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第25話 魔導核製法の仕込み



次は、魔導核製法の仕込みである。


魔導核製法というと、いかにも王都の薬師学院で何年も机にかじりついた人間しか扱えなさそうな響きがあるが、大ざっぱに言えば、魔物核に残った魔力を液体へ移し、それを薬草や媒体液で人の体に馴染む形へ整える製法だ。魔物核というものは、小さくても魔力の塊であり、そのまま体に入れれば強すぎたり、流れの向きが合わなかったり、薬草の成分と喧嘩したりする。だから核から魔力を無理なく引き出し、液体の中でほどき、薬草の性質と合わせ、体の中で暴れないように落ち着かせる。理屈としては、たぶんそういうことなのだろう。たぶん、というのは、細かい理論をすべて俺に聞かれても困るからである。薬師会の人間や、横で目を光らせているアイスに任せたい。俺は釜を見る。釜は嘘をつかないし、書類も要求してこない。たまに泡で文句を言ってくるくらいだ。


まず、大釜に媒体液を張る。媒体液と言っても、ただの水をそのまま使うわけではない。井戸水を一度しっかり煮沸し、冷ましてから銀葉草の浄化液をほんの少し混ぜ、さらに青水花の抽出液を一滴、いや、その日の水の重さによっては半滴分くらい落とす。半滴とは何だと言われると困るが、実際に半滴くらいなのだから仕方ない。水面は一見すると透明だが、釜の底のほうでは淡い青い光が薄く揺れている。明るすぎれば媒体が強い。沈みすぎれば薬草の気配が弱い。今日は全体として出来は悪くない。少し冷えが早いので、火を入れる前に馴染ませる時間を長めに取ればいい。


そこへ、下処理を終えたスライム粘液を細く垂らしていく。ここでまとめて入れると、粘液が水の中で糸のように固まり、あとからどれだけ混ぜても魔力の通り道が偏る。そうなると釜の中では一見きれいに見えても、瓶に詰めたあとで底のほうに魔力が寄ったり、薬草成分だけが先に立ったりして、飲んだ時に喉の奥へ変な重さが残ってしまう。だから極力急がないようにする。木べらを釜の縁に沿わせ、縁から中心へ、中心から底へ、底からまた縁へ戻すように、液体の流れを崩さず、粘液が水の中で自分からほどけるのをじっと待つ。


「回転方向は一定ですか」


横からアイスが聞いてきた。


手には記録板。視線は釜。俺ではない。たぶん俺という人間より、俺の手元の角度のほうが今は重要なのだろう。


「最初は一定だな。粘液が開くまでは、流れを迷わせないほうがいい」


「開く、というのは粘度が下がるという意味ですか。それとも媒体液との魔力馴染みが進むという意味ですか」


「両方だ。水の中で粘液が薄く広がって、へばりつく感じが消える。そこまで行ったら、少しだけ逆へ戻す」


「戻す理由は」


「同じ方向だけで混ぜると、流れが硬くなる」


「流れが硬いとは」


「泡が角ばる」


「泡は角ばりません」


「いや、角ばる時があるんだよ。丸い泡じゃなくて、縁が引っかかる泡になる。見れば分かる」


「見ます」


俺が適当にごまかしたくなるところを、アイスは容赦なく覗き込んできた。横顔は相変わらず冷たいのに、瞳の奥だけは妙に熱い。釜の中に顔を突っ込みかねない距離まで近づくので、俺は木べらを動かしたまま、肘で軽く制した。


「近い。湯気を吸いすぎると喉が変になるぞ」


「この程度なら問題ありません」


「問題が出てからじゃ遅いんだよ。うちは研究室じゃない。倒れたらミーナに怒られるのは俺だ」


「……距離を取ります」


「よろしい」


アイスは少しだけ不満そうにしたが、半歩下がった。こういうところで素直なのか、ただ必要性を理解したから下がったのかは分からないが、とにかく下がったならよしとする。俺は木べらを止めず、釜の表面を見た。粘液が媒体液に馴染んでくると、表面に小さな泡が浮く。いい泡は丸く、光を抱えたまま少し揺れて、すぐには消えず、最後は静かに潰れる。悪い泡は大きく、縁が白く濁り、ぱちりと乾いた音で弾ける。今日は粘液に少し厚みがあるぶん泡の戻りは遅いが、濁りは比較的少ない。これなら加熱は弱めでいい。


