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昨日は情けないことに倒れてしまった。トレーは落とすし、医務室に世話になる始末。それに。
『…怒ってます?』
『当たり前だろ』
いつもグイグイ行っても、呆れられても怒られることはないのに。心配してくれたためだと思うが、非常に怖かった。抱えて運ばれてる間、心臓がドキドキしてたまらなかった。
そんな相手が、今目の前にいる。
「えーっと…おはようございます」
「パンは無しでいいって話だっただろ。なんでいるんだ」
「それはこちらの台詞というか…」
医務室で寝た上にしっかり夜も寝て回復し、いつも通り厨房に来たらこれである。ストッパー役を引き受けてくれた時は失礼だが色々と便利な彼が良いなとは思ったのだけれど。
「部屋に戻れよ、寝ろ」
「いやあの、別に大丈夫なので」
「倒れたばかりだろ」
「あら倒れたの!?ファリーナちゃん大丈夫!?」
朝番の食堂の方にまで心配されてしまい、とてもいたたまれない。ただ。
「それはそうなんですけど。うちの領地だとこのくらいに起きるのが普通なので…」
朝日が出てるのに動かないのはむず痒い。辛いのはむしろ、夜起きている方だ。
シエルは少し眉を寄せたが、もう戻そうとはしてこなかった。代わりに、嫌そうに口を開く。
「僕がパンを焼く。──どうせ昨日、ちゃんと課題できてないだろ」
「え、シエルさんが!?」
思わず声が裏返る。
「レシピさえ教えてもらえば、岩よりはましなものが作れるはずだ」
相変わらず失礼な。でも確かに、課題は終わってないし、パンは領地のみんなで考えたレシピで、誰でも作れるようにこだわり抜いてある。
「では…お願いしても?」
「何とかなるだろ」
小さくうなずいてくれた。
◇◇◇
心配をよそに、シエルはテキパキと動いていく。
「水は?」
「子羊に与える三杯分」
「……曖昧だな」
「領地ではこれで伝わりますが?」
「最悪だろその説明」
どう考えてもわかりやすいのに。シエルはぶつぶつ言いながらも、生地をまとめていく。 騎士科で鍛えた腕力のせいか、こねる手つきは妙に力強い。
「流石ですね」
「何が?」
「こねるの、結構力いるのに軽々やってるので」
体力には自信があるが、力にはあまり自信がない。あんなに楽々できたらいいのにな、と課題よりもそちらが目にはいってしまう。
何とか気持ちを課題に向け、聞かれたら答える形で指示を出していくと、焼成の時間になった。
火加減を調整するシエルの横顔は妙に真剣だ。初めて会った時の、剣を振る時のような表情に少し懐かしくなる。
「……そんな難しい顔しなくても」
「君、毎日これを朝からやってるんだろ」
「? そうですけど」
「……そうか」
「多少ずれても平気ですよ?」
「大切なものなんだろ。テキトーにやりたくない」
キッパリ言われて目を瞬く。なんて責任感の強さ。そして、優しさ。
「…ありがとうございます」
噛み締めるように、そう呟いた。
◇◇◇
「と、いうことで、今日はシエルさんが焼いたパンです!」
「おおー!!」
朝練に顔を出すと一番に心配された。申し訳なくも嬉しくも思いつつ参加した後の、いつもの時間。じゃじゃーん!とパンを取り出すと、歓声が上がった。
「美味しそう!…見た目は不格好だけど」
「いつものいい匂いする!…やけにごつごつだけど」
「うーん、ごつごつしてる分カリカリが増しててこれはこれでアリ、か…?」
「うるさいな」
「まあ、ファリーナをとめてえらい!」
「流石ですストッパー役様~」
皆にからかわれながらパンを配るシエルの耳は少し赤い。でも、本当に最後まで手を抜かずやりきってくれた。
「本当にありがとうございます、シエルさん」
「…無理するなよ」
顔は仏頂面なのに、声は優しい。その差が面白くて思わず笑ってしまった。
◇◇◇
さてお昼は売店に、と教室を出ようとして黒い影が二つさした。
「わ、わぁ…お二人ともお揃いで………」
「こんにちは、ファリーナ。どこに行くのかしら?」
「えーっとお…」
「待ちに待ったお昼の時間ですもの、ご飯を食べるのよねえ」
