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第18話 構造が納得できません



「それで、俺にどうしろと」


俺はセレーナを見た。


「うちは薬師会の矯正施設じゃありませんよ。作業場は狭いし、釜は二つしかないし、棚も古い。客といえば、腰をさすりながら来る村の婆さんや、血のついた袖を押さえた猟師や、財布の中身と命の残量を同じ顔で数える冒険者です。そこで相手を無能扱いする天才に暴れられたら、スライム粘液を床にぶちまけるより後片づけが大変そうなんですが」


「矯正しろとは言わないわ」


「本当ですか」


「少なくとも、正式な依頼名はそうではないわ」


「今、かなり広めの逃げ道を残しましたね」


セレーナは否定しなかった。否定しないということは、やはり多少は期待しているのだろう。俺は教育者ではない。人にものを教えるのも得意ではない。何しろ今日だけで、粘液の状態を“ぷる”だの“ぷるんの手前”だのと説明し、クラウスに真顔で数値化しろと言われたばかりである。そんな男に、薬師会が持て余し気味の天才を預けようという発想がどこから湧いてくるのか。薬師会の研究室では、鍋だけでなく人材も煮詰まりやすいのかもしれない。


「あなたに期待しているのは、教育というより環境よ」


「環境?」


「青ぷよ薬房では、薬が研究対象である前に商品であり、誰かの生活を支える道具でしょう。村人は日々の不調を抱えて買いに来る。冒険者は依頼の前に命綱として求める。騎士団は補給品として見ている。あなたはその全部を面倒くさがりながらも、結局、見捨てられずに手を動かしている。あの子には、そういう場所で薬を見る経験が決定的に足りないの」


「面倒くさがりながら、は余計じゃないですか」


「違うの?」


「違わないですけど、本人の前で丁寧に刺さなくてもいいでしょう」


「必要な部分だから言ったのよ」


「今日会う人たち、みんな事実を鈍器みたいに使ってきますね」


セレーナは、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「研究室では、薬効、純度、魔力保持率、反応の安定性を見る。それは大事よ。むしろ見なければならない。でも、それだけでは薬がどこへ届くのかまでは分からない。棚に並んだ一本が、誰の手に渡り、どんな場面で使われ、助かった人間がどんな顔で礼を言うのか、あるいは効きすぎてあなたが困った顔をするのか。そういう流れは、資料室の机の上では見えないわ」


その言葉は、思ったより胸に残った。


俺にとってポーションは、商品であり、飯の種であり、最近では面倒ごとの発生源でもある。けれど同時に、婆さんが腰を伸ばすための一本であり、猟師が山へ戻るための一本であり、若い冒険者が仲間を助けるために握りしめる一本でもある。俺はそのあたりを普段あまり真面目に考えないようにしている。考えると責任の重さで肩が凝るからだ。だが考えないようにしても、棚から瓶が減るたびにその一本は誰かの事情の中へ持ち出されていく。


「それに、実務的な利点もあるわ」


セレーナは、そこで声をいつもの冷静な調子に戻した。


「作業者としては優秀。記録も取れる。魔法薬の基礎知識は十分すぎるほどある。薬師会との連絡も早くなる。工程の言語化、品質分類、研究提供の範囲確認、補助員を入れた時の作業差の記録。どれも、あの子がいれば進めやすくなるはずよ」


「言葉だけ聞けば、かなり助かる人材ですね」


「実際、助かると思うわ」


「問題は、その助かる人材が、周りを焼き払う火種を持っているところですよね」


「焼き払うほどではないわ」


「では、焦がすくらいは?」


「……条件によっては」


そこは濁してほしかった。


俺は青ぷよ薬房の作業場を頭の中に浮かべた。古い釜。壁際に吊るした乾燥薬草。洗い場に並ぶ瓶。棚の端で帳簿をつけるミーナ。裏手の水場。朝に採ってきたスライム素材の入った木箱。そしてそこに、薬師会の天才問題児が立っている。想像の中のそいつは、スライム粘液を一滴すくって光に透かし、眉をひそめながら「この濃度管理は経験則に依存しすぎています。再現性が低すぎますね」などと言っていた。まだ会ってもいない相手に勝手な想像をするのはよくないが、セレーナの説明がこちらの想像に乾いた薪を足してくるから困る。


