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第14話 そこが胃に悪いんですよね





商業組合の会議室には、いつの間にか紙が増えていた。


工程表。販売区分。納品管理。仮契約一覧。薬師会提出用の確認項目。補助員募集の条件案。さらに、誰が書いたのか分からない「青ぷよ薬房・今後の対応方針」という見出しまである。やめてほしい。俺の店はそんな大きな見出しを背負えるほど立派な建物ではない。扉は開けるたびにぎぃと鳴るし、看板のスライムは笑っているのか溶けているのか分からないのだ。


さっきまでこの机では、「ぷる」とか「ざらつく」とか、スライム粘液をどう言葉にするかという、真面目なのかふざけているのか分からない話をしていたはずだった。それが気づけば、完全に仕事の机になっている。紙の角は揃えられ、項目は分類され、必要な確認事項には印までつけられている。木箱いっぱいのスライム粘液を前にしているほうが、まだ気が楽だった。あれは少なくとも濾せば減るが、書類の方はいくら濾しても一向に減らないのだ。


クラウスは追加の資料を手早く並べ直しながら、まだ話は終わっていないと言わんばかりに淡々と口を開いた。


「問題は、今後さらに需要が増えた場合だ」


「増える前提なんですね」


「薬師会が鑑定結果を出し、騎士団が契約に動き、王都の商会がすでに接触してきている。ここまで条件が揃っている以上、減る理由を探すほうが難しい」


嫌な現実感があった。


俺としては、「最近少し騒がしいですね」くらいの認識でいたい。朝の行列も騎士団の契約も、商人の妙にぬるっとした笑顔も、時間が経てばそのうち落ち着くのではないかとどこかで期待していた。人の噂も七十五日と言う。七十五日もあればみんな別の流行に飛びつき、青ぷよ薬房のことなど忘れてくれるかもしれないと思いたかった。


だがクラウスの顔は、…うん。やはりそういう甘い期待を許す顔ではないな。


「現在の問題は大きく二つ。生産量と、品質維持だ」


クラウスは紙の中央に線を引き、左右に項目を書き分けた。


「量を増やすだけなら、人を増やせばある程度は対応できる。瓶洗い、薬草の下処理、ラベル貼り、在庫管理、販売記録。補助に回せる作業はある。しかし、そこで品質が落ちれば意味がない。特に君の商品は、単に安いから売れているのではない。ほかの同種品と比べた時の品質差そのものが価値になっていることを忘れてはならん」


「そこが胃に悪いんですよね」


「君の胃は後回しだ」


「ひどい」


「優先順位の話だ。胃痛で済んでいるうちは、まだ検討項目の下位に置ける」


「人の内臓を項目に入れないでください」


「倒れたら最上位に上げることだ」


「上がる前に助けてほしいんですが」


クラウスは真面目な顔でうなずいた。


「だから今、仕組みを作っている」


正論しか飛んでこない。


しかも大抵、こちらが反論しにくい角度から飛んでくる。正面からなら避けようもあるが、「君の店を守るためだ」とか「必要な人に届かせるためだ」とか言われると、こちらは黙るしかないから困る。俺は静かに商売がしたいだけなんだが、その静かさを守るために忙しくしろと言われるのはなんなんだ…


リタが工程表を覗き込みながら、遠慮がちに口を挟んだ。


「品質維持については、まず基準を二段階に分けるのはどうでしょうか。店頭販売できる基準と、契約納品に回せる基準です。全部を最高品質に揃えようとすると、ロイドさんの負担が大きすぎます」


「二段階?」


俺が聞き返すと、リタはうなずいた。


「はい。たとえば、村内向けや一般販売向けは、現在の標準品質を基準にします。騎士団や薬師会に出すものは、魔力保持率や安定性が一定以上のものだけを選別する。逆に、効果は問題ないけれど少しだけ濁りがあるものは、外用薬や薄めの疲労回復に回す。そうすれば、全部を同じ棚で同じ扱いにしなくて済みます」


