第20話 感覚派と理論派
「ロイドさん、こっちの瓶、洗い終わりました!」
「おう、乾燥棚に伏せておいてくれ。右側は一般販売用、左側は村内向けだから混ぜるなよ」
「はいっ。ラベルを貼る前に、アイスさんの確認も通しますね」
「……お前のほうが段取りを分かってないか?」
「店主さんが釜を見ている間に、こっちを覚えただけです」
最近とくに思うんだが、ミーナがいてくれて本当に助かっている。
最初は本当に“村長の紹介で来てくれたただの手伝い娘”というくらいの認識だったのだ。手伝いに来始めた当時からやけに計算が早く、愛想がよく、客の話を聞くのがうまい子だとは思っていた。しかし日に日に成長しているというか、任せる仕事が増えるたび、どこまで器用なんだ…と思わされることがしばしばある。最近は帳簿整理に在庫確認、整理券の管理、棚札の張り替え、村人と外部客の販売区分まで覚え始めている。ついこの間まで俺の中では「村の子どもたちより少ししっかりした娘」くらいだったのに、気づけば普通に店の中枢へ食い込んでいた。放っておくと、そのうち俺より店主らしい顔で発注書を書き始めるかもしれない。いや、もう半分くらい始めているな。
問題は、もう一人のほうなのだが。
「……分類が雑です」
作業台の端でラベルの束を確認していたアイスが、低い声で言った。
「雑?」
俺が聞き返すと、アイスは細い指で一枚のラベルを持ち上げた。そこには、俺とミーナで相談して決めた〈高純度回復薬〉という文字が書かれている。見やすいし覚えやすい。客にも説明しやすい。俺としてはなかなか悪くない名前だと思っていた。
「“高純度回復薬”という名称は、理論体系として曖昧すぎます。効能区分、基材濃度、薬草反応率、魔力保持率、持続時間、保存耐久性、用途別適性。最低でも、そのあたりを分類に反映しないと、記録と販売名が一致しません」
「そんなに書いたら、瓶よりラベルが大きくなるだろ」
「必要な情報です」
「客が読む前に帰るわ」
「帰る客は、情報理解の意欲が低いだけです」
「薬を買いに来た客に、学術論文を読ませるな」
アイスは不満そうに眉を寄せた。
この子は、本当に一切妥協しない。
エルムホルン村へ来てから三日目くらいで理解したのだが、アイスの頭の回転速度は普通の人間とかなり違う。ひとつ説明を始めると、こちらが「なるほど」と頷く前に、彼女の中ではもう次の仮説と分類と改善案が走り出している。階段を一段ずつ上がるのではなく、壁に足場を見つけて勝手に屋根まで登っていく感じだ。本人はそれを普通だと思っているから、下に残された人間が首を痛めながら見上げていることに気づかない。
問題は、その速さに周囲がついていけないことである。
「そもそも、“なんとなく効く気がする”という理由で配合を決めないでください」
アイスがラベルを置き、今度は俺の調合メモを指で叩いた。
「いや、効くぞ。その配合は村の猟師にも使ったし、若い冒険者にも出した。ちゃんと傷も塞がった」
「結果が出ていることと、根拠が整理されていることは別です。偶然うまくいった工程をそのまま続けるのは、安定製造ではなく成功体験の反復です」
「言い方がいちいち鋭いな」
「事実です」
「実際に効いてるんだから、まずそこは認めてもいいだろ」
「完成品の有効性は認めています。ですが、理論化されていない再現性は事故予備軍です。今はロイドさんの感覚で成立していますが、補助員が入った時点で揺らぎます」
「お前、会話のたびに俺の胃へ細い針を刺してくるな」
「研究者なので」
「免罪符みたいに言うな」
横で瓶を拭いていたミーナが、困ったように笑いながら間に入った。
「え、ええと……ロイドさんの感覚がすごいのも本当だと思いますし、アイスさんの記録や分類が必要なのも分かります。だから、その、どっちかが間違っているというより、両方うまく合わせられたらいいんじゃないかなって……」
「感覚に頼った職人技術は属人化します」
「理論だけで釜は回らん。素材は毎日少しずつ違うし、薬草も乾き方が変わる。最後は鍋の様子を見ないと分からない」
「その“鍋の様子”という言い方が問題です。温度、泡立ち、色調、粘度、魔力反応のどれを指しているのか分かりません」
「全部だ。鍋全体の調子を見るんだよ」
「鍋が語りかけてくる、みたいな発言はやめてください。記録不能です」
「鍋は語るぞ。焦げる前とか、泡が荒れる時とか、けっこう分かりやすい」
「怖いことを当然のように言わないでください」
毎日、だいたいこんな調子だった。
感覚派と理論派。
