神代封呪録・第五章 試練 第一節 百鬼夜行 第十八話 テレビ
神代封呪録・第五章 試練 第一節 百鬼夜行 第十八話 テレビ
スタジオの喧騒が、本番のランプが赤く灯った瞬間にピタリと静まり返った。カメラのレンズが冷たい光を放ちながら、こちらをじっと見据えている。
「みなさん、こんにちは。朝日テレビの伊藤です」
「鈴木です」
爽やかな笑顔を張り付けた男女アナウンサーの声が、広大なスタジオに心地よく響き渡る。ひな壇の中央に座る蒼真の背筋は、緊張感からピンと張り詰めていた。テレビカメラの向こう側には、今や何千万人もの国民が息を潜めてこの画面を見守っているのだ。
「今日は、一日にして国民的英雄となられた、あの神代蒼真さんにスタジオにお越しいただいております!」
伊藤アナウンサーが興奮を隠しきれない声色で、蒼真を紹介する。
「神代蒼真さん、本日はよろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします」
蒼真はできる限りの落ち着いたトーンで返し、浅く頭を下げた。一昨日の凄絶な死闘からまだ数日しか経っていないというのに、蒼真の置かれた環境は激変していた。かつての一介の剣道家から、一躍「国の救世主」、そしてまさかの「防衛大臣」へと祭り上げられたのだ。世間の目は熱狂と期待、そしてわずかな警戒が入り交じり、蒼真の全身を重く圧迫していた。
「一昨日、日本を揺るがせた妖・悪路王との大激突がありましたが……当時の心境を振り返って、率直に怖くはなかったですか?」
鈴木アナウンサーが、視聴者が最も知りたいであろう核心へと切り込む。スタジオの空気がわずかにピリついた。
蒼真は一瞬だけ息を呑み、カメラの向こうの無数の視線を想像しながら言葉を選んだ。
「……怖くなかったと言えば、それはやはり嘘になります」
嘘をつく必要はない。あの時、蒼真の目の前にそびえ立った悪路王の圧倒的な妖気は、人間の本能を狂わせるほどの恐怖を孕んでいたのだから。
「ですが、私はあの場に、日本を代表する討魔の剣士として立っていました。だからこそ、個人的な恐怖よりも、国民の命を背負っているという責任感の方が遥かに勝ったのです。そのおかげで、どうにか平常心を保ち、最後まで戦い抜くことができました」
「なるほど……。神代さんは、もともと学生時代から剣道で日本一に輝いた実績をお持ちですが、その日本一を勝ち取った精神力が、あの極限状態での強い責任感に結びついたと考えてよろしいでしょうか?」
「はい。日本一という頂点を経験した以上、守るべきもののために負けるわけにはいきません。いかなる状況であっても、私が折れることは許されないという自負がありました」
「力強いお言葉ですね……。そして、世間を驚かせたもう一つのニュースですが、今日から新しく防衛大臣に就任されたと伺っております。大臣としての初日、本日は如何でしたか?」
話題が政治の舞台へと移る。蒼真の表情は自然と引き締まった。
「防衛大臣として、国民の安全を守るために、今や私たちが直面している妖との戦いにおいて、やらなければいけないことが山積しています。今日はその膨大な機密資料に目を通し、関係各所との調整を行っているだけで一日が終わってしまいました。明日からも引き続き、全力でこの重責に向き合っていきたいと思います」
「『やらなければいけないこと』と言いますと、具体的にはどのような政策やビジョンをお考えなのでしょうか?」
伊藤アナウンサーの問いかけに、蒼真はまっすぐ前を見据えて答えた。
「私は、一昨日のように武力をもって妖を討伐するだけが全てだとは考えていません。もちろん、脅威に対しては断固として戦いますが、将来的には人間と妖が互いに理解し合い、話し合いによって平和的かつ安全に共存できる社会の実現を目指していきたいと考えています。それが、私の掲げる新たな防衛の形です」
