神代封呪録・第五章 試練 第一節 百鬼夜行 第四話 縄張
神代封呪録・第五章 試練 第一節 百鬼夜行 第四話 縄張
三輪の車に乗り込むと、間髪を入れずに車内無線が耳障りな電子音とともに起動した。
『各車両に告ぐ。練馬区の光が丘公園にて、妖同士が縄張争いによる乱闘中との通報。市民の安全確保を最優先とし、速やかに乱闘を鎮圧せよ。なお、本件における拳銃の使用は一切認めない。以上』
「ここからなら目と鼻の先だね。急ごう。
助手席の蒼真が短く告げると、三輪は、アクセルを踏み込んだ。車体は夜の都心を縫うように走り、わずかな時間で目的地へと到着した。
光が丘公園の駐車場に車を滑り込ませると、夜間であるにもかかわらず、どこか不穏なざわめきが響いている。遠巻きにスマートフォンをかざす多くのギャラリーの姿が見え、現場の異常さは一目で知れた。無線では「妖同士の争い」と報じられていたが、現場の状況はそれを大きく裏切っていた。激しく衝突し合っているのは、妖と人――それも、呪術を操る人間の姿だった。
「おい、嘘だろ……」
蒼真は車を降りるなり、息を呑んだ。荒々しい術の余波が渦巻く中心に立つその男の顔を、彼は決して忘れていなかった。かつて、京都の二条公園で激突したヌエ使いの人物だったからだ。
蒼真は、一歩前に踏み出し、冷ややかな怒りを込めた声を投げた。
「京都からわざわざ東京まで、一体何をしに来た? 妖と人の間に結ばれた不可侵の掟を忘れたわけじゃないだろう。他地域の縄張りに干渉しないのは、お前たちとも交わしたはずの約束だ。話が違うんじゃないのか?」
背後から掛けられた声に、男はびくりと肩を震わせて振り返った。蒼真の顔を認めた瞬間、その表情に驚愕と気まずさが色濃く浮かび上がる。
「まさか……こんな場所で、あんたにまた会うことになるとは思わなかったよ」
男は冷や汗を拭うように額に手をやり、観念したように両手を挙げた。
「あんたの言う通りだ、すまなかった。もうこれ以上は踏み込まない。すぐに立ち去るよ」
そう言い残すと、男は踵を返し、足早にその場を離れようとした。
「待てよ。そう簡単に引き下がるのか?」
三輪が冷たく声をかけると、隣に並んだ蒼真が静かに首を横に振った。
「まぁ待て三輪さん、まずは話を聞こう。――で、何故わざわざ東京の、しかもこんな一等地にまで足を伸ばしたんだ?」
蒼真の問いかけに、男はバツが悪そうに立ち止まり、肩を落とした。
「……仕方がなかったんだよ。ここ最近、京都のエリアではヌエの数が激減していてね。このままでは俺たちの生計が成り立たなくなってしまう。知ってのとおり、俺はヌエを主軸とする専門の陰陽師だからな。賞金首のヌエがいなければ、生活そのものが立ち行かなくなるんだ」
男は言い訳がましく続け、周囲の警戒を伺うようにちらりと視線を動かした。
「それで、生活の糧を求めてこの東京を彷徨っていたところだ。この光が丘公園を通りかかった際、偶然にも、賞金首の影法師を見つけてしまってね。あまりの質の高さに目が眩み、つい力づくで手に入れようと争いになってしまったというわけだ。……本当に、今回は悪かった。これ以上はもう何もしない、失礼するよ」
男は再び背中を向け、逃げるようにその場を去ろうとした。その足取りは焦りに満ちており、一刻も早くこの場から逃げ出したいという意志がありありと伝わってきた。
だが――。
「待て」
蒼真の低く、しかし淀みのない声が夜の空気を切り裂いた。
蒼真の背後に控えていた葛の葉が、静かに一歩前へ出た。
「えっ……?」
男が驚いて振り返った瞬間、蒼真の瞳が鋭く光った。彼は懐から取り出した式札を指の間に挟み、霊的なテレパシーを相棒である葛の葉へと瞬時に飛ばす。
『いくよ、葛の葉。カウントする。――3、2、1、0』
「陰縛り!」
「陰封じ!」
二人の術者が同時に放った呪力が、見えない鎖となって男の四肢を絡め取る。
「ぐっ……! こ、これは……!」
男はその場でピタリと硬直し、一歩も動けなくなった。わずかに震える体からは、逃走しようとする気力さえも完全に削ぎ落とされている。
「逃げられると思ったかい?」
蒼真は冷ややかに微笑みながら、男にゆっくりと近づいた。
「あんた、まだ自分の背中に不浄な妖を張り付かせたままじゃないか。いくらごまかそうとしても、その気配までは隠しきれていないよ。それに、まったく気付いていなかったわけじゃないだろう?」
男の顔面からサーっと血の気が引いていく。言葉を失い、ただ青ざめた顔で蒼真を見上げるしかできなかった。
「その妖はこちらで引き受ける。二度とこんな真似はしないことだね」
「……あぁ、頼む……。もう勝手な真似はしない……」
観念した男は、絞り出すような声でそれだけ言うと、呪縛を解かれた反動によろめきながらも、今度こそ二度と振り返らずに闇の中へと消えていった。
静けさが戻った現場の周囲からは、いつの間にか集まっていた野次馬や目撃者たちから、安堵と賞賛の入り混じった温かい拍手が沸き起こった。
「神代さん、流石ですね。あんな危ない男をあっさり無力化するなんて」
「やっぱり、僕たちだけでどうにかしようとせずにお願いして正解でした。」
歓声を受けながら、蒼真は軽く手を挙げて応え、それから背後に控える三輪に視線を向けた。
「無線で、光が丘公園の騒乱鎮圧および任務完了と上に伝えておいてくれるかい?」
「はい、承知いたしました。すぐに手配します」
夜の静寂を取り戻した公園に、蒼真たちの穏やかな足音だけが響いていた。