「今の泡を、良好と判断した根拠は」


「縁が白くない。潰れ方が急じゃない。あと、泡の下に青みが残ってる」


「青みの残存時間を測ります」


「測れるなら測ってくれ。俺はその間に火を見る」


「火加減も数値化します」


「ほどほどにな。火は数字だけ見てると、釜の機嫌を見落とすぞ?」


「釜に機嫌はありません」


「あるんだよ、古い釜には」


「記録上は、熱伝導の偏りと鍋底の摩耗です」


「それを俺は機嫌と呼んでる」


アイスは納得していない顔をしたが、相変わらず記録は取っていた。たぶん「店主は熱伝導の偏りを釜の機嫌と表現」とでも書かれているのだろう。後で薬師会へ提出されたら少し恥ずかしいが、大方間違ってはいない。俺は釜の縁を指先で軽く叩き、火の入り方を確かめてから、次の工程へ移った。


洗浄を終えたスライム核を、小さな魔導抽出器へ入れる。抽出器と言っても、うちにあるのは古い銅製の器具で、底に魔力導線用の細い蒼銀線が通っているだけの簡素なものだ。王都の薬師工房なら、もっと立派な魔導炉や温度制御器、魔力圧を測る洒落た計器なんかが並んでいるのだろう。しかしうちにはそんな大層なものはない。ないので、今までは火加減と手元の感覚で足りていた。十分それで足りていたはずだった。しかし最近はアイスが横で温度だの光量だの泡の残存時間だのを測っているせいで、もしかすると足りていなかったのかもしれないと少し思い始めている自分がいる。…少しだけだ。全部認めると、今までの俺の二十年が紙の上で説教されそうなので、少しだけにしておく。


「この器具、旧式ですね」


「古いだけだ。まだ使える」


「蒼銀線の被膜が薄くなっています。魔力伝導に揺れが出る可能性があります」


「出る時は出る。だから核を置く位置で調整するんだ」


「器具の欠陥を手作業で補正しているのですか」


「欠陥って言うな。付き合いの長い道具だ」


「非合理的です」


「いい加減愛着という言葉を覚えろ」


「愛着で魔力伝導は安定しません」


「でも雑に扱うと不思議と失敗するんだぞ?」


アイスはしばらく抽出器を見つめたあと、何かを書いた。どうせまた「感情的道具管理」だの何だの書かれているのだろう。俺は見なかったことにして、核を抽出器の窪みに置き、先ほどの媒体液を一匙かけた。核は淡く光り、表面に細い青い線が走る。ここで焦って火を強めると、核の外側だけが先に開き、内側に残った魔力が濁る。表面だけ柔らかくなった果物を無理に潰すようなものだ。見た目は出ているようでも、中身が荒れていることに気づかなければならない。


だからまずは湯気を見るんだ。


湯気がただ軽く上がるうちは、まだ早い。核の表面が温まっただけで、奥の魔力は眠っている。湯気が釜の上で一度横へ流れ、青水花の匂いとは別に、少し青臭い雨上がりの石みたいな匂いがふっと立つ。そのあたりで、核の表面に亀裂ではなく“開き目”ができる。亀裂は壊れた線だ。開き目は、魔力が自分から出てこようとする道筋だ。似ているようで全然違う。亀裂だと魔力がこぼれるが、開き目なら、こちらの流れに合わせて柔らかくほどけていく。


