第11話 嫌な予感しかしないんだが
「俺としては、普通の回復薬を作っているつもりなんですが」
「その認識は今日で捨てなさい」
即答だった。
間髪入れず、ばっさり切られた。もう少しこうこちらの気持ちを汲むとか、遠回しに諭すとか、役所勤めらしい柔らかい言い方があってもいいと思うのだが、どうやらそういう無駄な布を一切挟まない“刃物を刃物のまま机に置く”男である。仕事が早いと言えば早いのだろう。受け取る側の心に優しくないだけで。
「君のポーションは、もはや村の民間薬という段階ではない。価格、販売方法、供給先、品質保証、在庫の扱い、そのすべてを見直す必要がある」
「すべてですか」
「すべてだ」
「普通の回復薬を、少し丁寧に作っているだけなんですが」
「その認識も一緒に捨てなさい」
二回捨てさせられた。
俺の中では、ポーション作りというのはもう少し素朴なものだった。スライム素材を綺麗に採り、薬草を刻み、釜で煮て、泡を取り、布で濾し、瓶に詰める。できあがったものを棚に並べて、必要な人が来たら必要なだけ売る。村の婆さんが腰をさすりながら買いに来て、猟師が傷口を押さえてやって来て、若い冒険者が財布の中身を数えながら一本くださいと言う。そういう、顔の見える商売で十分だった。
それがどうして、価格だの供給先だの品質保証だのという、聞くだけで肩が重くなる言葉に囲まれなければならないのか。
「再設計、ということですか」
俺が渋々そう言うと、クラウスは当然のようにうなずいた。
「そうだ。今までは善意と感覚で回っていた。これからは仕組みで回さなければならん」
嫌な予感しかしない言い回しだった。
善意と感覚。そこまではいい。思い当たる節は記憶を辿るだけでもたくさんあるし、なんならそれを「商売」の一貫として考えていた俺自身が頭の片隅に存在していた。腹を空かせた子どもに少し安く売るとか、怪我人を抱えた冒険者には先に渡すとか、常連の婆さんには濃すぎないものを選ぶとか、そういう手加減は商売の中にあっていいと思っているのだ。むしろそれがない店は少し寂しいとさえ感じてしまう。善意というと聞こえはいいが、どちらかと言えば持ちつ持たれつというような感覚だった。
田舎暮らしというのは基本的にはそういうものだ。
村の鍛冶屋がツケを忘れても、収穫祭の時に肉を多めに分けてくれるから帳尻が合う。猟師が薬代を払えない月は、代わりに森で珍しい薬草を見つけてきてくれる。羊飼いの兄弟は、うちの屋根が傷んだ時に朝から手伝いに来たし、婆さん連中は店が忙しい日に勝手に掃除を始める。誰も契約書なんて交わさない。細かい取り決めもない。それでもなんとなく回っていた。回るように、みんなが少しずつ融通を利かせていた。
俺の店も同じだった。
ポーションの値段は一応決めているが、実際には相手の顔を見て変わることがある。昨日スライム退治を手伝ってくれた若い冒険者には少しおまけをするし、熱を出した子どもを抱えた母親からは銅貨を一枚少なく受け取ることもある。逆に、見るからに転売目的の商人にはきっちり取る。そういう曖昧さ込みで、村の商売というものは成り立っていると思っていた。
だが王都は違うのだろう。
騎士団に納品するなら数量を揃えろと言われ、薬師会には品質を一定に保てと言われ、商業組合には価格設定を見直せと言われる。仕組みという言葉が出てきた途端、急に紙と印鑑と責任者の影が濃くなるのは俺が根っからの田舎者だからだろう。
クラウスは机の引き出しから新しい紙を取り出し、こちらへ広げた。
そこには細かい線と項目が、遠慮なくびっしり並んでいた。
販売区分。価格帯。供給優先順位。契約販売。一般販売。研究提供。緊急時放出。在庫管理。生産上限。品質記録。出荷台帳。
見ただけで頭が痛い。
村で暮らしていた頃、俺にとっての在庫管理といえば、棚に並んだ瓶を眺めて「今日はまだあるな」とか「明日は少し多めに作るか」と思う程度のものだった。瓶の数が少なければ作る。多ければ酒を飲む。だいたいそれで回っていた。少なくとも、村の婆さんと猟師と羊飼い相手ならそれで誰も困らなかった。
なのに今、目の前の紙は違うことを言っている。
瓶を何本作ったか。どの材料を使ったか。どの釜で煮たか。何日に誰へ売ったか。どれだけ残っているか。契約分と一般販売分をどう分けるか。緊急時に誰へ優先して渡すか。そういうことを、ちゃんと記録しろと紙が言っている。紙のくせに圧が強い。たぶん、インクに責任という成分が混ざっているせいだ。