「はい、ありがとうございました。理想と現実の狭間で、神代大臣がどのような決断を下していくのか、今後も目が離せませんね」
鈴木アナウンサーが大きく頷いた後、手元のタブレットに視線を落とした。
「さて、現在放送中も、SNSのXには視聴者の皆様からの投稿が数え切れないほどの勢いで流れ続けております。その中から厳選した質問をいくつかピックアップいたしましたので、神代さん、直接お答えいただけますでしょうか?」
「承知しました。どのような質問でもお気軽にどうぞ」
「では、一つ目の質問です。『今まで数々の修羅場をくぐり抜けてきた神代さんが、これまでに戦った相手の中で、一番強かった妖は誰ですか?』――こちらはいかがでしょうか?」
蒼真は一瞬、一昨日の悪夢のような戦いの記憶ではなく、さらに深い闇を思い出した。
「……はい、それはぬらりひょんです」
スタジオの空気がわずかに凍りついた。国民的英雄である蒼真が「一人では勝てなかった」と認める瞬間だった。
「正直に申し上げますと、私一人だけの力では、あの化け物には到底勝てませんでした。仲間たち、そして何より家族の命がけの助けがあったからこそ、どうにか勝利を掴むことができたのです。私の力など、まだまだ未熟なものです」
「なんと……神代さんをそこまで追い詰めた妖がいたとは驚きです。それでは、最後の質問に参りましょう。『もし日常生活の中で、突然妖に出会ってしまった時は、私たちはどう行動すれば良いですか?』――一般市民の皆様へ向けたアドバイスをお願いします」
「はい。万が一、街中や日常の空間で妖に遭遇してしまった場合は、何よりもまず、その場から一刻も早く逃げてください。好奇心で見たり、撮影しようとしたりしてはいけません。そして、自身の安全を完全に確保できる場所まで避難してください」
蒼真はカメラに向かって、強く、諭すように言葉を継いだ。
「それから、落ち着いてからで構いませんので、直ちに討魔庁の専用ホットラインに連絡を入れ、現場の職員や警察官の指示に従ってください。くれぐれも、個人の判断で立ち向かおうなどとは絶対に思わないでください」
「はい、神代蒼真さん、貴重なお話をありがとうございました!」
番組のエンディングを告げる明るいBGMが流れ出し、スタジオのあちこちでスタッフが動き始める。無事にすべての生放送が終了した。
朝日テレビの巨大なスタジオから控え室へと続く廊下を歩いていると、専属秘書の池田が、音もなく蒼真の横に滑り込んできた。流れるような手際で、冷えたおしぼりと温かい緑茶が差し出される。
「神代大臣、本当にお疲れ様でした。見事な受け答えでしたよ」
「ありがとう、池田さん、緊張したよ……」
蒼真は受け取ったおしぼりで汗ばんだ額を押さえながら、小さく息を吐いた。
「ですが、気を抜くのはまだ早いですよ。本日予定されている番組のうち、まだあと二つの収録と生出演が残っております」
池田は淡々とした口調で、しかし確かな信頼感を込めて告げた。
「……そうだな。国民の期待を裏切るわけにはいかない。最後まで気を引き締めてやり抜こう」
「はい、お供いたします。次の現場へ移動しましょう」
過密を極めるスケジュールの中、蒼真は再び気を引き締め直し、二つの番組の収録へと向かった。テレビ局の強烈な照明、絶え間なく向けられるカメラのレンズ、そして全国の視聴者の視線。一分の隙も許されない時間が延々と続き、気づけば夕闇が東京の空を深い藍色に染め上げていた。
すべての仕事を終え、ようやく自分の執務室に戻ったのは、すでに夕方を過ぎた頃だった。
広々とした部屋には静寂が満ちており、防衛大臣としての重厚な机の前に腰を下ろすと、今日一日がいかに濃密で、そして長かった痛烈な実感が全身の疲労となって押し寄せてきた。
