第35話 本物のクルシュ
私の前に掲げるように取り出されたのは、私がエルタナ家から持ち出した数少ない荷物の一つ――祖母のぬいぐるみと同じものだった。
しかしよく見ると、首輪の色と、ぶら下がっているネームプレートに刻まれた名前が違った。
このぬいぐるみは――
「お姉様がお婆さまのぬいぐるみを持って行ったと聞いたから、探して貰ったのです。お爺さまのぬいぐるみを」
ふふっと笑いながら、クルシュは片目を瞑った。
確かに、気が利くプレゼントだと思う。
持ってきた相手が、クルシュでなければ……
「どうして、探してくれた、の?」
思わず疑問が口を衝いた。声が震え、呼吸が浅くなる。
しかしクルシュは私の当惑に気づくことなく、不思議そうに首を傾げると、パッと表情を明るくした。
「だって、気に入っていらっしゃるんでしょ?」
「気に入っているって……誰が?」
クルシュの視線が、また私から逸らされた。私と同じ青い瞳を細め、口角を上げる。
「神子様が」
振り返ると、セラスが部屋を繋ぐ空間から身を乗り出していた。
クルシュだけだと人見知りしていたのに、クマのぬいぐるみに惹かれ、言いつけを破ってしまったのだ。
だけど、セラスが悪いとは思えなかった。
相手は四歳児。さらに、城のピリピリした雰囲気で、ずっと落ち着かなかった子だ。
ここまで大人しくできたことを、逆に褒めるべきだろう。
悪いのは全て、
――私。
クルシュが身を屈め、クマのぬいぐるみを揺らす。
「神子様、どうかこの子も可愛がってやってください。ベッドの上の子と、お友達なのです」
明るい声色で、セラスを誘うクルシュ。
「だ、駄目、セラス!」
私が制するが、
「お姉様! 邪魔をしないでください!」
そう言ってクルシュが私を突き飛ばした。
先ほどの弱々しさはどこに行ったのかと思えるほどの力だった。
私が床に倒れた隙を見て、クルシュがクマのぬいぐるみを渡すためにセラスに近づく。
セラスとクルシュの距離が、急速に近づいていく。
私を突き飛ばしてまでして、くまのぬいぐるみを渡そうとするクルシュの必死さ。
そして、何故クルシュは、セラスがクマのぬいぐるみがお気に入りであることを知っていたのか、という疑問。
何一つ理由は分からない。
だけど、クマのぬいぐるみをセラスに渡してはならないという理由なき確信はあった。
だけど、ここからじゃ間に合わない!
私はグッと下唇を噛むと、お腹の底に力を込めて叫んだ。
「セラス、目を閉じて!」
セラスの足が、ビクッと止まった。反射的に目を閉じ、床に伏せるのが見えた瞬間、私の光魔法が発動した。
強い光がクルシュの目の前に現れ、彼女の視界を潰す。
「きゃああっ!」
悲鳴をあげ、クルシュは両手で目を覆った。彼女の手から、ぬいぐるみが落ちる。
私は素早く立ち上がると、転がったぬいぐるみを抱きしめた。
次の瞬間、
「痛っ!」
まるで針で指されたような痛みが、鎖骨当たりに走った。思いのほか深く何かが刺さったみたいで、痛みで顔が歪んだ程だ。
クマを体から離し、痛む部分を指でなぞると、尖った何かが当たった。気にせず、思いっきり引っこ抜く。
出てきたのは、半透明の針だった。
魔法で作られた針で、役目を終えたようにスッと消えていった。
存在した証拠すら残らなかった。
何故こんなものがぬいぐるみに?
