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田舎のヒキニートおじさん、長寿になったので異世界に行く 〜新天地で同郷の女の子に目をつけられた〜   作者: イシクラゲ
第1章 城壁都市編

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影に潜むもの



グラム山脈の名は、城壁都市の古い地図にも記されている。


都市から馬車でおよそ二日。東へ伸びる街道を外れ、やがて舗装された石畳が途切れると、そこから先は獣道すら定かでない深い森が続く。

人の手が入らぬ場所に根を張る巨木たちは、昼でも地面に届く陽光をわずかにしか通さず、常にどこか薄暗い気配を漂わせていた。


そのグラム山脈の麓の森へ


オルハとユイは、城壁都市を出てしばらく歩き、人の気配が途切れたところで森へと足を踏み入れる。

さらに少し奥へ進み、周囲に誰もいないことを確認してから、二人は足を止めた。


目的は一つ。


シャドウ・レーカーの使役。


黒豹を思わせる大型の体躯を持ち、瞳だけが鮮烈な黄金色に輝く魔物。

その名が示す通り、影に身を潜め、気配を断つ。気づいた時にはすでに爪が届く距離にいる そういう性質の生き物だ。

暗殺者、と呼ぶ者もいるほどだった。生息域は、ここからさらに数時間は奥に入らなければならない。


ユイが小さな手を差し出した。


オルハがそれを取った瞬間、景色がわずかに歪む。


次の瞬間


二人は、グラム山脈の麓に広がる森の入口に立っていた。


木々の梢が風に揺れる音。どこか遠くで川の流れる気配。

ユイはフードを目深に被り直し、ぱちぱちと大きな目で周囲を見回す。


 「……よし。じゃあここから歩きますか」


 「そうだな」


 オルハが先を促すように一歩踏み出すと、ユイが小走りで隣に並んだ。


足元の土の感触、空気の重さ、光の届き方 すべてが先ほどまでとは違っていた。


ユイは木々の隙間から奥へ続く暗い道を見て、小さく息を整える。


「ここから数時間、奥に進まないと出てこないみたいですね」


ユイの声はいつも通り柔らかいが、その奥にはわずかな緊張が滲んでいる。


ユイは歩き出しながら、身に着けた新しい装備に視線を落とす。


フード付きのローブ。長い杖と短い杖。首元に下げたネックレス。そして、指には三つの指輪。


どれも勇者パーティの遺品だ。


歩くたびに、まだ少しだけ衣擦れの感触が新しい。自分の体に馴染みきっていない装備は、普段よりも存在感があった。


「ちょっと大きいですね……でも、そのうち育ちますから」


くすりと笑いながら言うユイに、オルハは特に突っ込まない。確かにローブはやや大きく、袖もわずかに余っているが、動きに支障があるほどではない。


効果は分からない。だが、勇者パーティが使っていた装備である以上、質が悪いはずがない。


ユイは長い杖を軽く持ち上げ、その重さを確かめるように握り直した。


「今まで杖とか使ってなかったですけど……」


少しだけ首を傾げ、杖先を見つめる。


「無くてもいいとは思うんですけど、どれくらい違うのか、試しながら行きますね」


その言葉通り、道中でユイは様々な術を試し始めた。


結界を張り、白骨を見つければ足を止め、鎮魂と浄化を行う。


森の中には、獣の骨だけではない、明らかに人型のものも混ざっていた。風雨に削られ、苔に覆われ、それでもなお残っている白い骨。


ユイはその前に立つと、ふざけた様子を一切消して、静かに目を閉じる。


静かに祈り、淡い光が骨を包み、やがて風に溶けるように消えていく。


その様子を見ながら、ユイは小さく呟いた。


「……やっぱり、違いますね。感覚ですけど……二倍以上は効いてる気がします」


「倍か。そりゃあ、かなりの当たりだな」


オルハは軽く肩をすくめるが、その目はしっかりと結果を見ていた。


勇者たちの遺した装備。見た目の豪華さだけではない、はっきりとした性能差がそこにあった。


「じゃあ、ちょっと試させてくれ」


気まぐれに言いながら、オルハはユイに結界を張らせる。


ユイは少しだけ呆れた顔をしたが、すぐに表情を整えて結界を展開した。


検証は単純だ。殴る。


まずは杖なしの、普通の結界。


透明な膜のように空間へ張られたそれを見て、オルハは軽く拳を握る。呼吸をひとつ入れ、重心を落とし、そのまま最大の力で拳を叩き込む。


鈍い衝撃音が森に響く。


木々の葉が、ばさりと揺れた。


一発、二発、三発――五発目で、ようやく結界が砕けた。


空気が割れるような音と共に、結界の残滓が霧のように消える。


「……硬いな」


