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第16話 良いことと面倒なことは、だいたい同じ袋に入っている



「ひとまず制度面から説明するぞ。感覚で人を入れる前に、店として何を背負うのかを知っておいたほうがいい」


ギデオンはそう言って、帳簿の横に一枚の紙を置いた。そこには項目がいくつも並んでいる。労務登録、雇用契約、安全講習、住居条件、勤務記録、守秘契約。どれも、俺の店の裏手にある作業小屋よりずっと頑丈そうな言葉だった。


「正式な雇用を行う場合、まず必要なのは労務登録だ。商業登録と連携して、店舗側が雇用責任を持つことを明記する。誰が雇い主で、どこで働かせ、どの業務を任せるのか。そこを最初にはっきりさせる」


「はい」


「次に雇用契約。職種、給金、住居、食事、勤務時間、休暇、安全管理、解雇条件。最低限、このあたりは文書化する」


「細かいですね」


「細かくしておかないと、後で揉める」


またそれだ。


商売も雇用も、突き詰めれば揉め事を先に減らす作業らしい。最初から相手を疑うようで気分はよくないが、何も決めずに始めて、あとで「聞いていない」「そんなつもりではなかった」となるほうが、もっとよくないのだろう。ポーション作りでも似たようなことはある。最初の洗浄を雑にすると、あとでどれだけ煮ても濁りが残る。人との約束も、たぶん最初の水洗いが大事なのだ。


ギデオンは淡々と続けた。


「特に魔法薬関連は、職業斡旋局では危険職種に分類される。毒物、火傷、魔力反応、薬害事故、素材由来の体調不良。扱うものによっては、従業員にも周囲にも危険がある」


「うちは主にスライム素材と薬草ですよ」


「スライム粘液でも床にこぼせば滑る。薬草にも肌に合わないものがある。釜を使えば火傷の危険がある。瓶は割れるし、刃物も使う。君が慣れているかどうかと、職場として危険がないかは別の話だ」


「言われると全部その通りで困りますね」


「困る前に対策するための説明だ」


ギデオンは紙の余白に、さらにいくつか書き足した。


「従業員には安全講習を受けさせる必要がある。店舗側も最低限の事故対策を用意する。治療用品、消火具、浄化剤、換気、緊急時の連絡先、危険素材の保管場所。薬師会登録が絡むなら、確認項目はさらに増える」


「事故対策……」


俺は思わず頭を抱えた。


ポーション作りとは、そんな本格的な業種だったのか。


いや、冷静に考えれば当たり前なのだ。人が飲んだり傷に使ったりするものを作っているのだから、火を使う、素材を扱う、体に入るものを瓶詰めする、そのすべてに気を遣わなければならない。だが俺の感覚は、今でもどこか村の便利屋のままだった。婆さんの腰が楽になればいい。猟師の傷が塞がればいい。疲れた若いのが翌朝動ければいい。そういう距離で始めた仕事が、いざ人を雇うとなった途端、急に職場としての顔を要求してくる。


「治療用品は、自分で作ったものでもいいんですか」


「応急用としては構わん。ただし、誰が見ても分かる場所に置け。瓶に名前を書く。用途も書く。飲むものか、塗るものか、目に入れてはいけないものか。その区別がつかない棚は事故の元だ」


「全部青い瓶に入ってますね」


「すぐ分けろ」


「はい」


即答するしかなかった。


青く澄んでいれば綺麗だし、見た目も統一感があっていい。そう思っていたが、緊急時に全部同じような瓶が並んでいたら、たしかに危ない。回復薬のつもりで濃縮粘液を飲まれても困るし、外用の試作品を内服されたらもっと困る。俺は今まで自分が分かるからという理由で棚を使っていた。人を入れるなら、自分以外にも分かる棚にしなければならないらしい。


「あと重要なのは、技術管理だ」


ギデオンが言った。


「技術管理?」


「従業員が製法や取引情報を持ち出す場合がある」


俺は少し間を置いてから聞き返した。


「……あるんですか」


「ある。特に人気商品はな。雇われた側に悪意がなくても、酒場でうっかり話すこともある。親しい商人に材料の仕入れ先を漏らすこともある。教わった工程を別の店へ持っていく者もいる。故意かどうかに関わらず、情報が外へ出れば問題になることもあるだろう」