私だったから良かったものの、セラスがもし受け取っていたら、顔に針が刺さっていたかもしれない。
最悪目に突き刺さったら、どうなっていたことか……
背筋がゾッとする。
嫌がらせにしては、あまりにも悪質すぎる。
「クルシュ! 魔法針をぬいぐるみに仕込むなんて……一体どういうつもりなの!?」
私がそう叫んだ瞬間、両足から力が抜けた。
まるで糸がきれた操り人形のように、体が床に沈む。
一瞬、自分の身に何が起こったのか、理解できなかった。だけど、
「ふふっ、あはははっ! 使えた! 魔法が使えたわっ!!」
狂ったように笑うクルシュを見て、何も言えなくなった。
先ほどの大人しい妹はもうどこにもいなかった。
目の前にいるのは……過去のトラウマ。
本物のクルシュ――
今までの大人しい彼女は、演技だったのだ。
「はぁ……魔法が使えるなら、こんな小芝居や小細工なんてしなくて良かったのに……」
クルシュはいつもの癖で、髪の毛を後ろに流そうとした。しかしもうすでにそこまでの長さがないことに気づき、舌打ちをした。
恨めしそうに私を睨み付ける。
「そうよ、全て芝居に決まってるじゃない。神子様を取り戻し、お姉様を破滅させるためのね?」
そう言うとクルシュは私からぬいぐるみを取り上げ、叩きつけてきた。素材が素材なため、痛みはないが、精神的な痛みがじわじわと湧いてくる。
クルシュに裏切られた痛みじゃない。
自分の甘さと行動の遅さが招いた、最悪の結果による痛みだ。
ぬいぐるみを叩きつけながら、クルシュが吠える。
「光魔法しか使えない分際で、城仕えになるなんて! それに元々神子様のお世話係は、私のお役目だったのよ! それを横からかっさらっていくなんて!」
意味が分からなかった。
だって私が神子様のお世話係を命じられたとき、クルシュは神殿仕えの話すらでていなかったのだから。
言いがかりにも程がある。
彼女の怒りはとどまるところを知らない。
「神殿でも下働きからさせられるし……お姉様? 私、神殿で何て呼ばれているか知っている? 110番よ? 名前すら呼ばれない、そんな場所で、朝から晩まで働かされているの! 神子様の世話係として召喚された私が!!」
クルシュはぬいぐるみを床に投げ捨てると、私の髪の毛を掴みあげた。こちらの顔を覗き込み、憎々しげに言い放つ。
「それにしても、ほんっと元気そうね? さっさと放り出されると思っていたのに……さぞかし良い生活をしているようね? 私から奪った神子様を使って! それか……」
血走った青い瞳が意地悪く細められる。
「陛下に、その貧相な体でも差し出したのかしら?」
アステリオ様が侮辱されたと気づいた瞬間、私は思いっきりクルシュを突き飛ばしていた。
思いのほか強い力が出たようで、クルシュは思いっきり尻餅をついた。
こんなことをすれば、次、どんな酷いことをされるか、想像に難くない。だけど、言い返さずにはいられなかった。
「陛下をこれ以上侮辱することは許さない!」
あの方は私にそんな下世話なことは求めない。
私に求めているのは、命を懸けてセラスを守ること――
腕の力を使って前に進むと、立ち上がったクルシュの足にしがみつく。
「うるっさいわね! この役立たず! は、離しなさいよ!」
クルシュが私の腕を払った。だけど私はしつこくしがみつく。これ以上セラスの元へ向かわすまいと、必死でしがみついた。
尖ったヒールが、私の肩を踏みつけた。
痛い。
だけどこれは、私の弱さが招いた痛み。
セラスが感じている恐怖に比べたら、全然平気。
私のしつこさに観念したのか、クルシュは矛先をセラスに変えた。両手を差し出し、猫なで声で誘う。
「さ、神子様、私と一緒に神殿へ行きましょう! あなたは、結界に力を与えるという偉大なるお役目があるのです。こんな場所にいて良い方ではないのですよ?」