「ちなみに、その子は瓶洗いとか薬草刻みとか、そういう地味な作業を嫌がりませんか」


「嫌がる可能性はあるわね」


「そこは否定してほしかった」


「でも、必要だと納得すればやるわ。納得するまでが少し面倒なだけで」


「その“少し”は、薬師会基準ですか」


「……薬師会基準ね」


「一般人の感覚だと、だいぶ面倒そうですね」


「否定はしないわ」


本当に否定しない人だ。


ただ、変に取り繕われるよりはましなのかもしれない。あとから「少し癖があります」と言われて、実際には釜ごとひっくり返すような人物だったら困る。最初から、焦げる可能性があります、と言われていれば、こちらも水桶くらいは用意できる。できれば火種そのものを持ち込まないでほしいのだが、どうやら今日の流れでは、俺の希望はあまり重視されていないらしい。


「ロイドさん」


横で聞いていたリタが、少し考え込むように言った。


「条件をきちんと決めれば、悪い話ではないと思います。薬師会の人が工房にいれば、工程記録はかなり進みますし、補助員が入った時の教育にも役立つはずです。ただ、店の空気を壊さないようにする取り決めは必要ですね」


「店の空気」


「はい。青ぷよ薬房は、村の人が来る場所ですから。研究のためだからといって、お客さんを実験対象みたいに見る人だと困ります」


リタにしては、少し強い言い方だった。


俺は少し意外に思った。普段のリタは、どちらかといえば柔らかく場を整えるほうの人間だ。誰かと誰かの間に立ち、言葉の角を削り、相手が飲み込みやすい形にして差し出すのがうまい。商業組合の人間らしく、相手の面子もこちらの都合もできるだけ傷つけない場所を探して話を運ぶ。そんな彼女が、今は先に釘を刺したのだ。研究の都合で店の空気を壊すな、と。


ありがたいと思った。


同時に、少しだけ背筋が伸びた。


そうだ。青ぷよ薬房は研究室ではない。釜も棚もあるし瓶も薬草も並んでいるが、そこにはミーナがいて、村の客がいて、朝から並ぶ冒険者がいて、婆さんが腰をさすりながらやって来る。薬を作る場所である前に、商売をして「人」と関わる場所なのだ。


セレーナはリタの言葉に、静かにうなずいた。


「そこは、私からも厳しく言うわ。現場へ行く以上、薬だけを見るな、人を見ること。瓶の中身だけでなく、それを作っている者、買いに来る者、使う者の都合まで見ること。それを守れないなら、同行は認めない」


「守れますか」


俺が聞くと、セレーナはほんの少しだけ間を置いた。


「守らせるわ」


「本人の意思ではなく、主任の管理ですね」


「最初はそれでいいのよ。形から入って、後から意味を理解することもあるわ。薬師会の規則だって、最初から全員が納得して守っているわけではないもの」


「なんだか本当に教育案件に聞こえてきました」


「だから正式名目は、研究補助兼作業員だと言っているでしょう。研究だけをさせるつもりなら、工房へ入れる必要はないわ」


「名目が働きすぎてませんか。研究補助で、作業員で、連携役で、ついでに教育対象ですよね」


「便利な名目は、少し広めに作っておくものよ」


セレーナは涼しい顔をしている。


俺は思わず、広場の向こうへ視線を逃がした。リタが教えてくれた食堂はたしかあの角を曲がった先にあるはずだ。魚の煮込み。厚い黒パン。余計なことを聞いてこない店主。さっきまで俺の心を支えていたささやかな希望が、夕暮れの通りの向こうで湯気を立てながら待っている気がする。そこへ薬師会の白衣と、革板に挟まれた書類と、性格が最悪寄りらしい研究生の話が割り込んできた。物語としては新しい登場人物が増えるのは悪くないのかもしれない。…しかし俺の胃袋としては、今は展開より夕飯を第一に優先してほしい。