現実的だ。


実に現実的で、あまり聞きたくない話だった。


俺は今まで、製法を盗まれるという発想をほとんど持っていなかった。そもそも自分でも説明しきれない製法を、どう盗むのかという気もする。だが、素材の扱い方、仕入れの量、販売先、騎士団との契約、薬師会とのやり取り。考えてみれば、外に出て困る情報はいくらでもある。スライム核の外し方だけが技術ではない。店の中にある流れそのものが、誰かにとっては価値になるのだろう。


「だから守秘契約を結ぶ。製法、素材選別、取引先、契約数、価格、研究提供の内容。このあたりを外部へ漏らさないこと。違反時の賠償や、他店舗への情報流出禁止も含める」


「そんな大げさな」


「青ぷよ薬房は今、大げさにしなければならない立場だ」


ギデオンの声は変わらなかった。


脅しているわけではない。持ち上げているわけでもない。ただ、そういう段階に入っていると言っているだけだ。その言い方が一番逃げにくい。俺としては「いやいや、うちは辺境の小さな薬房でして」と笑って済ませたいのだが、薬師会が鑑定書を出し、騎士団が契約に動き、商会が嗅ぎつけ、職業斡旋局で名前が知られている時点で、もうそんな言い訳は通用しなくなっている。


「守秘契約なんて出したら、応募者に怖がられませんか」


「書き方次第だ。脅すためではなく、店と働く者の双方を守るためだと説明すればいい。何を話してよくて、何を話してはいけないのか分からないまま働かせるほうが危ない」


「なるほど」


「たとえば、店名や仕事内容を家族に話すのは構わない。だが、契約先への納品数や、素材の選別基準、調合の詳細を酒場で話すのは駄目だ。線を引いておけば、従業員も迷わずに済む」


それは少し納得できた。


秘密を守れ、とだけ言われても困る。何が秘密なのか分からなければうっかり踏んでしまうこともある。俺だってもし誰かから「この話は内密に」とだけ言われたら、どこまで内密なのか分からず、逆に何も話せなくなるだろう。守るべきものをはっきりさせるのは、相手を縛るだけではなく、相手を楽にすることでもあるのかもしれない。


「技術を学びたい人間は来るかもしれません」


リタが横から口を挟んだ。


「青ぷよ薬房で働けるなら、将来的に調合を学べると思う人はいるはずです。最初からどこまで教えるのか、段階を決めておいたほうがいいと思います」


「そうだな」


ギデオンはうなずいた。


「求人票にも書いたが、最初は薬房補助だ。調合の中核には触れさせない。一定期間働き、信頼でき、基礎作業を覚えた者にだけ、段階的に教える。教える範囲も記録する」


「教える範囲まで記録するんですか」


「当然だ。後で“聞いた”“聞いていない”“教わった”“勝手に覚えた”で揉める」


「また揉める」


「現場はだいたいそこで揉める」


ギデオンは本当に揺るがない。


俺は少しだけ遠い目になった。人を一人雇うだけで、労務登録、雇用契約、安全講習、事故対策、守秘契約、教育範囲の記録まで出てくる。ポーション一本を作るのに採取、洗浄、核分離、粘液処理、薬草調合、加熱、魔力安定、瓶詰め、保管があるように、雇用にもそれぞれ工程があるらしい。しかも失敗した時に焦げるのは鍋ではなく、人間関係である。なかなか厄介だ。


「……俺、ただ補助員が欲しかっただけなんですが」


「補助員を入れるために必要な話をしている」


「分かってます。分かってるんですが、聞けば聞くほど、店が急に大きくなった気がして」


「店の大きさと責任の大きさは、必ずしも一致しない」


ギデオンはそう言って、俺をまっすぐ見た。


「小さな店でも、人を雇えば雇用主だ。人が飲む薬を作れば製造者だ。住み込みで働かせれば生活環境の管理者になる。看板が大きいか小さいかは関係ない」


言い返せなかった。


青ぷよ薬房の看板は小さい。店も古く、作業場も広くない。しかしそこで働く人間がいるなら、俺はその時間と安全に責任を持つことになる。そこで作った薬を誰かが飲むなら、俺はその品質に責任を持つことになる。今まで何となく背負っていたものが、言葉にされて机の上に置かれたようだった。


