神代封呪録・第五章 試練 第二節 共生 第二話 医療2
神代封呪録・第五章 試練 第二節 共生 第二話 医療2
手術中のランプが静かに消え、重厚な自動ドアが開く。中から疲労の色を滲ませた執刀医が出てきた。彼は赤鬼の子供の傍らに歩み寄り、穏やかな笑みを浮かべて告げた。
「手術は、大成功だよ!」
「先生! 本当にありがとうございます!」
子供の父親である赤鬼が、感極まった面持ちで頭を下げる。その様子を少し離れた場所から見守っていた神代蒼真は、胸をなで下ろして深く息を吐き出した。
「あぁ……本当に、良かった……」
その蒼真の背後に立ち、同じく安堵の表情を浮かべていたのは、手練れの妖の医師だった。彼は感心したように頷きながら、赤鬼の肩に軽く手を置く。
「いやはや、人間の医療技術というものは、やはり凄まじいな」
さらに、妖の医師は赤鬼に向かって、優しく語りかけた。
「これからは病院の栄養バランスの取れた食事をしっかり食べて、一日も早く元気になるんじゃぞ」
その言葉に、赤鬼はハッと目を見開き、焦ったように手を横に振った。
「えっ!? 食事が出るのか? だ、だが、俺にはそんなお金はないぞ……!」
医療費すら払えないと絶望していた赤鬼に対し、蒼真は静かに首を横に振った。
「心配しなくていい。手術費も、食事費も、入院費も、通院費も、そのすべてをあなたがたが支払う必要はない。私はね、人間も妖も関係なく、誰もが安心して医療を受けられる、そんな社会を作っていくのだと決めたのだから」
蒼真の力強い言葉に、赤鬼は言葉を失い、大粒の涙をポロポロとこぼしながら何度も頭を下げ続けた。
その時、静かな病院のロビーに、明るく懐かしい声が響いた。
「お父さーん!」
振り返ると、遠くの廊下の曲がり角から、小走りで駆けてくる息子の蒼也の姿があった。テレビのニュース速報を見て父親の動向を知り、いてもたってもいられず駆けつけたのだ。そして、その傍らには蒼也の恋人である楠木さやかも寄り添うように歩いていた。
さやかは赤鬼の姿を見つけると、パッと目を輝かせて駆け寄る。
「あっ、!?泣いた赤鬼だ!」
「お姉さんも、そのお話が大好きなんだよ」と、さやかは優しく微笑みかけた。
赤鬼の子供は、目の前に現れた人間の若い女性に少し緊張しながらも、興味津々な様子で見上げる。
「あの、字は……読めるかな?」
「ううん、読めない……」
「そっか。じゃあ、お姉さんがこの絵本を最初から最後まで読んであげるね」
「えっ!? 本当に!?」
「うん。じゃあ、声が出せるロビーの隅の席に行こうか」
さやかは子供の手を優しく引き、蒼也と共にロビーのソファエリアへと向かって歩き出した。
その二人の足音と入れ違うように、廊下の反対側からカツカツと足音を響かせて一人の女性が近づいてくる。蒼也の有能な秘書、池田だった。彼女は手元のタブレット端末を軽く確認すると、蒼真に向かってきびきびとした口調で報告する。
「神代大臣、本日は長時間の外科手術、誠にお疲れ様でした」
「あぁ、池田さんもご苦労様」
「今回の一件における赤鬼さんの手術費用、入院費、および今後の通院費等の免除手続きに関する事務処理は、私の方で代理ですべて進めておきますので、どうぞご安心ください」
「あぁ……頼むよ。君がいるからこそ、こうして思い切った決断ができる。本当に心強い」
蒼真が安堵の表情を浮かべると、池田は手短に今後のスケジュールを告げた。
「ところで、本日の討魔庁の緊急会議はどうなった?
「はい。急遽中止となり、明日の午後に持ち越しとなりました。ただ、それ以上に問題なのは、明後日に控えている国会答弁です」
池田は真剣なまなざしを向け、タブレットの画面を差し出した。
「野党側から、本日メディアで報じられた赤鬼の医療支援の件について、厳しい追及や質問が出ることがほぼ確実視されています。私の方で、想定される質問とそれに対する政府としての答弁案をすでにまとめさせていただきました。後ほど、必ずご確認をお願いいたします」
「あぁ……本当に、いつも私の予想の一歩先を行く働きだな。助かるよ」
「ありがとうございます。――ところで、外で待機されている三輪さんは……?」
「あぁ、外で私を待ってくれているはずだ。……そういえば、皆で一緒に乗れる車は足りるかな?」
「いえ、私はこの後、直行で別の公務がありますので、ここから電車で帰宅します。ですので、車は三輪さんと蒼也様、さやか様だけで十分です。お気になさらず」
「うん、わかった。それじゃあ、よろしく頼む」
短いやり取りを終えると、池田は一礼して反対側の出口へと去っていった。
蒼真は彼女の背中を見送った後、先ほどからさやかや息子と楽しそうに絵本をめくっている赤鬼の子供たちのほうへとゆっくり歩き出す。
その視線の先では、赤鬼の子供がさやかに教わりながら、絵本のページを指差して嬉しそうに笑っていた。そして、それに気づいた赤鬼自身も、蒼也の姿を見つけて深い感謝を込めてもう一度頭を下げる。蒼也もまた、誇らしげな笑みを父親に向けて小さく手を振った。
人間と妖の境界線が少しずつ溶け合い、新たな共生の形が芽生え始めた病院のロビーに、温かな時間がゆっくりと流れていった。
第二話 了