「ちなみに、その研究生は本人も了承しているんですか」


「しているわ。あなたのポーションに強い興味を持っているもの。鑑定結果を見せたら、その場で三時間ほど黙って計算していたわ」


「三時間」


「ええ。途中で一度だけ水を飲んで、また黙ったわ」


「周りの人は何をしていたんですか」


「見守っていたわ。声をかけると怒るから」


「もう不穏なんですが」


セレーナはまるで天気の話でもしているような顔で続けた。


「そのあと、私の部屋に来て言ったの。『この製法は既存のスライム素材利用理論と一致しません。現場を見ます』と」


「申請じゃなくて宣言ですね」


「本人は申請のつもりだったようよ」


「その時点で、こちらの都合という概念が薄そうですね」


「薄いわね」


「認めるのが早い」


「隠しても、会えばすぐ分かるもの」


誠実なのか投げやりなのか、判断に困る正直さだった。


セレーナは革板を胸の前で抱え直し、そこで少しだけ声を落とした。


「もちろん、無理にとは言わないわ。あなたの工房に人を入れる以上、最終的な判断はあなたにある。薬師会としては推薦するけれど、受け入れるかどうかは、青ぷよ薬房の店主であるあなたが決めて」


店主。


その言葉が、今日ほど重く聞こえたことはなかった。


職業斡旋局でも、似たようなことを言われた。人を紹介することはできる。条件を整えることもできる。だが、最後に雇うかどうかを決めるのは店主だ、と。今度は薬師会の主任から、受け入れるかどうかはあなたが決めなさいと言われている。店主というのは、棚に並べる商品の数を決める人間だと思っていた。値段をつけ、帳簿を見て、閉店の札を出す人間だと。だがどうやら、それだけでは済まないらしい。


誰を作業場に入れるか。


何を見せるか。


どこまで任せるか。


その人間がミーナや村人や客とどう関わるか。


そこまで考えなければならないらしい。


スライムを狩るかどうかなら、俺一人で決められる。今日は四匹にしておくか、雨上がりだから多めに採るか、核の状態が悪ければ外用薬に回すか、その程度なら慣れている。釜に火を入れるかどうかも、薬草を足すかどうかも、瓶に詰めるかどうかも、失敗すれば俺が責任を取ればいい。だが、人を一人受け入れるとなると、失敗の形が違う。鍋を焦がすだけでは済まない。


俺は小さく息を吐いた。


「それで、俺にどうしろと」


さっきと同じ言葉を、今度は少し別の意味で口にした。


断るべきなのか。会うだけ会うべきなのか。薬師会との連携を考えれば受け入れたほうがいいのか。だが、性格が最悪寄りという研究生を、いきなり青ぷよ薬房の作業場へ入れて大丈夫なのか。ミーナはどう思うだろう。村の婆さんは、白衣の研究生が店に立っていたらまず何を言うだろう。たぶん「細っこいねえ、飯食ってるのかい」あたりから始まる。研究生がそれにどう返すかによっては、初日から畑の鍬が関係してくる可能性がある。


俺の腹は夕飯を求めているのに、頭のほうは勝手に新しい問題を噛み始めていた。


まったく、面倒ごとというものは、どうしてこう食前にやってくるのか。せめて食後にしてほしい。温かい煮込みと黒パンで人間性を少し回復したあとなら、俺ももう少しましな判断ができたかもしれないのに。今の俺は、魚の煮込みと研究生を同じ秤に乗せかねない状態である。しかも、かなり魚の煮込み側に傾いている。


「名前は?」


「アイス」


「変わった名前ですね」


「本人は気に入っているわ。名前の話を長くすると、由来について十五分ほど説明されるから、気になるなら後日にしなさい」


「その時点で少し面倒そうなんですが」


「少しでは済まないわね」


セレーナが涼しい顔でそう言った、その時だった。


彼女の背後から、石畳を踏む小さな足音が近づいてきた。夕暮れの赤みが差す通りの中で、その少女はひどく目立っていた。白銀に近い淡い水色の髪は肩のあたりでまっすぐ揃えられ、肌は陽に焼けた街の人間たちとは違って、薄い硝子細工のように白い。瞳は澄んだ氷を思わせる薄青で、こちらを見ているのに、どこかこちらの奥にある数値や構造だけを見ているような妙な冷たさがあった。年は十代後半くらいだろう。背は高くない。体つきも華奢で、薬師会の白を基調にした上質な衣装の胸元には、薬師会の紋章と、魔導学術院の徽章が並んでいる。


