神代封呪録・第五章 試練 第二節 共生 第一話 医療
神代封呪録・第五章 試練 第二節 共生 第一話 医療
第一話 医療
午後、神代蒼真は討魔庁の一室で、緊迫した空気の漂うなか重要な会議に臨んでいた。国と妖の共生、あるいは対立という重い議題が飛び交う中、彼の頭脳は常にフル回転していた。
その会議の最中、側近である秘書・池田が静かに歩み寄り、蒼真の耳元で一枚の折りたたまれたメモをそっと差し出した。
――昨日、テレビの生放送に出演した赤鬼の子供が、本建物のロビーに押しかけ、神代大臣に直接面会を求めて騒いでいる。何でも、赤鬼の父親が突然の脳梗塞で倒れてしまい、どうしても助けてほしいと懇願しているとのこと……。
文字を追い終えた瞬間、蒼真の眉間には険しい皺が寄った。一刻を争う事態だと直感した彼は、すっと立ち上がり、会議の参加者たちに向かって告げた。
「失礼、緊急事態が発生した。私としたことがここで抜けるわけにはいかんが……会議はそのまま続けてくれ」
それだけ言い残すと、蒼真は足早に会議室を飛び出し、池田を引き連れてロビーへと急行した。
討魔庁のロビーに足を踏み入れた瞬間、周囲の視線を集めていた小さな影が、蒼真の姿を認めてハッと顔を上げた。それは、昨日の今日で世間の注目を集めたばかりの、あの赤鬼の子供だった。子供は目に涙をいっぱいに溜め、ぐしゃぐしゃになった顔で、蒼真めがけてまっしぐらに走り寄ってきた。
「ぐすっ……大臣っ!」
小さな体は震え、恐怖と絶望に支配されていた。
「今日、妖の専門医のところに連れて行って診てもらったんだ……! そしたら、頭の中で血管がパンクして血液が溜まってて、もう意識を失っているって……! でも、僕たち妖にはまともな医療施設なんてどこにもないから、手術なんて絶対無理だって言われたんだ……!」
子供はその小さな手を合わせ、必死にすがりついた。
「お願いだ、神代大臣! 僕のお父さんを助けてくれ……!」
その必死の叫びを聞き、蒼真は迷うことなく尋ねた。
「お父さんは、今、どこにいる!?」
「この建物の裏にある、古い神社だ……!」
「わかった。池田さん、至急救急車を手配してくれ! 私はこの子と一緒に、先に向かう!」
指示を飛ばすやいなや、蒼真はスーツの裾を翻し、神社の方向へと猛然と走り出した。
社殿の陰に隠れるようにして、赤鬼の巨体が苦しそうに荒い息を吐きながら倒れていた。その脇には、先ほど子供が言っていたのだろう、妖を診るという老いた医者が立ち尽くしていた。
「お父さん!」
子供が父親の脇に駆け寄り、名前を叫ぶ。そして蒼真を振り返った。
「神代大臣を連れてきたよ!」
蒼真は息を整えながら駆け寄り、その場にいた老いた医者に鋭い視線を向けた。
「あなたがお医者さんか。なぜ、妖を見てくれる病院に搬送しないのですか?」
老医者は寂しげに首を横に振った。
「無理だよ……。この国に、妖を受け入れてくれる病院など存在しない。皆、十分な治療を受けることもできずに、ただ静かに死んでいくのが定めなのだからね。可哀想だが、この赤鬼も、きっとこのまま助からないだろうよ」
冷酷な現実を突きつけられたが、蒼真の瞳の光が揺らぐことはなかった。彼は倒れている赤鬼のそばに膝をつき、その耳元にしっかりと語りかけた。
「おい、しっかりしてくれ! 私だ、神代だ! 大臣の神代蒼真だ!」
苦悶の表情を浮かべる赤鬼の体を支えながら、蒼真は力強く告げる。
「聞こえているか! 今、救急車を手配した。すぐにここに来る! だから、諦めるな、頑張ってくれ!」
遠くから、澄んだ空気を切り裂くように、サイレンの音が近づいてきた。
ピーポー、ピーポー――。
救急車が神社の鳥居の脇に滑り込むようにして到着した。救急隊員たちが迅速に飛び出し、慣れた手つきでタンカを組み上げると、ぐったりとした赤鬼の巨体を慎重に乗せた。蒼真も付き添い、皆で急ぎ足で病院へと向かった。
揺れる車内、赤鬼の子供は父親の冷たくなりかけた手を握りしめ、枯れ果てたはずの声で何度も叫び続けた。
「お父さん! お父さん、しっかりしてよ……!」
その痛切な泣き声が、狭い車内に痛いほど響き渡っていた。
病院に到着すると、緊迫した空気のなか、ストレッチャーはそのまま手術室へと押し込まれていった。重い自動扉が閉まり、頭上の「手術中」の赤いランプが妖しく点灯する。
しかし、情報の波は早かった。マスコミ関係者がどこで嗅ぎつけたのか、あっという間に病院のロビーや入り口周辺に殺到し、フラッシュの嵐と怒号が飛び交い始めた。
その中心に立った神代蒼真は、押し寄せる記者たちを鋭い睨みで制圧した。
「今、まさに中で命を救うための手術が行われている! 他の患者の迷惑にもなる、今すぐここから引き揚げてくれ!」
だが、野次馬根性剥き出しの若い男のレポーターが、無神経にマイクを突き出しながら割って入ってきた。
「神代大臣! その莫大な手術代は、一体どこから出されるんですか!? もしかして、我々一般市民が納めた血税から賄われるということですか!?」
さらに別の声が飛ぶ。
「今日この場で妖を助けたら、全国から同じような境遇の妖が押し寄せてきますよ! 今回助けたら、次回も断れなくなる。妖はもともと人間の脅威になり得る存在だ! 大臣、何か釈明してください!」
浴びせられる心なき言葉の数々に、蒼真は奥歯を噛み締め、全身の血が逆流するような怒りを必死に抑え込んでいた。彼は記者たちに一言も返すことなく、冷たい視線を投げつけただけで、再び手術室の前の廊下へと引き返していった。
戻ってきた蒼真の姿を見ると、先ほど神社の境内にいた老いた医者が、静かに歩み寄って声をかけた。
「……若造。あのレポーターの言うことも、人間の立場からすれば一理あると思わんかね。神代大臣、あなたはこの先、一体どう落とし前をつけていくつもりだ? 今日のこの一件がテレビやネットで拡散されれば、全国の病める妖たちが、あなたを頼って殺到することになるぞ」
その問いかけに、迷いは微塵もなかった。蒼真は拳を固く握り締め、震えるほど強い意志を込めた声で言い放った。
「全員、救う!」
「……なに?」
「妖だろうと人間だろうと、命の重さに変わりはない。誰もが適切な医療を受けられる、そんな体制をこの国に一刻も早く構築する。私の決意は、どれだけ批判を浴びようとも、決して揺らがない!」
理想論だ。政治家の言葉など、いつか現実に潰される」
「それでも私は言う。理想を捨てた瞬間、政治はただの計算になる」
蒼真はぎゅっと拳を握り締め、真っ直ぐに手術室の赤いランプを見つめ続けた。




