第32話 キモチワルイ
心の傷とは恐ろしいものだ。
両親と決別したつもりだった。全てを過去にしたつもりだった。
だけど――クルシュとのことは決着をつけていなかった。
そのせいだろうか。
ここがセラスの部屋――私の居場所であるはずなのに、エルタナ家にいるような息苦しさや緊張感、惨めさで心がいっぱいになるのは……
ニーナさんだけでなく、陛下にも認められ、自信を持っていた自分が、突然小さく思えてきた。
クルシュの前だと、出来損ないの姉ミーティアに戻ってしまう。
以前の私に――
「お姉様、どうされたのです? びっくりされているのですか? ふふっ、なら作戦大成功ですね?」
「さ、作戦?」
「はい! お姉様が城にいることをお話したら、親切な城仕えの方が、案内してくださったのです。だけど驚かせたくて、内緒にして頂くように言っておいたのです」
「そ、その親切な城仕えって……誰?」
「ええっと……ニーナ? という名前の侍女だったと思います」
ニーナさんが?
でも以前、ニーナさんに両親のことを相談したら、会いに行けば良いと言われたことを思い出す。
ニーナさんは、私の家庭環境を知らない。だからクルシュが私に会いたいと言えば、会わせてあげようという親切心は出してしまうかも……しれない。
だけど、何故クルシュが城に?
私と同じ青い瞳が、こちらを見つめる。
だが、いつも私を見下すように細められていた瞳は、嬉しそうにカーブを描き、声色も、純粋に私との再会を喜んでいるように聞こえた。
私が知っているクルシュと、何だか違う。
そう認識すると、萎縮していた思考が急に動き出した。最後に目にした彼女の姿との相違が、次々に見えてくる。
まずは顔色。以前は何も化粧をしなくても艶やかで血色の良かった頬の色が悪い。本人は化粧で隠しているみたいだが、血色の悪さや痩けた頬は隠せない。
次は髪の毛。毎日香油を塗って手入れしていた自慢の髪の毛が、短くなっていた。肩に付くぐらいだろうか。
長い髪で、色んな髪型を侍女たちにさせてお洒落を楽しんでいたクルシュからは、想像できない髪型だ。
最後は服装。
クルシュが身につけていたのは、神官衣だった。とはいえ、ヴェルド様のような豪華なものではない。首元に神殿のモチーフが刺繍された、白いワンピースだ。
それを見た瞬間、大きく心臓が跳ね上がった。心の声が口を衝く。
「く、クルシュ……あなた、まさか神殿に?」
「ええ……私、神殿にお仕えしているのです、お姉様」
クルシュは、首元の刺繍を指先で摘まみながら頷いた。
だが、高らかに自慢してもおかしくない声色が、何故か沈んでいる。表情も暗く、今にも泣きそうだ。
両親が、あれだけ躍起になってクルシュを神殿仕えにしようとしていたというのに、当の本人は全く嬉しくなさそう。
いや、むしろ嫌がっているように見える。
私の疑問が顔に出ていたのだろうか。クルシュは目尻をそっと拭うと、淡く微笑む。
「私は今、エルタナ家存続のために、下働きとして神殿に仕えているのです」
「エルタナ家存続のため? ど、どういうこ、と……?」
聞き返さずにはいられなかった。
両親の手紙には、そんなこと、一言も書いていなかった。
しかし、お父様の体調が良くないという報告があったことを思い出す。
もしかして、父の体調不良とクルシュの神殿仕え、それら全てに、エルタナ家存亡の危機が関係している?
でも何故、そんなことに……
「お姉様が……神殿に逆らったから、です」
「っ!!」
「エルタナ家は神殿への背信を疑われ……神殿への信仰を示すため、私が奉仕を申し出たのです。エルタナ家が赦されるよう、朝早くから夜遅くまで毎日働いていて……でも今日は登城に同行しろと、化粧と清潔な服を許されました。人間らしい格好は久しぶりで……うぅっ……」
そこまでいうと、クルシュは言葉を詰まらせ、口元を手で覆った。
私は何も言えなかった。
クルシュのやつれ具合が、彼女の発言の信憑性の高さを示していたからだ。
これは、過労によるもの。
化粧でなんとかなるレベルではない。
まさに、城に来る前の私と同じ姿――
確かに私は、神殿に逆らった。さらに、神殿と対立しているアステリオ様から神子様のお世話係を任命され、セラスと共に城にいる。
神殿から見ると、私は完全に背信者だ。
だけどヴェルド様は見ていたはず。
私が、家族から切り捨てられたあの瞬間を……
なのに、私の行動を、エルタナ家の背信に繋げるなんて。
「お姉様、私は……大丈夫です」
クルシュの手が動いた瞬間、私の体がかたまった。ぶたれると思ったのだが、予想外に、彼女の手は私の頬に触れただけだった。
優しく私の頬に触れ、今で見たことのない儚げな笑みを浮かべる。
「これは罰なのです。お姉様を苦しめ続けた私たちへの報い。だからお姉様は何も気にしなくて良いのです。私が何とかしますから。それに……」
彼女の手が、そっと私の頬を撫でた。
「……お姉様のお顔、エルタナ家にいたときよりも、ずっとずっとお元気そう。私、それが一番嬉しい……」
そう言って、嬉しそうに微笑むクルシュ。
私のせいで、エルタナ家が社会的に抹殺されそうになっている。
私のせいで、実の妹が尻拭いをして苦しんでいる。
気にしなくて良いと言われても、気にならないわけがない。
罪悪感で溢れる心の中。だけど一点だけ、不可解な感情が交じっていた。
私の頬を撫でるクルシュの手が、
表情が、
言葉が、
全てが、
――キモチワルイ。