「それ、つまり俺の作ったポーションをさらに仕分けるってことか」


「はい。品質を落とすのではなく、用途に合わせて分けるんです」


「俺の店、魚屋みたいになってきたな。今日はいい核が入ってるよ、みたいな」


「素材屋としては間違っていません」


「そこは否定してほしかった」


リタは少し笑った。


クラウスはその案を聞きながら、紙に新しい項目を書き足した。品質基準。用途別分類。契約納品基準。店頭販売基準。加工転用。どんどん言葉が増えていく。


誰に売るか。いくらで売るか。どの用途に回すか。記録するか。証明をつけるか。契約分にするか。店頭分にするか。一本の瓶に対してこんなに考えることがあるとは知らなかった。若い頃にゴブリン三匹に追いかけられて泥沼に落ちたことがあるが、あの時より逃げ道が少ない気がする。


「生産量については」


クラウスが続けた。


「短期的には、君の作業時間を圧迫している雑務を外す。販売対応はミーナ君を中心にする。瓶洗いとラベル貼りは補助員へ。薬草の下処理も教えられる者に任せる。君は素材判定、核分離、調合、最終確認に集中する」


「俺が楽になるように聞こえますね」


「聞こえるだけでは困る。実際にそうする必要がある」


「でも、そのぶん確認が増えるんでしょう?」


「増える」


「ですよね」


甘くはなかった。


人に任せるということは、自分の手が空く代わりに自分の目を使うということでもある。瓶を洗った者がいれば、洗い残しがないか見る。薬草を刻んだ者がいれば、大きさや乾燥具合を見る。粘液を洗った者がいれば、濁りが残っていないか見る。結局、最初のうちは俺の仕事が減るというより仕事の形が変わるだけなのだろう。


「確認作業まで全部一人で抱えたら、今と変わらない気がします」


「だから記録を使う」


クラウスは即答した。


「作業者ごとに何をしたか残すんだ。洗浄時間、薬草の分量、瓶の本数、失敗や廃棄の数。記録が残れば、問題が起きた時に原因を追いやすい。君が毎回すべてを目で見て判断する必要も少しずつ減るだろう」


「記録って便利なんですね」


「面倒だが便利だ」


「面倒のほうが先に来るんですね」


「それは仕方のないことだ」


そこは正直だった。


リタが苦笑しながら、別の紙を差し出した。


「最初は簡単な記入表でいいと思います。誰が、いつ、何を、どれだけ処理したか。異常があったか。ロイドさんが確認したか。その程度なら補助員でも書けます」


「異常があったか、か」


「はい」


「スライム粘液の異常って、普通の人に分かりますかね」


「分からない部分は、ロイドさんが見ます。ただ、“土が混じっている”“臭いが強い”“色が薄い”“泡が消えない”くらいなら、教えれば分かると思います」


「なるほど」


少しだけ現実味が出てきた。


ぷる、とか、ざらつく、とか、そういう俺のよく分からない感覚をいきなり人に渡すのは無理だろう。ただ土が混じっているとか、色が薄いとか瓶が汚れているとか、薬草が湿っているかとかなら、たしかに説明できる気もする。全部を教えようとするから無理に思えるのだ。まずは見れば分かるところから渡せばいい。


俺は紙の山を見た。


さっきまで敵に見えていた書類が、ほんの少しだけ道具に見えた。ほんの少しだけだ。仲良くなったわけではない。書類と酒を飲む気もない。ただ、スライム素材を濾す布と同じで、面倒でも使わなければ余計に面倒なことになるものなのだろう。


「……分かりました。全部いっぺんには無理ですけど、補助員に任せる作業と、俺が見る作業を分けます。品質も用途ごとに仕分ける方向で考えます」


「それでいい。最初から大きく変える必要はない。だが、何も変えない選択肢はもうない」


「そこは少しぼかしてほしかった」


「ぼかすと君は逃げるだろう」


「信用がないですね」


「長年の経験と呼んでくれ」


リタはそんな俺たちのやり取りを見ながら、ふと何か思いついたように顔を上げた。


それから、少し身を乗り出して言った。


「スライム素材専門の採取員を育てる、という方向はどうでしょう?」


リタが、ぱっと顔を明るくして言った。


「育てる?」


「はい。ロイドさんの採取技術をある程度マニュアル化して、スライム素材の前処理ができる補助員を作るんです。最初からロイドさんと同じ品質は無理でも、核を潰さない、粘液に土を混ぜない、採取後の保管を間違えない。そのあたりだけでも教えられれば、かなり違うと思います」


