第12話 丁寧に濾して煮ているだけなんですが
「まず、販売区分について説明する」
クラウスはそう言って、机の上に広げた紙の端を指で押さえた。紙にはすでにいくつか線が引かれている。販売区分、価格帯、供給先、契約枠。見慣れない言葉ばかりが並んでいて、それだけで少し胃が重くなる。俺はポーション屋であって、書類屋ではない。できれば釜と薬草とスライム素材だけを相手にしていたいのだが、どうやら世の中はそれを許してくれないらしい。
「現状、君の店には大きく分けて三種類の客がいる。ひとつは、エルムホルン村の住人と近隣の常連。もうひとつは、噂を聞いて外から来る一般冒険者。そして最後が、騎士団や商会、薬師会のような組織単位の契約先だ。この三つを同じ棚に並べ、同じ値段をつけ、同じ順番で売るのは、すでに限界が来ている」
「やっぱりそうですか」
「当然だ。そもそも、それぞれが君のポーションに求めているものが違う」
クラウスは机の上を指先で軽く叩いた。こつ、という乾いた音が部屋に響く。あの音だけで、これから逃げ道を一つずつ潰されていくような気がした。仕事のできる人間が机を叩くと、なぜああも説得力があるのか。俺が同じことをしても、せいぜい瓶を倒すくらいだろう。
「まず、村人だ。彼らは生活のために買う。畑仕事で手を切った、腰が痛む、熱が出た、働きすぎて体が動かない、毒虫に刺された。そういう日常の困りごとをどうにかするために、君の店へ来る。彼らにとって君のポーションは、特別な魔法薬でも高級品でもない。日々の暮らしを支える道具だ。ここを急激に値上げすれば、確実に困る者が出る」
「そこは避けたいです」
「だろうな。君が一番気にしているのは、おそらくそこだ」
クラウスは淡々と言った。
淡々と言われると、少し困る。俺は別に立派な人間ではない。村の人間にだけ安く売りたいのも、昔から顔を知っている相手が困るのを見るのが嫌だからで、聖人のような気持ちで商売をしているわけではない。婆さんが腰をさすりながら店に来れば、まあ一本くらい安くしてもいいかと思う。猟師が血まみれで扉を開ければ、代金の話より先に傷を見ろと思う。畑の若いのが手を押さえて半泣きで立っていれば、説教はあとにして薬を出す。それだけだ。
それだけなのだが、そういう「それだけ」を続けるためには、どうやら仕組みが必要らしい。
「一方で、冒険者は性能を求める」
クラウスは次の項目へ視線を移した。
「彼らにとって回復薬は嗜好品ではない。剣や鎧、盾、予備の短剣、携帯食と同じ装備であり、依頼によっては命綱そのものだ。森の奥で魔獣に噛まれた時、毒沼を抜ける時、治癒術師が倒れた時、そこで一本あるかどうかが生死を分ける。品質が高く、効き目が安定していて、持ち運びやすいなら、高値でも買う者はいる」
「……そうらしいですね」
「らしい、ではない。実際に買っている。君の店の前で。しかも朝から並んでいる」
「できれば、もう少し静かに買ってほしいんですが」
「それは販売方法で抑えるしかない。客の善意と遠慮に期待しても、行列は自然に整わん」
希望では客は整列しない。
嫌な学びだ。
俺としては、必要な人が必要な分だけ買ってくれればそれでいいと思っていた。だが現実には、冒険者は予備を欲しがる。昨日助かった者は今日も買いに来る。噂を聞いた者は本数を確保しようとする。誰かが「この店のポーションは効く」と言えば、次の日には別の誰かが財布を握って列に並ぶ。命がかかっていると言われれば、こちらも強く追い返しにくい。まったく、効果がある薬というのも面倒なものだ。効かなければ商売にならないが、効きすぎても店が静かではいられない。
クラウスはさらに続けた。
「そして契約先だ。騎士団、商会、薬師会の研究部門は、個人客とはまったく別の基準で動く。彼らが求めるのは、性能だけではない。数量、継続性、記録、納期、品質証明、万一の際の代替供給。そういうものまで含めて判断する。価格だけでは動かん。むしろ、安すぎると不安視される場合すらある」