いかにも、育ちがよく、頭もよく、そして扱いが難しそうな少女だった。


何より、ものすごく機嫌が悪そうだった。


いや、怒鳴っているわけではない。顔をしかめているわけでもない。むしろ表情は整っていて、声を荒げるような気配もない。ただ、その静けさの中に「自分の時間を無駄にされることを心底嫌っている人間」の気配があった。うちの店で言えば、閉店間際にやって来て「まだありますか」と聞かれた時の俺より、もう少し低温で危険な感じだ。


「……その人ですか?」


声は静かだった。


静かすぎて、逆に怖い。


「ええ。こちらが青ぷよ薬房のロイドさんよ」


セレーナが紹介すると、少女――アイスは俺を頭の先から足先まで、かなり遠慮なく眺めた。服、靴、鞄、手の甲、腰のあたりに下げた採取用の小道具、たぶん髪についた薬草の匂いまで見られた気がする。目つきは失礼というより、素材の状態を確認する時のそれに近い。こちらが人間ではなく、棚に並んだ未分類の瓶にでもなった気分だった。


「へえ」


それだけ言った。


へえ、である。


俺は今朝から商業組合で価格だの契約だの供給区分だのを聞かされ、職業斡旋局で労務登録や守秘契約や安全講習に揉まれ、ようやく夕飯に向かおうとしていた男である。もう少し、こう、人としての労いがあってもいいのではないか。いや、初対面の研究生にそれを求めるのもおかしな話かもしれないが、へえ一つで分類棚に戻されたような気持ちになるのは、なかなか新鮮だった。


「……初めまして、でいいのかな」


俺がそう言うと、アイスはわずかに首を傾げた。


「形式上はそうなります。私はアイス・レインフォード。魔導学術院薬学専攻を主席で修了し、現在はセレーナ先生の研究室に所属しています。専門は素材反応学、魔力伝導論、薬効安定化です」


丁寧だった。


丁寧なのだが、言葉の端に薄い刃がついている。名乗りの内容も、普通なら「アイスです。薬師会で研究をしています」くらいで済ませてもよさそうなものだが、専攻、成績、所属、専門分野まで一息で並べられると、こちらも何か肩書きを返さなければならないような気になる。困った。俺の肩書きは、せいぜい「スライムがよく狩れるポーション屋のおっさん」くらいである。


「ロイドです。青ぷよ薬房を――」


「知っています」


食い気味だった。


早い。


名乗りの途中で斬られた。


「あなたのポーションについては鑑定資料を読みました。成分分析、魔力保持率、薬効反応、粘液基材の安定性、核由来魔力の残留傾向、提出された製造記録の不足分まで確認済みです。かなり興味深いです」


「そりゃどうも」


「ただし、理解はできません」


「はい?」


アイスは眉を寄せた。


怒っているというより、本当に理解できないものを前にして不快そうにしている顔だった。たぶんこの少女にとって、分からないという状態は空腹や寒さと同じくらい我慢ならないものなのだろう。俺にも分からないことは山ほどあるが、分からないものを見た時の俺はだいたい「まあ、いいか」で済ませる。世の中には性格の違いというものがあるらしい。


「理論が雑すぎます」


アイスは淡々と言った。


「素材精製の基準が不明確。魔力安定の判断が感覚依存。加熱工程の温度変化が記録されていない。粘液濃度の調整も数値ではなく経験則。核分離時の魔力損耗率も未測定。薬草配合に関しても乾燥状態による補正が口頭説明のみ。正直に言えば、あの品質の完成品が出ていること自体が、現行のスライム素材利用理論と噛み合いません」


「悪口がすごいな君」


「褒めています」


「褒め方が研究者寄りすぎる」


「興味深い、と言いました」


「それ、相手によっては喧嘩の始まりになるぞ」


「事実を述べただけです」


出た。


会う前から想像していた台詞が、本当に出た。


俺は思わずセレーナを見た。セレーナはほんの少しだけ視線をそらした。主任、今そらしたな。紹介した責任がある人間のそらし方だったぞ。リタは隣で口元を押さえている。笑っているのか、困っているのか、たぶん両方だろう。俺としては笑い事ではない。飯の前に、薬学専攻主席から自分の作り方を正面から雑と評された男の気持ちを少し考えてほしい。