「マニュアル」


俺はその言葉を口の中で転がしてから、少し遠い目になった。


俺の人生に、まさか“マニュアル化”などという単語が入り込んでくるとは思わなかった。十五の頃に授かったスキルが〈スライムキラー〉だと知り、村の神父に気の毒そうな顔をされ、そこから二十年近くも俺はスライムを狩って細々と生きてきた。そんな男の技術が紙にまとめられ、人に教えられ、補助員育成の教材になるとは、世の中何がどう転ぶか分からないな。転がるならもう少し静かに転がってほしいものだが。


「スライムを見たらなんとなく核の位置が分かるんだが」


「そこを言葉にするんです」


「無茶言うな」


「無茶ではありません。感覚を分解するんです。どういう姿勢のスライムは核が浅いのか、跳ね方に違いはあるのか、色の濃さで魔力の偏りが分かるのか、ロイドさんが無意識に見ているものを一つずつ拾えば、きっと手がかりになります」


リタは楽しそうだった。


研究職っぽい人間は、なぜ人の苦労を前にすると目が輝くのか。こっちは自分の頭の中をほじくり返されるような気分なのに、向こうは新しい鉱脈を見つけた採掘師みたいな顔をしている。悪気がないのは分かるぞ?むしろ善意と好奇心で言っているのだろう。だが善意と好奇心は、時々かなり鋭い刃物になることを知っておいた方がいい。


「スライムの核なんて、見れば分かるだろ」


「普通は分かりません」


「真ん中あたりにあるぞ」


「いつも真ん中とは限りませんよね」


「まあ、跳ね方とか、体の傾きとかで少しずれることはあるが」


「それです。それを記録しましょう」


「今、自分で罠を踏んだ気がする」


「踏みましたね」


リタはにこにこしている。


この子、笑顔で逃げ道をふさぐところが少しミーナに似てきた気がする。いや、ミーナとは別方向だ。ミーナは店を回すために現実を突きつけてくるが、リタは知りたいことがあると遠慮なく掘ってくる。どちらも厄介で、どちらもたぶん必要なのが困る。


クラウスは腕を組み、静かにうなずいた。


「方向性としては悪くない。ロイド君一人に採取から調合まで全工程を依存すると、病気や怪我で店が止まる。今の売れ方を考えれば、それは避けるべきだ」


「俺が倒れる前提で話すの、やめませんか」


「倒れないための話をしている」


「言い方の問題です」


「では、君が健康を維持し、店も継続し、客への供給も極端に乱さないために、補助員を入れる必要がある」


「急に柔らかくなったな」


「内容は同じだ」


「でしょうね」


クラウスは紙の端に「採取補助員」と書き込んだ。…書かれたと言った方がいい。ついに俺のスライム狩りに人員枠が発生してしまった。昔の俺に聞かせたら笑うだろう。いや、笑ったあとで少し泣くかもしれないな。スライムしか倒せない無能スキルが、巡り巡って採取部門の責任者みたいな位置に押し上げられているとは…


「最低でも補助員は必要だ。調合そのものをすぐ任せるのは無理でも、採取後の洗浄、選別、保管、瓶や道具の準備を任せられれば、君の作業時間はかなり削れる」


「まあ、それは分かります」


俺は少し考えた。


そりゃ忙しい。


むしろ、よく今まで「ちょっと最近大変だな」くらいで済ませていたものだ。自分のことながら感覚がおかしいとは思う。…いや、感覚がおかしいと言われるのは素材や値段だけで十分なのだが。


「職安へ行って、まず補助員を探しましょう」


リタが言った。


「そんな簡単に見つかるもんか?」


「レスタルムなら仕事を探している人は多いですよ。見習い希望の若い調合師、薬草加工の経験者、素材倉庫で仕分けをしていた人、冒険者を引退した採取人なんかもいます。最初から完璧な人は無理でも、基礎がある人なら覚えは早いと思います」