「安くて怒られる商売って何なんですか」
「信用を売る商売だ」
「重いですね」
「ポーションとはそういう商品だ。特に君のものはな」
また俺のものだけ重くなった。
スライム素材で作った回復薬のはずなのに、話に関わる人間が増えるたび、どんどん重さが増していく。最初は銅貨数枚の小瓶だった。それが今では、性能だの継続性だの記録だの納期だの、聞いただけで棚板がきしみそうな言葉を背負わされている。瓶が小さいからといって、中に入っている面倒まで小さいとは限らないらしい。
クラウスはそこで一度、言葉を区切った。
「つまり、全部を同じ値段で売るのは不合理だ」
「でも、差をつけすぎると揉めませんか」
「揉める」
「揉めるんですね」
「揉める。商売は基本的に揉めるものだ。価格、数量、順番、優先順位、誰かが得をすれば、別の誰かが不満を持つ。だから制度を作る」
嫌な真理だった。
商売というものは、商品を棚に並べて「どうぞ」と言えば成立するほど簡単ではないらしい。いや、村の中だけならそれでも何とかなっていた。村人はだいたい顔見知りだし、無茶を言う相手も、どこの家の誰で、あとで誰に叱られるか分かっている。だが外から来る冒険者や商人や騎士団相手に、顔見知りの感覚で回すには無理がある。
「具体的には、どう分ければいいんですか」
俺がそう尋ねると、クラウスは待っていたと言わんばかりに、紙の上へ三本の線を引いた。まっすぐで、迷いのない線だった。こういう人間は、たぶん書類の上では剣士より強い。
「第一に、村内向けだ」
クラウスは一番上の線を指で示した。
「これは現行価格に近いままでよい。エルムホルン村の住人と、近隣で以前から利用している常連向けの生活価格だ。畑仕事の怪我、腰痛、疲労、軽い毒消し、そういった日常用途を守るための枠と考えればいい」
「それは助かります。婆さんに銀貨三枚なんて言ったら、鍬で殴られます」
「その婆さんは本当に殴るのか」
「昔は口だけだったんですが、うちの疲労回復を飲むようになってから、鍬の振りが妙に鋭くなりまして」
「……君のポーションの影響ではないのか」
「そこは本人の生命力ということにしておきたいです」
「では、なおさら価格維持が必要だな。村の治安のためにも」
クラウスが、ほんの少しだけ真面目な顔でうなずいた。
冗談のつもりだったのだが、半分くらい本当なので否定しづらい。あの婆さんは腰が軽くなってから畑を広げ、息子を叱り、近所の若い衆に鍬の持ち方を指導し始めた。元気なのはいいことなのだが、あれ以上活力を与えると、村の畑が勝手に二倍になる可能性がある。
「ただし、販売数は制限する」
クラウスは線の横に、小さくいくつかの項目を書き足した。
「生活価格で出す以上、転売対策は必須だ。購入者の記録、整理券、日ごとの上限、同一世帯での買い占め防止。このあたりは徹底したほうがいい。安く売るということは、善意だけではなく、悪用される余地も作るということだからな」
「整理券はミーナが作ってくれています。木札に番号を振って、一人ずつ渡す形です」
「ほう。かなり早い判断だな。その娘は優秀だ」
「最近、店主である俺より店を回しています」
「それは幸運だ」
「少し傷つく言い方ですね」
「事実だ」
今日のクラウスは、事実という名前の石を遠慮なく投げてくる。しかも狙いが正確だ。実際、ミーナがいなければ、俺は今ごろ行列の前で「押すな」「一本ずつだ」「試作品は売らん」と叫びながら干からびていたに違いない。十八の村娘に店の運営能力で負けている四十手前のおっさんがいるらしい。ここにいる。
クラウスは二本目の線を指した。
「第二に、一般販売向けだ。これはレスタルムや外部冒険者向けの価格帯になる。薬師会の鑑定結果を踏まえれば、君の通常回復ポーションは中級上位、場合によっては上級下位相当として扱うべきだろう。少なくとも、今の銅貨価格で売り続けるのは危険だ」