続いて、ギデオンは分厚い帳簿を開いた。


表紙の角は擦り切れ、革紐は何度も結び直した跡があり、ページの端には小さな札がいくつも挟まっている。よほど使い込まれているのだろう。中には職種ごとの給金相場がびっしり書かれていた。倉庫番、荷運び、住み込み給仕、工房見習い、素材加工補助、治療院補助。人の仕事というものは、こうして並べられると想像以上に種類が多い。俺は今まで、ポーション作りと店番とスライム狩りの間をぐるぐる回っていただけなので、世の中にこれほど多くの働き口があることを少し忘れていた。


「給金相場だが、一般補助員なら月に銀貨十五から二十五。住み込みで食事付きなら条件次第で調整はできるが、下げればいいというものではない。薬草加工や素材選別の経験がある者、帳簿を読める者、店頭応対まで任せられる者はもっと高い」


「銀貨二十五……」


思わず声が漏れた。


払えない、とは言わない。最近の売り上げを考えれば、むしろ払えないほうがおかしいのかもしれない。屋根を直す費用、瓶の仕入れ、薬草の買い付け、騎士団向けの納品準備、そこへさらに人件費。頭の中で帳簿が勝手に開き、数字がぞろぞろ並び始める。嫌な光景だ。酒を飲んでいる時には絶対に見たくない。


ギデオンは俺の顔を見て、軽く指で帳簿を叩いた。


「安く見るなよ。まともな人材ほどすぐ消える。条件のいい工房、安定した商会、街中の治療院。そういうところは常に人を探している。辺境勤務なら、なおさら相場を外すな」


「分かってます。人を安く使うつもりはありません」


「つもりだけでは足りん。紙に書け。給金、支払日、住居、食事、休み、仕事の範囲。良い雇い主でも、条件が曖昧なら悪い雇い主に見える」


「耳が痛いですね」


「痛いうちに直せるなら安いものだ」


この人の言葉は、いちいち現場の埃を吸っている感じがする。


机上の正論というより、実際に何度も揉め事を見てきた人間の言葉だ。給金が安すぎて人が辞めた。休みが曖昧で不満が出た。住み込みの部屋が話と違って怒鳴り込まれた。そういう出来事を、いくつも紙に残してきたのだろう。俺はスライム素材の濁りなら見分けられるが、人の不満の濁りはまだよく分からない。だから、こういう人間の話は聞いておいたほうがいい。


「逆に、高すぎても問題だ」


ギデオンは続けた。


「辺境の小店が相場を大きく外した条件を出すと、別の意味で目を引く。楽して稼ぎたい連中、技術目当て、身元をごまかしたい者、短期で入り込んで情報だけ抜こうとする者。もちろん全員がそうではないが、条件が不自然だと不自然な応募も増える」


「変なのが集まるってことですか」


「そうだ。求人は餌でもある。何を置くかで寄ってくるものが変わる」


怖い。


人を雇うって怖い。


スライムはまだ分かりやすい。跳ねる。震える。逃げる。たまに水路に詰まる。それくらいだ。人間は違う。笑顔で来るかもしれないし、丁寧な言葉を使うかもしれないし、履歴票が立派かもしれない。けれどその内側で何を考えているかは、スライム核の位置よりずっと見えにくい。


「……面接って必要ですか」


「当然だ」


「ですよね」


「むしろ、書類より面接のほうが大事な場合もある。手先の器用さ、受け答え、村暮らしへの理解、匂いや汚れへの耐性、細かい作業を雑に流さないか。そういうものは、紙だけでは見えん」


「匂いへの耐性」


「魔物素材を扱うんだろう」


「スライム素材は、ちゃんと処理すればそこまで臭くありません」


「処理前は?」


「……日によります」


「なら確認項目だ」


ギデオンは当然のように言った。


確かに、スライム粘液の匂いが苦手な人間に、うちの作業場は厳しいだろう。俺にとってはもう慣れた匂いだが、初めて嗅ぐ者には少し青臭いというか、雨上がりの水路というか、瓶を洗い忘れた薬草水というか、まあ独特ではある。そこを入ってから知るのは、相手にとっても不幸だ。うちの作業場で初日に倒れられても困る。


「面接では、良いところだけを話すな」


ギデオンは羽ペンを取りながら言った。


「青ぷよ薬房で働けば技術を学べる。住み込みで飯が出る。話題の店で将来性がある。そこは利点だ。だが同時に、村は小さい。仕事は細かい。素材は魔物由来。忙しい日もある。店主の説明が感覚的な場合がある」