「一日があっという間だったな……」
呟きながら、蒼真はソファに深く体を預け、目を閉じた。数日前までただの高校生であり、討魔の剣士だった自分が、今や国の防衛を司る要職に就いている。激動という言葉すら生ぬるいほどの変化が、この短い期間に凝縮されていた。
しばらく静かに目を閉じていると、ノックの音とともに秘書の池田が静かに部屋に入ってきた。
「大臣、少しお疲れのようですが、本日の全日程が無事に終了いたしました。つきましては、明日のスケジュールについて最終確認をお願いできますでしょうか」
「あぁ、頼む」
蒼真は気力を奮い立たせて起き上がり、池田から差し出されたタブレット端末に目を通した。明日は朝一番から閣議に出席し、その後は討魔庁との合同作戦会議、昼からは再びメディアの取材対応が控えている。休む暇など一瞬たりとも存在しない。
「明日の朝は、通常より三十分早い出発となります。ご自宅にお戻りになられましたら、どうか十分にお身体を休めてください」
「わかった。明日も頼むよ、池田さん」
「お任せください」
すべての確認を終え、蒼真は執務室を後にした。防衛省のエントランスを出ると、夜の冷たい外気が火照った肌に心地よく染み入る。
建物の前には、漆黒の高級セダン――黒いベンツが静かにエンジンをアイドリングさせていた。その傍らには、蒼真専属の運転手である三輪が直立不動で待機しており、蒼真の姿を見つけるとパッと顔を輝かせた。
「神代大臣、本日も一日本当にお疲れ様でございました!!」
三輪の力強く、どこか温かみのある声が夜の駐車場に響く。
「ありがとう、三輪さん。今日も一日、安全運転で頼むよ」
「承知いたしました! お任せください!」
蒼真は後部座席に深く腰を下ろし、静かにドアを閉めた。車体が滑らかに発進し、防衛省の敷地を後にして夜の首都高速道路へと滑り込んでいく。窓の外を流れる東京の夜景は、一昨日の戦火の傷跡をわずかに残しながらも、いつもの喧騒を取り戻しつつあった。
車内は静かで、今日一日の緊張の糸がようやく緩んでいくのを感じる。国民的英雄として、そして防衛大臣として、蒼真はこれから険しい道を歩み続けなければならない。それでも――蒼真には、守るべき場所があった。
どれほどの時間が経っただろうか。車は静まり返った高級住宅街を抜け、我が家の前に静かに停まった。
「お疲れ様でした、大臣」
「ありがとう、三輪さん、明日もまた頼む」
車を降りて門をくぐり、自宅の玄関の扉に手をかけると、鍵を開けるまでもなく、内側からガチャリと軽快な音がして扉が勢いよく開いた。
そこに立っていたのは、愛する妻のレイカだった。彼女の顔には、テレビで蒼真の姿を見たばかりだからこその、少し照れくさそうな、しかし心からの満面の笑みが浮かんでいた。
「おかえりなさーい! テレビ、ちゃんとリアルタイムで見たよー!」
「あぁ、ただいま、レイカ……」
「もう、カッコよかったよ! すっかり全国のスターじゃない!」
レイカはそう言って、誇らしげに胸を張ってみせる。
蒼真は一瞬面食らい、そして思わず苦笑いを浮かべた。テレビの前であれだけ堂々と国防について語ってみせたというのに、妻のまっすぐな称賛を目の前にすると、防衛大臣としての仮面は跡形もなく消え去り、ただの夫へと戻ってしまう。
「そっか……おい、そんなに茶化すなよ……。なんだか、すごく照れるな……」
蒼真は照れ隠しに頭を掻きながら、自然と頬が緩むのを止められなかった。
テレビカメラの向こうでどれだけ英雄ともてはやされようとも、国家の重責を背負っていようとも――蒼真にとっての本当の安らぎと居場所は、今、温かな光が灯るこの場所にしかなかった。
(第十八話 了)