「問題は、うちの店が辺境の村にあるってところなんだよな。王都どころかレスタルムからも少し離れてるし、娯楽といえば森と畑と、たまに村長の長話くらいだぞ」


「条件次第だな」


クラウスが言った。


「住み込み、食事付き、給金が安定している。さらに、薬師会や組合の推薦がつく仕事となれば、希望者は出る。辺境でも、安定した職と技術を学べる環境を求める者はいる」


「逆に言うと、条件が悪いと来ないわけですね」


「当然だ。仕事内容は細かく、素材の扱いには神経を使い、店は忙しい。給金まで安ければ、よほど物好きでなければ続かん」


「給金……」


俺は少しだけ目をそらした。


金を払う側になるというのは、思ったより重い。自分一人なら、今月は少し酒を控えるか、屋根の修理は来月に回すか、冬の薪を多めに買うか、その程度で済んでいた。しかしいざ本格的に人を雇うとなれば、相手の生活がそのまま乗ってくる。飯代、寝床、給金、休み、怪我をした時の扱い。釜に入れる薬草の量とは違う。少し多かったや少し少なかったでは済まないのだ。


「君はそこを感覚で決めそうだな」


クラウスがこちらを見た。


「最近、俺の感覚が全然信用されていない気がするのですが」


「信用されない実績を積んでいるからな」


ぐうの音も出ない。


「給金は、組合の相場を参考にする」


クラウスは淡々と続けた。


「見習い補助員なら月いくら、経験者ならいくら、住み込みなら食費と寝床分をどう扱うか。危険作業の有無も考える必要がある」


「危険作業って、スライムですよ」


「君にとってはスライムでも、他人にとっては魔物だ。粘液で滑って転ぶこともある。森へ入れば、スライム以外の魔物と遭遇する可能性もある。採取用の刃物を扱うなら怪我もある」


「急に真面目な仕事に聞こえてきた」


「真面目な仕事だ」


そう言われると、返す言葉がなかった。


俺にとってスライム狩りは、朝の水汲みに近い日課だった。森へ行き、見つけて、狩って、素材を取る。そこまで深く考えていなかった。けれど人に教えるとなれば、どこが危なく、どこで失敗しやすく、どこまでなら任せられるかを考えなければならない。自分の慣れを、他人の安全の前提にしてはいけないのだ。


「それに、応募者を選ぶ基準も必要です」


リタが指を折りながら言った。


「手先が丁寧なこと。匂いや色の違いに気づけること。雑に素材を扱わないこと。あと、スライムを怖がりすぎないこと」


「最後、意外と大事だな」


「大事です。怖がって力を入れすぎると、核が割れますから」


「分かってるじゃないか」


「ロイドさんの話を聞いていると、そこだけは分かってきました」


「逆に、力自慢の冒険者は向かないかもしれませんね」


リタは続けた。


「スライムを倒すだけならいいですけど、素材を綺麗に取るなら、強さより慎重さが必要です。あと、すぐに高値で転売しようとする人も駄目です」


「採用前から人間不信になるな」


「でも大事ですよ。青ぷよ薬房の素材採取を覚えた人が、勝手に別の商人へ売ったら困ります」


「それは確かに困るな」


クラウスがすぐにうなずいた。


「秘密保持の取り決めも必要だ。技術の詳細、素材の選別基準、契約先の情報を外へ漏らさないこと。簡単な誓約書は作るべきだろう」


「誓約書まで出てきた」


「人を雇うなら当然だ」


「スライムを狩るのに誓約書……」


俺は思わず天井を見た。


あの青いぷよぷよした連中を相手にする仕事が、住み込み、給金、危険手当、秘密保持まで背負い始めている。世の中、どこで間違えたのだろう。いや、間違えたのはたぶん、俺のポーションが効きすぎたあたりだ。あるいは、店名を〈青ぷよ薬房〉にした時点で何かが歪んだのかもしれない。あんなふざけた看板の下で誓約書を書く未来を、誰が想像できただろうか。