「最後、求人票に書きます?」


「面接では伝えろ」


「そこまで重要ですか」


「教える側が感覚で動く職場は、合う者と合わない者がはっきり分かれる」


何も言い返せなかった。


俺は自分で思っている以上に、感覚で動いているらしい。粘液の状態を「ぷる」で説明し、釜の音を「とろ……とろ……」で判断し、魔力の安定を「ざらつき」で見る。そんな店主の下で働くなら、相手にもそれなりの忍耐がいるだろう。求人票に「店主の擬音に耐えられる方」とは書けないが、実態としてはわりと必要な資質かもしれない。


ギデオンは求人票の雛形を引き寄せ、迷いなく文字を書き始めた。


〈青ぷよ薬房〉


業務内容。店舗補助、薬草加工、瓶洗浄、在庫整理、魔物素材の前処理補助。勤務地、エルムホルン村。住み込み可、朝夕食事付き、給金は経験と作業範囲により相談。未経験可。薬草、素材加工、倉庫整理の経験者歓迎。細かい作業を丁寧に行える方。魔物素材に抵抗のない方。


書かれていく文字を見ながら、俺は妙な気分になった。


求人票。


青ぷよ薬房が。


あの、扉を開けるたびにぎぃと鳴り、看板のスライムが笑っているのか溶けているのか分からず、店主が毎朝スライムを狩っては釜の前で泡を取っているだけの店が、こうして職業斡旋局の正式な求人票に載ろうとしている。なんというか、店として本格的になってきてしまった。嬉しいような、逃げたいような、帳簿の端をそっと閉じたくなるような気分である。


「ここに、試用期間一か月と入れる」


ギデオンが言った。


「合わなかった時のためですか」


「双方のためだ。雇われる側も、実際に働いてみなければ分からないことがある。君の店も、相手の働き方を見なければ分からん。最初から長期で縛るな」


「なるほど」


「それと、最初の業務範囲は補助に限る。調合中核、契約情報、研究提供に関わる内容には触れさせない。段階的に教えること。これは明記しておく」


「技術目当ての人への線引きですね」


「そうだ。期待させすぎると不満になる。隠しすぎても不信になる。最初から、どこまで任せるかを見せるんだ」


ギデオンはさらに数行を書き足した。


初期業務は薬房補助および素材前処理。調合作業は担当者の判断により段階的に教育。守秘契約あり。安全講習受講必須。


守秘契約あり。


安全講習受講必須。


青ぷよ薬房の求人票に、ずいぶん硬い言葉が並んだ。だが不思議なことに、さっきよりは少しだけ納得できる。人を雇う以上、最初から線を引いておく。危ないことは危ないと言う。教えられることと教えられないことを分ける。そうしておかないと、働く側も困るのだろう。


「給金はどう書きますか」


俺が尋ねると、ギデオンは帳簿を見ながら少し考えた。


「未経験なら月銀貨十五枚から。経験者は二十枚以上。採取補助や危険を伴う作業を任せる場合は手当あり。求人票には“月銀貨十五枚より、経験により加算”と書くのが妥当だな」


「それで応募は来ますか」


「来るかどうかは条件だけでは決まらん。店の評判、働き方、住み込みの環境、面接での印象もある」


「面接での印象……」


「不安そうな顔ばかりしている雇い主は、相手も不安になるぞ」


「今かなり不安なんですが」


「面接までに少し整えろ」


「顔を?」


「条件をだ」


ギデオンは淡々としている。


リタが横で小さく笑っていた。笑いごとではない。いや、たぶん少し笑いごとなのだろう。俺が人を雇う側として面接する。想像するだけで落ち着かない。何を聞けばいいのか。相手が良さそうに見えたら採っていいのか。逆に、真面目そうでもスライムが苦手だったらどうするのか。


「面接では、何を聞けばいいんですか」


「まず生活面だ。村での住み込みに抵抗はないか。早朝や繁忙期の作業に対応できるか。次に作業面。細かい作業の経験はあるか。薬草や素材を扱ったことはあるか。匂いや汚れは平気か。最後に人柄だ。分からないことを聞けるか。雑にごまかさないか。勝手な判断をしないか」