アイスは真顔のままだった。


冗談を言っている様子はない。


本気で意味不明だと思っているのだろう。そして、意味不明であることをかなり楽しんでいる。機嫌が悪そうに見えたのは、単に俺という人間への失望ではなく、資料だけでは答えが出ないことへの苛立ちだったのかもしれない。いや、それでこちらが楽になるわけではないが。


「つまり、君は俺のポーションが気に入らないのか」


「違います」


アイスは即答した。


「気に入らないのではなく、構造が納得できません。低級魔物素材であるスライム粘液を基材にしながら、魔力保持率が高く、薬草成分の反応阻害も少なく、完成後の安定性まで高い。普通ならどこかで破綻します。破綻していないなら、工程のどこかに既存理論で見落とされている要素があるはずです」


「それを見に来たいと」


「見ます」


「そこは、見せてもらいたい、じゃないのか」


「見せてもらう必要がある、です」


「強く出たな」


「弱く言っても事実は変わりません」


「アイス」


セレーナが静かに名前を呼んだ。


「現場へ行きたいなら、まず相手に受け入れてもらう必要があるわ。あなたが正しいと思うことを並べるだけでは、工房には入れない」


「事実確認は必要です」


「言い方も必要よ」


アイスは少し黙った。


ほんの数秒だったが、その間に彼女の目がこちらを見て、次にセレーナを見て、最後にリタを見た。たぶん、今の指摘を頭の中で処理しているのだろう。感情で受け止めるというより、注意事項として分類している感じがする。人間の会話を規約書として読んでいるような少女だ。


やがて、アイスは俺に向き直った。


「先ほどの発言は、あなたの人格への評価ではありません」


「そこから説明するのか」


「あなたの工程記録と理論整合性に対する評価です」


「それもそこそこ刺さるな」


「完成品の品質は高いです」


「お、ようやく褒め言葉っぽい」


「ただし、作り方はひどいです」


「戻すな」


リタがついに小さく吹き出した。


セレーナは額に指を添えた。たぶん、薬師会でも何度も見た光景なのだろう。俺はというと、疲れているせいか少しだけ笑えてきた。なるほど、確かに性格は最悪寄りかもしれない。けれど悪意があるわけではなさそうだった。相手を傷つけたいのではなく、見えた欠点をそのまま口に出している。人によってはかなり厄介なタイプとは思うが、種類としてはまだ分かる。


「君、瓶洗いはできるか」


俺が聞くと、アイスはほんの少し目を細めた。


「できます。研究室では器具洗浄も滅菌も基本作業です」


「薬草刻みは」


「できます。ただし、目的成分ごとに刻み幅を変える必要があります」


「店番は」


「不要な会話を減らせるなら可能です」


「客商売には向いてないな」


「客が不要な質問をしなければ問題ありません」


「だいたいするんだよ、客は」


俺の店に来る客など、不要な質問と必要な質問の区別がそもそも曖昧だ。「これは本当に効くのか」「昨日飲んだら元気すぎたが大丈夫か」「試作品はあるか」「安くならないか」「店主はなぜそんなに疲れた顔をしているのか」。…すまない、最後のは放っておいてほしい。この子を店頭に立たせたら、客の半分が薬効説明で黙り、残り半分が泣く未来しか見えないんだが。


「現場作業をする気はあるんだな」


「あります。必要なら粘液洗浄、器具管理、記録、薬草処理、温度測定、魔力反応の観察を行います。ただし、非合理的な工程があれば指摘します」


「やっぱり指摘するんだな」


「指摘しない理由がありません」


「人が傷つく場合は」


「事実でも?」


「事実でも」


アイスは少し考え込んだ。


本当に考え込んだ。


この時点でだいぶ先が思いやられる。だが、考えるだけましかもしれない。完全に駄目な人間なら、そこで「傷つくほうが悪い」と言うだろう。アイスは少なくとも、セレーナに言われたことを処理しようとしている。処理の仕方が少し研究室寄りなだけで。


「……言い方を調整します」


「それでお願いします」


「ただし、危険な工程や品質低下につながる判断を見た場合は、すぐに止めます」


「それは構わない。むしろ止めてくれ。ただ、止め方は優しくしてくれ」


「優しく、の定義は?」


「初日にそこから始めるのか」


やはり面倒だ。


間違いなく面倒だ。


だが、面倒なだけではない気もした。彼女の目は冷たいが、俺のポーションをただ珍しいものとして見ているのではなく、仕組みを知りたい、どこで何が起きているのか確かめたいという欲を感じるような目だった。薬師会が押しつけてくる厄介者なら断ればいい。しかし実力があり、記録ができ、現場作業もやる気があり、しかも俺の“ぷる”を数値にしようとする人間となると、話は少し複雑になる。