オルハは拳を見下ろし、素直にそう漏らす。


次に、ユイの最高傑作。


今度は最初から空気の密度が違った。薄い膜というより、そこだけ空間が厚くなったような感触がある。


同じように殴る。回数を重ねるたびに、衝撃が蓄積していく感覚。


十回、二十回、五十回。


ユイは途中から、ただじっと見ていた。


百回目で、ようやく崩壊した。


砕けた瞬間、張り詰めていた空気が一気に抜け、周囲の葉がざわりと鳴る。


「これで普通じゃないのは分かった」


オルハは拳を開いて閉じ、微かな痺れを確かめる。


そして、杖あり。


ユイが長い杖を持ち、改めて結界を組み直す。さきほどよりも術式の組み上がりが滑らかで、張られるまでの時間もわずかに短かった。


普通の結界は十五回で破壊。


最高傑作の結界は――三百回殴っても壊れず、五百回目でようやく砕けた。


さすがのオルハも途中で少しだけ呆れた顔になり、ユイの方は途中から明らかに機嫌が良くなっていた。


拳を軽く振りながら、オルハは息を吐く。


「……まあ、強化されてるのは間違いないな。毎回同じ強度じゃない気もするが」


「ばらつきはありますね。でも、明らかに底上げされてます」


ユイも満足げに頷いた。


そのまま進む途中、湿地帯に差し掛かる。


ぬかるむ地面の上を、ぷるぷると揺れる存在――スライムがいた。


木漏れ日の中で、半透明の体が鈍く揺れている。絵本の中に出てきそうな、いかにも定番の魔物だった。


「これは定番でしょう」


ユイが楽しげに言いながら手を伸ばそうとする。


「ちょっと待て」


オルハが即座に止めた。


その反応の速さに、ユイは不満そうに手を止める。


「なんでスライムを使役したいんだ?」


ユイは真面目な顔で指を折りながら答える。


「一つ、可愛いから。二つ、お皿とか綺麗にしてくれそうです。三つ、ぴょんぴょん跳ねて付いてきます。四つ、ゴミを食べてくれます。五つ、ひんやりしてて夏は涼しいです」


間髪入れず、オルハが返す。


「一つ、可愛い……まあ分かるが、たぶん感情とかないぞ。置物みたいなもんじゃないか」


ユイの手がぴたりと止まる。


「二つ、皿を綺麗に……ミクロ単位で汚れ落とせると思うか?」


「う……」


「三つ、付いてくる……あれ、ゆっくり進んでるだけだろ。待つのか?」


「……たしかに」


「四つ、ゴミ……その体でハンバーガー一個食ったら終わりじゃないか?」


「……」


「五つ、夏はいいが冬どうする」


言葉を重ねるごとに、ユイの表情がしぼんでいく。


しばらくスライムをじっと見つめたあと、持ってきたパンを差し出す。


スライムはゆっくりとそれを取り込み、じわじわと溶かしていく。


――遅い。


あまりにも遅い。


パンの端がようやく体内に消えるまでに、思っていたよりずっと時間がかかった。


観察していたユイは、やがて小さく息を吐いた。


「……やめます」


「だろうな」


「行きましょう、オルハさん」


気持ちを切り替えるように、ユイは先へ進んだ。


そこから三時間。


狩りをしながら森を進み、少し開けた場所に出る。


木々が円を描くように途切れ、空だけがぽっかりと見えている。地面は比較的平らで、周囲の見通しも悪くない。


「ここにしましょう」


ユイが中央にテーブルと椅子を出現させる。


当たり前のように座り、食事とお菓子、飲み物を並べ、本を開く。


その周囲には、当然のように結界が張られていた。


本人はくつろいでいるように見えて、周囲の術式は一切緩んでいない。護符の配置も無駄がなく、空気の流れすら制御しているようだった。


オルハはユイから二キロほど離れた位置へ移動する。


外周を回りながら、狩りと採取を開始する。


――今回の狙いは、シャドウ・レーカーの捕獲。


ユイを囮にする。


この場所も、ユイの占いで選ばれた場所だ。


もしシャドウ・レーカーがユイを襲えば、その瞬間に結界で閉じ込める。酸素を抜き、失神させ、拘束し――契約へ。


もし結界内から影に逃げられるなら、その時は諦めるしかない。


だが、ユイの周囲には最小構成でありながら最高傑作の結界が張られ、護符も設置されている。


簡単に破られることはない。


オルハは千里眼で常に監視を続けていた。


他の魔物が来れば、ユイが結界で酸素だけを抜き、静かに無力化する。


オルハも外周で魔物を減らし、環境を整えていく。


待つ時間は長かった。


昼が過ぎ、光の角度が変わり、森の色が少しずつ沈んでいく。ユイは本を読み、お菓子をつまみ、ときどき飲み物に口をつける。そのすべてが余裕のある日常のようでいて、実際には完璧な待ち伏せだった。