「勝手な判断は困りますね」


「特に魔法薬ではな。分からない時に止まれる人間を選べ。自信満々に間違える者が一番危ない」


「ああ、それは分かります」


スライム素材でも同じだ。


分からない粘液を「たぶん大丈夫」と釜に入れると、だいたいあとで面倒になる。少し濁っている。匂いが違う。核粉末の沈みが早い。そういう違和感を無視すると、後々完成品に響いてしまう。人も同じなのかもしれない。分からない時に確認できるか。そこで見栄を張らないか。…うん、たしかに、そういうところは大なり小なり大事なんだろうな。


「あと、力自慢だけの冒険者崩れは慎重に見ろ」


ギデオンが言った。


「やっぱり向きませんか」


「向く者もいる。だが、素材前処理は力より手加減だ。叩けば済む仕事ではない。前職が冒険者でも、採取や解体を丁寧にやっていた者ならいい。魔物を見るとまず殴る者はやめておけ」


「スライム核が割れますね」


「割れる前に店の備品も壊す」


妙に具体的だった。


経験があるのだろう。


俺は求人票を眺めた。文字が増えれば増えるほど、求めている人材の輪郭が少しずつ見えてくる。派手ではなくていい。強くなくていい。細かいところを見ることができて、分からなければ聞けて、汚れ仕事を嫌がらず、村暮らしにも馴染める人間。できればスライムを見てもいきなり棒で叩かない人間。


いるのか。


いや、いると信じるしかない。


「これで掲示する」


ギデオンは最後に求人票の内容を確認すると、受付用の札をひとつ取りつけた。札には小さく番号が振られている。どうやらこれで、青ぷよ薬房の求人は職業斡旋局の正式な案件になってしまったらしい。紙の上ではただの一枚なのに、俺の目には妙に立派なものに見えた。いや、立派というより、もう引っ込めにくいものに見えた。


「条件に合いそうな者がいれば、こちらで一次確認をしてから紹介状を出す。明らかに不向きな者は弾くが、最終判断は君がしろ」


「最終判断」


「雇うのは君だ。こちらは紹介までだ。働く場所を見せ、仕事内容を説明し、合うかどうかを見極めるのは店主の仕事になる」


その言葉で、少しだけ背筋が伸びた。


そうだ。斡旋局は人を探してくれる。ギデオンは条件を整えてくれる。リタも横で助けてくれる。しかし最後に「この人に来てもらおう」と決めるのは俺なのだ。誰かがエルムホルン村へ移り、青ぷよ薬房の作業場に立ち、瓶を洗い、薬草を刻み、朝晩の飯をうちで食う。その入口を開けるかどうかを、俺が判断することになる。求人票というものは、思ったより軽い紙に見えて、向こう側に人の暮らしがぶら下がっている。


ギデオンは求人票を別の束へ置き、淡々と言った。


「早ければ数日で候補者が出る。遅ければ、しばらく待つことになる」


「数日」


「人の流れが多い時期だ。春先の仕事替え、工房の人員入れ替え、冒険者を辞めた者の再就職。条件に引っかかる者がいてもおかしくない」


「心の準備が必要ですね」


「求人を出した時点で始まっている」


容赦がない。


俺は小さく息を吐いた。青ぷよ薬房の名前が書かれた求人票は、これからどこかの掲示板に貼られる。誰かがそれを見る。少し首を傾げる。青ぷよとは何だと思う。職員に話を聞く。条件を確かめる。うまくいけば紹介状が出る。面接に来る。もしかすると、その誰かがエルムホルン村まで来て、うちの裏手の作業場でスライム素材の瓶を洗うことになる。


知らない誰かの足音が、まだ見えないところから近づいている気がした。


「……そもそも人が来ますかね」


俺が半分期待し、半分不安になりながら言うと、ギデオンはあっさり答えた。


「来るだろうな」


「即答ですか」


「青ぷよ薬房の名前は、今のレスタルムでは十分に目を引く。薬師志望の見習い、素材加工の経験者、安定した住み込み先を探す者、珍しい技術を学びたい者。興味を持つ人間はいる」


「それ、良いことですか」


「良い面もあるが、まあ面倒も増えるだろうな」


「でしょうね」


分かっていた。


良いことと面倒なことは、だいたい同じ袋に入ってやってくるのだということは。


ポーションが売れるのはありがたいが、同時に行列ができる。騎士団に評価されるのは悪いことではないが、契約書が増える。人が来るのは助かるが、面接をしなければならない。人生というものはなぜこうも便利と手間を同梱してくるのか。せめて別売りにしてほしいんだが…。


