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神代封呪録・第五章 試練 第一節 百鬼夜行 第二十一話 討論

神代封呪録・第五章 試練 第一節 百鬼夜行 第二十一話 討論


一日の始まりと、家族の絆


初夏の柔らかな朝日が家を優しく包み込む頃、神代家のダイニングルームには、淹れたてのコーヒーと香ばしいトーストの匂いが立ち込めていた。防衛大臣である神代蒼真は、すでに仕立ての良いスーツに身を包み、妻であるレイカの向かい側に腰を下ろしている。


「今夜、空いているかい?」


コーヒーカップを静かにソーサーに戻しながら、蒼真は穏やかな笑みを浮かべて妻に尋ねた。レイカは少し首を傾げ、それからふっと瞳を輝かせる。


「えぇ……特におかしな予定はないけれど、どうして?」


「今日は、僕たちの結婚記念日だよ。まさか、忘れてしまったわけじゃないよね?」


「まさか。ちゃんと覚えているわよ」


レイカは茶目っ気まじりに微笑み返した。蒼真は満足そうにうなずき、手帳を確認する仕草を見せる。


「それじゃあ、決まりだ。今日の十九時に、帝国ホテルのいつものレストランを予約してある。少し早いかもしれないけれど、待っているよ」


「うん、分かったわ。素敵な夜にしましょうね」


そこへ、軽やかな足音が響き、息子の蒼也が寝癖を少し跳ねさせたまま起きてきた。まだ眠たげな目を擦る息子に対し、蒼真は父親としての優しい眼差しを向ける。


「蒼也、おはよう。今日はね、お父さんたちにとって大事な結婚記念日なんだ。だから、夜は外で食事をしてくるから、蒼也は夕飯にお寿司でもとって、葛の葉さんと一緒に食べなさい」


「はーい! お父さん、お母さん、結婚記念日おめでとう!」


蒼也は元気に返事をすると、テーブルの席に着いた。蒼真は部屋の隅に控えていた葛の葉へと視線を送る。


「葛の葉、蒼也の面倒をよろしく頼む」


「承知いたしました。蒼也様のことは、この葛の葉がしっかりと見守っておりますゆえ、どうぞご安心のほどを」


麗らかな笑みを浮かべた葛の葉の返事を聞き届け、蒼真は愛用の革鞄を手に取って玄関へと向かった。


「それじゃあ、行ってきます!」


「いってらっしゃいませ!」


背後から響く妻と息子の温かい声を背中に受け、蒼真は重厚な玄関の扉を開けた。




緊迫の移動と、テレビ局への到着


邸宅の外へ出ると、眩しい朝の光を反射して磨き上げられた一台の黒いメルセデス・ベンツが静かに停車していた。その車体の傍らには、蒼真の専属警護官である三輪と、有能な女性秘書の池田が直立して待機している。


「お二人とも、おはようございます」


「神代大臣、おはようございます。本日も万全の態勢でお供いたします」


三輪と池田が同時に深く頭を下げた。蒼真が後部座席に乗り込むと、それに続くように二人も車内へと収まり、エンジンが静かに唸りを上げて発進する。車窓の外では、都内の慌ただしい朝の喧騒が流れ始めていた。


車が本線に乗るやいなや、池田はタブレット端末と美しく製本された資料を取り出し、手際よく一日のスケジュール確認を始めた。


「本日の日程をご報告いたします。午前中は、世界初となる人間と妖のテレビ対談の生放送。午後は、教育長長官そして労務大臣と厚生大臣との三者会談、夕方には防衛省の定例官僚会議が控えております」


池田から手渡された資料を受け取りながら、蒼真はわずかに眉根を寄せた。


「今日のテレビは世界的な試みだ。人間と妖の対談だが……出演する妖の顔ぶれは把握しているね?」


「はい。妖側からは、赤鬼の親子と、影法師の親子が選出されております」


「そうか……」


蒼真は助手席の背もたれ越しに、前方を注視する護衛の三輪に声をかけた。


「三輪、テレビのスタジオ内という安全な環境とはいえ、不測の事態が起きないとは限らない。放送中、警戒を怠らないでくれ」


「承知いたしました。私の目と能力において、会場の安全は完璧に死守します」


車は渋滞を巧みに抜け、やがて巨大な放送局の地下駐車場へと滑り込んだ。控え室に通された蒼真は、本番が始まる前に、隣の控室に待機していた赤鬼の親子と影法師の親子を自ら訪ね、柔らかな物腰で挨拶を交わした。