俺は、スライム粘液の揺れ方や匂い、泡の細かさ、釜から立つ湯気の重さ、薬草を入れた時の色の沈み具合で状態を見る。アイスは、温度、分量、時間、濃度、魔力圧、反応速度、保存時の変化を数値にしたがる。俺にとっては「今日は少し粘るな」で済むものが、彼女にとっては「基材粘度の上昇原因を特定すべき異常値」になる。彼女にとっては「測定すれば分かる」ことが、俺にとっては「そこまでやっていたら釜の前で日が暮れる」ことになる。
しかも厄介なことに、どちらも自分の言い分が正しいと思っている。
地獄である。
ただ不思議なことに、仕事そのものは進んでいた。
アイスは性格にかなり問題がある。かなり、という言葉でも少し足りないくらいにはある。客商売には向かないし、会話の柔らかさは足りないし、思ったことをそのまま口に出すし、他人の調合メモを見て「よくこれで事故が起きませんでしたね」と真顔で言う。初日にミーナが淹れた薬草茶を飲んだ時も、「香りは良いですが、抽出時間が二割ほど長いです」と言って、ミーナに笑顔で二杯目を濃くされた。あれは少し怖かった。
けれど、能力は本物だった。
帳簿整理。
素材管理。
薬草分類。
品質記録。
工程の整理。
保存環境の改善。
それらを、彼女は恐ろしい速度で進めていった。
たとえば素材棚だ。俺は今まで、スライム核を大きさと見た目の綺麗さで分けていた。大きい核、小さい核、濁った核、割れかけた核。そんな感じである。ところがアイスはそれを見た翌日、勝手に分類表を作った。核の大きさ、透明度、魔力残留の色合い、外殻の傷、採取日、採取場所、粘液との対応番号。そこまで書かれた札が棚に並んだ時、俺は思わず「ここは薬師会か?」とつぶやいた。アイスは「薬師会なら、もう少し細かくします」と答えた。やめてくれ。
薬草もそうだった。ミーナが乾燥棚に並べていた薬草をアイスは一枚ずつ確認し、乾燥の強さと香りの残り方で三段階に分けた。俺が「そこまでしなくても使えるぞ」と言うと、彼女は「使えることと最適であることは違います」と返してきた。返す言葉がなかったんだ。…悔しいが、分けたあとの薬草で調合すると、確かに仕上がりのばらつきが減ったのである。こういうところが嫌らしいというか、…正しいから余計に腹が立つんだよな…
「……お前、本当に何でもできるな」
思わずそう言うと、アイスは記録用のペンを止めることなく、当然のように答えた。
「当然です。私は主席卒業なので」
「その言い方、本当に癪に障るな」
「事実です」
「否定できないところが余計に腹立つ」
実際、彼女の整理能力は異常だった。俺が長年「これは使える」「これは少し悪い」「これは外用に回すか」くらいの感覚で積み上げてきた作業を、アイスは片っ端から言葉にして、項目にして、記録できる形へ変えていく。こちらとしては自分の頭の中を勝手に棚卸しされているような気分で落ち着かないのだが、並べられた結果を見ると、たしかに分かりやすくなっているから余計に困る。
たとえば、スライム核である。
今までの俺は採ってきた核を光に透かし、指先で転がし、表面の張りや内側の濁りを見て、「これはいい」「これは少し魔力が抜けている」「こいつは調合には弱いが外用ならいける」くらいに分けていた。説明しろと言われれば困るが、見れば大体分かる。そういうものだと思っていた。
アイスはそれを、透明度、魔力反応、揺らした際の内部振動、表面粘膜の張力、魔力光の拡散速度、採取後の劣化傾向という項目に分解した。
ほんとにやめてほしい。
俺の「なんかいい核だな」が、急に学術資料みたいな顔をし始めた。
「つまり、あなたは無意識に選別していたんです」
アイスは記録板に細かい字を書き込みながら言った。
「そんな細かく見ていたつもりはないぞ」
「見ていたから、今の品質になっているんです。自覚してください」
「自覚、自覚って、最近そればっかり言われるな」
「実際、自覚が足りません。自分の判断基準を自分で理解していない職人ほど、周囲にとって危険なものはありません」
「危険物扱いするな。俺はポーション屋だ」
「危険なポーション屋です」
「余計悪くなったぞ」
自覚…か。
薬師会でも言われた。商業組合でも言われた。ミーナにも似たようなことを言われたし、今はアイスに毎日のように言われている。どうやら俺は、自分で思っているほど普通ではないらしい。いや、十五の時に授かったスキルが〈スライムキラー〉だった時点で、人生の進路は少し妙な方向へ曲がっていたのだが。
…とりあえず今はそんなことよりも、税金について考えなければならない。
この世界の税制度は、思っていたよりずっと現実的で、思っていたよりずっと面倒臭いのだ。
まず基本として、村単位には土地税や収穫税がある。畑を耕せば収穫に応じて納め、牧畜をすれば頭数や出荷量に応じて納め、林業や採草地を使えばその利用分が徴収される。エルムホルン村のような小さな集落では、村長が村全体の分を取りまとめ、領主側へ納める形が多いので、個人としてはそれほど強く意識しない。せいぜい「今年は収穫がよかったから少し多めだな」とか、「雨が悪かったから村長が渋い顔をしているな」くらいで済んでいた。