相談が終わった頃には、もう昼を大きく過ぎていた。


職業斡旋局を出る時、俺の頭はずしりと重かった。体を動かしたわけではない。スライムを追いかけたわけでも、釜をかき混ぜ続けたわけでもない。ただ椅子に座り、話を聞き、書類を見て、うなずき、時々心の中で逃げ道を探していただけだ。それなのに、妙に疲れている。


考えてみれば、今日は朝からずっと人と紙に囲まれていた。商業組合で販売区分と契約の話をし、薬師会の鑑定結果に頭を抱え、また商業組合で生産と工程管理の話をし、最後に職業斡旋局で雇用の現実を叩き込まれた。一日で詰め込むには、人生の密度が高すぎる。俺はスライム素材なら濾せるが、情報は濾してもなかなか減らない。


「……宿に帰りたい」


職業斡旋局の外へ出た瞬間、俺は心からそう思った。


もう今日は何も考えたくない。ベッドに倒れ込みたい。モカの首を撫でながら、意味もなく天井を見ていたい。できれば温かいスープを飲み、干し肉をかじり、明日のことは明日の俺に押しつけたい。明日の俺には申し訳ないが、今日の俺はもう十分働いた。


「ロイドさん、本当にお疲れですね」


隣でリタが苦笑した。


「人間、情報量が多すぎると魂が削れるんだな……」


「でも、ちゃんと進んでいますよ。販売区分も決まりましたし、求人票も出せましたし、契約の整理も始まりました」


「前進のたびに寿命が少しずつ削れている気がする」


「そのぶん、あとで楽になります」


「あとで楽になる話を、俺は最近ずっと聞いている気がする」


「今は準備の時期ですから」


「準備って、実作業より疲れることがあるんだな」


それは今日、よく分かった。


スライムを狩るのは分かりやすい。見つけて近づいて、逃げられないようにする。核を傷つけずに仕留める。素材を取る。それで終わりだ。ポーション作りもまだいい。洗う。濾す。煮る。寝かせる。瓶に詰める。やることが手の中にある。しかし仕組み作りは根本的な部分から違う。見えないものを先に考え、まだ来ていない人のことを想定し、起きていない揉め事を避けるために紙へ書く。手応えが薄いくせに、やけに疲れる構造になっている。


中央広場へ戻る途中、夕方の光が石畳を赤く染めていた。露店の商人たちは少しずつ店じまいを始め、木箱を運ぶ音や、値切りの最後の声が通りに残っている。酒場からは早くも笑い声が漏れ、焼いた肉の匂いが風に乗って流れてきた。川のほうから吹く涼しい風が、昼間に熱を吸った街をゆっくり冷ましている。


ようやく一日が終わる。


そう思った瞬間、鞄の中の求人票の控えが、やけに存在を主張した気がした。


青ぷよ薬房、補助員募集。


俺の店は、どうやら明日からまた少し違う方向へ進むらしい。進むのはいいのだが、今日はもう勘弁してほしい。せめて今夜だけは、契約だの給金だの守秘義務だのではなく、温かい飯と寝床のことだけを考えていたい。


「ロイドさん、夕食どうします?」


リタが尋ねた。


「安くて、温かくて、難しい話をしなくて済む店がいい」


「条件が切実ですね」


「今日一番大事な条件だ」


リタは笑いながら、広場の向こうを指した。


「それなら、良い食堂を知っています。量も多いですし、店主もあまり話しかけてきません」


「最高じゃないか」


俺はその言葉だけで、少しだけ元気を取り戻した。


人を雇うことも、店を整えることも、ポーションを安定して届けることも大事だ。大事なのは分かっている。だが、人間は飯を食わなければ考えることもできない。商売も契約も雇用も、まず腹が満ちてからでいい。少なくとも、今の俺はそういうことにしたかった。


俺はリタの案内で歩き出した。


背後では、職業斡旋局の扉が静かに閉まる音がした。

その中のどこかに、青ぷよ薬房の求人票が置かれている。


まだ見ぬ誰かがそれを見るのは、明日かもしれない。数日後かもしれない。あるいは、すぐにでも紹介状が届くのかもしれない。


まあ、その時はその時だ。


今の俺に必要なのは、雇用契約ではなく夕飯である。


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