「……クラウスさん」
「なんだ」
「この紙、難しい匂いがします」
「書類とはそういうものだ」
「俺の店に合わない匂いです」
「慣れろ」
「ポーションより効き目が強そうなんですが」
「主に胃に効く」
「悪い方向に」
クラウスは否定しなかった。
否定してくれ。そこは否定してくれないと、こちらの心が折れる。
「君が今までのやり方を続けたい気持ちは分かる。だが、この鑑定結果が出た以上、青ぷよ薬房のポーションはただの店売り商品では済まない。冒険者組合、薬師会、場合によっては騎士団や領主府も関わってくる」
「場合によっては、ですよね」
「現実的には、ほぼ関わる」
「言い直して重くするのやめてもらえますか」
「軽く言っても現実は軽くならん」
正論だった。
正論というものは、たいてい重い。しかも逃げ道を塞ぐ形で落ちてくる。俺はただ、普通の回復薬を作っているつもりだった。せいぜい少し効きがよくて、村の人に喜ばれて、冒険者が多めに買っていく程度の話だと思っていた。それが鑑定書一枚で、販売区分だの供給優先順位だの、聞いたこともない舞台へ引きずり出されようとしている。
「つまり、俺はこれから、この表に従って商売をしろと」
「いきなりすべてをやれとは言わん。まずは最低限、販売分と契約分を分ける。価格を見直す。購入数に制限をかける。生産上限を決める。そして、誰にどれだけ売ったか記録する」
「最低限の量がおかしい」
「君のポーションの効果がおかしい」
「そこへ戻りますか」
「何度でも戻る」
クラウスは淡々と言った。
俺は紙の上の項目をもう一度見た。
販売区分。
価格帯。
供給優先順位。
生産上限。
やはりどれも、俺の静かな商売には似合わない言葉だった。うちの看板には青いスライムの絵が描いてあるのだ。前にも言ったかもしれないが、大工のゲン爺が描いたせいで笑っているのか溶けているのか分からないやつである。その看板の下で「供給優先順位に基づき販売します」などと掲げたら、店も客も俺も、どこへ向かっているのか分からなくなる。
「……分かりました」
俺がそう言うと、クラウスが少しだけ目を細めた。
「受け入れるのか」
「全部は無理です。でも、必要な人に必要な分を売りたいなら、必要な分を残しておく仕組みは要るんでしょう」
「その理解でいい」
「ただし、店が潰れない範囲でお願いします。物理的にも、精神的にも」
「考慮しよう」
「今の返事、少し信用できませんね」
「努力はする」
「もっと信用できなくなりました」
クラウスは小さく咳払いをした。
俺はもう一度、目の前の紙を見下ろした。難しい匂いのする書類。俺の静かな商売を、少しずつ静かではなくしていく紙。けれど同時に、これがなければきっと店の棚は買い占められ、常連は困り、騎士団は勝手に期待し、商人は値を吊り上げ、俺は釜の前で倒れることになるのだろう。
まったく、便利な薬を作るというのは面倒だ。
俺はただスライムを狩って、薬草と煮て、瓶に詰めていただけなのに。
その瓶を一本でも余計に必要な誰かへ届けるために、どうやら俺はこれから、スライムよりずっと手強いものと戦わなければならないらしい。
「……俺、ただのポーション屋なんですが」
「今や、ただのポーション屋ではない」
「認めたくない」
「認めなくても、店の前の行列は消えん」
正論で殴るのをやめてほしい。
世の中には、言われなくても分かっていることというものがある。分かってはいるが、できれば誰かの口からはっきり言われたくないことだ。俺の店が少しずつ、いや、かなり静かではなくなってきていることくらい俺にも分かっている。
それでも、自分の口では認めたくない。
認めた瞬間に、何か大きな面倒ごとに判を押した気分になるからだ。
クラウスはそんな俺のささやかな逃避を気にする様子もなく、目の前の紙へ視線を落とした。仕事人間というのはどうも、感情より現実を優先して話を進める生き物らしい。こちらが「できれば静かに暮らしたい」と遠回しに訴えても、「だが現実には客が増えている」と返してくるし、「面倒なので値上げしたくない」と言えば、「では供給量を増やせ」と返してくる。会話をしているというより、壁に向かって現実を読み上げられている感覚に近い。