「今の匂いですか」


アイスが顔を上げた。


「そうだ。まだ強くない。あと少しだけ待つ」


「匂いを基準にするのは危険です。個人差がありますから」


「分かってる。だから匂いだけじゃ見ない。湯気の流れと、核の線と、釜の泡を合わせて見なきゃだめだ」


「複合判断ですね」


「そう言うと立派だな」


「実際、立派です。ただし記録がありません」


「すぐ落とす」


「落とさないでください。ちゃんと書きます」


「言葉のあやだよ」


本当にこの子は、言葉をそのまま拾う。俺は少し笑いそうになりながら、火をほんのわずかに絞った。抽出器の中で、スライム核の青い光が一度だけ脈を打つ。早すぎない。遅すぎない。ここで手を出すと乱れるので、指先が動きそうになるのを我慢する。釜の中の媒体液は静かに回り、表面の泡は丸いまま、じわりと青を抱えている。悪くないな。…いや、かなりいい。こういう時は、余計なことをしないのが一番大事だ。薬も商売も人間関係も、手を入れすぎると濁ってしまう。


俺は抽出器の縁に視線を落とし、核の表面に走る光の筋が、細い傷ではなく内側からゆっくり開いていくのを待った。湯気は少し重くなり、青い匂いが鼻の奥に淡く残り、釜の底では媒体液の光が一段だけ深くなる。そこでようやく、核に小さな亀裂ではなく、開き目ができる。


「今ですか」


アイスが小声で言った。


「まだ」


「表面反応は始まっています」


「表面だけだ。中がまだ寝てる」


「核が寝るのですか」


「例えだ」


核の光が一度弱まり、中心の筋がふわりとほどけた。


「今だ」


俺は抽出器の角度をほんの少しだけ変え、スライム核から滲み出した青い魔力液を、細い糸のように釜の中へ落とした。ぽたり、ではない。どばっと流し込むのでもない。糸を垂らすように、釜の表面を傷つけないように、液体の巡りへそっと乗せる。魔力液が触れた瞬間、釜の中の色が一段深くなった。透明に近かった青が、薄い夜明けの空のような、底に光を抱えた青へ変わる。この色になったら、次は銀葉草だ。俺は細かく刻んでおいた葉を指先でつまみ、釜の表面へ均等に散らした。銀葉草は軽いから、そのままだと表面に浮いて香りだけ飛ぶ。だから木べらで押し込むのではなく、液の流れに乗せて、ゆっくり沈ませる。続いて、乾燥させた安定薬草をほんの少しだけ加えた。多すぎると効きが鈍るし、少なすぎると核の魔力が後から暴れる。釜から立つ匂いが、生の草の青臭さから、少し甘くて、鼻の奥に柔らかく残る薬らしい匂いへ変わった。


「魔力保持が安定しました」


アイスが横で計測器を覗き込みながら言った。彼女の手元では細い針が小刻みに揺れていたのが、ちょうど今、真ん中の線に寄って止まり始めている。見なくても分かる。分かるのだが、こうして数値で示されると、俺が今までなんとなく見ていたものに急に名前と証拠がついたようで、やはり落ち着かない。