エリナの視線が怖い。笑っているようで、全然笑ってない。ミアがいつもの笑顔を浮かべているのが安心できるような、そうじゃないような。
思わず逃げそうになった手を、エリナが掴む。
「今日は女子会。ランチしましょ!」
「え、?」
「いつもファリーナにはもらってばかりだもの。ほら、これ見てみて」
ミアの手には大きなバスケット。思わず二人とバスケットを交互に見ると、にこりと微笑まれた。
「食堂の方が心配してたよ。ファリーナと食べるって言ったら、沢山おまけしてもらっちゃったあ」
「そんな、ありがとうございます…!」
「さ、行くわよ!」
「え、でも、あの」
「行きましょう」
売店に後ろ髪を引かれつつ、騎士科二人に手を掴まれてはどうすることも出来ず。導かれるまま、中庭のテーブル席へとやってきた。
開いてくれたバスケットには卵や野菜のサンドイッチに揚げた肉。ピクルス。パイまではいっている。
言葉にするより先に、お腹がグーとなった。
「…今日はいい天気ですね」
「ごまかし方へた!」
「まぁ、ファリーナだもの」
「聞かなかったことにはしてくれないんですね…」
「お腹がなるのは足りてない証拠。さあ、食べましょ!」
「そうそう、いっぱい食べようね」
じんわり嬉しくなる。領地を知ってもらいたいと、色んなことをしては迷惑をかけてばかりなのに。ありがとうございます、と呟いてサンドイッチを手に取った。
二人もそれをみて、一緒に食べ出す。
「いやー、サンドイッチおいしいけど、やっぱファリーナのパンが最高だわ」
「!嬉しいです」
「わかるわあ、なんか違うパンだと物足りなくなるもの」
「そうそう!」
「そう言っていただけると作り甲斐があります。パントーニのご飯は本当においしいんですよ」
思わずにやにやしてしまう。私の顔をみて、エリナとミアは苦笑した。
「ほんっと、領地が好きねえ」
「はい!」
「領地もいいけど、好きな人とかはいないわけ?」
「!?!?」
「ファリーナはまだまだそう言う感じじゃないんじゃないの?」
「そういう感じ…??」
「ほほう、流石彼氏持ちは違うわね!」
「かれし…」
「ふふ、実は私ルークと付き合ってるの」
「つきあう?」
駄目だ、バカみたいに復唱するしかできない。好きな人。彼氏。付き合う。昔読んだ物語のようだ。領地のことで手一杯でそんなことを考える時間なんて、今までなかった。
はあ、とため息をつかれる。
「貴女がまだ考えられてないのは分かった。でも好みはあるじゃない、あの男たちのなかでいないの?」
「男たち?」
「今はファリーナの代わりに売店で働いてる子達よお。トムにガイルに、シエル」
「あ、やっぱりルークは抜くのね?」
「当然でしょう!」
「…え、ちょっと待ってください、皆さん売店で働いてるんですか!?」
思いもよらないことを言われて衝撃を受けていたが、意識が戻ってくる。なぜに皆さんが。
「ドーミエ先輩も大丈夫って仰ってたけど、パンを置いてもらった義理は通すものだ!ってね」
「完全に身内扱いよねえ」
「ほんとにね!まあだから売店は安心して」
「ほんと重ね重ね申し訳ない…」
「あら、そうなっちゃうの」
「そういう時はありがとう、でしょ!」
ぱちん、とエリナにウインクを飛ばされる。ミアもうんうん、と頷いていた。胸が熱くなる。
「本当にありがとうございます…!」
「それでよろしい。で、話は戻るけど好みは?」
「ふふ、気になるわよね」
「え、まだその話するんですか…」
「女子会と言ったら恋ばなでしょ!」
「えええ」
好み。好みと言われても。頭を抱えてしまう。
「…領地に来てくれて活躍してくれる人……?」
駄目だこりゃ、と呟かれた。
◇◇◇
その日の放課後。試作は週末に、と言われていたがどうしても思い付いたらやらずにはいられないもので。厨房に行けば、待ち構えていたようにシエルがいた。
「なんでいるんだ」
「…わー、2回目ですね。お昼は売店にも行ってくれたそうで、ありがとうございます!」
「話そらそうとするな」
「お願いです、どうしてもやりたいんです、蜂蜜の配合を!!」
