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第20話 セラスの異変

 スプリオール城で生活を始め、二ヶ月ほどが経った。


「はぁー……今日はこの辺で終わりにしようかな……」


 そう呟くと、分厚い本を閉じた。少しでも教養を付けたいからと、ニーナさんからお借りした本だ。

 セラスが就寝後や隙間時間を使って勉強をしているのだ。


 集中していたせいか、今日もすっかり遅くなってしまった。


 体が重い。

 だけど、毎日とても充実した日々を送っている。


 アステリオ様と一緒に晩餐をとったあの日以降、セラスの食事内容も子ども向けに変わった。柔らかなほっぺたを膨らませながら、美味しそうに食べている。


 城内でも、好奇心旺盛に色んな所を歩き回るため、すっかり城仕えの人たちと仲良くなった。


 しかし、少し不思議に思うことがある。


 城内が広いのにもかかわらず、セラスはどこにいても自分の部屋に戻ることが出来るのだ。何度、迷った私の手を引いてくれたか分からない。


 もう一つ意外だったのが、セラスが人見知りをすること。


 一部の城仕えの方たちに対して、私の後ろに隠れて顔を隠し、避ける態度をとったのだ。


 かといって、全ての城仕えに対して人見知りなわけでもない。

 今ではすっかり皆と打ち解け、仲良くなっているが、どういう基準で人見知りをするのか、今でも分からずにいる。


 アステリオ様にすら、抱きつくぐらい度胸がある子なのに。


 薄い壁を隔てた先から、大きく吐き出したセラスの寝息が聞こえた。


 一日を終え、セラスの可愛らしい寝顔を見るのが、至福の時。ベッドの横でセラスの寝顔を見ながら、今日も無事一日を終えられたことを感謝する。


 この国では、毎日、様々な理由でたくさんの人が亡くなっている。

 大人になれない子どももたくさんいる。


 そんな世の中で、この子がただただ平穏に、そして幸せに成長することが、今の私の願いだ。


 だなんて、私、セラスの親になったような気分。


 ……お父様もお母様も、私が生まれたとき、こんな気持ちだったのだろうか。


 ふと、私に魔法の才能がないと分かる前の、両親の顔が思い出された。

 幼かったからぼんやりとしか覚えていないけれど、優しかった。私を、自分たちの娘として、次期エルタナ家当主として、大切にしてくれていた気がする。


 まるで儚い夢だと思えるほどの、短い……とても短い、幸せだった時間だった。


 ……私、今日は疲れてしまってるみたい。こんなことを思い出すんなんて。


 セラスの寝顔を見る気力がない。だけど目を閉じれば、セラスの愛らしい寝顔が瞼の裏に映る。


 しかしすぐに意識が遠のいていき――気づけば私は、机の上で突っ伏したまま、朝を迎えてしまっていた。


 *


「セラス、どうしたの? 今日は私に向かってぴょんってしないの?」


 私は、花壇の縁に立つセラスに声をかけた。


 セラスはいつも、花壇の縁から飛び降りるとき、私に飛びついてくる。そのまま抱っこしてぐるぐる回すのが、決まった流れだ。


 しかし今日のセラスは違った。

 花壇の縁に乗っても、私を見上げるほどの小さな少女が、不安そうな表情を浮かべながら私を見つめている。

 心配そうな視線の中に、まるで私を観察しているかのような真剣さが混ざっているように思えた。


 何度かセラスに声をかけた小さな手が差し伸べられ、私の両頬を優しく包み込んだ。


「ど、どうしたの、セラス?」


 思いもよらぬ行動に、当惑してしまう。


 セラスと毎日一緒に過ごし、この子が何を言いたいのか、なんとなく分かってきた……つもりだった。


 だけど、この行動は一体何なのだろう。

 でも、どうしてか、頭の中が靄がかって、考えに集中できない。


 首を振って頭の中の靄を振り払う私の視界の端で、セラスが花壇の縁から飛び降りるのが見えた。そして私の手を握ると、小さな頭を左右に振りながら、私の顔を色んな角度から見上げる。


 そして私の手を強く握り直すと、突然城の方へ引っ張ってきた。


 いつもなら、まだ遊びの時間。

 なのに城に戻りたがるなんて……


 気づけば私たちはセラスの部屋に戻ってきていた。

 部屋に入るやいなや、セラスは靴を脱ぎ、ベッドの上に寝転がる。


 眠くなっちゃったのかな?

 それとも体調が悪い?


 ベッドに転がったセラスの両頬に手を当てるが熱はなく、色んな角度から顔を観察するも、体調不良の前兆は見られない。


 セラスは布団に潜り込むと、少し布団をめくり、ポンポンッと自分の隣を叩いた。


 もしかして……


「一緒に寝て欲しいって……こと?」


 セラスの表情が一変、パッと明るくなった。うんうんと大きく頷き、私をせかすようにベッドと叩く。


 添い寝は許されているため、私は横向きの体勢で隣に寝転んだ。柔らかな布団が、私の上にもかけられた。


 お布団の温もり、そしてセラスの温もりで、心まで温かくなっていく。まるで、張り詰めていた緊張が解きほぐされていくよう。


 そのとき、セラスの小さな手が、私の肩をトントンし出した。


 私がセラスを寝かしつけるときと同じリズム。

 真似していると思うと、とても可愛い。


 思わず唇が緩むが、セラスは表情を変えず、私の顔を見つめ続ける。


 だけど次第に、セラスのトントンはリズムを乱していく。

 私を見つめていた青い瞳が、ゆっくりと閉じていき、ウトウトとし出し――やがて、完全に眠りについてしまった。


 小さな寝息が聞こえてくる。


 可愛い。

 セラスの寝顔は何度見ても飽きない。


 少女の可愛さに胸の奥が締め付けられながら、私はゆっくりとベッドから出た。


 両足を床に付け、立ち上がったとき、


「えっ……?」


 不意に体がぐらついた。


 ぐらついた体を支えるため、私は咄嗟に天蓋の柱を掴んだ。恐る恐る柱から手を離すと、今度はちゃんと立つことが出来た。


 どうやら一時的なものだったみたい。

 横になって気が緩んでいた状態から、立ち上がったせいだろう。


 さあ、セラスが眠っているうちに、私が出来ることをしなければ。


 結局、セラスが何を不安に思っていたのか、何を私にさせたかったのか、理解出来ないまま、私は自分の部屋に向かうと、本を開いた。


 だけど、目で文字を追っても、本の内容が頭の中に入ってこない。


 読まなければならない本、学ばなければならないことが、まだまだたくさんある。

 セラスのお世話だけでなく、自分の出来ることを増やしていきたいのに……


 自分の意思の弱さに不甲斐なさを覚えながらも、私は一ページでも読み進めようと、両頬を強く叩いた。

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