嬉しくはない。


しかし使えるかもしれない。


そう思ってしまった時点で、俺もだいぶ商売人になってきたのかもしれないな。いや、商売人というより、人手不足に追い詰められた店主の発想だろうか。


「先生、この人、本当に正規の薬学教育を受けていないんですよね?」


アイスは俺ではなく、セレーナに向かってそう確認した。


「受けていないわ。学院にも通っていないし、誰かの正式な弟子だった記録もない。本人の話では、村の薬師の作業を見て覚えた部分と、古い調合メモと、あとは試行錯誤ね」


「それで、あの純度を?」


「そうみたいね」


アイスはゆっくりと俺を見た。


さっきまでこちらを品定めするようだった薄青の瞳が、その瞬間だけわずかに明るくなった。感動ではないだろう。おそらく尊敬でもない。…たぶん、見たことのない素材反応を見つけた時の研究者の目だ。俺は薬草でもスライム核でもないのだが、どうやら今の彼女の中では、俺というおっさんも立派な観察対象の一つに分類されたらしい。


「……面白いですね」


…ああ、この子は危ないタイプだ。


悪意で人を困らせるのではなく、好奇心で壁を突き破る人間だ。燃えている釜を見て「危険ですね」と言いながら、なぜ燃えたのか調べるために近づいていく種類である。世の中には怖がりだから危ないことを避ける人間と、怖さより知りたい気持ちが勝ってしまう人間がいる。たぶん彼女は後者だ。しかも、かなり純度の高いクオリティーの。


セレーナが、どこか疲れた顔で言った。


「だから預けたいのよ」


「俺の胃が先に駄目になりません?」


「そこは頑張って」


「扱いが軽い」


「薬師会でも、だいたい誰かの胃に負担をかけている子だから」


「それ、預ける理由としては最悪寄りですよ」


「でも、実力は本物よ」


またそれだ。


性格に難がある人物を紹介する時、人はだいたい最後に実力を持ってくる。実力は本物。腕は確か。才能はある。そういう言葉はなぜか前に置かれた不安材料をすべて帳消しにできると思われがちだが、現実には帳消しにならない。むしろ「じゃあ簡単には追い返せないな」という方向で、こちらの悩みが増えるだけである。


アイスは静かに口を開いた。


「勘違いしないでください。私は別に、あなたを尊敬しているわけではありません」


「初対面でそこをわざわざ言うのか」


「必要な前提です。あなたの工程は、記録も理論整理も不十分ですし、説明の多くが感覚表現に偏っています。正直、調合師としての体系化はかなり未熟です」


「今のところ、尊敬していない以外の部分もだいぶ刺さってるな」


「ただし、結果だけは成立しています。理論上は破綻しているように見えるのに、完成品の品質は高く、安定性もある。その矛盾が非常に不快です。だから理解したい」


「不快って言われた」


「未知は不快です」


「正直だなあ」


「未知を未知のまま放置するほうが、私にはよほど耐えられません」


俺は思わず黙った。


言っていること自体は筋が通っているのかもしれない。俺にとっては「いつも通りに作ったら、いつも通りにできた」で終わることでも、彼女にとっては理論と結果が噛み合わない不具合なのだろう。不具合を見つけたら直したい。分からないものは分かるまで追いたい。そういう頭の作りをしているのだ。


「それに、スライム素材の価値をここまで引き出せるなら、既存薬学体系にも修正が必要になります。低級素材として扱われてきたものに、未整理の利用価値がある可能性が出てくる。とても面白いです」


面白いらしい。


俺は全然面白くないけどな。


俺にとってスライム素材は、生活のための材料である。森で狩り、瓶に入れ、濾して、煮て、売る。そこへ既存薬学体系だの修正だのと言われても、こちらとしては棚の高さが合わなくなったくらいの感覚しかない。いや、棚の高さが合わないだけでも俺にとっては十分な問題なのだが、薬師会の人間はすぐ話を大きくする。


