神代封呪録・第五章 試練 第一節 百鬼夜行 第十五話 家族会議
神代封呪録・第五章 試練 第一節 百鬼夜行 第十五話 家族会議
リビングの重厚なマホガニーの長机の前に、蒼真の声が響き渡った。窓の外では夕闇が急速に庭木を呑み込み、室内の暖色灯だけが妙に鮮やかに家族の顔を照らし出している。いつもの穏やかな夕食前の空気とは違う、どこかピリリと張り詰めた緊張感が部屋の空気を支配していた。
「みんな、家族会議を開く。集まってくれ」
蒼真のその一言に、リビングへ足を向けていた家族の動きが止まる。
「皆、筆記用具を持って集まってくれ」
その不可解な指示にレイカがわずかに眉をひそめ、蒼也が怪訝な顔をしながらもペンケースからシャープペンシルを取り出した。葛の葉は静かに微笑んだまま、指定された席へと歩み寄る。
誰もが所定の位置に腰を下ろすと、机の上にはメモ用紙とペンがそれぞれの前に整然と並べられた。その光景は、まるで重要な企業の取締役会か、あるいは厳格な裁判の開廷前のようだった。
蒼真はゆっくりと息を吸い込むと、視線を一人ひとりに巡らせた。
「では、これより『神代家・今後の生活および方向性に関する基本方針』についての会議を始める。一人一人、順番に話していく。もし疑問点や確認事項があれば、メモを取っておいて、その場で聞いて欲しい」
蒼真はまっすぐ前を向き、最初のターゲット、いや、最初の家族に視線を据えた。
一、レイカへの通達:討伐からの解放と「個人の時間」の謳歌
「まずは、レイカからだ」
蒼真の落ち着いた、しかし揺るぎない声に、レイカは静かにうなずいた。
「いままで、危険を伴う2級の討伐任務に率先して向かってくれて、本当にありがとう。君が命がけで稼いでくれた報酬のおかげで、我が家の家計はどれほど助かったか知れない。本当に、心から感謝している。ありがとう」
夫からの真摯な謝辞に、レイカは少し照れくさそうに目を伏せた。だが、蒼真の言葉はそこで終わらなかった。むしろ、ここからが本題なのだと示すように、その声音が一段と真剣味を帯びる。
「だが――これからは、討伐に行かなくていい」
「え……?」
レイカの小さな呟きが、静かな室内に落ちた。
「これ以上、君に危険な橋を渡らせるわけにはいかない。レイカになにかあったら、私は……家族は困るんだ。それにね、私のこれからの立場と収入の変動により、生活費は今まで以上に見込める。経済的な心配は一切いらない。だから、これからは命を削るような討伐の時間ではなく、純粋に自分のための『趣味の時間』を過ごしてもらいたいんだ」
蒼真はメモ用紙にいくつかの例を書き殴りながら、妻へと視線を戻した。
「例えば、以前から興味があると言っていた本格的な料理教室に通うのもいい。あるいは、ずっと触れていなかった音楽教室の門を叩いて、美しい旋律に浸る人生も素晴らしいと思う。もっと自分のために、君の人生を満喫して欲しいんだ。どうだろうか?」
レイカはしばらく夫の顔を見つめ、それから手元のメモ用紙に視線を落とした。ペン先が紙の上でわずかに揺れる。
「……ありがとう、蒼真。とても嬉しいわ。私の体を、そんな風に心配してくれて……。でも、突然のことで少し驚いたわね。すぐにとは言わないけれど、これからの生き方について、ゆっくり考えてみるね」
「あぁ、急かすつもりはない。じっくり考えてくれ」
二、蒼也への転換点:剣道、そして未来の選択肢
次に、蒼真は視線を息子へと移した。父親の鋭い眼差しを受け止め、蒼也は背筋をぴんと伸ばす。
「次は、蒼也だ」
「はいっ!」
「蒼也も、今後はいっさい討伐に行かなくていい。……もちろん、学校のカリキュラムや、どうしても自分の意志で討伐したい特異な案件があれば話は別だ。その場合は、必ずお父さんに直接相談してくれ。勝手な単独行動は厳禁だぞ」
蒼也は少し悔しそうに、しかし納得したように唇を引き締めた。今の自分にとって討伐は実力を試す数少ない場でもあったが、父親の言葉の裏にある「守りたい」という意図を、彼の直感が察知していたからだ。
「また、今は日々の修練として剣道に専念しているが、『お父さんの背中を追わなければならない』という呪縛に縛られる必要はまったくない。無理にお父さんの背中を追いかけなくていいんだ」
「父さん……?」