しかし店舗登録を行って正式な事業者になると、そこへ新たに商業税というやつが加わる。
売上の規模に応じて納める税。店を構えて物を売る者が払う税。さらに、村の外へ商品を出せば流通税が絡み、街道や関所を通る荷には通行税が発生し、騎士団や商会のような相手と正式契約を結べば契約印紙税まで出てくる。印紙税。名前からして嫌だ。紙に判を押すだけで金が出ていく。紙というものは、どうしてこう俺から金と気力を吸うのか。
「税というのは、国家運営の血液のようなものです」
アイスが言った。
「道路維持、治安、騎士団の運営、街道整備、水路管理、市場監督、災害時の備蓄。すべて税で動いています。払う側が嫌がるのは理解できますが、制度としては必要です」
「頭では分かる」
「理解していない顔をしています」
「理解はしている。感情が納得していないんだ」
売上が増える。
税が増える。
利益が減る。
これは人間として自然な悲しみである。誰だって、棚のポーションが売れて銀貨が増えたと思ったら、その横から見えない手が伸びてきて「では一部いただきます」と言われれば、少しは遠い目になる。しかもその見えない手は、道路や治安や水路のためです、と正しい顔をしている。正しいからこそ腹が立つこともあるのだ。
さらに恐ろしいのが、薬師関係の特殊な負担だった。
ポーションは単なる雑貨ではない。人の傷に使い、体内に入ることもある医療品であり、同時に素材や配合を誤れば害を出す危険薬品でもある。そのため一定規模以上で販売する場合、品質保証のための登録維持費、製造記録の保管義務、薬師会への確認費用、場合によっては危険素材管理の届け出まで必要になるらしい。
つまり、売れれば売れるほど責任も増える。
評判が広がれば客が増える。客が増えれば生産を増やす。生産を増やせば人を雇う。人を雇えば雇用責任が生まれる。正式契約を結べば税も書類も増える。薬効が高ければ品質管理も厳しくなる。ひとつひとつは理屈として分かるのだが、まとめてこちらへ押し寄せてくると、もう青いスライムの群れよりよほど厄介である。
「ロイドさん、この棚、すごく見やすくなりましたね」
ミーナが感心したように言った。
「そうだな。見やすいな」
「店主さん、顔が複雑ですよ」
「便利になったことは認める。ただ、認めた瞬間、アイスに負けた気がする」
「勝ち負けなんですか?」
「男にはな、理屈で殴られたあとに成果まで見せられると、静かに敗北を噛みしめる時があるんだ」
「よく分かりませんけど、棚が使いやすいならいいと思います」
「お前は正しい」
ミーナは笑って、分類済みの瓶を棚に並べていった。
その手際は以前よりずっと速い。棚札が整い、瓶の種類が分かれ、販売用と契約用と研究用が分けられたことで、迷う時間が減ったのだ。俺が釜の前で泡を見ている間に、ミーナは在庫表へ本数を記入し、売っていい瓶だけを前に出し、納品分の箱には封をする。数日前までは「店が少し面倒になった」と思っていたが、実際に回り始めると、仕組みというものは確かに楽を生むらしい。
認めたくないが、クラウスの言っていたことは正しかった。
そして、アイスの細かさも役に立っている。
認めたくないが。
非常に認めたくないが。
「ロイドさん」
アイスが、記録用の板を抱えてこちらを見た。
「次の仕込みから、加熱工程の温度を三段階で記録します。あと、粘液濃度については“ぷる”という表現を廃止し、滴下速度で仮測定します」
「俺のぷるが消されるのか」
「記録上は消します。口頭で使うのは自由です」
「そこは情けをかけたつもりか?」
「はい」
「お前の情け、冷たいな」
「氷点下ではありません」
「そういう意味じゃない」
ミーナがまた笑った。
青ぷよ薬房は、騒がしくなった。
以前のように、俺一人が釜の前で黙々と作業し、昼前に棚へ瓶を並べるだけの店ではなくなってきている。ミーナが棚を動かし、アイスが記録を取り、俺が釜を見て、時々三人で言い争う。正直、静かではない。まったく静かではない。だが、ただ混乱しているわけでもなかった。瓶は前より整って並び、棚は前より分かりやすくなり、調合の失敗も減っている。
面倒は増えた。
けれど、店は少し強くなっている。
その事実が、どうにも悔しいようなありがたいような、何とも言えない気分だった。
…ともあれ、価格表は完成した。
棚も分けた。
契約納品分の木箱も用意した。
研究提供分の小瓶も、アイスがやたら細かい字で番号を書いた。
あとは客に説明し、実際に運用していくだけである。
それが一番面倒なのだが。