「でも、悪い話ではありませんよ」


リタが少し声を柔らかくした。


「ロイドさんが全部抱え込むより、任せられる人がいたほうが店は続きます。村の人も、冒険者も、必要な時にポーションが買えるようになりますし」


「その言い方はずるい」


「ずるいですか?」


「店が続くとか、必要な人が買えるとか言われると、断りにくい」


「では、断らない方向で」


「誘導がうまくなってきたな」


クラウスは、また新しい紙を取り出した。


もう何枚目だろうか。商業組合の机というのは、押せば紙が湧いてくる仕組みでもあるのかもしれない。うちの店の棚からポーションが勝手に増えてくれれば助かるのだが、現実に増えるのはだいたい書類である。


「ひとまず、今後の方針を整理するぞ」


俺はその紙を見て、静かに腹を括った。


どうやらこれは、新しい日常の入口らしい。いや、別に大げさに運命を感じているわけではない。ただ、今までの青ぷよ薬房は、良くも悪くも“なんとなく売れている田舎の小店”だった。朝に素材を採り、昼に薬を並べ、客が来たら売る。足りなければ作る。売り切れたら謝る。そういう顔見知りと勢いでどうにかなる商売だったのだ。それが今、価格だの契約だの研究提供だの人員募集だのという言葉に囲まれながら、“ちゃんと続けるための商売”へ変わろうとしている。


「第一」


クラウスが指を一本立てた。


「価格改定。村内価格と一般価格を分ける。エルムホルン村の住人と古くからの常連には生活価格を残し、外部冒険者やレスタルム経由の客には、鑑定結果に見合った一般価格を適用する」


「はい」


「村内価格は善意ではなく、制度として残す。そうしなければ、説明ができん。説明できない安値は、いずれ揉める」


「説明できる安値……」


「そうだ。安くするにも理由がいる」


嫌な時代になったものだ。


昔は、婆さんが腰をさすって来たから少し安くした、で済んだ。猟師が血まみれだったから先に渡した、で誰も文句を言わなかった。それにも関わらずである。


「第二。販売数制限を正式化する。整理券は継続。購入記録も残す。状況によっては予約制も検討する」


「行列対策ですね」


「行列対策であり、転売対策でもある。店先で揉める前に、買える数と買える順番を決めておく」


「予約制なんて、うちの店に似合いますかね」


「似合うかどうかではない。必要かどうかだ」


また似合わない言葉が増えた。


青ぷよ薬房、予約受付中。嫌な響きではないが、妙に落ち着かないな。あの笑っているのか溶けているのか分からないスライムの看板の下で、客が「来週の通常回復を二本予約で」などと言い出すのだろうか。いや、すでに言い出しそうな客はいる。そう考えると、予約制というものも案外近い未来なのかもしれない。


「第三。騎士団契約を正式仕様へ修正する。納品数、納品日、品目、保存条件、使用後の報告範囲、責任の所在を整理する」


「責任の所在までですか」


「当然だ。騎士団で使われる以上、効果、保管、輸送、使用判断のどこに責任があるかを曖昧にしてはいけない」


「急に重い」


「騎士団相手の商売とはそういうものだ」


そういうものらしい。


俺としては、せいぜい「月に何本納めます」「代金はいつ払います」くらいの話だと思っていた。だが相手が騎士団となると、一本のポーションが現場でどう使われるかまで関わってくる。重傷者に使うのか、遠征に持っていくのか、倉庫で保管するのか、治癒術師の判断で出すのか。考え始めると、ただ瓶に栓をして渡せば終わりとはいかないらしい。


「第四。薬師会との研究提供契約を、限定的に締結する」


「限定的、ですよね?」


俺は念を押した。


「当然だ。研究材料をすべて持っていかれては、君の店が回らない。提供するのは規格外品、試験用の小瓶、もしくは指定した本数までだ。調合工程への立ち会いも、範囲と日程を決める」


「助かります。薬師会の人たち、目が怖いんですよ。悪い意味じゃなくて、釜の中まで覗き込みそうな感じで」


「研究者とはそういうものだ」


「そういうものが多いですね、今日は」


「商売を広げると、そういうものが増える」


広げたつもりはないのだが。


少なくとも俺は、店の看板を少しも大きくしていない。作業場の釜も勝手に増えたわけではない。俺が朝に狩るスライムの数も、腰と時間の都合で限界がある。なのに話だけが勝手に広がっていく。王都、騎士団、薬師会、商会、研究契約。小さな店の中に入れるには、どれも少し大きすぎる言葉だ。