しかしこんな状態で何を言っても、セラスに響くわけがない。首を横に振りながら、セラスはゆっくりと後ずさった。
澄んだ瞳から、涙が溢れている。
「ごめんね、セラス……怖い思いをさせて……本当にごめんなさい……」
目の前の景色が、涙でにじむ。
セラスは首を横に振った。怖くて怖くて堪らないはずなのに、私を想い、許してくれた。
優しい子。
本当に……優しくて、大好き。
クルシュはこのまま私を殺してしまいそうな勢いで、再び私を踏みつけだした。
額から血が流れ出す。
あまりの痛さに、光魔法も消えてしまった。
「こうなったら、魔法でその腕ごと切り落としてやるわ!」
そう言って、クルシュが私に向かって指を突きつけた。
魔法が発動し、私の両腕が吹き飛ぶ――かと思ったが、
「ま、魔法が発動しない!? ま、また、なの!? 今度こそ結界の揺らぎ?」
自分の両手を見ながら、呆然と呟くクルシュ。
また、という発言を聞き、彼女の手が何故あれほど荒れているのかに引っかかった答えを得た気がした。
何故だか分からないが、クルシュは以前のように魔法が使えなくなっているのだ。
だから私と同じように、手が荒れていたのだ。神殿での雑用を、自分の手で行っていたから――
彼女が魔法を使えないのなら、私に勝機はある。
自由になった両足に力を込めて立ち上がると、駆け寄ってきたセラスを抱き上げた。
そして一目散に、出口へとかけより、ドアを開けようとした。
が、
「ひ、開かない!?」
どれだけ引っ張っても押しても、ドアは開かない。
焦る私の背後で、クルシュがせせら笑う。
「当たり前じゃない。この部屋は今、密室になっているの。ほら、外に護衛がいたでしょ? 彼がしてくれたのよ。部屋の合言葉もね」
「嘘っ……なら彼は………」
「そ。組織の内部にまで間者を忍ばせていたのは、陛下だけでなかったってことよ」
「そん、な……」
まさかこんな身近に、裏切り者がいたなんて……
彼は屈強な近衛兵。例えこの部屋を出られたとしても、勝てる気がしない。
だけど、覚悟を決めるしかない。
クルシュを無力化し、外に出て近衛兵から逃げて助けを求める。
……やるしかない。
私の命に懸けても、セラスだけは、守らなければ。
そう思った瞬間、ドアの向こうから聞き慣れた声がした。
「ミーティア、ドアの前から離れてください!」
この声は――
声に出すよりも早く、私はセラスを抱きかかえると、ドアから離れて床に伏せた。
次の瞬間、もの凄い音がして部屋のドアが吹き飛んだ。
ドアだけでなく、その周辺の壁も壊れている。
もくもくと上がった煙の中から姿を現したのは、
「に、ニーナさん!?」
いつも綺麗にまとめている髪を振り乱し、額から血を流した状態で立つニーナさんの姿があった。
しかし体がふらついている。ダメージを負っているみたい。
彼女に駆け寄ろうとしたとき、
「うっ、うぅっ……」
クルシュが呻き声をあげながら、身を起こした。
どうやら爆風に巻き込まれたみたいで、肌がでている部分から血が出ている。
今にも倒れそうなニーナさんと、まだ床に伏せたままの私たちを睨み付けると、ゆっくりとこちらに向かって手を伸ばしてきた。
もの凄い執念だ。
「一体何なのよ……あんたたち、一体何なのよぉぉぉ!」
どこから声をだしているか分からない、獣の咆哮のような声をあげ、クルシュが飛びかかってこようとした。
その手には、鋭い破片が握られている。
私は立ち上がると身を挺し、二人を守ろうとした。
が――
「黙れ」
感情がこもらない淡々とした声が響き渡ったかと思うと、クルシュの体が床に沈んだ。
これは、眠りの魔法?
まさか……!
振り返った先には、
「一体これはどういうことだ」
表情一つ変えずに問う、アステリオ様の姿があった。