「危険なんですか。安いなら客は喜ぶと思っていたんですが」
「喜ぶ者はいる。だが、それ以上に問題も起きる。買い占め、転売、価格の混乱、他店との軋轢、品質に対する不信。安すぎる高性能品は、市場にとって毒にもなる」
「回復薬なのに」
「市場には、効きすぎる薬も毒になる」
うまいことを言われた気がするが、嬉しくはない。
俺としては、スライム素材だから安く出しているだけなのだ。素材は自分で採れるし、薬草も村の周りでよく育つ。瓶代と燃料代と少しの手間賃を乗せて、それで客が助かれば十分だと思っていた。しかし世間というものは、どうやら俺が思っているより面倒にできているらしい。安いからありがたい、では終わらない。安すぎると疑われ、奪われ、転がされ、最後には誰かの儲け話になるというのだから。
「具体的には、いくらくらいになるんですか」
俺が恐る恐る尋ねると、クラウスは特に迷う様子もなく答えた。
「通常回復で銀貨二枚から三枚。状態異常に効くものや解毒系は、さらに上だ。効果が安定していて、薬師会の鑑定書まで付くなら、銀貨五枚でも不自然ではない」
俺は思わず頭を抱えた。
銅貨八枚から銀貨三枚。
差がありすぎる。
俺の中では銅貨八枚というのは、それなりに良心的で、なおかつ商売としてもぎりぎり成り立つ値段だった。スライム素材は自分で採れるし、薬草も村の周辺で手に入る。瓶代と燃料代、布の交換費用、釜を洗う手間、あとは俺が一日食っていける程度の利益。それを足して、まあこのくらいだろうと決めた値段である。村の婆さんも払えるし、若い冒険者も財布の中身を数えれば買える。俺としては、なかなか悪くない落としどころだと思っていた。
それが急に銀貨三枚である。
同じ青い小瓶なのに、値札を変えただけで別の生き物に見えてくる。昨日まで台所の棚にいた猫が、翌朝には王都の貴族から血統書を突きつけられたような気分だ。いや、猫を飼ったことはないが、たぶんそういう感じだと思う。
「そんな値段で、本当に売れます?」
「売れる。むしろ安い」
「世界がおかしい」
「世界ではなく、君の価格感覚がおかしい」
それも最近よく言われる。
俺の中では、スライム素材は安いものだ。森に行けばぷよぷよ跳ねているし、畑の水路にも出るし、雨上がりには道端で見かけることすらある。村の子どもが棒でつついて遊ぶ相手であり、農家の婆さんが鍬で追い払う相手であり、冒険者になりたての若者が最初に「俺でも倒せた」と少し胸を張る相手である。そんなものから作ったポーションに銀貨三枚の値札をつけるのは、どうにも気が引ける。
「スライムですよ」
「スライムだな」
「そのへんで跳ねているやつですよ」
「そのへんで跳ねているものから、この品質の薬を作れる者がいないから問題になっている」
「俺としては、丁寧に濾して煮ているだけなんですが」
「その『だけ』を、薬師会が鑑定書つきで否定している」
「嫌な否定ですね」
「現実だ」
クラウスの顔は本気だった。
本気で面倒なことを言う人間の顔だ。こういう顔をしている相手は、だいたいこちらの希望や願望を聞いてはくれるが、それで現実のほうを曲げてくれるわけではない。俺が「静かに商売したい」と言えば、クラウスは「では静かに商売するための管理体制を作ろう」と言う。…うん、違う。そういう静かではない。
「それに、安すぎること自体がやはり危険なのだ」
クラウスは続けた。
「冒険者が買うだけならまだいい。だが、商人がまとめて買い占め、王都で高値をつけて売る可能性がある。品質を知らない者が偽物を混ぜる可能性もある。君の店の名前だけを使って、粗悪品を流す者も出るかもしれん」
「急に犯罪の匂いがしてきましたね」
「売れる商品には、そういう匂いも寄ってくる」
「スライム素材のポーションなのに」
「利益が出るなら、素材がスライムか竜かは関係ない」
商売人としては分かる。
分かるから嫌だった。