「だろうな」


「なぜ分かるのですか」


「匂いが丸くなる」


アイスが羽ペンを止めた。


「匂いが丸い」


「記録しなくていいぞ」


「記録します。『安定段階において、調合者は芳香の刺激低下を“丸い”と表現』」


「やめろ。俺がものすごく頭の悪い薬師みたいになる」


「頭の良し悪しではありません。再現の手がかりです」


「再現する側が困るだろ」


「困るので、あとで別の言葉に翻訳します」


「最初から翻訳したほうを書け」


「原語も必要です」


この子は、どうしてこう逃がしてくれないのか。


中火でしばらく煮る。強火にすると核の魔力が立ちすぎるし、弱火だと薬草の成分が液へ入りきらない。釜の底で液体が静かに巡り、青い光が薄い筋になって回る。俺は木べらをゆっくり動かしながら、液体の重さを手首で見た。見た、という言い方が正しいのかは知らない。だが、混ぜていると分かる。軽すぎる時は、木べらが釜の中をすうっと通りすぎてしまう。そういう時の回復力は浅い。傷口は塞がっても、体の芯までは戻らない。逆に重すぎる時は、木べらの先に粘りが絡み、釜の中の流れが少し遅れる。効きは強くなるが、飲んだ側の身体に負荷が出ることがある。高純度回復薬にするなら、その重さを少し残したところで止める。村の生活用なら、もっと軽くして飲みやすくする。疲労軽減薬なら、核の魔力を残しすぎず、スライム粘液の修復性を前へ出す。解毒薬なら銀葉草を強め、青水花を控え、余計な巡りを抑える。すべて同じスライム素材から作るのに、釜の中でどの性質を引き出すかによって、仕上がりはまるで変わってしまう。


「今の木べらの動き、速度を落としましたね」


アイスが言った。


「落とした」


「理由は」


「底のほうが少し重くなった。ここで早く回すと、上だけ混ざって、下の魔力が遅れる」


「下の魔力が遅れる」


「だから記録する前に一回こっちを見るな」


「見ています。発言者の表情も、感覚表現の解釈に関わります」


「俺の顔まで記録するな」


「では、釜の状態に限定します」


妥協点がそこなのか。


俺は軽く息を吐き、木べらの角度を変えた。釜の中央を大きく回すのではなく、縁を撫でるように、内側の流れを少しだけ整える。青い液体の表面に浮いていた細かい泡が、ゆっくり端へ寄っていく。この泡は早く取ればいいというものではない。薬草のえぐみを抱いている泡なら取る。核の魔力が落ち着く途中で出る細かい泡なら、少し待つ。待てば消える泡を焦って取ると、液が痩せる。逆に残してはいけない泡を放っておくと、後味が刺さる。そういう違いを、俺はいつの間にか見分けるようになっていた。


俺はそれを、ずっと感覚でやってきた。


感覚というと、ひどく曖昧に聞こえるのだろう。アイスなどは、その言葉を聞くたびに、目の奥で何かの数式を組み直している顔をする。だが俺にとっては、目の前のものをちゃんと見るというだけの話だった。色を見る。泡を見る。匂いを嗅ぐ。木べらに伝わる重さを見る。釜の縁につく膜の厚さを見る。湯気が鼻へ入った時の刺さり方を見る。薬草を入れるタイミングを、ほんの一呼吸遅らせる。火を少し弱める。核の魔力が暴れないように、粘液を先に馴染ませる。乾いた薬草なら早めに、湿り気の残る薬草なら少し待って入れる。青が浅ければ煮る。青が沈みすぎれば火を落とす。そういう小さな判断を積み重ねてきただけだ。


「ロイドさん」


「なんだ」


「今、釜の縁の膜を見ましたね」


「見たな」


「膜の厚さは、何を判断するためですか」


「粘液が薬草と馴染んだかどうかだ。膜が薄く伸びるなら馴染んでる。縁に小さくちぎれて残るなら、まだ少し早い」


「なるほど。では、膜の連続性と粘液基材の結合状態を照合する必要があります」


「その言い方にすると、俺の店じゃなくて学院の講義みたいだな」


「実際、講義にできます」


「やめろ。俺は学生に囲まれて釜をかき混ぜる趣味はない」


「需要はあると思います」


「需要があることと、俺がやりたいことは別だ」


アイスは少しだけ不思議そうにした。たぶん、この子の中では「価値がある」「知りたい者がいる」「ならば共有すべき」が一直線につながっているのだろう。気持ちは分からなくもない。けれど俺は、朝から晩まで誰かに手元を覗かれながら調合する生活を望んでいるわけではない。俺はただ、必要な人に必要な分だけ薬を売って、夕方には看板を下ろし、安酒を飲みながら帳簿をつけたいだけなのだ。


それなのに、この釜からできた薬は、いつの間にか村の婆さんの畑を増やし、猟師を山へ戻し、冒険者を店の前に並ばせ、騎士団に契約書を持たせ、薬師会の天才問題児を俺の横に立たせることになった。


おかしいなとは思う。


思うのだが、釜の前ではやはりいつも通りにしか見えないんだな、これが。


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