「第五。補助人員の募集。まずは前処理担当と店頭補助だ」


「調合師じゃなくていいんですか」


「最初から高度人材を狙うな。いきなり調合を任せようとすれば、教える側も教わる側も潰れる。まずは瓶洗い、薬草の下処理、素材の簡単な選別、在庫記録、客の整理。店が止まらない体制を作る」


「なるほど」


「君が釜から離れなくて済む時間を増やせ。それが結果的に品質を守る」


そう言われると、少し納得できた。


今の俺は、釜を見ながら客の声を聞き、瓶を並べながら在庫を数え、素材を洗いながら明日の仕込みを考えている。器用にやっているつもりだったが、実際にはあちこちに意識を削られているだけなのだろう。釜は文句を言わない。スライム粘液も口をきかない。だからこそ、こちらがきちんと見てやらなければならない。客に呼ばれるたびに火加減を見失っていては、いつか本当に失敗するからな。


「第六。工程記録」


俺は思わず顔をしかめた。


「そこ、どうしても避けられません?」


「避けられん」


「ですよね」


「採取した日時、素材の状態、薬草の種類、加熱時間、失敗品の有無。最初から完璧でなくていい。だが、何も残さなければ改善も分担もできない」


「記録って、書いた瞬間に仕事が増えるんですよ」


「書かなければ、あとで仕事が増える」


「どっちにしても増える」


「ならば、増え方を選べ」


嫌な選択肢だった。


だが、これもたぶん正しい。書かずに済ませていれば、その場は楽だ。けれどあとで誰かに説明するとき、失敗の原因を探すとき、人に任せるとき、何も残っていなければ全部が俺の頭の中に戻ってくる。俺の頭は、そんなに立派な倉庫ではない。昨日の酒の量すらたまに忘れるのに、全工程を抱え続けるのは無理がある。


クラウスはそこでペンを置いた。


「ここまでやれば、少なくとも今よりは安定する」


「今より、ですか」


「今は奇跡的に回っているだけだ」


その言葉は、妙に腑に落ちた。


今までの青ぷよ薬房は、俺とミーナの踏ん張りと、なぜか綺麗に採れるスライム素材と、村の連中の気安さと、客の多少の我慢と、その場その場の運で回っていたのだと思う。棚が空になっても「明日また来るよ」と言ってくれる村人がいて、ミーナが客をなだめ、俺が釜の前でどうにか数を増やす。そんな綱渡りを、何となく日常だと思い込んでいた。


だが、綱渡りは道ではない。


長く歩くなら、しっかりとした足場がいる。


俺は窓の外へ目を向けた。


レスタルムの中央広場には、人が絶えず行き交っていた。荷車を押す商人、革袋を担いだ冒険者、客と値段を交渉する職人、役所へ向かうらしい身なりのいい男、屋台でパンを買う子ども。街は大きな生き物みたいに動いている。誰かが売り、誰かが買い、誰かが運び、誰かが記録する。その流れの中で、青ぷよ薬房のような小さな店が流されずに立つには、たぶん杭を打たなければならない。


今までの俺は、杭を打たずに足元の土が固いと思い込んでいただけなのだろう。


クラウスが静かに言った。


「ロイド殿」


「はい」


「君のポーションは、単なる珍品では終わらん可能性がある」


俺は黙った。


珍品。


そのくらいで済んでくれれば、まだ気が楽だった。辺境の変な店が、妙に効く青いポーションを売っている。冒険者が噂し、商人が少し興味を持ち、薬師が首をかしげる。その程度ならまだ笑い話で済む。だがクラウスの声は、笑い話をする時のものではなかった。


「スライム素材は安価で、数も多い。採取の安定化と品質管理ができれば、材料面では広がりがある。もし君の技術が一部でも再現可能なら、低コストで高品質な回復薬供給という考え方そのものが変わる」


「そんな大げさな」


「大げさではない。回復薬は冒険者だけのものではない。騎士団、治療院、鉱山、開拓村、街道警備、遠征隊、災害時の救護。怪我をする者がいて、治療が必要な場所なら、必ず需要がある。そこへ安定して届くなら、物流も契約も市場も動く」


