第26話 真の目的
――死ぬ?
セラスが、し、ぬ?
すぐ隣には、私が全てを敵に回してでも守りたいと思った存在が、口元をもぐもぐさせながら眠っている。
この寝顔が、冷たい物体に変わるなんて、想像しただけで体から平衡感覚が失われそうになる。
召喚された神子様がお役目を果たした後の話を聞いたことはなかった。神殿仕えになるのかと、勝手に思っていた。
陛下の話が本当なら、今までの神子様は皆、死んでいたということ――
しかし、
「セラスが力を与えないと……結界が消えて……で、でも、そうすると、セラスは死んでしまって……え、えっ?」
口を動かしながら考えようとするが、【セラスの死】という単語が強烈すぎて、思考がそこで止まってしまう。
「そうだな。この世界の魔法は、神子というちっぽけな存在の命一つでまかなわれている。それが真実だ」
陛下の返答は、まるで明日の天気をお話されているような軽さだった。 金色の瞳が空を見上げ――いや、睨み付ける。
「神子が結界に力を与えなければ、結界は消失する。人間は、魔法という便利さを失うだろう」
「そう、です……その混乱は計り知れません! 結界が揺らいでいる今ですら、この有様なのに……」
エルタナ家では結界の揺らぎの影響はなかったけれど、巷の噂では色々と大変なのだと聞いている。
城でも以前、光が火が一斉に消えたり、急ぎの書類が送れず、大変だったと、ニーナさんからお聞きしたことがある。
すっかり生活の一部となった魔法を捨てるなど、出来るのだろうか。
だが私の考えを読み取られたのか、空を見上げていた陛下の瞳が真っ直ぐ私を見据え、低く問う。
「ならばお前は、神子の命を神殿に差し出せるのか?」
私は反射的に首をブンブンと横に振った。下ろした髪が、首の動きに合わせてしなり、頬を打つ。
絶対に無理に決まっている。
絶対に――
無意識のうちに、私の手が陛下の方に伸びる。腰を浮かせ、ふらふらとさまよった両手で彼の両腕を掴むと、縋るように顔を近づける。
「どうすれば……どうすればいいのですか!? 結界に力を与えてもセラスが死なない方法は、ないのですか!?」
「ない」
「そん、な……」
即答だった。
陛下の両肩を掴んでいた私の手が力を失い、下に落ちたと同時に、お尻も地面に付く。
このまま全身が溶けて、地面に吸い込まれてしまいそう。
そんな私の肩に、陛下の手が乗った。顔を上げると、アステリオ様が私の隣にいて、私の顔を覗き込んでいた。
強い意志が宿った金色の瞳が、私を射貫く。
「だが、神子を生きたまま元の場所に帰らせることは出来る」
「それって先ほど仰っていた《《役目が無くなれば》》というお話と繋がってきますか?」
「ああ。神子は、結界が力を欲した結果、神殿の連中たちの手によって召喚された。ならば……結界が力を欲しなくすれば良い」
「結界に力を与える役目が無くなれば、セラスは自動的に元いた場所に帰ることが出来るんですね? ……生きたまま」
アステリオ様は深く頷いた。
だけど、まだ懸念はある。
「しかし力を与えなければ結界がなくなり、人々は魔法を失います。生活に根ざした便利さを、皆が手放すとは思えません。神子の命以外に、結界を維持する方法はないのでしょうか?」
「俺が王太子時代、神子の命以外の方法を模索すべきだと、神殿に提案したことがある。だが、神殿は俺の言葉に耳を貸すどころか、清らかな神子だからこそ意味があるのだと一蹴した」
もうすでにアステリオ様は、試していたのだ。
神殿と対立する前から、召喚された神子の命を救うために、席を用意していた。
その椅子を蹴ったのが――神殿。
だから陛下は、神殿との戦いを選んだ。
スプリオール王家の威光を高らかに宣言し、強大な権力を持ち続けた神殿と対立した。
そして今の歪んだ結界システムを変えるために、神子召喚を禁じ、なおも命令を無視して召喚されてしまったセラスを保護した。
「再度、神殿と話し合うのは、無理……なのでしょうか」
分かっていても訊ねずにはいられなかった。
陛下を不快にさせる発言だったと気づき、慌てて謝罪しようとしたが、彼が発したのは意外な質問だった。
「もしお前が数人と閉じ込められ、自分が持っている水を皆に少しずつ与えれば生き延びられるとしたら……お前はどうする?」
「え?」
突然例え話を持ち出され、私は戸惑った。そのせいで考える間もなく、答えを口にする。
「皆に少しずつ水を与えると思います……」
「そうだ。乾きをほんの少し癒やすだけ。喉は渇いたままだろうが、たくさんの人が助かる。だが――」
アステリオ様の瞳から、人の温もりが消えた気がした。
低すぎる声色が、澄んだ空気を重くする。
「人々が乾き、死んでいくのを横目で見ながら水を一人で飲み干す。それどころか、死肉を食い尽くし、自分だけでも生き残ろうとする。それが今の神殿だ」
死肉を食い尽くす。
その表現は、私が抱き続けてきた清らかな印象とは真逆だった。
彼の例えが、具体的に何を指しているのか分からない。
だけど言わんとしていることは、徐々に予想という形を成してくる。
「未来に与えられるはずの恵みを、神殿が今、貪っている。結界管理機関として人々に崇められながらも、奴らには私利私欲を得ることしか頭にない。そんな奴らが管理している結界が、まともだと思うか?」
予想が確信へと変わった。
あまりの恐ろしさに、全身が緊張する。
掠れ、上ずった声は、震えていた。
「アステリオ様の真の目的は……結界を消滅させること、なのですか?」
陛下は答えなかった。
黙って立ち上がると、私に背を向け、立ち去った。
しかし彼の背中が、肯定を物語っていた。
あの日――私が家族に見捨てられ、ヴェルド様に殺されそうになったとき、突然アステリオ様が現れた理由、セラスを強くしようとした言葉の意図が、パズルのピースのようにはまっていく。
だけど、
『いいだろう、《《少し》》だが教えてやろう』
全てのピースはまだ揃っていない――




