第34話 踏みにじられた忠義(別視点)
謁見の間。
アステリオは玉座の肘置きに頬杖をつき、足を組みながら、神官長マリス・ナイトゥアを見下ろしていた。
アステリオと変わらない程の若さではあるが、圧倒的権力を保持する神殿の中で、二番目の権威を誇っている。
マリスは微笑みを浮かべると、両手の平を丸めると胸の前で重ね合わせ、頭を下げた。
神殿独特の挨拶だ。
手のひらを丸めて重ねた手は結界を象徴し、偉大なる結界が我々の心の中に常にある、という意味らしい。
本来であれば、アステリオも同じ動作で挨拶を返すべきなのだが、悠然と壇上の玉座からマリスを見つめ返しただけだった。
あまりの無作法さに、マリスの後ろに控えているヴェルドが、怒りの双眸をアステリオに向けているが、マリス本人は微笑みを浮かべたままだった。
(父がこの光景を見れば、卒倒するだろうな……)
心の中で、亡き父のことを思う。
父は、神殿に頭が上がらなかった。
スプリオール王家で一番偉い人だと、侍従長であったタイタスに教えられたとき、すぐに信じることは出来なかったほど、常に神殿の動向を探り、機嫌を損ねないよう細心を払っていた。
神殿に呼び出されようものなら、全ての公務を中断し、飛び出していった。
だが、別に父が特別小心者だったわけではない。
歴代国王、皆がそうであったと知ったのは、アステリオが少し大きくなってからだ。
それほど、神殿の権力はスプリオール王家を凌駕していたのだ。
――父が亡くなり、アステリオが即位するまでは。
マリスが挨拶をしようと口を開こうとしたのを遮るように、アステリオが口火を切った。
「詳しい用件を話すことを許す、マリス・ナイトゥア」
ヴェルドが怒りの形相で前のめりになった。しかしマリスは僅かに振り返り、一瞥すると、再び笑みを浮かべ、アステリオに向かって頭を下げた。
「ありがたきお言葉、感謝いたします。さ、例の物をここへ」
「はい、今すぐ」
付き添いの神官から浅い木箱を受けとったヴェルドが、マリスの横に跪くと、木箱を高く掲げた。
豪華な謁見の間には似合わないほど煤汚れた木箱は、アステリオの目から見ても異質に見えた。
ヴェルドもわざわざ手袋をした状態で、木箱を持っている。不浄な物という認識のようだ。
「ヴェルド、そこでは陛下によく見て頂けません。中身を陛下に見て頂けるよう、少しだけ前に出なさい」
「承知いたしました、マリス様」
ヴェルドは口角を上げると、一歩、前に進み出た。
そして木箱の蓋を開けると、中がよく見えるよう、アステリオに向けた。
アステリオの瞳に、箱の中身が飛び込んでくる。
箱と同じように煤にまみれた、太い腕輪と指輪。
そして、白髪の毛が一房――
アステリオは動かなかった――いや、動けなかった。
そんな彼の耳に、マリスの淡々としつつも穏やかな声が届く。
「事前に書簡でもお知らせしておりましたとおり、神殿の内部情報を外部に売っていたゼノという男がおりましてね。改めて調べましたら、何と、過去スプリオール城で、タイタスという名で、侍従長として仕えていた男ではないかという報告がありまして……陛下ならば、神殿内部情報の買い主を、ご存じではないかと思いまして、こうして貴重なお時間を頂いたのです」
「知らん」
アステリオは一蹴した。
マリスは、ふうむと声を洩らすと、ヴェルドの隣に立つと、彼が掲げる箱を指で示した。
「こちらにあるのは、その男が身につけていた物。陛下のご記憶にはないでしょうか?」
「ない。そもそもそんなに焼けていては、分かる物も分からん」
「ああ、それは失礼した。処刑が火あぶりでしたからね」
マリスの視線が、アステリオの反応を窺うように泳ぐ。
だが、アステリオの無表情さは、いつもと変わらない。
むしろ凪いだ海のように、感情の起伏がない。
淡々とした声色で、今度はアステリオが問う。
「その男が過去、侍従長をしていた人物と同じだと決めつけ、俺と関係があるとくだらない想像をした。そのの確証を得るため、俺の貴重な時間を無駄にした。用事はそれで全てか?」
「も、妄想だと!? 背信者ゼノは、長らく神殿に仕え、高い地位にいた! 神子召喚についても知っていた! なら何故あの日、エルタナ家に陛下が姿をお見せになったのか、その説明をして頂きたいっ!!」
ヴェルドが噛みついたが、
「ならばそのゼノという男が、俺が雇い主だと言ったのか?」
と問われ、うぐっと口を閉ざした。
二人のやりとりを見ていたマリスが、遺憾だとばかりに首を横に振る。
「ゼノは、どれだけ拷問にかけても『自分は本当に何も知らないんだ! だから命だけは助けてくれ!』と命乞いをしただけでした。何も知らなかったのでしょう」
「大の男が涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、命乞いをする姿は傑作でしたな。あれが、神殿の上層部にいたとは……全く情けない話です」
ヴェルドが嘲笑う。
しかしアステリオは無反応だ。眉さえ動かない。
いや――動かせない。
マリスは逆にヴェルドを窘めると、アステリオに向かって静かに頭を下げた。
「陛下、ヴェルドの先ほどの無礼、どうかお許しください。そして私の愚かな想像で、陛下の貴重なお時間を頂戴したこと、申し訳ございませんでした。どうやらゼノが侍従長タイタスであったことは、誤情報のようでしたね。ならば――」
柔らかな笑みを湛えていた黒い瞳が、スッと細くなった。
ヴェルドが持っていた木箱の中身を、カーペットの上にぶちまけ、薄く笑う。
「こんな物、必要ございませんね?」
マリスの足が、焦げた腕輪を踏み潰した。
元々脆くなっていた腕輪は、簡単に粉々になっていく。
アステリオは、黙ってそれを見続けた。
今まで穏やかだったマリスが息を荒げ、黒い双眸を見開きながら、口角を上げて装飾品を踏み潰す様を、身じろぎひとつせずに見ていた。
粉々になっていくそれを――タイタスが道化になりながらも守り続けたアステリオへの忠義を見ながら、何も考えまいと、何も想像しまいとしていた。
心の奥から突き上げてくる何かを、必死で押し留めながら――
マリスは大きく息を吐き出すと、まるで先ほどの変貌などなかったかのように、穏やかな笑みを浮かべながら、アステリオを見上げた。
だが彼の足下には、飛び散った白髪が散らばっている。
神官たちがすぐさま集まり、床に散らばった破片を集めて回収していった。
マリスは、差し出された布で手を拭くと、アステリオに向かって、神殿式の挨拶をした。
「本日は、貴重なお時間を頂き、誠にありがとうございました。陛下の未来に、創造神様の祝福があらんことを」
ヴェルドもにやつきながら、アステリオに頭を下げた。
(やっと……終わるのか)
アステリオがそう思った瞬間だった。
何かを破壊する音が、上から響き渡った。
それに続く甲高い女性の悲鳴。
(この声は……ミーティア・エルタナ!?)
この時、初めて気がついた。
神殿という最大の敵を懐にいれていながら、今まで神子の安否について自分の意識が回っていなかったことに。
そして、
(マリス……俺としたことが、油断したっ!)
アステリオが異変を察知するために張っている警戒の魔法が、別の魔法によって妨害されていることに。