俺はスライムを狩っているだけだ。静かに粘液を濾して、釜で煮て、棚に並べているだけだ。そこに買い占めだの偽物だの名義貸しだの、妙に人間くさい面倒を混ぜないでほしい。スライム粘液より粘ついている。しかも洗っても落ちなさそう粘つきである。
クラウスは三本目の線を指した。
「第三に、契約販売。騎士団や商会、薬師会研究部への供給だ。ここは店頭販売とは完全に分け、別契約にする」
「研究部にも売るんですか」
「売るというより、提供枠を設けると考えたほうがいい。研究素材は金になるし、君の技術解析にもつながる。薬師会が正式に関われば、品質証明や安全性の裏付けにもなるからな。これを無視する理由がない」
「俺の平穏が遠ざかる理由にはなります」
「そこは諦めなさい」
諦めたくない。
俺の平穏は、どうしていつも会議の最後に削られるのか。騎士団には納品を求められ、商会には流通を狙われ、薬師会には研究素材として見られ、今度は組合に販売区分を整えろと言われている。俺はただ、青ぷよ薬房という正気を疑う名前の小さな店で、朝採った素材を昼に売り、夕方に酒を飲みながら帳簿をつける暮らしがしたかっただけなのに。
「契約販売は、価格よりも条件が重要だ」
クラウスは紙にいくつか項目を書き足した。
「納品数、納品日、品質基準、支払い方法、緊急時の追加供給、研究利用の範囲。特に騎士団相手なら、現場でどう使われるかの記録も取ったほうがいい」
「記録が増えるんですね」
「増える」
「減るものはないんですか」
「君の自由時間だな」
「正直すぎる」
「嘘を言っても仕方ない」
仕方なくない。
少しくらい夢を見せてくれてもいいではないか。だが、クラウスはそういう男ではない。甘い言葉で包んでから現実を渡すのではなく、現実をそのまま皿に載せて出してくる。しかも温め直しもしない冷たい現実である。
クラウスはさらに続けた。
「次に、生産量だ」
「そこが一番の問題なんですよ」
「現在、一日に何本作れる」
「通常回復だけなら、素材が足りていて、客対応や納品準備に時間を取られなければ、三十から四十くらいです。疲労回復や解毒を混ぜると、釜を分けたり、寝かせる時間が変わったりするので、もう少し減ります」
「一人でか」
「はい」
クラウスが黙った。
怒っているわけではなさそうだったが、驚いているのでもない。いや、驚いてはいるのだろうが、顔には出していない感じか…?代わりに、目の奥で何かを計算している。毎度毎度感じてしまうが、こういう沈黙は嫌だ。仕事のできる人間が黙って計算を始めると、その結果はたいていこちらの仕事量として返ってくるからだ。
「狂っているな」
「そこまで?」
「そこまでだ。普通の地方調合師なら、一日十本を安定して作れるだけでも十分に腕がいい。しかもそれは、素材がすでに揃っていて、調合作業に集中できる場合の話だ」
「……そうなんですか」
「君は素材採取から精製、調合、瓶詰めまで自前なのだろう」
「はい。スライムは自分で狩ったほうが、核も粘液も綺麗に採れるので」
「そこも異常だ」
「普通はどうするんですか」
「素材採取は採取人や冒険者から買う。精製済みの基材を仕入れる者もいる。調合師は調合に集中し、瓶詰めやラベル貼りは弟子や助手に任せる。店を持っている者なら、販売は別の者が担当する」
「ずいぶん分業するんですね」
「それが普通だ。君のように、朝にスライムを狩り、昼に調合し、店頭で客に売り、夜に帳簿をつけるほうが珍しい」
「田舎の小店なので」
「田舎の小店でも限度がある」
限度。
最近、その言葉もよく聞く。
俺の店は、どうやらいろいろな限度を踏み越えているらしい。販売の限度、価格の限度、生産の限度、そして俺自身の体力の限度。店の看板はまだ古いままだし、扉は開けるたびに年寄りの膝みたいな音を立てるし、作業場の釜も二つしかない。なのに、話だけが王都だの騎士団だの研究部だのと、どんどん大きくなっていく。
うちの床板は、そんな大きな話を支えるようにはできていない。
クラウスは顎に手を当て、しばらく考え込んだ。




