第21話 塗りつぶされた青(別視点)
アステリオの姿は、政務室にあった。
報告書に視線を走らせると、隣にいる補佐官に訊ねる。
「これが、現時点でのスプリオール王国内の人口か?」
「はい。王命で貴族たちに領地の調査を命じた結果が、そちらでございます。調査に従わなかった者に対しては、前回同様、ご命令通りの処分を下しております」
「ご苦労だった」
「ありがたきお言葉です。では失礼いたします。」
補佐官は深く頭を下げると退室した。
広い政務室に、紙をめくる音、そして深く息を吐き出す音が響いた。パサリと机の上に紙が落ちる音と同時に、アステリオの唇から掠れた囁きが洩れる。
「やはり、人が減っている」
アステリオは椅子に深く腰をかけると両肘を机に付き、合わせた指先を額に当て、俯いた。
(このままでは、スプリオール王国は――食い尽くされる)
金色の双眸を強く瞑る。
額に当てた指先は僅かに震えている、浅くなった呼吸のせいで肩が大きく上下する。
アステリオは瞳を開くと、机の上で輝いているロウソクの光に視線を向けた。
消えないようにランタンの中に入れられたロウソクは、静かにオレンジ色の光を周囲に投げかけている。
それを見ていると、いつもなら気持ちが落ち着くのだが、今日は違った。
理由は分かっている。
(ミーティア・エルタナの光の存在を知ったから――)
ミーティアが灯した薄黄色の光。
城を空ける日が続いたため、あれから彼女を呼んではいない。
(今夜当たり、呼び出すか……)
あの光には、ロウソクの火では満たせなかった安らぎがあった。
幼い頃に失ったものが、戻ってきた気がした。
怒って立ち去った彼女の表情を思い出すと、今でも愉悦がこみ上げてくる。
(それに彼女には、散々してやられたからな……)
過去の人物に重ねて仕返しをするなど、ミーティアにとっては、とんだとばっちりだろうとは思うが、反省はしない。
セラス同様、ミーティアも強くあらねばならない。
最後に自分を守れるのは、自分しかいないのだから――
(俺が犯した愚行によって命が奪われるのは……一度で充分だ)
額に当てられていた指が、強く握られる。
開いた瞳は、静かな怒りで燃えているが、表情は変わっていなかった。
そのとき、ドアがノックされた。
しばらく人払いをしたはずなのに呼び出され、アステリオの心から温もりが消え失せた。
何か緊急事態かと身構える彼の耳に、近衛騎士の遠慮がちな声が聞こえてきた。
「あ、あのっ……陛下。神子様がお見えになっておりますが、いかがいたしましょうか?」
(神子?)
その単語を聞いた瞬間、アステリオは反射的に椅子から腰を浮かせていた。
神子という単語は、いつも一緒にいるはずのミーティアの存在がないことを示していた。
縁もゆかりもない幼い少女を守るため、ヴェルドに逆らったほどの女が、神子を一人にするなど異常事態だ。
「今すぐ神子を入室させろ」
「は、はいっ!」
騎士の返答から、自分の焦りが伝わってしまったことに気づき、アステリオは心の中で舌打ちをした。
神子絡みならまだしも、どうもミーティアに対しても、いつもの冷静さが保てない自分にいらだちを覚える。
ドアが開き、小さな体が入ってきた。
神殿が喉から手が出るほど欲しい子ども――神子セラスだ。
セラスはアステリオの姿を見つけるや否や、こちらに向かってきた。しかしそれすら我慢できず、少女に問う。
「ミーティア・エルタナはどうした? 何故お前一人が出歩いている」
しかし、セラスはアステリオの問いに対し、何も反応を見せなかった。
もう一度同じ問いをしようと口を開こうとした彼の目の前に、突然何か突き出された。
そこに描かれていたのは、黄色い長い髪の女性だった。どこか悲しそうな表情を浮かべている。
四歳児の稚拙な絵だ。
しかし誰を描いたものか、アステリオには一目で分かった。
「ミーティア・エルタナの絵、か?」
セラスが絵を描く人物として思い当たるのは、一番懐いているミーティアしかいない。
セラスは大きく頷いた。
だが、まだ何か言いたいようで、もっと絵を見ろと言わんばかりに、アステリオに突き出してくる。
絵を見せにきたのはいい。
一番の疑問は、何故たった一人で、アステリオに見せに来たか、だ。
セラスがじれったそうに、絵を指さした。
丁度、ミーティアの目の下に当たる部分だ。そこには、黒い線が引かれていた。
「化粧、か……?」
アステリオの呟きに、セラスは大きく首をぶんぶんと横に振った。大層不服なのか、唇が尖り、眉間には深い皺が寄っている。
見当違いの発言をしたことは分かったが、セラスが何を言いたいのかが分からず、絵を見続けるアステリオ。両手を組み、絵に顔を近づけて観察を続ける。
セラスの我慢が限界に達したのだろう。
絵を床に置くと、どこからか取り出したクレヨンで、ミーティアの顔を塗りつぶし出したのだ。
「おい、お前がせっかく描いた絵だろ、何をしている」
どんどんと顔が塗りつぶされていく絵を見て、アステリオは思わずセラスの腕を掴んだ。
しかし止めるには遅すぎたようで、ミーティアの顔はすっかり青く塗りつぶされていた。
まるで、病人のような――
アステリオは息を飲んだ。
どこか悲しそうな表情のミーティア。
化粧にしては黒く塗られた目の下。
真っ青に塗られた顔。
そして、今この場所にミーティアがいない事実。
アステリオは身を屈めると、セラスと視線を同じにした。小さな肩に両手を置き、真っ直ぐに少女を見つめ、問う。
「まさか……ミーティア・エルタナの体調に、何かあるのか?」
セラスの青い瞳が、真っ直ぐアステリオを見つめ返し――四歳児とは思えないほどの真剣な表情で深く大きく頷いた。




