第29話 ミーティアの決断
アステリオ陛下が、神殿内で二番目に権力を持つとされる神官長マリス様との謁見を許可されたという話は、瞬く間に城内に広がった。
噂によると、神殿から謁見を求める文書が届けられてすぐ、陛下は謁見の許可を出したらしい。
神殿と表立って対立していることは、国中が知っているのだから、城仕えは皆驚いていた。
私も、あり得ないと思った。
陛下の真の目的が結界の破壊だと知っている今、彼が安易に敵を懐に入れるとは思わなかったからだ。
何かお考えがあるのだろうか。
普段の彼の様子ならば、そう納得出来たかも知れない。
だけど、私の謁見は拒絶され、その後お顔を拝見していない。
最後にお会いしたのは、陛下の真の目的を語ったあの日以降だ。それほど時間は経っていない。
人前に顔を出すこともほとんどなく、自室に引きこもっていると聞いている。
この数日に、一体何があったというのだろう。
いつも冷静で、残酷なほど合理的な判断をされる彼が表に出ないなど、緊急事態ではないだろうか。
かくいう私も、両親の手紙の件が頭を離れずにいた。
今日もセラスが眠った後、机の上に置いた手紙を見つめながら唸る。
『直接、話す機会を与えて欲しい』
そう書かれていた。
会っておくべきなのか。
それとも拒絶すべきなのか。
迷っているのは、大切にされていた頃の記憶が日に日に大きくなっていっているからかもしれない。
両親にも、私に辛く当たる理由があったのかもしれない。
辛い境遇に置かれた私にも、何か悪い面があったのかもしれない。
どんどんと考えが、両親側へとよっていくのを感じる。
「アステリオ様にお会いしたい……」
気づけば、呟いていた。
陛下の厳しい言葉が聞きたい。
私を見つめる無表情な顔を、鋭い視線を、見たい。
背中を、押して欲しい――
ちなみにニーナさんにちらっと相談したら、
「お会いすればいいのではないですか? お暇を頂き、故郷でゆっくり過ごす者もいますよ」
という答えが返ってきた。
ニーナさんは、私の境遇を知らない。だからきっと、温かな家族関係の中で育てられたと思っているのだろう。
そして彼女自身も――
親切心から出たアドバイスに、私は否定とも肯定とも言えない曖昧な返答をするにとどまり、今の状況を相談できるのは陛下だけだと確認した。
しかしその陛下のご様子もおかしい。
陛下とはお隣の部屋だけど、今はどこよりも遠い。
陛下も、打ち明けることも相談することも出来ず、たった一人で――ロウソクが灯されたあの部屋で悩み続けているのかもしれない。
いつもは無表情な顔を、辛そうに歪ませながら。
そう思うと、急に心が熱くなった。
これは……自分に対する怒りだ。
個人的な悩みを陛下に頼ろうとする弱い自分への――強い怒り。
それと同時に、強い責任感が早くなった脈拍とともに、全身を駆け巡った。
両親とのことは、自分で解決しなくちゃ駄目。
そして陛下が大変なときだからこそ……私の気持ちがより強固に、そして折れないしなやかさをもたなければ。
それに、アステリオ様にお会いしなくても、大丈夫。
目を閉じ、想像する。
もしアステリオ様に相談したなら、何と言ってくれるだろうと――
答えは簡単だった。
『何故今更、そんなことに迷う?』
金色の瞳の中に僅かないらだちを見せながら、私の中の陛下はそう仰っていた。
無意識に背筋が伸びた。
もし本当に陛下が目の前にいらっしゃれば、反射的に謝っていたところだ。想像の中でも、陛下は圧倒的な威圧感を放っていた。
そんなところまで想像できてしまうなんて、と笑いがこみあげてくる。
ゆっくりと目を開けたとき、視界の端で何かが動いたのに気づいた。
くしゃっと乱れた金髪を揺らし、目をこすりながらやってきたのは、
「セラス!?」
隣の部屋で眠っているはずのセラスが、寝ぼけ眼でやってきたのだ。
私とセラスの部屋は壁で仕切られているけれど、ドアはない。
光が漏れてた?