その際、赤鬼の小さな子供が、ボロボロになりながらも大切そうに胸に抱え込んでいる一冊の古い絵本が、蒼真の目に深く焼き付いた。




歴史的生放送――人間と妖の対談


スタジオの熱気は、本番直前とは思えないほど異様な緊張感に包まれていた。フロアマネージャーのカウントダウンが終わり、赤いランプが一斉に点灯する。


「はい、皆さんおはようございます! 本日は世界初、人間と妖による歴史的対談を生放送でお送りいたします。司会の伊藤です」


「鈴木です。そして本日は、防衛の要である防衛大臣、神代蒼真閣下にお越しいただいております」


司会者の声に合わせ、カメラが蒼真を捉える。蒼真は視聴者に向かって静かに一礼した。


「一方、スタジオの向かい側には、今日の対談の主役である赤鬼の親子、そして影法師の親子にご出演いただいております。皆様、本日はよろしくお願いいたします」


その紹介を受けると、赤鬼の子供が、緊張しながらも精一杯の大きな声でスタジオ中に響くように叫んだ。


「神代大臣、はじめまして、こんにちは! 今日は本当にありがとうございます!」


「こちらこそ、よく来てくれたね。歓迎するよ」


蒼真が温かく微笑みかけると、赤鬼の子は安心したのか、先ほどからずっと大事そうに抱えていた一冊の絵本を両手で持ち上げてカメラに見せた。


「あのですね、今日、神代大臣に会えば僕の夢が叶うかもしれないよって言われて、すごく楽しみにしてきました。これ、僕の宝物の絵本です。人間の子供から譲ってもらったんです。『泣いた赤鬼』っていうタイトルで……本当に、心に染みる素晴らしいお話なんです」


子供の瞳には、純粋な憧れと切なさが入り交じっていた。


「でも、僕は人間の子供たちのように学校に通ったことがないから、この絵本を自分で読むことができません。文字の読み書きも、教えてもらう人がいなかったから……」


言葉を詰まらせた子供の肩に、赤鬼の親が大きな手でそっと触れ、そして意を決したように司会者と大臣の方を向いた。


「恥ずかしながら、親である私自身も文字が読めず、書くこともできません。神代大臣、どうか……うちの子を、人間と同じように学校へ通わせていただくことはできないでしょうか。もし可能であれば、私自身も一緒に学び直したいのです」


スタジオ全体が静まり返る中、蒼真は微塵の迷いも見せず、即座に力強くうなずいた。


「分かりました。その願い、必ず受け止めましょう。番組が終わり次第、関係省庁と緊急の打ち合わせを行い、前向きに、そして速やかに検討を進めます」


赤鬼の親は感極まった表情を浮かべたが、すぐに少し言いづらそうに言葉を続けた。


「大臣、もう一つだけ……どうか、お願いがあります。私たちは赤鬼ゆえに、定職に就くことができず、日々細々と生きるのがやっとです。仕事がなければ、当然、授業料を払うことも叶いません。どんなに泥臭い仕事でも構いません。どうか、私たちに仕事の斡旋をしていただけないでしょうか」


「もちろんですよ。働く意欲がある者には、相応の場と機会を用意するのが政治の責任です。それに……学校に通うなら、みんなと一緒に美味しい給食も食べましょう!」


そのユーモアを交えた力強い言葉に、赤鬼の子供の顔にパッと明るい笑顔が咲いた。赤鬼の親も、大粒の涙をこらえながら深々と頭を下げる。


「ありがとうございます……! あと、最後に一つだけ。私たちは今、定住する場所もなく、夜毎野宿を続けています。私自身はどうにか我慢できますが、まだ幼い子供にまで惨めな思いはさせたくないのです。雨風をしのげる屋根さえあれば、贅沢は言いません。どうか、小さな寝床だけでも用意していただけないでしょうか」


