第12話 神官長マリス(別視点)
「……それで、みすみす神子をあの男に奪われ、戻ってきたというのか。ヴェルド」
「……も、申し訳ございません、神官長」
全てを話し終えたヴェルドは謝罪すると、奥歯を噛みしめた。
目の前の主から、大きなため息の音がした。落胆しているのだろうが、役目を果たせなかったヴェルドにとっては、鋭利な刃物を喉元に突きつけられているような思いだ。
何故なら目の前の人物はヴェルドが仕える神官長――マリス・ナイトゥア。ヴェルドよりも若いが優秀で、今では彼の意向一つで、ヴェルドの今後を簡単に左右できるほどの権力を有している。
「正直、これほど早くあの男が現れるとは思わなかったな。確かに、お前の予想通り、上層部に間者が紛れ込んでいる可能性がある。機会を見て、一掃せねばな。だがその前に……」
「はっ! 神子奪還のため、すでに計画を進めております!」
マリスの黒い瞳が細められた瞬間、ヴェルドはさらに頭を下げ、喰い気味に報告した。
今回の一件で、ヴェルドに盾突いたエルタナ家の長女が、神子の世話係として城に迎えられたこと。
その女には、妹がいること。
「身内を使い、神子の世話係となった姉に接触させる、ということか?」
「左様でございます。すでに手配も済んでおります。近々、神殿に到着するでしょう。魔法も多才で、神殿にも多額の寄付をしております。今まで召喚されなかったのが不思議なぐらいです」
「……馴染んでおらぬからな」
「? 何か仰いましたか、マリス様」
「いいや」
マリスは僅かに口角を上げつつ、否定した。聞き間違いかと思い直したヴェルドは、自信満々に言葉を続ける。
「それに神子は何故かミーティアという女を好いております。その妹が接触すれば、自然と神子とも接触できるかと」
マリスはヴェルドをジッと見つめた。温かみを感じられない瞳から、彼の考えを知ることはできない。
沈黙が流れる。
ひとときではあったが、ヴェルドにとって、今後の人生を左右する時間。まるで永遠に続くかのように感じられた。
が、突如沈黙が破られた。
頬にかかった青髪を耳の後ろに駆けながら、マリスが口を開く。
「お前の考えは分かった。だが結界が揺らぐ頻度が増えている。なんとしてでも神子を取り返し、神殿へのお前の忠誠心を結果で示せ」
「もちろんでございます! これも全て、結界の安定のため、そして……」
ヴェルドの赤い瞳が輝きを取り戻す。
「我ら神殿の永続的な繁栄のために――」
マリスは大きく頷くと、ヴェルドに背を向けた。視線を上に向け、壁に飾られた大きな絵画を見つめる。
真ん中には神々しい人物が描かれ、その人物の腰辺りには、横たわった子どもが浮かんでいる。そして二人を讃えるように、人々が手を伸ばしている絵画だ。
それを見つめながら、マリスが呟く。
「……だが、神子がまた奪われることになろうとは」
「また、でございますか?」
ヴェルドが瞳を僅かに見開いた。
初耳だったからだ。
彼の問いに、マリスは軽く頷いた。
「およそ二百年前のことだ。召喚された神子を連れ去った者がいた。その者は、見つけた子どもが神子だと分かっていながら我々神殿から逃げ続けたのだ」
「そ、そんなことが……あったのですか……」
「ああ。明らかに神殿への反逆行為だとして、大罪人名録に記載されている。そして……」
そこで一旦言葉を切ると、マリスはヴェルドに向き直った。刃が刺さっていると錯覚させるほどの威圧感が、肌を突き刺す。
「そこに、お前の名が新たに刻まれぬことを願っている」
「は、はっ!」
ヴェルドは冷や汗をかきながら、深々と頭を下げた。
これは、警告だ。
神子奪還が失敗すれば、神殿に破門され、罪人として名を刻まれることになる、と。
神殿に仕えていた者が破門されることは、実質上の死を意味している。
(何としてでも、神子を奪還せねば……)
ヴェルドは改めて心に誓った。
同時に、神子を奪ったアステリオと、過去の大罪人の話が重なった。
恐る恐る顔を上げると、マリスに問う。
「恐れながら、マリス神官長……その二百年前の大罪人とは一体どのような人物だったのですか?」
「……女だ」
「おんな、でございますか?」
予想だにしない返答に、ヴェルドは瞳を見開いた。てっきり、アステリオのような無謀な男だと想像していたからだ。
しかしマリスは意に介した様子なく、軽く頷く。
「ああ、そうだ。大罪人名録にはこう書かれている」
黒い瞳がスッと細くなった。
「魔女ルフーレ、と――」