やがて――夕方。


鳥の鳴き声が消えた。


森が、静まり返る。


「……来ます」


ユイが本を閉じ、静かに立ち上がる。


その瞬間。


背後の地面――影が、揺れた。


次の瞬間、黒い影が跳ね上がる。


黄金の瞳が、ユイを捉えた。


黒豹のような体躯。しなやかで無駄のない筋肉。気配の消し方も、飛び出す瞬間の速さも、今までの魔物とは明らかに違う。


だが――


「捕まえました」


ユイの声と同時に、結界が閉じる。


シャドウ・レーカーはあっけなく閉じ込められ、そのまま酸素を奪われ、動きを止めた。


さらに結界で四肢を封じる。


やがて完全に失神したのを確認し、ユイは静かに息を吐いた。


「……あとは、目が覚めるのを待つだけですね」


オルハも近づいて、その黒い体を見下ろす。


近くで見ると、その毛並みは夜の影そのもののように艶を失っておらず、黄金の瞳は閉じていてもなお異質な存在感を放っていた。


――それから、一週間。


まだ使役できていない。


強制的に使役する方法もあるらしいが、ユイはそれを選ばなかった。


相手が承諾するまで待つ。


今、シャドウ・レーカーは結界の中で自由に過ごしている。


餌と水はユイが与えている。


最初の数日は、ユイもオルハも、数日あればどうにかなるかもしれないと思っていた。


だが、一ヶ月が過ぎても、契約は成立しない。


シャドウ・レーカーは逃げようとはしない。かといって、近づこうともしない。ただ一定の距離を保ち、黄金の瞳で静かにユイを見ているだけだった。


オルハは空間移動で城壁都市へ戻り、寝て、食料を運ぶ。


だがユイは、この森でテント生活を続けていた。


朝起きて、結界を確認し、餌を用意し、水を替え、少し話しかける。そんな日々が淡々と積み重なっていく。


三ヶ月。


半年。


時間は静かに流れ続ける。


季節の匂いがわずかに変わる。森の湿り気も、風の冷たさも、少しずつ違っていく。それでもユイは動かなかった。


そして――ある朝。


いつものように、朝食を持って空間移動したオルハの視界に、笑顔のユイが飛び込んできた。


「オルハさん!」


頬を緩め、嬉しさを隠しきれない声。


「やっと契約できました!」


その隣には、静かに佇む黒い影。


黄金の瞳が、穏やかにこちらを見ていた。


以前のような鋭い殺気はない。ただ静かに、しかし確かに、そこにいた。


オルハは少しだけ目を細める。


「……おめでとう」


その言葉には、驚きよりも先に安堵が滲んでいた。


そして、その魔物に視線を向ける。


「よろしくな」


シャドウ・レーカーは、わずかに目を細めたように見えた。


その仕草は本当に一瞬で、見間違いかもしれないほど小さな変化だった。

だが、それでも十分だった。


敵意はない。

少なくとも、牙を向けてくる存在ではなくなった――それだけで、状況は大きく変わっている。


ユイは嬉しそうにその様子を見ている。半年以上続いた粘りが、ようやく形になったのだ。


その横顔には、安堵と達成感がはっきりと浮かんでいた。


森の空気は、変わらず湿っていて静かだった。

それでも、その日だけは、そこに漂う気配が少しだけ優しくなったように感じられた。


少しの間、誰も何も言わなかった。


風が葉を揺らす音だけが、静かに通り抜けていく。


「……なあ、ひとつ聞いていいか」


オルハは視線をシャドウ・レーカーから外さずに言う。


「意識のない時に強制で契約するのと、監禁して仕方なしに契約するのと……何が違うんだ?」


その問いは、軽い興味というよりも、どこか確かめるような響きを持っていた。


ユイは一瞬だけ言葉を止める。

そして、小さく息を吐いた。


「オルハさん、それ……全然違いますよ」


声の調子が、少しだけ変わる。


「確かに、監禁している時点で、無理やりとか脅迫に近いように見えるかもしれません」


少しだけ視線を落とし、それからゆっくりと上げる。


「でも、それでも最終的に決めるのは相手の意思です」


はっきりと言い切る。


「自分の意思で契約をしたのです。私の支配力が100%で契約できます」


「術師の力量でも違いますが、意識のない時に契約した場合は……70%とか50%の支配力なんですよ」


静かに続ける。


「だから――」


オルハの方をまっすぐ見る。


「私のために死ねるか、死ねないかの違いになります」


その言葉は、淡々としているのに重かった。


オルハは少しだけ眉を動かす。


「……なるほどな」


短く返すが、その声には納得が滲んでいた。


視線を横に流し、シャドウ・レーカーを見る。


静かにそこにいる影は、もはや“捕まえた魔物”には見えない。


「意思、か……」


小さく呟く。


ユイは軽く肩をすくめる。


「この子の為ではなく、完全に私のためですね」


どこかあっさりと、しかし迷いなく言い切る。


「時間はかかりますけど、その分ちゃんと味方になりますよ」


そう言って、隣に立つ影を見上げた。


黒い体躯は動かない。

だが、逃げる気配も、敵意もない。


それだけで十分だった。













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