「例えば、精神的な鍛錬として空手や柔道を習うのも良い刺激になるだろう。あるいは、全然違う方向性として、絵画教室に通って感性を磨くのもお父さんは大賛成だ。蒼也が心から『やってみたい』と思えること、自分の心が動くものを言って欲しい。選択肢はいくらでもあるんだからね」
蒼也は手元のノートに、『剣道以外の選択肢』『絵画・武道』と乱雑な文字で書き留めた。父親からの「自由な選択の許可」は、息子にとって重荷を下ろされたような安堵と、未知への期待を同時にもたらしていた。
三、葛の葉への敬意と、家族の結びつき
そして、蒼真は最後に、静かに佇む妖の女性へと向き直った。
「最後に、葛の葉さん」
葛の葉はふわりと優雅に微笑み、一礼して応えた。
「あなたの存在そのものが、我が家にとってどれほどの支えであるか、言葉では言い表せないほどだ。これからも、今まで通りに……いや、それ以上に自由に、気ままに過ごして欲しい」
「お気遣い、痛み入ります、旦那様」
「ただ、一つだけお願いがある。私が不在の時、もし我が家に何か取り返しのつかない危機が訪れた時は、その強大な力を貸して、家族を助けて欲しい。それだけが、私の唯一の願いだ」
「承知いたしました。この身に代えましても、皆様はお守りいたしましょう」
葛の葉の力強い断言に、リビングの空気がさらに引き締まった。
四、質疑応答:未来への疑問と父の覚悟
「ここまでで、何か質問はあるか? メモに書いたことでもいい。遠慮なく聞いてくれ」
シーンと静まり返った部屋で、すっと一人の手が挙がった。
手を挙げたのは、蒼也だった。
「お父さん、質問いいな?」
「ああ、言ってみろ」
「……お父さんでないと、絶対に倒せないような、めちゃくちゃ強い妖が現れたら、その時はどうすればいいの? 父さんはもう討伐に行かないんだろ? それじゃあ、誰がそいつを片付けるんだよ」
蒼也の問いには、純粋な疑問だけでなく、父親の身を案じる色と、世界の脅威に対する現実的な不安が入り混じっていた。
蒼真はテーブルの上に両手をつき、息子を真っ直ぐに見据えた。
「良い質問だ、蒼也。結論から言えば、今後、お父さんは個人的な私怨や要請での単独討伐は一切行わない。もし、そのような特異な脅威が現れた場合は、私が個人的に動くのではなく、国家機関である討魔庁から、他の精鋭たちが組織として派遣されるシステムに移行する」
「討魔庁の……他の人間が?」
「そうだ。これからは、一人の個人の武力に依存する時代から、組織全体の連携とシステムで脅威に対処する時代へとシフトしていく。だから、お父さんが前線に出る必要はなくなるんだよ」
蒼真は立ち上がり、窓の外の暗闇へと視線を投げた。その横顔には、家族の前で見せる優しさとは違う、得体の知れない大きな責務を背負った男の厳しさが張り付いていた。
「今後、お父さんは日本国内の現場を離れ、海外へと赴くことが多くなる。海外の要人たちと交渉し、国際的な外交問題に取り組んだり、古いしきたりに縛られた今の日本の呪術・討伐行政の仕組みそのものを根底から変えていかなきゃならないんだ。この国、そして世界の未来の形を、上流から作り直すためにね」
リビングの空気が、さらに一段階重くなったような気がした。家族の誰もが、蒼真の言葉のスケールの大きさに圧倒されていた。
「……じゃあさ、お父さんが海外に行っちゃったら、全然話せなくなるのかな?」
蒼也が少し不安げな声音で尋ねる。
「その心配はいらない。基本的には、物理的に離れている間はスマートフォンでの連絡がメインになる。連絡が取れなくなるわけじゃない。だが、どうしても画面越しではなく、対面でじっくり話したい時や、重要な相談がある時は、どんなにスケジュールを縫ってでも帰ってきて、直接対面で話す。そこは約束する」
蒼真は優しく微笑み、息子を安心させるようにうなずいてみせた。
「ほかに、何か質問はあるか? 不安なこと、聞いておきたいことはないか?」
蒼真はゆっくりと机の上を見渡し、全員の顔を確認した。誰もが首を横に振る。レイカはうなずき、蒼也はしっかりとメモの最後をペンで丸で囲んだ。葛の葉も静かに目を伏せて肯定の意を示している。
「よし。――では、これ以上の質問や異論がないようなので、本日の家族会議はこれにて解散とする!」
蒼真がパンと手を叩くと、ピリついていたリビングの空気がふっと緩んだ。
重苦しかった夜の始まりは、それぞれの胸に新しい未来の形を刻み込みながら、静かに終わりの時を迎えたのだった。
以上!
第十五話 了