私の独り言が大きすぎた?
セラスは寝ぼけているのか、私のベッドに入ってきた。そしてポンポンッと、自分の隣を叩く。
まるで私にも横になれと言うかのように。
自然と口元に笑みが浮かぶ。
光量を一番小さくすると、私はセラスの隣で横になった。
可愛らしい寝ぼけ眼を見ながら、ずっと抱え込んでいた悩みが口を衝いた。
「あのね、セラス……私のお父様とお母様から、手紙が来たの……」
相変わらずセラスは、ぼんやりとした瞳でこちらを見つめている。
だけど構わず続ける。
「私、ずっと家族から苦しい思いをさせられてきた。なのに今になって、私のことが大好きだって……会いたいって……手紙を送ってきて……家族に捨てられたって思ってたのに……こんな手紙一つでずっと悩んでて……」
淡々と話しているつもりなのに、声が次第に震え出す。目頭が熱くなっていく。
だけど突然、小さな体がギュッと私に抱きついてきた。
温かな温もりと、私よりも早い心臓の音が、伝わってくる。
小さな体の中に、強い生命力を感じる。
その温もりが少し離れたかと思うと、セラスの小さな手が、私を寝かしつけるようにトントンとし始めた。
少女はすでに、目を瞑っている。
ほぼ無意識の行動だったと言って良いだろう。
なのに私を慰め、休ませようとした。
いつもどんなときも、私を大切にしようとしてくれる。
もちろん私だって、命を懸けて守りたいと思っている。
先日、セラスが見せてくれた絵――私とセラス、アステリオ様が手を繋いだ絵が思い出された。
セラスの描いた世界の中で、私たちは幸せそうに笑っていた。
私たちの絆は、血が繋がっている肉親よりも、
家族だ――
「ありがとう……セラス」
そう呟くと、私はベッドから出た。
両親の手紙と一緒に届けられた白紙に向き合った。
この白紙は返信用。すでに魔法がかかっているため、光魔法しか使えない私でも手紙の返事を届けることができる。
羽ペンを取ると無心になって手紙に書き綴る。
私を産んでくれたこと。
短い間だったけれど、大切に育ててくれたことには感謝していること。
だけど魔法の才能がないと分かって以降の苦しい生活のこと。
両親やクルシュ、屋敷の者たちの態度のこと。
今更謝られても、過去はなかったことには出来ないこと。
心の傷は塞がっても、痕となって残り続けること。
そして最後にはこう書き綴った。
『ミーティア・エルタナはヴェルド様に切られようとしたあの日、死にました。もうあなたたちとは会えません。お元気で、さようなら』
私は手紙を折りたたむと、封筒に入れ、封をした。
そして、
「偉大なるエルタナ家に……栄光を……」
エルタナ家の《《使用人用》》の合言葉を再度口にし終えたとき、唇から乾いた笑いが洩れた。
何故なら、私をあれだけ大切だと手紙で書き綴っていながら、返信用の合言葉は使用人のそれと変わっていなかったからだ。
手紙が四角い光に変わったかと思うと、消えた。今頃、両親の元に届いているだろう。
両親からの手紙を破ろうと手にかけた。しかし、どうしてもその先に行動を移せない。
葛藤の末、机の奥――開けても見えない場所まで押し込んだ。
拒絶の手紙を送ったけれど、手紙を処分するにはもう少しだけ気持ちの整理が必要みたい。
とはいえ、私の悩みに一応の決着はついた。
だけど、残ったのは二つの疑問。
何故今このタイミングで、両親は私に手紙を送ってきたのだろう。
クルシュの近況について、何一つ言及されていなかったのは何故だろう。
窓から見上げた夜空は、この先の不安と混乱を煽るような、どんよりと重い雲が立ちこめていた。




