


「それ、寝る前の言い訳ですよ」


「違うぞ。たぶん」


「たぶんですね」


アイスが記録板へ手を伸ばしたので、俺は慌てて止めた。


「今の“たぶん”は記録するな」


「重要です」


「重要じゃない」


「作業者の自己認識と実態の差は重要です」


「俺の眠気まで理論にするな」


結局、その日の聞き取りはそこで打ち切りになった。ミーナが木板を棚の上へ立てかけ、アイスが不満そうにしながらも記録板を閉じ、俺はようやく安酒を少しだけ盃へ注いだ。いつもなら、釜を洗ったあとに一人でちびちびやる時間だ。今日は机の向こうにミーナがいて、横にアイスがいて、木板には商売計画がびっしり書かれている。全然落ち着かないけれど、不思議と嫌ではなかった。


盃を口へ運ぶと、安酒の少し荒い香りが喉を通った。


「……薬学って、酒にも応用できるのか?」


何となくつぶやくと、アイスが顔を上げた。


「発酵、薬草浸漬、魔力保存、蒸留技術との関連があります。詳しく説明できます」


「いや、今のは忘れてくれ」


「なぜですか」


「酒がまずくなる」


ミーナがまた笑った。


俺は盃を置き、木板に書かれた計画をもう一度見た。生活用。冒険者用。高純度。疲労軽減。解毒。緊急用。騎士団。薬師会。聞き取り表。補助員教育。店主の睡眠。文字だけ見ると、俺の小さな店には少し荷が重い。しかしこれが今の青ぷよ薬房の現実なのだろう。


俺はただ、スライムしか狩れない男だった。


そのスライムで作ったポーションが、なぜか人を集め、制度を呼び、薬学の天才を連れてきて、村娘を有能な現場管理者に育て、俺の夕食後の酒まで講義に変えようとしている。


人生というのは、本当に斜めに転がる。


それでも明日の朝になれば、俺はまた森へ行き、スライムを採り、釜の前に立つのだろう。面倒ごとは増えた。書類も増えた。知らないほうが幸せだった知識も増えた。けれど、ポーションというものが何なのか、ほんの少しだけ分かった気がする。


ポーションは、瓶の中の青い液体だけではない。


採る者がいて、洗う者がいて、煮る者がいて、記録する者がいて、売る者がいて、使う者がいる。そのすべてが繋がって、初めて薬になる。


「……面倒だな」


俺がぽつりと言うと、アイスが当然のように答えた。


「必要です」


ミーナが笑って、木板の端を指で軽く叩いた。


そこには、さっきの言葉がまだ残っている。


面倒であることと、必要であることは両立します。


俺は深いため息をつき、盃をもう一度持ち上げた。


「せめて、明日は客が少ないといいな」


「明日は高純度が五本だけなので、早めに売り切れると思います」


ミーナが言った。


「聞かなかったことにする」


「聞き取り表も出すので、説明に時間がかかります」


アイスが言った。


「それも聞かなかったことにする」


「現実です」


「その言葉を店の禁句にしよう」


二人はそろってこちらを見た。


「無理ですね」


「無理です」


どうやら、明日も静かにはならないらしい。


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