第33話 裏切られる相手は自分で選ぶ
――キモチワルイ。
そんなことを考えてしまうなんて、私は、人としての良心を失ってしまったのだろうか。
いや、きっと違う。
クルシュの今までの言葉は、全ては自分たちのせいだと言いながら、私に同情や罪悪感を駆りたてるものばかりで、直接的な言葉は何一つないのに、攻撃されているように聞こえる。
もしニーナさんだったら、こんな言い方をしない。
セラスなら、素直に頭を下げて、ごめんなさいをする。
アステリオ様なら……そもそも私の前に姿を現さない。それが私に対する一番の償いだと思うだろうから。
「まあ、ごめんなさい、お姉様。ずっと上に乗ったままで。重かったでしょう?」
クルシュは瞳を見開き、大きく開けた口元を慌てて手で隠すと、私の上から退いた。
初めは重いと思ったけれど、相手がクルシュだと分かってからは、やけに軽くなった。
体重も、そうとう減ったに違いない。
私に向かって手が差し伸べられた。
今まで、白い手袋で守られ、爪先まで綺麗に整えられていた手はなかった。働く人間に手をしていた。
私と同じ、働く手を――
わたしと、
おな、じ……?
強烈な引っかかり。
これは――
気づけば私は、クルシュの手を借りずに一人で立ち上がっていた。
そんな私に、クルシュは悲しそうな視線を向けながら、ゆっくりと手を下ろす。下ろされた手は、力なくダランと彼女の太もも当たりで揺れている。
悲しそうな視線が、再び痛々しい笑みへと変わる。
「そう、ですよね……いいえ、いいんです。お姉様に許して頂けるとは思っていません。だけど……これだけは伝えておきたくて……」
「何、を……?」
クルシュの表情が一変、真剣なものへと変わった。
「アステリオ陛下を、信頼なさらぬよう。あの方は……お姉様が想像している以上に恐ろしい方。このままだとお姉様も、殺されてしまうかもしれません」
「ど、どういうこと?」
「何故、神官長マリス様が、陛下との謁見を求められたか、お姉様はご存じですか?」
「……知らないわ」
マリス様が陛下に何かをお渡しに来た、という噂話しか知らない。
クルシュの口角が僅かに上がったように見えた。
「先日、とある間者が処刑されました。その間者は……神殿に潜り込み、情報を流すよう命令されていたそうです。真相の追求のため、陛下との謁見を求めたのです」
私の問いに対し、クルシュは私の両腕を掴むと、唇を私の耳に近づけ、囁いた。
「間者は、マリス様にこう言って命乞いをしたそうです。『自分は無理矢理陛下に命令され、仕方なく従っていた』と」
「えっ……?」
「お姉様も、陛下に無理矢理命令され、城仕えにされました……だから同じようにいつか、命を懸ける危険な命令をさせられるのではないかと心配で……陛下は、人の心のない冷酷な人間――いいえ……」
腕を掴むクルシュの力が強くなった。尋常じゃないほど強く握られ、圧迫による痛みで顔が歪む。
しかしクルシュは、力を緩めない。ますます私の腕を締め上げ、言葉を続ける。
血走った青い瞳を見開き、私の顔を覗き込む。
「化け物です」
次の瞬間、私は彼女の手を振り払っていた。
掴まれていた場所が痛い。鈍い痛みが残るそこを両手でさすりながら、クルシュから数歩距離をとった。
「陛下は人間よ」
頭で考えるよりも先に、言葉が出ていた。
その言葉を自分の耳で聞き、理解したのを皮切りに、心と言葉が繋がった。
心が溢れる。
言葉が溢れる。
「陛下は血の通った人間よ! 確かに、冷酷で恐ろしく、とても厳しい方ではあるわ! 私が城仕えになったきっかけは、陛下の命令だった。だけど……」
私を守った陛下の姿が思い出された。
不器用ながらも、セラスの言葉に耳を傾け、彼女を大切にしている光景が思い出された。
体調不良の私を抱き上げた力強さが思い出された。
神子の命を守るため、巨大な組織と立ち向かう決意を明かしてくれた彼の後ろ姿が思い出された。
「私は自分の意思で陛下のご命令に従った。そしてあの方の厳しさの中には、優しさがある。あなたや世間一般で言われるような人では、決してないわ!」
幼いセラスを無理矢理連れて行こうとした神殿よりも、
謝罪しながらも使用人だという思いが隠しきれなかった両親よりも、
私の罪悪感をかき立てる言葉を吐き続けるクルシュよりも、
ずっとずっと、
――人間だ。
アステリオ様と出会って、それほど長くはない。
彼の本性を知っているかと問われれば、答えに窮してしまうだろう。
だけど家族という大きな裏切りを体験した今、また裏切られるのならば、裏切られる相手は自分で選ぶ。
自分が正しいと思ったことを信じぬく。
気づけば、肩で息をしていた。
呼吸が速い。
自分が、興奮状態にいることが分かった途端、スッと心が軽くなった。
クルシュの意見に、真っ向から反論したのは、初めてかもしれない。この部屋で再会したときのような緊張――エルタナ家にいるような感覚はもうなかった。
ここは、私の大切な居場所だ。
両親のときは、セラスの存在によって決別を決意できた。
今回は、アステリオ様の存在によって、クルシュへの恐怖に打ち勝つことが出来た。
クルシュは目を見開き、かたまっていた。が、瞳がスッと細くなったかと思うと、俯き、指先を弄りながら謝罪をした。
「わ、私、お姉様を怒らせるつもりはなかったの……お、お姉様がそう思うなら、それでいいの。余計なことを言ってごめんなさい……」
「いいえ、私こそ言い過ぎたわ」
言い過ぎたのは事実。だから認める。
でも謝りはしない。
クルシュは私も謝罪するのだろうと待っていたのだろう。
しかし私からの謝罪はなく、沈黙が流れたことに当惑している様子だった。
場を仕切り直すように両手を打ち、
「ここって神子様のお部屋、よね?」
と、クルシュの視線が周囲を見回した。
私は慌てて首を横に振る。
「ち、違うわ! こ、ここは、わ、私の部屋で……」
「ふふっ、それにしてはベッドや家具が小さくありません?」
しまったと後悔する。
クルシュは、床に転がっていた箱を拾い上げた。
彼女が飛び込んできたとき、視界の端に映ったものだ。綺麗に包装され、リボンが結ばれている。
「お姉様と神子様に、これをお持ちしたのです。きっと喜ぶだろうと思って……」
そう言ってリボンを解き、箱の中からとりだしたのを見て、ゾッと背筋に寒気が走った。
クルシュがプレゼントとして持ってきた物。
それは、セラスのベッドの上に置き去りにされたぬいぐるみと全く同じ、クマのぬいぐるみだった。