「……俺、そこまで考えてないんですが」


「知っている」


クラウスは少しだけ笑った。


本当にほんの少しだった。口元がわずかに緩んだ程度で、知らない人間が見れば見逃したかもしれない。だが、たしかに笑った。


この人、笑うんだな。


俺は妙なところで感心してしまった。ずっと書類と正論でできているような男だと思っていたが、どうやら中にはちゃんと人間が入っているらしい。いや、失礼な話だが、こめかみと胃に負担をかけながら働いている時点で人間ではあるのだろう。


「考えていないからこそ、こちらで道筋を整える必要がある」


クラウスは笑みを消し、いつもの顔に戻った。


「君は良いものを作ることに集中すればいい。ただし、良いものを作り続けるために必要なことからは逃げるな」


「結局、逃げられないんですね」


「逃げてもいいが、店が追いつかなくなる」


「それは困る」


「なら、少しずつ整えろ」


少しずつ。


その言葉だけは、少し救いがあった。


一気に全部を変えろと言われたら、たぶん俺は森へ逃げていた。スライムたちには迷惑な話だが、森は静かだし、少なくとも書類は追いかけてこない。だが少しずつなら、まだどうにかなるかもしれない。村内価格を決める。一般価格を決める。騎士団との契約を直す。薬師会には限定的に提供する。補助員を探す。記録を始める。


並べると多いな…


多いが、一本ずつ瓶に詰めると思えば、まだ手が届く気もする。


「分かりました」


俺はゆっくりとうなずいた。


「全部すぐには無理です。でも、店を続けるために必要なら、やれるところからやります」


「それでいい」


「ただ、ひとつだけ」


「なんだ」


「青ぷよ薬房が大きな話に巻き込まれても、店の名前は変えませんよ」


クラウスは少しだけ沈黙した。


「……なぜ今それを確認する」


「こういう流れだと、そのうち誰かが『もっと格式ある名前にしましょう』とか言い出しそうなので」


「可能性はあるな」


「あるんですか」


「王都向けなら、名前の印象を気にする者はいる」


「嫌だなあ」


俺は本気で嫌な顔をした。


たしかに〈青ぷよ薬房〉はひどい名前だ。俺自身、正気を疑う店名だと思っている。看板のスライムも、笑っているのか溶けているのか分からない。だが、あれはあれで俺の店だ。婆さんも猟師もミーナも、みんなその名前で呼んでいる。今さら〈聖藍魔法薬院〉だの〈王都認定高純度回復薬房〉だのにされても困る。そんな看板を掲げたら、俺自身が店に入れなくなるしな。


クラウスは少し考え、真面目な顔で言った。


「店名については、君の意向を尊重しよう」


「そこ、そんなに正式に言うことですか」


「後で揉めないよう記録しておくか?」


「やめてください。店名まで書類にしないでください」


リタが横で小さく笑った。


その笑い声で、少しだけ空気が軽くなった。


俺は机の上の方針書を見下ろした。そこには、これからやるべきことがずらりと並んでいる。面倒だ。間違いなく面倒だ。けれど、まったく先が見えないわけではなくなっていた。青ぷよ薬房は、どうやら今までのように俺の感覚と勢いだけでは回らないところまで来てしまったらしい。


なら、仕方ない。


瓶に詰める前のポーションだって、ただ煮ればいいわけではない。濾して、寝かせて、落ち着かせて、ようやく棚に並べられる。店も同じなのかもしれない。今は少し泡立っているだけだ。いや、かなり泡立っているが、きちんと火を弱めれば、たぶん落ち着く。


そう思うことにした。


そう思わないと、やっていられない。


俺は方針書を受け取り、鞄にしまった。


紙一枚のはずなのに、妙に重かった。金貨が入っているわけでも、スライム核が詰まっているわけでもない。ただ、これからの青ぷよ薬房の面倒が、きっちり文字になって乗っている。


まったく、商売というのは厄介だ。


俺はただ、静かにポーションを売って暮らしたいだけなんだ。


それなのに、どうやら静かに暮らすためにも、まずは騒がしい準備が必要らしい。


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