手振りを大袈裟に、必死に訴えかける。絶対今やらないと気になって課題も進まない。はずだ。
シエルにはぁ、とため息をつかれた。
「…僕がいったら止めるんだぞ」
「はい、今日はここまで」
「えっ」
ぴしゃり、と。 まるで教師のような声音で言われ、ぱちぱちと目を瞬かせてしまう。
「いや、でもあと一回だけ焼けば配合の比較が」
「明日授業あるだろ」
「ありますけど」
「課題は」
「……あります」
「睡眠時間」
「…………」
「図星か」
ぐぬぬ、と唇を噛む。確かにこれ以上やって課題に手をつけるとなると、眠くなってしまうのは確実だった。
「ほら、片付けるぞ」
「まだいけます!」
「君のいけますは信用ならない」
「そんなぁ……」
本当に容赦がない。
焼き上がったばかりの試作品を名残惜しく見つめる。今日は蜂蜜を使った配合違いを試していたのだ。あと少しだけ試せば完成に近づきそうなのに。
すると、シエルがため息をついた。
「……食べて」
「え?」
差し出されたのは、切り分けられた試作品だった。
「味見だ。どうせ食事まともに取ってないんだろ」
「取ってますよ!試食を!」
「それを食事扱いするなって先生にも言われてただろ」
痛いところを突かれて黙る。そんなファリーナを見て、シエルは呆れた顔をした。
「座って。立ったまま食べない」
「……はい」
何だろう、この感じ。素直に椅子へ座りながら、ぼんやり考える。
なんというか──お父様より厳しいな、この人。
いや、お父様は基本的に「ファリーナは頑張ってて偉いなあ!」で終わる。止めもしないが、手伝いもしない。
どちらかと言えば、この圧はお祖父様に近い。
『それは領地のためになるのか』
『領民はどう思うか考えるんだ』
『倒れたら終わりだぞ』
幼い頃から叩き込まれた言葉が脳裏をよぎる。
「紅茶」
「わ、ありがとうございます」
「熱いから気をつけろ」
「はい」
しかし妙に世話焼きだ。
向かい側へ座ったシエルは、自分ではスコーンに手を付けず、じっとこちらを見ている。
「……何ですか」
「ちゃんと食べるか確認してる」
「子供じゃないんですが!?」
「倒れたやつが言っても説得力ないな」
ぐっ、と言葉に詰まる。悔しいが反論できない。
むすっとしながらスコーンを齧ると、蜂蜜の優しい甘さが口に広がった。
「あ、美味しい」
「そうか」
「前のより小麦の香りがちゃんと残ってます!」
「バター減らしたからな」
「ですね!やっぱり牛乳より酸乳の方が合うかも……」
ぶつぶつ考え込み始めると、すかさず声が飛ぶ。
「今日は考えるだけにするんだぞ」
「まだ何もしてませんよ!?」
「君の場合そこから始めるだろ」
「…………」
否定できない。
思わず黙ると、シエルは少しだけ口元を緩めた。その顔を見て、ふと気づく。最近、この人よく笑うようになったかもしれない。初めて会った頃は、もっと鋭くて、近寄りがたい雰囲気だった気がするのに。
「……何だよ」
「いえ?」
「なんか変な顔してる」
「失礼ですねぇ」
むっとしながら紅茶を飲む。温かくてやさしい味がした。
先ほど思ったことを口にする。
「さっき、お祖父様思い出してました」
「……厳しいのか?」
「はい。すごく」
「ふうん」
興味なさそうに返事をしながら、シエルさんは焼き上がった試作品を半分に割る。
「でも」
「?」
「お祖父様は褒めてくれましたけど、シエルさんは褒めてくれませんよね」
「…………」
「え、何で黙るんですか」
「いや」
妙に気まずそうに視線を逸らした後、ぽつりと呟く。
「……美味いとは言ってるだろ」
「ふふ、確かに!」
「…無茶しないなら、別に試作に付き合うのは嫌じゃないからな」
「え?」
「だから、倒れるなって話」
ぶっきらぼうで、相変わらず言い方はあまり優しくない。でも。
ああ、この人、本当に心配してくれてるんだな。
そう思った瞬間、胸の奥がじんわり温かくなった。
──恋ばなでしょ!
不意に、昼間のエリナの声を思い出す。こういう人のこと、好みっていうのかもしれない。
「……はい。気をつけます」
優しさを噛み締めて、今度はちゃんと、素直に返事をした。