「お父さん、分かりました。必ず用意しましょう。この神代蒼真、国民や住民との約束に嘘はつきません。どうか安心して、今日から希望を持っていてください」


「神代大臣……本当に、ありがとうございます!」


親子の目からあふれ出た涙は、スタジオの観覧者たちの胸を強く打った。




共存への誓いと、新たな夜明け


続いて、スタジオの照明がわずかに落とされ、もう一組のゲストである影法師が静かに一歩前へ出た。その深い闇をまとった姿に、カメラマンが思わず息を呑む。


「影法師です。私は、先週まで妖の隠れ里にて『百鬼夜行』のリーダーを務めるはずでした。しかし、熟考の末に思い至ったのです。争いは何も生まない、と」


影法師の透き通るような声が、マイクを通じて全国へと響き渡る。


「神代大臣、私はあなたの唱える共生論に全面的に同意します。人間と妖の無用な争いは、もうお互いに終わりにしましょう」


スタジオの空気が一瞬で和らいだ。しかし、影法師はさらに真摯な瞳で蒼真を見据える。


「それに伴い、一点だけ、どうしても聞いていただきたい願いがあります。私は特級の妖として、長年莫大な賞金首が掛けられてきました。そのため、人間側の陰陽師や討伐隊は、私を見つけるなり問答無用で襲いかかってきます。どうか、この賞金首制度を廃止していただけないでしょうか。私たちは二度と、人間を襲うような愚行は犯しません」


蒼真は深くうなずき、真剣なまなざしで応じた。


「あぁ……影法師さん。このテレビの生放送という公の場で誓います。あなたのその願い、しっかりと聞き届けましょう。もう、血を流し合う時代は終わりにしましょう。これからは、人間と妖が共に手を取り合って生きていくのです」


影法師は深く一礼し、さらに付け加えた。


「ありがとうございます。最後に、これはすべての妖たちからの切実な意見なうですが……妖専用の総合病院を設立していただけないでしょうか。仲間が怪我や病気を患っても、現在の人間用の病院では診察を拒否されてしまい、途方に暮れているのです。どうか、お願いします」


「分かりました。今日のこの生放送が終わり次第、ただちに関連医療機関と厚生労働省の担当者に連絡を入れ、実現に向けて動き出します」


司会者が時計を確認し、慌てたように両手を広げた。


「はい! 神代大臣、そしてゲストの皆様、本当にありがとうございました。定刻となりましたので、本日の対談番組はこれにて終了となります。妖の皆様も、貴重なお話をありがとうございました。それでは皆様、ごきげんよう!」


放送終了の音楽が軽やかに流れる中、スタジオの扉からディレクターが興奮した様子で走り込んできた。


「大臣! 視聴率が出ました……! なんと、リアルタイム視聴率【八十二パーセント】を記録しました! 過去の歴代記録をすべて塗り替える、前人未到の数字です!」


その報告を聞き、控室から駆けつけた池田は、冷たいおしぼりと温かいお茶をすぐに蒼真の差し出した。三輪は素早く周囲の安全を確認しつつ、メルセデス・ベンツを再び正面玄関へと回すために走っていく。


「お疲れ様でございました、神代大臣。歴史的な放送となりましたね」


「ああ、ここからが本当のスタートだ。休んでいる暇はないよ、池田」


蒼真は一息つく間もなく、文部科学省、労務省、そして厚生労働省の各大臣が待つ会合場所へと再び車を走らせた。


記念日の夜、そして永遠の誓い


めまぐるしく、しかし充実した一日が驚異的なスピードで過ぎ去り、東京の空はゆっくりと夜の帳に包まれていなかった。蒼真大臣としての公務をすべて完璧にこなした蒼真は、車を帝国ホテルの近くで一度停めてもらい、街角の花屋へと足を向ける。


手にしたのは、燃えるような情熱を示す赤い薔薇と、純粋な愛情を象徴する白い霞草で美しく束ねられた大きな花束だった。


(間に合った……レイカより早く着くことができたな)


指定された帝国ホテルの高級レストランの最上階。予約していた静かな特等席に腰を下ろし、窓の外に広がる皇都の美しい夜景を眺めていると、ほどなくしてエレベーターから上品なドレスに身を包んだレイカが姿を現した。


蒼真に気づいたレイカが優しい笑みを浮かべて歩み寄り、向かいの椅子に腰を下ろそうとしたその瞬間、蒼真は立ち上がり、隠し持っていた豪華な花束をそっと差し出した。


「今まで家族を支えてくれて本当にありがとう。これからも、ずっとよろしく頼むよ、レイカ」


「まあ……きれい……」


レイカは驚きと喜びで目を潤ませながら、両手で花束を受け取った。さらに、蒼真はポケットから小さなベルベットの小箱を取り出し、その蓋を静かに開けてみせた。


そこには、夜景の光を受けてまばゆく輝く、十粒のダイヤモンドが贅沢にあしらわれた『スイート・テン・ダイヤモンド』の指輪が収められている。


「これは……あなた……」


言葉を詰まらせたレイカの目から、こらえきれず温かな涙が一筋、スッと頬を伝い落ちた。世界を変える重責を担う男の優しさと、何年経っても変わらない妻への深い愛情が、静かなレストランの夜を永遠の温もりで満たしていった。

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