「住み込みって、つまりエルムホルン村に来るんだよな?」


「はい」


「辺境だぞ。王都みたいな研究設備もなければ、レスタルムみたいに店も多くない。夜は暗いし、雨が降れば道はぬかるむし、村長の話は長い」


「虫は多いですか?」


「多い」


「最悪ですね」


「お前、今から住むかもしれない場所に向かってその感想か」


「虫は嫌いですが、研究価値とは別問題です」


「研究価値のほうが勝つのか」


「当然勝ちます」


「…逞しいな」


「不快要素を上回る未知があるなら、行く理由になります」


この子の中では、生活の快適さより研究の重さが上に来るらしい。


俺にはよく分からない感覚だ。俺なら、虫が多く、店も少なく、娯楽も少ない場所にわざわざ行く理由など、せいぜい家賃が安いか、酒がうまいか、スライムがよく出るかくらいである。最後の一つを理由にする時点で、俺も人のことは言えないかもしれないが。


セレーナが小さく笑った。


「こういう子なの」


「見れば分かります」


「生活能力は壊滅的だから、そこだけ気をつけて」


「追撃やめてもらえません?」


アイスが少し不満そうにセレーナを見た。


「料理くらいできます」


「前回、研究室の小鍋を破裂させたでしょう」


「火力調整ミスです」


「鍋で?」


俺が聞くと、アイスは平然とうなずいた。


「鍋で」


料理ではない。


それは事故だ。


「何を作ろうとしたんだ」


「滋養スープです。栄養効率を上げるために薬草成分を抽出し、保存性を高める目的で低濃度の魔力安定処理を加えました」


「料理に魔力安定処理を加えるな」


「理論上は安全でした」


「現実では鍋が破裂してるんだよ」


「想定より水分が早く飛びました」


「それを料理では焦がしたと言う」


「焦げてはいません。飛散しました」


「悪化してるぞ」


アイスは少しだけ口を尖らせた。


その表情だけ見ると、年相応の少女に見えなくもないが……



俺は夕暮れの空を見上げた。


レスタルムの城壁の上には赤い光が残り、遠くの鐘が一日の終わりを告げている。通りには夕飯を求める人々の声が流れ、焼き物の匂いが風に混じっている。そして目の前には、薬学主席で、理論に強く、生活能力が怪しく、鍋を破裂させた天才問題児が立っている。


人生は、どうしてこう静かな道を用意してくれないのか。


「……まあ、人手は欲しい」


俺はゆっくり言った。


「薬師会との繋がりも、これからのことを考えればありがたい。記録ができて、素材の反応も見られて、瓶洗いも一応できるというなら、助かる部分があるのは確かだ」


セレーナの表情が、ほんの少しだけ和らいだ。


「では」


「だから、ひとまず試しでなら」


「本当ですか?」


セレーナが確認するように言った。


「ただし」


俺はアイスのほうを向いた。


「工房を爆発させたら、その時点で即帰還な」


「失礼ですね」


「鍋を破裂させた人間に言われたくない」


「理論上は安全でした」


「理論が現実に負けた結果を、世間では事故と言うんだ」


「再現条件を調べれば改善できます」


「うちの工房で再現しようとするな」


アイスは不満そうに黙った。


これは絶対、気をつけたほうがいい。彼女は失敗を恥じるより、失敗条件を知りたがるタイプだ。鍋が破裂したら普通の人間は謝って片づけるが、アイスは破裂角度と温度推移を記録し始める可能性がある。青ぷよ薬房の作業場はただでさえかなり狭い。そこへ爆発の研究まで持ち込まれたら、店より先に俺の心が壊れてしまう…


セレーナは小さく息を吐いた。


「ありがとう、ロイドさん。本当に助かるわ」


「いや、まだ助かったかは分かりませんよ。助けになるか、火種になるかは工房に入れてみないと分からない」


「そうね」


否定しなかった。


つまり、問題は起きる前提らしい。


「よろしくお願いします、ロイドさん」


アイスは丁寧に言った。


「あなたの“意味不明”を、全部解剖してみせますから」


「言い方が怖い」


「褒めています」


「薬師会、褒め方おかしくない?」


セレーナが遠い目をした。


「私もずっとそう思っているわ」


仲間がいた。


少し安心した。


本当に少しだけだが。


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